Episode.1 ロミオとシンデレラ①


1-1 彩花高校、2年2組の教室、放課後




(わー、雑誌のテーマがほとんどバレンタインだ)

 痴漢事件から二年近くち高校2年の冬をむかえた未紅は、放課後の教室で友達に借りた雑誌を広げていた。

(彼氏と過ごす特別な日に、か。かわいいなぁ。この服とかリリコに似合いそうだよね)

 あわいピンクのサテンリボン、揺れるフリルにせんさいな黒いレース。

 きらきらとした石がかがやき、はなやかな色合いのメイク道具がちりばめられている。

 かわいくて大人びたアイテムに未紅はすっかり見とれていた。

 すると。

「──かわいい! それ、未紅ちゃんに似合いそうだねっ」

「リリコ」

 ひょこりと背後から現れたリリコが、そんなことを笑顔で言ってきたのだ。

 おどろいたのは未紅だ。リリコってば何を言い出すんだろう。

「いやいや、それはリリコでしょ。私にはこんなかわいいの似合わないよ」

 未紅は手をって否定する。

(そうなんだよね、こういう女の子っぽいアイテムってかわいいしあこがれるけど、私に似合うとは思えないもん)

 未紅はリリコみたいに女の子らしい女の子じゃないから、どうしても買えないし着られないのだ。

 かわいいものというのは、身長が高めでシンプル服の真顔女が持ってるより、リリコみたいにちいさくてホワホワした甘々服の女の子が持ってるほうが断然かわいい。

 なんていうか、〝お似合い〟なのだ。

(ファッションだって好きな服と似合う服は違うし。これはどうしようもない)

 なのに、リリコは「そうかなぁ……」と首をかしげた。


「わたしは未紅ちゃん、女の子らしいと思うよ。とくに未紅ちゃんのかみれいだし。ぜったいこういう上品なの似合うと思う」

「えっ、なにずかしいこと言ってんの、リリコってば」

「本気だよぉ」

 まじめな顔で言うリリコに、未紅はおもわず笑ってしまう。

 他人からすればあいかわらず冷たく見えるのだろうけど、未紅としては笑っているのだ。

「笑わないでよ」とほおをふくらませるリリコは、未紅の表情をわずかな変化から見分けられる数少ない人物だ。さすが親友である。


 その親友に、未紅はからかうような目線を向ける。

「ないない、無理だって。むしろ、こういうのはリリコが似合うでしょ? 私はリリコみたいに告白とかされたことないんだもん」

(まぁだからって困ったりしてないし、別にいいんだけど)

 ちょっとした悪戯いたずら心だ。

 すると、なぜかリリコは顔をしかめた。

「…………未紅ちゃん、分かってない」

「分かってない?」

 いったい、なんのことだろう。

 げんな顔をされる理由が分からなくて聞き返すと、リリコが急に声を張り上げる。

「未紅ちゃんはひそかにすごい人気あるんだからね!?」

「は?」


「未紅ちゃんは美人でりんとしてて、近寄りがたいくらいに綺麗なの! すきがないの!!

 だから、女子も男子も未紅ちゃんに憧れてても近付けないし、ましてや告白なんてできないんだよ!?」


「……なに言ってるの、リリコ」

 激しい勢いで語られたリリコの言葉に、未紅はぽかんと口を開けてしまう。

(それっていったいだれの話?)

 見たこともない他人の話をされている気分だ。

 そんな未紅の反応に、リリコが、はあぁ……と、深いため息をついた。

「もう、無自覚なんだもん。これだから……」

「えっと、よく分かんないけど──」

 とまどいながら、未紅はリリコのかたをぽんとたたく。


「リリコ、たぶんリリコのもうそうだと思うよ?」


 はっきり言って、ありえない。

 だから、未紅はきっぱりとそう告げた。

 リリコが「ええっ」と目を見開くが、無視するにかぎる。

 未紅はリリコの話を軽く流すことにして、「そんなことより」と、教室の窓から見える校庭を指さした。

「あのさ、そろそろ〝彼〟が出てくるころじゃない?」


「あっ!」

 未紅の言葉に、ぶつぶつ言っていたリリコの表情が変わる。

「ほ、ほんとだ! もう校庭に出てるかな──あ、いた!」と小声でさわぎはじめた。

(じつはさっきから時間が気になってたんだよね。いつもこの時間に校庭に出てくるの知ってるし)

