第三章 「キスマーク、消えたから」
翌日、首筋という不自然な場所に
手には、スクールバッグの
「おはよう、会長」
「!!」
校門をくぐる直前、男子の声と共にポンと
「え、なに? ごめん、驚かせた?」
「あ、河北くん……」
顔を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
よかった。昨日の今日で、朝から知花くんの顔は見られない。
どうせ、ブレザーを返しに行かなきゃいけないんだけど……。
「会長、昨日あれからどれくらい残ってた? 生徒会室で」
「あ、えーと、……すぐ帰ったよ、うん」
「それならいいんだけど。あんまり仕事多いなら、俺にも回してよ」
「うん、ありがとう」
あれから、仕事は少しもしていなかったから、
昨日のことは、思い出したくない。矢野先生のしていたこととか、知花くんにされたこととか、全部。
無意識に首筋に手のひらを当てる。それを見た河北くんは、「あれ?」と声を
「どうしたの、それ。ケガ?」
キスマーク……!
「えっ!? う、ううん、あの、虫さされで……!」
「今の時期に? 早くない?」
「そ、そう、いたの。でっかいのが……」
「へー。俺も気をつけよ」
「う、うん、気をつけて……」
はははと
「へー、何に
「ひえっ!?」
「ち、知花くん……!」
「おはようございます、会長と副会長」
ニコニコといつも通りに
「こら、宏之ー。お前、とうとう制服までまともに着てくんのやめたのか」
「はい、ごめんなさい」
「一応生徒会役員なんだから、服装はちゃんとしとかないとダメだろ。
知花くんの
茶髪は確かに彼の
「あの、河北くん違うの、制服は私が……」
「それより、会長、何の虫に刺されたんですか?」
「ブレザー、……え?」
紙袋の中身を説明しようとしたら、知花くん本人に話をそらされた。
「でかい虫だってよ」
代わりに、先ほど言ったばかりの私のセリフを河北くんが代弁する。
「それは
私の様子を見て楽しむ気満々の笑顔にムッとして、私はつい叫んでしまった。
「知花くんくらい大きい虫!」
午前中の授業も終わり、昼休み。私は早めに授業の道具を片付けて、弁当箱の包みを
「ごめん、さゆ。私、しばらくお昼は生徒会室に行くね」
「なんで? どした?」
「整理しなきゃいけない資料がいっぱいで、生徒会の時間だけじゃ間に合わなそうなの」
「うえー、大変。分かったー、しおりにも言っておくよ」
「ありがとう」
教室を飛び出して、でも走るわけにはいかないから、気持ち速く歩く。
知花くんのブレザーは、まだ自分の机の横に紙袋ごとかけてある。
『知花くんくらい大きい虫!』
……あれは、さすがに言わなくてもよかった。河北くんが、ポカーンとしていたし。知花くんはプルプル
私は、また無意識に首筋に手のひらを当てた。
生徒会室に入って、生徒会長の机に弁当箱の包みを置く。
まず最初は、暗幕の貸し出しを
分かりきっていたことだけど、お昼だけで終わる量じゃない。
去年は、
お昼に
「え? 会長?」
「知花くん……!?」
サーッと顔から血の気が引いていくのが分かる。
私はガタンッと足を
昨日、この机の上で、私たちは。
……思い出しちゃダメ、思い出すなってば!
「えー? 会長、何でいるんですか? めずらしい」
そんな私の様子には興味が無いと言いたげに、知花くんはマイペースにいつもの席につく。
この人と、ここでふたりきりになるのは、危険な気がする。
「知花くん……こそ……」
ドキドキとうるさい心臓に気づかれないよう、平静を
「俺は、昼はいつもここで休んでるんです。静かで
「私は生徒会の仕事がたくさんあって、それで……。でも、
というか、
「大変ですね、俺も手伝いますよ。
「いい、
資料を
「そんなビビんなくてもいいですよ。俺、水曜日以外で会長には手出ししないから」
「……え?」
「そういう約束でしょ」
と、私の
約束。そんな言葉が彼の口から出たことに、驚いた。
確かに、知花くんは最初からそうだった。秘密にしてって言ったら、本当に誰にも話すことなく、約束を守った。
信用していいのかな。ひとりでやるのは大変だと思っていたことは事実なわけだし……。
「何からします?」
「あ、じゃあ……、一年生の分から順に、暗幕の申請を数えて、予定数よりオーバーしてたら、
「はい」
水曜日以外は、興味もわかない。その程度のことなんだ。別に、ショック受けたりなんてしないけど……。
「会長、本当に大変ですね。弁当食いながらまでやってるとか、全然休み時間じゃないじゃないですか。もっと生徒会の時間増やして、
「でも、それだと、水曜日以外にも皆の時間使わせることになるから……」
「わー、めんどくさい考え方ですね」
……どうしてだろう。手伝ってもらっているのに、あまりありがたくないのは。
「知花くんは? お昼」
「さっき
「いつも購買なの?」
「たまにコンビニとか」
「体に悪いんじゃない? そんなの」
「うち、母親いないから、弁当作れる人いないんで」
「そうなんだね」
私は一応自分で作っているけど、今日の玉子焼きは失敗。めちゃくちゃしょっぱい。
資料をめくる音と、ペンが紙を
「なに?」
「いや、母親いないとか言うと、大体の
「え? どうして? 全然不幸そうな顔してないのに」
「あ、いや……」
歯切れの悪い受け答えのあとに、知花くんは再び仕事に
