第1章「決意」

(今日から私も歌楽かぐらざか高校の生徒になるんだ……!)


 新しい制服に身を包み、つね美空は鏡の前で気合いを入れた。

 部屋には美空以外、だれもいない。

 階段の下から「美空ー、そろそろ時間でしょ? お母さん用意できたわよー」と母親の明るい声が聞こえてきていた。

 美空の母はいつも、一階から二階にある美空の部屋に大声を出して声をかける。

 だから美空も同じように「わかってる!」と声を張り上げた。

「そーおー?」

 心配そうな母の声に、美空はため息をつく。

(せっかくケータイ持ったんだから、そっちにかけてくれればいいのに)

 家の中で大声をあげるなんて、いい年をしてずかしい。

 友達が来たら絶対にやめてほしいくせの一つだ。

(でも……)

 ふ、と、鏡に映った自分の顔が不安でゆがむのが見えた。

(……友達、できるのかな)


 今日は四月八日。

 美空が通うことになる、私立歌楽坂高校の入学式の日。

 受験勉強をがんって入った、美空にとってあこがれの学校だ。


 そもそも歌楽坂とはとうきようの中心にありながら川沿いの緑が美しく、また、とある名門大学が近いためかてきなカフェや雑貨屋も多いと評判の場所である。

 その歌楽坂から少し外れたところに歌楽坂高校はあった。

 創立は古く、歴史ある赤レンガの校舎はドラマのさつえいなどにも使われるほどだが、その割に自由でおおらかな校風で有名だ。

 クラブ活動は盛んで、制服は一応あるけれど基本は私服なところも人気の一つ。

 だが、美空が憧れていた理由は、場所でも校風でもない。


(歌楽坂はかいお兄ちゃんが通った高校なんだもん)


 かつら海音。十歳年上の美空の従兄いとこが通っていたのが、歌楽坂高校なのだ。

 両親が共働きの美空は海音の家に預けられることも多くて、そのたび、海音は美空に言った。

『美空はで頑張り屋だね』

『もっと力をいていんだよ』

『……さびしかったら、いつでも俺がいるからね。困った時はれんらくしておいで』

 やさしくて顔立ちが整っていて成績もゆうしゆうな従兄に、美空があわい憧れをいだくのは早かった。

 彼に憧れて、美空は歌楽坂高校を目指したのだ。

 そんな、美空のはつこいの人でもある海音は現在弁護士をしている。

(いつか海音お兄ちゃんに『よく頑張ったね』って言われたい。勉強も、何もかも……)

 だけど新しい生活は不安が大きい。

 ましてや美空の場合、特に不安になる理由があった。


(私、ちゃんと友達つくれたこと無いんだもの……!)


 美空は昔から、勉強はできるけれど人付き合いが苦手だ。

(別にきらいっていうわけじゃないんだけど、うまく話せないんだよね)

 原因はたぶん、小学生のころに男子に「宿題写させてよ」とたのまれ「自分でやらなきゃだめだから」と断った時のこと。


『勉強できるからってえらそうにすんなよ、ブス!』


(……別に偉そうにしたつもりなんて無かったんだけどな)

 正しいことを言ったと美空自身は思っている。

 だけど、その事件以来、まわりからきよを置かれるようになってしまった。

 そうすると美空も自分の気持ちをどう伝えれば良いのか分からなくなってしまって、上手に誰とでも仲良くすることなんてできなくて。

(クラスの子とは、もちろんつうしやべったりしたけど……自分のことを全部話せるような友達はできないままだった)


 素の自分を見せるのは難しい。

 かみだって、本当はもっと高い位置で結びたいけど、なんとなく恥ずかしくてできない。

(目立ったりとか、うまく人と話したりとか、できないよ)

 特に美空が苦手なのは、断ることだった。

 アンケートや道案内はもちろん、変なかんゆうなんかも断ることがこわくなってしまっていた。

 そのせいか、余計に声をかけられることも増えてしまった。

 きっとそういう人達には、美空が断るのが苦手なタイプだと分かるのだろう。

 もしかしたら気が弱そうに見えているのかもしれない。

 従兄の海音が言ってくれた『せめて法律で禁じられていることは断ろう? それが正しいんだから』という言葉だけがたよりだ。

(……そうだよね、大事なことはちゃんと口に出さないと。でなきゃ夢だってかなえられない)

 心に決めて、海音にもらった六法全書をかばんに入れる。

 憲法、民法、商法、民事しよう法、けいほうけい訴訟法などがっている六法全書は十㎝以上の厚みがあるが、気にしない。


(高校生なんだから、もっと人付き合いできるようになるんだ────!)


 決意とともに、美空の高校生活が始まった。

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