 さわぎながら窓辺に立つリリコのとなりに、未紅もいそいそと移動する。

 見下ろせば、いつもと同じように〝彼〟がサッカー部の練習にはげんでいた。

(今日も本当にかっこいいな、蒼真くん)


 視線のさきには、二年前よりさらかつよくなった蒼真くんが立っていた。




1-2 “



 蒼真怜。2年6組、理系クラス。サッカー部所属のかんぺき男子。

 一昨年おととしの四月に電車内で助けられて以来、未紅とリリコはひそかに彼のファンをしているのだ。


 かんから助けてくれた男子生徒が蒼真怜という名前だと分かったのは、彼がすぐ有名になったからだった。

 学年どころか学校でいちばん恰好いいとうわさになり、今ではファンクラブまであるらしい。

 きようごうサッカー部のスタメンでスポーツばんのう、国語はすこし苦手だけれど数学と物理は常に学年トップと、まさに文武両道なうえ容姿もばつぐんとなれば、もてないほうがおかしい。

 無口であまりしやべってくれないけれど、そんなところもクールで恰好いいと評判だ。


(まぁ私の場合は蒼真くんのがおが好きになったんだけど)

 二年近く前に見た蒼真くんの表情を思い出して、未紅はひっそりひとりで照れる。

 おなじ学年とはいえ理系と文系で校舎が分かれているし、痴漢事件以来、未紅とリリコが蒼真くんにそうぐうしたことはない。だから、あのときのお礼も言えていないままだ。

 そうしているうちに時間が過ぎて行って、もう忘れられていてもおかしくない季節になっていて、未紅もリリコも蒼真くんに話しかけることはあきらめた。

 今はただ、彼の姿を遠くからながめるだけ。

 とくに放課後は、サッカー部の練習をする蒼真くんを見るチャンスだった。

(声もかけられないし、表情なんてほとんど分かんないくらいにちいさくしか見えないけど、何もないより全然いいもんね)


 彼氏もいないふたりにとって、蒼真くんの話題はそれだけで盛り上がる。

 なにせ、あんなにも恰好よくリリコと未紅のことを助けてくれたのだ。

 ことあるごとに蒼真くんのことを語るのがふたりの習慣になっていた。


 人差し指くらいのサイズの蒼真くんを見ながら、「ねぇねぇ」とリリコが笑う。

「蒼真くんね、かみ切ったんじゃないかな!?」

「ほんとう?」

「うん、ちょっと短めになってる。やっと美容院行ったんだね~!」

「リリコ、よく見えるね。動きが速すぎて私には分かんないよ。──でも私、前の髪型も好きだったんだけど」

 ちょっと残念、と未紅が言うと、リリコが顔をゆがませる。

「ええ、あれは長すぎだと思うなー。わたしは半年前くらいの短めのがいちばん好きかも」

「それこそ短すぎない? リリコだって、初めてあの髪型の蒼真くん見たときは〝げんめつしそう〟って言ってたでしょ」

「え、う、それは……」

 未紅のてきに、リリコは言葉をつまらせる。

「……最初はそう思ったんだけど、毎日見てるとこれもてきだな、って思えてきて、気付いたら好きになってたっていうか……」

「はいはい、リリコは蒼真くんなら何でもいいんでしょ」

 あきれた気分で未紅は笑う。

 リリコが「もう、未紅ちゃんったら!」とほおを赤く染めた。


 でも、と、リリコが続ける。

「それを言うなら未紅ちゃんだっていつしよでしょ? 一緒に蒼真くんのファンになったんだし」

 わたしたち、ずっと一緒だよ?

