Episode.1 ロミオとシンデレラ①
1-1 彩花高校、2年2組の教室、放課後
(わー、雑誌のテーマがほとんどバレンタインだ)
痴漢事件から二年近く
(彼氏と過ごす特別な日に、か。かわいいなぁ。この服とかリリコに似合いそうだよね)
きらきらとした石が
かわいくて大人びたアイテムに未紅はすっかり見とれていた。
すると。
「──かわいい! それ、未紅ちゃんに似合いそうだねっ」
「リリコ」
ひょこりと背後から現れたリリコが、そんなことを笑顔で言ってきたのだ。
おどろいたのは未紅だ。リリコってば何を言い出すんだろう。
「いやいや、それはリリコでしょ。私にはこんなかわいいの似合わないよ」
未紅は手を
(そうなんだよね、こういう女の子っぽいアイテムってかわいいし
未紅はリリコみたいに女の子らしい女の子じゃないから、どうしても買えないし着られないのだ。
かわいいものというのは、身長が高めでシンプル服の真顔女が持ってるより、リリコみたいにちいさくてホワホワした甘々服の女の子が持ってるほうが断然かわいい。
なんていうか、〝お似合い〟なのだ。
(ファッションだって好きな服と似合う服は違うし。これはどうしようもない)
なのに、リリコは「そうかなぁ……」と首をかしげた。
「わたしは未紅ちゃん、女の子らしいと思うよ。とくに未紅ちゃんの
「えっ、なに
「本気だよぉ」
まじめな顔で言うリリコに、未紅はおもわず笑ってしまう。
他人からすればあいかわらず冷たく見えるのだろうけど、未紅としては笑っているのだ。
「笑わないでよ」と
その親友に、未紅はからかうような目線を向ける。
「ないない、無理だって。むしろ、こういうのはリリコが似合うでしょ? 私はリリコみたいに告白とかされたことないんだもん」
(まぁだからって困ったりしてないし、別にいいんだけど)
ちょっとした
すると、なぜかリリコは顔をしかめた。
「…………未紅ちゃん、分かってない」
「分かってない?」
いったい、なんのことだろう。
「未紅ちゃんはひそかにすごい人気あるんだからね!?」
「は?」
「未紅ちゃんは美人で
だから、女子も男子も未紅ちゃんに憧れてても近付けないし、ましてや告白なんてできないんだよ!?」
「……なに言ってるの、リリコ」
激しい勢いで語られたリリコの言葉に、未紅はぽかんと口を開けてしまう。
(それっていったい
見たこともない他人の話をされている気分だ。
そんな未紅の反応に、リリコが、はあぁ……と、深いため息をついた。
「もう、無自覚なんだもん。これだから……」
「えっと、よく分かんないけど──」
とまどいながら、未紅はリリコの
「リリコ、たぶんリリコの
はっきり言って、ありえない。
だから、未紅はきっぱりとそう告げた。
リリコが「ええっ」と目を見開くが、無視するにかぎる。
未紅はリリコの話を軽く流すことにして、「そんなことより」と、教室の窓から見える校庭を指さした。
「あのさ、そろそろ〝彼〟が出てくるころじゃない?」
「あっ!」
未紅の言葉に、ぶつぶつ言っていたリリコの表情が変わる。
「ほ、ほんとだ! もう校庭に出てるかな──あ、いた!」と小声でさわぎはじめた。
(じつはさっきから時間が気になってたんだよね。いつもこの時間に校庭に出てくるの知ってるし)
さわぎながら窓辺に立つリリコのとなりに、未紅もいそいそと移動する。
見下ろせば、いつもと同じように〝彼〟がサッカー部の練習に
(今日も本当にかっこいいな、蒼真くん)
視線のさきには、二年前より
1-2 “
蒼真怜。2年6組、理系クラス。サッカー部所属の
学年どころか学校でいちばん恰好いいと
無口であまり
(まぁ私の場合は蒼真くんの
二年近く前に見た蒼真くんの表情を思い出して、未紅はひっそりひとりで照れる。
おなじ学年とはいえ理系と文系で校舎が分かれているし、痴漢事件以来、未紅とリリコが蒼真くんに
