第1章「遭遇」

 キーンコーンカーンコーン──……。

 朝の八時二十五分。歌楽坂高校の広い校内にチャイムの音が鳴りひびいた。

 一年Aクラスの教室では「あ、もうれいだ」と自分の席にもどる生徒や、「間に合ったー!」とあわててけ込んでくる生徒たちでにぎわっている。

 入学式から二週間近くった火曜日。

 授業も本格的に始まりだして、出席番号順にふりわけられた席では入学日のきんちようはとっくに消えていた。

 代わりにあふれているのは、できたばかりの友達同士の会話だ。


(……みんな、どうやったらそんなにすぐに仲良くなれるの!?)


 席に座りながら、美空は内心大声でさけびたい気持ちで教室をながめる。

 そもそも朝、だれかといつしよに登校していることからして皆と美空とはちがう。

 歌楽坂にはいくつか路線が走っているけれど、歌楽坂高校に近い出口は一つだけだ。

 だから、たいていの生徒達は電車や駅のホームで待ち合わせをして登校してくる。

 電車で数十分、駅から徒歩で約十五分。

 皆が楽しそうに笑いながら歩く中、美空は一人で登校してきた。

(だって、まだ一緒に学校に来る約束をするような友達いないし……)

 誰とも喋らずに教室にいるのも落ち着かなくて、美空はこの数日でお守りのようになっている六法全書をめくる。


「──葉常さんって、いつもそれ読んでるよね?」

「!」

 後ろから声をかけられ、美空はかたを大きくらした。

 り返った先にいるのは、〝はつね〟の次の〝ももい〟。

 ふわふわとしたショートボブと、こうしんに満ちた子供っぽい顔の少女、もももえだ。

 クラスの中心になるような派手なグループに入っているわけではないが、明るくて流行にびんかんな女子、というのが美空の中でのイメージだ。

 それを表すように、萌は制服に私服をうまく組み合わせて着ている。

 入学したばかりの一年生は、萌のように制服と私服を組み合わせていることが多かった。

 ちなみに美空は入学式の時と同じ制服姿だ。

 かたい感じがするのは分かっているけれど、どんな服を着れば良いのか美空には分からないから仕方ない。

 そんな中、萌はいつでも自然体で、美空にもこうしてよく話しかけてくる。


「桃井さん──」

 美空が振り返ると、萌は明るい色のひとみで美空に笑いかけた。

「ほら、葉常さん、どこのクラブに入るかって話にも乗らずにそればっかり読んでるから、よっぽどおもしろいのかなって思って」

「え、あ、うん、面白いっていうか……」

「うん?」

 萌の顔が美空に近付く。

 ここまで興味を持たれると答えづらいが、答えないわけにもいかない。

 あきらめて、美空はなおに表紙を見せた。

「……あの、六法全書、だよ。ただの」

 十㎝以上はある分厚い本を見せる。

 とたんに、萌が少し、とまどったような顔になった。

「へ、へえ……」

 おどろきと疑問の混じった萌の声。

 それに、内心で美空はため息をつく。

(やっぱりみような反応になるよね……)


 美空だって六法全書を読む高校生が普通だとは思っていない。

 ただ、従兄いとこの思い出があるから落ち着くだけだ。

(でも、なんて説明しよう? 実は私、法学部志望なの、とか? 従兄にもらったから、とか? 急にそんなこと言われても困らないかな……!? 距離つめすぎじゃない!?)