 そうリリコに言われ、未紅はつい苦笑いをかべてしまう。

「私はリリコほどじゃないよ。好きとかあこがれとか、そういうのって正直まだよく分からないしずかしく感じちゃう」

「え~、どうせならおそろいがいいのに……」

 未紅の言葉に、リリコはねたような声で返してくる。

 けれど、すぐに「まぁどっちにしても蒼真くんの相手はじゆせんぱいしかいないと思うけどね」と、ため息をついた。


しらさか樹里先輩か)

 リリコに3年女子の名前を出され、未紅の心になんだかいやな気分が生まれる。

「彩花高校のロミジュリだっけ?」と未紅が言えば、リリコは「うん……」とうめいた。

「美人でやさしくて親切で、サッカー部のマネージャーとして評判いいうえ勉強もできて、ほんと、完璧な蒼真くんにふさわしい完璧おひめさま。でも──」

 リリコの言葉を、未紅が引きぐ。


「──蒼真くんと樹里先輩は、付き合えない」


 未紅が言うと、リリコが「そうなんだよね……!」と大きくうなずく。


 彩花高校のサッカー部は毎年全国大会に出場しているような強豪だ。

 そのためなのか何なのか、いろいろな制限も多い。

 とくに有名なのが、部内の関係を良好に保つための〝部内れんあい禁止〟という規則だった。


■□■


「いくら本人たちがおたがいのことを好きだったとしても、絶対に付き合っちゃいけない。

 見つかったらもんの先生にげきされて、試合に出られなくなるかもしれないから。

 まるで親に反対されてけ落ちの末に死んだ悲劇のカップル、ロミオとジュリエット。

 だから、蒼真くんと樹里先輩は彩花高校のロミジュリ──、か」


(たぶん、樹里先輩の名前がジュリエットみたいだから、よけいに広まった噂だろうけど)

 それにしても、ふたりによく似合ったあだ名だと思う。

 ふたりとも、物語のなかの存在みたいに完璧だからだ。

 未紅のひとりごとにリリコが悲しげな顔をする。

「やっぱりあのふたり、好き合ってるのかな……?」と聞かれ、未紅は「ふたりとも、交際は否定してるんでしょ」と答えた。

 しかしリリコは更に言いつのる。

「先生にばれたら困るから、そう言ってるだけなのかも」

「それは……分かんないよ」

 リリコをなぐさめたいとは思うけれど、未紅だって知らないことは言えない。

 だから、あやふやに首をひねる。

 リリコが泣きそうな顔になった。

「樹里先輩が卒業したら付き合っちゃったりするのかな……」

「…………どうだろうね」

 リリコの質問にどう答えていいか分からなくて、未紅はやっぱりあやふやに答えた。


(でも、考えてみればリリコの言う通りだよね)

 いまは二月。

 3年の樹里先輩はもうすぐ卒業だ。

 卒業してしまえば、サッカー部内の規則である〝恋愛禁止〟は当てはまらない。

(だから蒼真くんと樹里先輩が付き合う可能性も、十分ある)

 むしろ、みんなうわさするようにふたりが部内規則によって付き合えないだけなら、樹里の卒業とともに付き合いはじめる可能性は高い気がする。


「蒼真くんが樹里先輩と付き合いはじめたら、未紅ちゃんとこんな風に蒼真くんトークで盛り上がることもなくなっちゃうんだね」

「それは──」

 そんなことはない、と言おうとして、未紅は口ごもった。

(……それは、そうか)

 さすがに、ひとの彼氏のことできゃいきゃいさわぐのは、彼女に失礼な気がする。

「やっぱり……!」

 未紅の無言をこうていと受け取って、リリコがさらに落ち込む。

「いや、だって、ほら。仕方ないでしょ。彼女にも蒼真くんにも悪いし」

「そうかもしれないけど、でも、さみしいよ……! ずっとふたりで、毎日蒼真くんのこと話して楽しかったのに──……」

「リリコ」


(たしかにリリコと蒼真くんのこと話すのが楽しいんだよね)

 かつこういい憧れの男子のことを噂して、めて、もうそうして、騒ぐ。

 毎日決まった時間に遠くから見たり、体育祭や文化祭ではひそかに写真をかくりしたり。

 そんなリリコとの〝蒼真くんファン〟生活は、未紅にとっても心がうきうきして、いっぱい笑って、無責任にどきどきできた楽しい時間だった。

 表情はたいして表に出ないままだったけれど、二年前より断然いろんな感情が豊かになったと思う。

(だけどリリコの言う通り、蒼真くんがだれかと付き合ったら、そういうの全部なくなるんだ。それに──)