そうしているうちに時間が過ぎて行って、もう忘れられていてもおかしくない季節になっていて、未紅もリリコも蒼真くんに話しかけることは
今はただ、彼の姿を遠くから
とくに放課後は、サッカー部の練習をする蒼真くんを見るチャンスだった。
(声もかけられないし、表情なんてほとんど分かんないくらいにちいさくしか見えないけど、何もないより全然いいもんね)
彼氏もいないふたりにとって、蒼真くんの話題はそれだけで盛り上がる。
なにせ、あんなにも恰好よくリリコと未紅のことを助けてくれたのだ。
ことあるごとに蒼真くんのことを語るのがふたりの習慣になっていた。
人差し指くらいのサイズの蒼真くんを見ながら、「ねぇねぇ」とリリコが笑う。
「蒼真くんね、
「ほんとう?」
「うん、ちょっと短めになってる。やっと美容院行ったんだね~!」
「リリコ、よく見えるね。動きが速すぎて私には分かんないよ。──でも私、前の髪型も好きだったんだけど」
ちょっと残念、と未紅が言うと、リリコが顔をゆがませる。
「ええ、あれは長すぎだと思うなー。わたしは半年前くらいの短めのがいちばん好きかも」
「それこそ短すぎない? リリコだって、初めてあの髪型の蒼真くん見たときは〝
「え、う、それは……」
未紅の
「……最初はそう思ったんだけど、毎日見てるとこれも
「はいはい、リリコは蒼真くんなら何でもいいんでしょ」
あきれた気分で未紅は笑う。
リリコが「もう、未紅ちゃんったら!」と
でも、と、リリコが続ける。
「それを言うなら未紅ちゃんだって
わたしたち、ずっと一緒だよ?
そうリリコに言われ、未紅はつい苦笑いを
「私はリリコほどじゃないよ。好きとか
「え~、どうせならおそろいがいいのに……」
未紅の言葉に、リリコは
けれど、すぐに「まぁどっちにしても蒼真くんの相手は
(
リリコに3年女子の名前を出され、未紅の心になんだか
「彩花高校のロミジュリだっけ?」と未紅が言えば、リリコは「うん……」とうめいた。
「美人で
リリコの言葉を、未紅が引き
「──蒼真くんと樹里先輩は、付き合えない」
未紅が言うと、リリコが「そうなんだよね……!」と大きくうなずく。
彩花高校のサッカー部は毎年全国大会に出場しているような強豪だ。
そのためなのか何なのか、いろいろな制限も多い。
とくに有名なのが、部内の関係を良好に保つための〝部内
■□■
「いくら本人たちがお
見つかったら
まるで親に反対されて
だから、蒼真くんと樹里先輩は彩花高校のロミジュリ──、か」
(たぶん、樹里先輩の名前がジュリエットみたいだから、よけいに広まった噂だろうけど)
それにしても、ふたりによく似合ったあだ名だと思う。
ふたりとも、物語のなかの存在みたいに完璧だからだ。
未紅のひとりごとにリリコが悲しげな顔をする。
「やっぱりあのふたり、好き合ってるのかな……?」と聞かれ、未紅は「ふたりとも、交際は否定してるんでしょ」と答えた。
しかしリリコは更に言いつのる。
「先生にばれたら困るから、そう言ってるだけなのかも」
「それは……分かんないよ」
リリコを
だから、あやふやに首をひねる。
リリコが泣きそうな顔になった。
「樹里先輩が卒業したら付き合っちゃったりするのかな……」
「…………どうだろうね」
リリコの質問にどう答えていいか分からなくて、未紅はやっぱりあやふやに答えた。
(でも、考えてみればリリコの言う通りだよね)
いまは二月。
3年の樹里先輩はもうすぐ卒業だ。
卒業してしまえば、サッカー部内の規則である〝恋愛禁止〟は当てはまらない。
(だから蒼真くんと樹里先輩が付き合う可能性も、十分ある)
むしろ、
「蒼真くんが樹里先輩と付き合いはじめたら、未紅ちゃんとこんな風に蒼真くんトークで盛り上がることもなくなっちゃうんだね」
「それは──」
そんなことはない、と言おうとして、未紅は口ごもった。