「……会長は、温室育ちって感じですよね。ぬくぬく温かく育ったっていうか」
「なに、いきなり。いつも暖かいわけじゃないよ。冬はそれなりに寒いし」
「は?」
知花くんは、再び私に目を向ける。今度は、眉を寄せて。
「え? 知花くんの家はいつも暖かいの? いいね」
「いや、今の時期とかはまだ寒いですけど……」
「じゃあ同じじゃない」
「はあ、そうですね……」
こんな会話をしている間にも、残り時間は少しずつなくなっていく。
カリカリと筆記の音が
「やべー、すっげーバカ」
「なに!?」
「すいません、聞こえました?」
「わざとでしょ!」
「会長のこと、バカとか言うわけないじゃないですか」
「昨日も言ってたでしょ!」
「えー? あー、言ったかも」
私は
クスクスとひとしきり笑ったあと、知花くんは
「俺、やっぱり会長にすごく興味があります」
そんなセリフを聞いた夜のことを、忘れていたわけじゃない。なのに、少しでも頭から抜けていたなんて。
「もっと、近づいてもいいですか?」
返事を待たずに、知花くんは私が座っている椅子の隣へ。スッと手を
「今日……、水曜日じゃないんだけど……」
「はい。だから、手出ししません」
確かに、
「せっかく痕付けたのに、隠しちゃったんですか?」
「ふざけないで。こんなの勝手に付けられて、
今すぐ
目を見られなくて、きっと私だけが顔を真っ赤にさせていて、
机がギシッと音を立てる。知花くんが片手で体重をかけて、私の顔を見る。
「水曜日の会長は俺のものなんだから、好きにしていいんでしょ?」
約束。そんなんじゃない。これは、
絆創膏の上からスリッと
後ろ手に扉を閉めて、背中をもたせかけた。
「──っ……!」
その場でズルズルとしゃがみ込み、首筋を手のひらで押さえて力を入れる。
もう痛くないはずなのに、ジンジンする。熱い……。
水曜日だけは、君のもの。だから、水曜日以外に
ぎゅうっと目を閉じて、すぐに前を見すえる。立ち上がり、生徒会室から
少し
てっきり、もう居なくなっているのだとばかり思っていたのに。
「あれ、会長戻ってきたんですか? 怒って、どっか行ったかと思った」
どうやら、怒らせた自覚はあるらしい。
「いいんですか? また俺とふたりきりになったりして」
そんな顔したって、知ってる。今日は、もう木曜日だから。
「水曜日じゃないから、何もしないんでしょ。知花くん、約束は守るんだもんね」
知花くんは
「はい、これ。借りてたブレザー。ありがとう」
私は、生徒会室を一度出てから、教室に行っていた。朝に返そうと思ったけど出来なかった、ブレザーが入った
「え、これ取りに行ってただけ?」
「そうだよ。朝、返せなかったし。ちゃんと上着着てなかったから、河北くんに怒られちゃったでしょ。ごめんね」
紙袋を差し出しても、知花くんは受け取ろうとしない。
「? いらないの?」
「あ、いや、もらうけど」
声をかけるとようやく手に取り、すぐに中身を取り出した。
「うわ、めちゃくちゃ
「だって借りたものだから」
「あれは、俺が勝手に置いてったって言うんですよ」
知花くんはため息をつきつつも、フッと笑う。
「会長は本当に変な人ですね。今も、俺にありがとうって言ったり、ごめんって言ったり。朝だって、副会長の前でブレザー出そうとするから、何があったかバレないようにってごまかしてやったのに、結局『知花くんくらい大きい虫』とか言って、
「あれ、ごまかしてたの? すごく分かりにくかったんだけど……」
そして、ごまかした割りには、おもしろがって「どんな虫?」ってわざと聞いてきたくせに。
「あーあ、会長が矢野先生なんかを好きなの、もったいないな」
ブレザーをバサッと羽織る音で、よく聞こえなかった。
「わ、やば。パリッとしてる」
「あ、着づらい?」
「いや、なんかすべすべで気持ちいいです。ありがと、会長」
「う、ううん……」
びっくりした……。ありがとうって言った……。
「それじゃ、次の仕事下さい。さっきの、終わったから。あと、会長早く食べないと昼休み終わりますよ」
「えっ? あ、うん。まだ手伝ってくれるの?」
私は、生徒会室の
それから毎日、私は昼休みのたびに生徒会室に弁当箱を持ち込んで通い、知花くんも毎日生徒会室を
「会長、これ期日までに終わるんですか?」
「家で出来るものだけは、持ち帰ってやってるけど」
「うえ、そこまでしてやってんの?」
「本当は放課後もやれたらいいんだろうけど、生徒会室に明かりがついてたら、生徒会の
「手伝わせればいいだけじゃん」
「そっか、知花くんももう手伝うの
「そういうこと言ってんじゃないですよ」
「?」
特に説明はくれなくて、知花くんは
私は、あくびをひとつ。
いけない。最近夜ふかしが続いているから……。
ダメと思っていても
キーンコーンカーンコーン……。
「っ!」
次に
いけない! 本当に
顔を上げると、すでに知花くんはいない。
「えっ?」
これは……ブレザー? 私は、自分の制服をちゃんと身に付けている。
このサイズ感には覚えがある。知花くんの、ブレザー。
「……なんで、こんなことするの……」
冷たい。
首筋に
<続きは本編でぜひお楽しみください。>
青春ストーリー大特集!〈スイート編〉 角川ビーンズ文庫 @beans
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