 それに、蒼真くんが樹里先輩と付き合うことを考えると、気分が暗くなる。


(──……付き合ってほしくないな)


 できれば、誰とも付き合ってほしくない。

 そんなことを考えてしまう。


(って、いやいや、私ってば、なに勝手なこと考えてるんだろう。こんなの蒼真くんにも樹里先輩にも失礼だよね)

 やめよう、と頭をりかけたとき。

「……決めた!」とリリコの声がした。


「決めたって、なにを?」

 未紅が顔を上げると、リリコはふたたび雑誌を見つめている。

 ただし、開けているページはさっきまでとちがって、ピンクと茶色がおどる巻頭ページ。

 ──バレンタイン特集だった。


「わたし、蒼真くんにバレンタインチョコをおくってみる……!」


(ええ!?)

 リリコの宣言に、未紅はわずかに目を見開いた。

「リリコ、本気なの!?」

(いままで差し入れなんて絶対してこなかったのに)

 受け取ってもらえなかったらこわいしずかしいって言ったのはリリコなのだ。

 おどろく未紅に、リリコはすこしだけほおを赤くしながら「だって」と言う。

「もしかしたら、これが最後のチャンスになるかもしれないじゃない?……なら、未紅ちゃんといっしょに思い出作りたいし」

「いっしょに?」

 聞き返した未紅に、リリコはにっこりと微笑ほほえんだ。


「うん! わたしと未紅ちゃん、ふたりで蒼真くんへのチョコ作ろうよ────!」

「……っ」


 明るく言われ、未紅は息をのむ。


 助けられてがおを向けられて以来、ずっとあこがれていた蒼真くん。

 そんな彼に、おもいを伝えるバレンタインのチョコレートをわたすなんて。


(────そんなの恥ずかしすぎる!)


 心のなかでさけんで、未紅は上ずった声で「いやいやいや」と首を横に振る。

「未紅ちゃん?」

「私はチョコ、渡さないよ!?」

 未紅の言葉に、リリコが目を見開いた。

「どうして? 未紅ちゃんといっしょじゃないと、わたし安心できないよぉ」

「いや、えっと、ほら、私はバレンタインにチョコとか、そういう女子っぽいの苦手だから」

 苦しまぎれに言ってみると、リリコが小首をかしげた。

「でも未紅ちゃん、料理もお作りも好きだし上手でしょ?」

「う……」

(さすがおさなみ、私のことをよく分かってる)

 うわづかいに見られ、未紅はつい後ずさる。

 このままじゃ、リリコの押しに負けてチョコを渡してしまいそうだ。

 でも、と、未紅は考える。


(あんなに人気あるひとにチョコとか、自分のぼうさが恥ずかしくて死にたくなる……!)


 たとえるならアイドルコンテストに自分でおうしちゃうような感じだ。

 絶対無理って分かってるのにちようせんなんて、恥ずかしくてできない。

 ましてや未紅にとって、父以外の男のひとにチョコをあげるのは初めてなんだから。

(そりゃリリコはバレンタインとかクリスマスとか、そういうイベントが得意だし、蒼真くんが初めてチョコをあげる相手ってわけでもないから気にしないかもしれないけど)

 こういうイベントに慣れていない未紅には、かなりきつい。

(やっぱり、無理!)


 頭のなかで結論を出した未紅は「いっしょに作るくらいするから」とリリコをなつとくさせる。

 それでもリリコはちょっと不満そうだった。

「未紅ちゃん、ほんとにいっしょに渡さないの……? 高2のバレンタインは人生で一回きりなんだよ?」

「それはそうかもしれないけど、そういう女子っぽいイベントはリリコに任せるよ」

 言いながら、未紅は帰りたくをはじめる。

「それじゃ私、そろそろ行くね。音楽室のそう、先生に任されちゃったから。また明日あした

 できるかぎりやさしく言って、ばたばたとげるように教室をあとにした。


「未紅ちゃん……」

 教室に残されたリリコが、未紅の閉めて行ったドアをずっと見ていたことも知らずに。

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