 親しくなりたい。

 友達になりたい。

 いろんな気持ちを伝えたい。

 そう思うのに、美空はどんな言葉から始めれば良いのか分からない。

 萌のように明るくてやさしい子と友達になってみたいと思っているのに、うまく振るえない。

(桃井さんは、どんな話題だったら楽しんでくれるんだろう──)

「……葉常さん?」

「!」

 困ったような萌の声にハッとなった時には、キーンコーン……と八時半のほんれいが鳴りはじめていた。


■□■


(友達って、どうやったら作れるんだろう……)

 放課後、図書室の自習席で美空は深い息をいた。

 広い自習スペースには、かべ一面の窓ガラスかられ日が差し込んでくる。

 机の上に判例集を広げ、六法全書と照らし合わせるようにページをめくった。

(いい天気……)

 歌楽坂高校の図書室は高校のものにしては規模が大きい。

 古い本特有のにおいがこもるじゆうこうふんの木製ほんだな

 落ち着いたげ茶色をしたゆかのタイル。

 アンティークのようなかわりの洋書たち。

 レトロで上品なインテリアは、映画のさつえいに使われたことがあるというのもなつとくできる。


(……あこがれの高校に入ったら何もかもうまくいくと思ってたのに)

 結局、あのあと萌との会話が続くことは無く、話しかける内容もタイミングものがしてしまって、それっきりだ。

 クラブ活動、しゆ、寄り道、れんあいと、いろんな高校生活を楽しもうとしているクラスメイトたちの輪に入ることもできず、美空は今日の放課後も一人で過ごしている。

(歌楽坂の図書室が心地ごこち良いのが救いだよね。でないと、どこにも居場所が無いじようきようだったもん)

 なんのクラブにも入っていないのだから、放課後は早々に帰るべきなのかもしれない。

 だけど、せっかく入った憧れの高校で、すぐに家に帰ってしまうのもさびしかった。

(もっといろんなこと始めたいのに。友達だって作りたいのに)

 なかなか実行できないのは自分の行動力の無さだと美空にも分かっている。

(そうだ、海音お兄ちゃんが入ってたっていう〝裁判同好会〟に私も行ってみようかな。そこなら、私と同じような人がいるかもしれない──)

 そんな風に思っていた時だった。


「────ねえ」


 頭の上から、中低音の甘い声がかけられた。


「はい──?」

 なんだろう、と思って目線を上げると、にっこりとみをうかべた男子生徒が立っていた。

(えっ?)

 見たたん、美空はつい驚いてしまう。

 全身私服の彼は、きっと二年生か三年生だ。

 甘い目元が印象的で、なんとなく視線をうばわれてしまうりよくがある。

 ゆるいパーマがかかったかみは一部だけ赤く染めていて、スタイルのいい身体からだといい、みようにお洒落しやれな服といい、男性向けのファッション雑誌にっていてもおかしくない。

 つまり、はっきり言って格好いい。

 しかも軽そう。

 すくなくともには見えない。

 美空の従兄の海音だってテレビに出ればたちまち〝イケメン弁護士〟としてかつやくするのは目に見えているのだけれど、あきらかにタイプがちがう。

 言ってしまえば、美空の人生にこれまでかかわりのなかったタイプだ。

(こ、こんな人が私に何の用!? なにか注意されるとか!?)

 とっさに思いうかぶのはそんなことだが、真面目そうには決して見えない彼が、わざわざ美空を注意するだろうか? 疑問だ。

(それともまさか……カツアゲ!?)

 美空の頭をいやな想像がけめぐる。

(どうしよう! そもそも私、高校に入ってから先生以外の男の人にしやべりかけられたの初めてなんだけど……!!)

 なにせ、小学生の時から家族や従兄以外の男性と喋るのは苦手になってしまっていた。

 ふと見れば、なぞの男子生徒は「?」をうかべたような顔で美空の顔をじっと見つめている。

(……もしかして今、私が挙動しん?)

 考えてみれば美空は「ねえ」と声をかけられてから、一人であたふたしている。

(これは……だめだ!)

 さすがに高校生にもなって、声をかけられただけで混乱して受け答えができないなんてずかしい。

 美空はとっさに平気な顔をとりつくろう。

 自然とあいそうな顔になってしまったが、そんなことに気付けるゆうは無かった。

「──あの、何か用ですか?」


 声をかけると、彼は急に「えっ、あっ」とあわてふためいた。

 まるで反応をもらったことに驚いたかのようなしぐさだ。

(私、変なこと言ってないよね???)