(……それは、そうか)
さすがに、ひとの彼氏のことできゃいきゃい
「やっぱり……!」
未紅の無言を
「いや、だって、ほら。仕方ないでしょ。彼女にも蒼真くんにも悪いし」
「そうかもしれないけど、でも、さみしいよ……! ずっとふたりで、毎日蒼真くんのこと話して楽しかったのに──……」
「リリコ」
(たしかにリリコと蒼真くんのこと話すのが楽しいんだよね)
毎日決まった時間に遠くから見たり、体育祭や文化祭ではひそかに写真を
そんなリリコとの〝蒼真くんファン〟生活は、未紅にとっても心がうきうきして、いっぱい笑って、無責任にどきどきできた楽しい時間だった。
表情はたいして表に出ないままだったけれど、二年前より断然いろんな感情が豊かになったと思う。
(だけどリリコの言う通り、蒼真くんが
それに、蒼真くんが樹里先輩と付き合うことを考えると、気分が暗くなる。
(──……付き合ってほしくないな)
できれば、誰とも付き合ってほしくない。
そんなことを考えてしまう。
(って、いやいや、私ってば、なに勝手なこと考えてるんだろう。こんなの蒼真くんにも樹里先輩にも失礼だよね)
やめよう、と頭を
「……決めた!」とリリコの声がした。
「決めたって、なにを?」
未紅が顔を上げると、リリコはふたたび雑誌を見つめている。
ただし、開けているページはさっきまでと
──バレンタイン特集だった。
「わたし、蒼真くんにバレンタインチョコを
(ええ!?)
リリコの宣言に、未紅はわずかに目を見開いた。
「リリコ、本気なの!?」
(いままで差し入れなんて絶対してこなかったのに)
受け取ってもらえなかったら
おどろく未紅に、リリコはすこしだけ
「もしかしたら、これが最後のチャンスになるかもしれないじゃない?……なら、未紅ちゃんといっしょに思い出作りたいし」
「いっしょに?」
聞き返した未紅に、リリコはにっこりと
「うん! わたしと未紅ちゃん、ふたりで蒼真くんへのチョコ作ろうよ────!」
「……っ」
明るく言われ、未紅は息をのむ。
助けられて
そんな彼に、
(────そんなの恥ずかしすぎる!)
心のなかで
「未紅ちゃん?」
「私はチョコ、渡さないよ!?」
未紅の言葉に、リリコが目を見開いた。
「どうして? 未紅ちゃんといっしょじゃないと、わたし安心できないよぉ」
「いや、えっと、ほら、私はバレンタインにチョコとか、そういう女子っぽいの苦手だから」
苦しまぎれに言ってみると、リリコが小首をかしげた。
「でも未紅ちゃん、料理もお
「う……」
(さすが
このままじゃ、リリコの押しに負けてチョコを渡してしまいそうだ。
でも、と、未紅は考える。
(あんなに人気あるひとにチョコとか、自分の
たとえるならアイドルコンテストに自分で
絶対無理って分かってるのに
ましてや未紅にとって、父以外の男のひとにチョコをあげるのは初めてなんだから。
(そりゃリリコはバレンタインとかクリスマスとか、そういうイベントが得意だし、蒼真くんが初めてチョコをあげる相手ってわけでもないから気にしないかもしれないけど)
こういうイベントに慣れていない未紅には、かなりきつい。
(やっぱり、無理!)
頭のなかで結論を出した未紅は「いっしょに作るくらいするから」とリリコを
それでもリリコはちょっと不満そうだった。
「未紅ちゃん、ほんとにいっしょに渡さないの……? 高2のバレンタインは人生で一回きりなんだよ?」
「それはそうかもしれないけど、そういう女子っぽいイベントはリリコに任せるよ」
言いながら、未紅は帰り
「それじゃ私、そろそろ行くね。音楽室の
できるかぎり
「未紅ちゃん……」
教室に残されたリリコが、未紅の閉めて行ったドアをずっと見ていたことも知らずに。
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