第3話「スポーツイケメン現る」

 一時限目、数学。

 まどぎわというベストポジションから遠ざかった真ん中の席というなんともりよくのない位置に座る私が、いそいそと数学の準備をしていたときだった。

「やばい! 俺今日当たってんのに問題やってない!」

 そりゃ大変だ。

 数学担当のわにぶち先生は、厳しい指導で有名だった。今さわいでいる彼がそうであるように、当てられた問題をやってこない生徒にはさげすんだ視線と冷たい言葉でこれでもかと責めてくる。彼の精神こうげきえられた生徒に、私はいまだお目にかかれていない。

「なあなあ吉村、問4やってない!?」

「え」

 いきなり話しかけてきたのは問4をやっていないいわさこ君だった。イケメンオタク五味と同じテニス部である。私の名前を知っていたことにびっくりして、かなり挙動しんになってしまった。

「……やっ、てない、けど」

「うわーやばいっ」

 今は絶望的な顔をしているが、がおてきだとよく女子の間でも話題に上る男子だった。彼を好きだと公言する女子は実に多い。五味はともかく岩迫君はまっとうなイケメンであったため、初めて話しかけられた私がビビるのも仕方がなかった。

「吉村、数学得意だったよな?」

「あー、うん、まあ」

「頼むよ、教えてくれない? ジュースおごるからさ!」

 人見知りな私とちがい、岩迫君は初会話ながら実にフレンドリーであった。イケメンの社交力パネェ。私なら知らない人間に教えをうぐらいなら先生におこられるほうを選ぶ。

「吉村さん、教えてあげたら?」

 中々返事をしない私に、別方向から声がかかる。岩迫君のとなりの席の女子だった。声がとがって聞こえたのは気のせい、だと思いたい。

「時間がない! 頼む!」

「……分かった」

 ルーズリーフを一枚取り出し、問4を解きはじめる。基本的に予習復習はしないが、今のところ数学を苦に思うことはなかった。オタクは文系ばかりではないのだよ。

「できた。どうぞ」

「助かった! ありがとう!」

「よかったね、岩迫くん」

 私に注がれた女子の視線がいつしゆんものごっつい冷たく見えたのは果たしてがいもうそうだろうか。女子こわいほんと怖い。

 きように身を縮ませていると、ちょうど一時限目開始のチャイムが鳴った。

    

■□■


 放課後になると、私はいつものようにまんけんの部室にいた。

 キタちゃんと漫画の打ち合わせをしていたところに、珍しく五味から電話がかかってくる。

「もしもし、どーした五味」

『ちゅーっス、リホせんぱい。岩迫先輩に代わりますね』

「は? え、ちょっ、」

『吉村? おれおれー』

 五味てめぇこっちは心の準備ができてねえんだよ! てか当たり前だけど声が近いっ。男の子と電話するのはれんらくもうですらきんちようする私に、これはいきなりハードルが高すぎるっ。

『あれ? 吉村聞こえてる?』

「……き、聞こえてます。なんでしょうか」

『今日の朝、ジュース奢るって言ったじゃん。なのに昼どっか行っちゃうし、だから放課後奢ろうと思ってさ』

「あー……」

 本気で奢ってくれるつもりだったのか。どうせイケメンのその場しのぎの台詞せりふだろって思ってました、すいません。

「じゃあそこにいる五味にわたしといてくれていいから」

 テニス部が終わると、たとえどんなに短い時間でも五味は漫研に顔を出す。パシリに使って悪いが、ほとんど話したことがないクラスメイトよりも後輩の五味のほうがつうに話せるのだ。私のコミュニケーション能力の低さをなめるな。

 しかしである、ここからが真のイケメンの本領発揮であった。

『そんなのダメだって。お世話になったんだからさ、俺が直接渡したいんだけど。あ、じゃあ、今休憩中だからそっち行っていい? 旧校舎の二階だったよな』

 やめろぉおおおおお!!

 何を好き好んでテニス部のイケメンエースをこのかいに招かねばならない。ていうか机の上にネームが散らばってんだよ、何かのひように目に付いたらどーすんだ。

「ダメ! ぜったい!!」

『え、なんで?』

「なんでも!! 岩迫君だってベッドの下のぞかれたくないでしょ!!」

『漫研ってそんなヤバいものがかくしてあんの?』

 ヤバいのベクトルが違うがそんなものだ。私は彼に旧校舎のげんかんホールに来てもらうようお願いすると、キタちゃんに断ってから部室を飛び出した。

「わざわざ、どうも、」

 息を切らしてやって来た玄関ホールには、岩迫君以外の生徒の姿は見えなかった。ユニフォーム姿の岩迫君を見て、ぼう王子様を思いかべた私に罪はない。

「じゃ、買いに行こっか」

「え、買ってないの?」

「だって吉村の好きなジュース知らないもん」

 このづかいよう、五味に見習って欲しいものである。

 あいつは二次元に重きを置いてるからか、三次元の女の子のあつかい方がけっこう雑だった。だから平気で女ばかりの漫研に入ってきたのだろうが。

 はんまでいつしよに行った私に、岩迫君はどこまでもイケメンないをした。八十円やそこらの紙コップのジュースだろうと思っていた私に対し、彼はペットボトルのジュースを買おうとしてくれたのだ。

「え、いや、悪いよ」

「あの問題の答えは百五十円以上の値打ちがあるって」

「でも高校生の百五十円はけっこう痛いよ。もっと自分を大事にしなよ」

「さっきの電話もそうだけど、吉村っておもしろいこと言うよな」

 そこでニコっと笑うかー!

 面白人間扱いされたがまあいい、その笑顔プライスレス。お言葉に甘えてペットボトルの『よっちゃん白ぶどう味』を買ってもらった。もどったらキタちゃんと半分こしよう。

「じゃ、私はこれで」

「うん。またたのむな」

 またがあるのか。

 どんな顔をしていいのか分からなかったのであいまいに笑っておく。こんなイケメンとのせつしよくなんてどうせこれきりだろうと高をくくって。

 以降、私の高校生活において岩迫君とは深く付き合っていくことになるんだけれど、ジュース一本で浮かれていた私にそんな未来が想像できるはずもなかった。

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