 それとも、こういう反応がつうの反応なんだろうか。

(あるいは──やっぱりカツアゲとか、そういう悪いことだからあせってるとか?)

 なんだか急に男子生徒があやしく思えてきて、美空はまゆを寄せる。

 男子生徒は「えーと、あの~」と手をばたばた動かして、ふいに「──あ!」と声をあげた。

 彼の手があるのは、ポケットの上だ。

「…………?」

 謎の行動に美空が首をかしげていると、男子生徒が急に笑顔になって何かをさしだしてきた。

「ねぇ、君、俺がやってるバンドのライブに来ない?」



(な、こ、これは────)

 ひらり、と差し出された二枚の紙を見て、美空はとっさに思い当たった。

 高校、バンド、ライブ、チケット。

 そしてあきらかにバンドに興味の無さそうな美空にまで声をかけてくる、謎の男子生徒。

(────つまり、チケットを私に買わせようとしてるんだ!!)


 美空はくわしくないけれど、ライブのチケットはそれなりに高いというイメージがある。

 それに、小学生のころ、バレエやピアノの発表会のチケットを買ってほしいと両親がたのまれていたのも見たことがある。

(きっと、あれと同じような感じだよね)

 ましてや高校生のバンドならチケットが余っていてもおかしくない。

 だから彼は校内をうろついて、たまたま図書室で見つけた美空に声をかけたのに違いない。

 こいつなら気も弱そうだし買い取ってくれそうだ、と。

 ……まるで街頭アンケートや変なかんゆうの人達のように。

 従兄いとこの海音の声が、美空の頭によみがえった。


『せめて法律で禁じられていることは断ろう? それが正しいんだから』


(──そうだ、押し売りは犯罪だもん、ここは断っていいはず!!……ううん、ここでちゃんと断れる人になれなきゃ、せっかく高校生になった意味が無い!)

 決意した美空の視界に、従兄にもらった六法全書が映った。

(これだ!!)

 すぐに心を決めて、男子生徒をにらみつける。

 少しきんちようしたような笑顔で美空を見守っていた男子生徒が、その視線に後ずさった。

 そのすきをつくようにして、美空は目当てのページを開いて男子生徒の眼前につきだす。

(上級生だからってチケットを売りつけようとしても、絶対に負けないんだから!)

 目をぱちぱちとまたたかせる男子生徒をにらみつけた。

 まるで有罪判決をつきつけるように、告げる。


「あなたのこうは強要罪にあたります!」



「…………へ?」

 男子生徒がけな声をあげた。

 だけど美空は気にせずに、むしろ追いつめる気分で続ける。

「身体的、およびねんれい的優位から金品の買い取りを強要する行為、いわゆる〝押し売り〟はけいほう第223条、強要罪に相当し三年以下のちようえきが科せられる可能性があります」

「……は?」

 すらすらと告げた美空の言葉に、男子生徒の表情が固まった。

(言ってやった──!)

 もしかしたら美空は人生で初めて堂々と断ることができたかもしれない。

 胸の奥から達成感がわいてくる。

(私もやればできるんだ!!)

 初めて他人を言い負かしたことに気を良くして、美空は手早く本を片付け始める。

 すべてまとめてかばんに入れた後、ずっとそばに立っていた押し売り男に向きなおった。

「それじゃ、失礼します」

 たとえ押し売り男とはいえ上級生なのだから、あいさつくらいはするべきだろう。

 そう考えて、美空は軽く頭を下げてから図書室を出て行く。

(よし、この調子でがんろう!)

 美空は心の中で自分に言い聞かせ、足早に去って行った。


 残されたのは押し売り男一人だ。

「………………マジで?」

 男子生徒は小さな声でつぶやき、美空の去って行ったほうを見つめる。

 参ったなぁ、と、言葉のわりに楽しそうな顔で笑った。

「断られたのとか初めてなんだけど……!」

 男子生徒の照れたような顔でのひとりごとは、だれにも聞かれることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る