青春ストーリー大特集！〈スイート編〉

放課後、密室、先輩とひみつ その1

　部の練習が始まって、私はたくさんの洗（せん）濯（たく）物（もの）を抱（かか）えながら、ボールを蹴（け）る浅野先輩を目で追って頬（ほお）を膨（ふく）らませた。

　フェンスの向こう側では、また複数の女子が浅野先輩に騒（さわ）いでいる。

　それに応（こた）えるように、ヘラヘラと笑顔で手を振（ふ）る姿は、もう毎日のこと。

「みんなー！　ウォーミングアップはそこまで！　今から外周十周でーす！」

　澪先輩が、大きく手を振って部員に呼びかける。

　皆（みんな）が素（す）直（なお）に「はい」と返事をする中、唯（ゆい）一（いつ）浅野先輩だけが唇（くちびる）をとがらせた。

「えー、澪ちゃん、十周ってさすがにキツくね？　減らしてよ」

　ほら、始まった。

　この人、いっつもそう。辛（つら）い練習は嫌がって、女の子に騒がれるようなことだけは本気を出す。

　私は、ただでさえ風船みたいにパンパンになった頬（ほお）袋（ぶくろ）をますます膨らませて浅野先輩を見た。

「だめでーす。先生がちゃんと考えた練習メニューなんだからね。浅野くんだけだよ、そういうこと言うの。エースなんだから皆のお手本になりなさーい。ほら、わがまま言わないで早く行って。いつまでもグラウンドにいられると邪（じや）魔（ま）だよ」

「うぇーい」

　澪先輩が背中を押して、浅野先輩は渋（しぶ）々（しぶ）足を進める。

　その間（ま）際（ぎわ）、私の顔をじっと見て、

「どうしたの？　なんか、さっきよりブスになってるよ」

　余計な一言を放って、グラウンドを出て行った。

「なんであんな人がエースなんですか？」

　脱（だつ）水（すい）が終わったばかりの洗濯物を、思いっきり空中に叩（たた）きつけてシワを伸（の）ばす。

　パンッと、小気味のいい音が響（ひび）いた。

　そりゃあ、隣に澪先輩がいたら、元々大したことない顔面がさらにブスに見えるでしょうけども！

　先ほどの仕返しと言わんばかりの自分の不（ふ）機（き）嫌（げん）な声に、隣にいるのが澪先輩だということを忘れていた。

　そうだ、ふたりは付き合ってるんだった。

　彼氏をこんなふうに言われたら、いくらいつも優（やさ）しい澪先輩だって、嫌な気持ちになるに決まってる。

「……ごめんなさい」

「えー？　何で謝るの？」

　いつも通りに笑いながら、やわらかく返す澪先輩。

　本当に大人だなと、自分が恥（は）ずかしくなる。

　私だったら、自分の彼のことを悪く、しかもそれを後輩に言われたら絶対機嫌が悪くなる自信がある。

　……いたことないけどさ、彼氏とか。

「んー、中学の時からそうだったからなぁ。あ、言ったことあったかな？　私たち、中学も一緒なの。浅野くん、結構何でもサラッと出来ちゃう人だったから、才能あるんだろうねぇ。三年生はこないだ引退しちゃったしさ、この部は今、浅野くん頼（だよ）りなところあるよ」

　才能って便利な言葉。どうせ、ろくに努力もしないで、あっさりエースの座についたに決まってる。

　サッカーのことをほんの二ヶ月前に勉強し始めただけの、私みたいな素人（しろうと）にも分かるほどに、適当っぽく見えるし。なんかチャラチャラしてるし。女の子には調子よくニコニコしてるだけで、なのに私には意地悪だし。

「浅野くん、口悪くてごめんね？」

「いえ、澪先輩が謝ることでは……」

「女の子には基本優しいんだけどなぁ。広く浅く。うーん、梨子ちゃんのことはお気に入りなんだと思うよ」

「まさか」

　あれの、どこが。

　入部からずっと、優しくされたことなんてない。

　そんな、無理やりいいように言ってもらわなくても、ちゃんと分かってる。

　澪先輩は、ふふっと柔（やわ）らかく笑う。

　初めて浅野先輩を見た日、ちょっとかっこいいかもなんて思わなきゃよかった。

　あの真（しん）剣（けん）な瞳（ひとみ）に、目を奪（うば）われたなんて。……きっと、何かの勘（かん）違（ちが）いだったんだ。

　その日の練習が終わって、制服に着（き）替（が）え、部員みんなで帰路につく。

　私や知宏は徒歩通で、澪先輩や浅野先輩は電車。駅とうちは反対方向だから、一緒に歩くのは校門まで。

　澪先輩と喋（しやべ）りながら校門まで向かい、何気なくかばんの中を確（かく）認（にん）すると、あるものを忘れたことに気づいた。

「あっ、学校の中に忘れ物！　すみません、私戻（もど）ります」

「大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）？　気をつけてね」

「はい、また明日（あした）！」

　手を振る澪先輩にお辞（じ）儀（ぎ）をして、私は再び校舎の中に戻ることにした。

「おー、梨子。俺待ってるか？」

「ううん、大丈夫。ありがとう！」

　後ろの方から他（ほか）の部員と歩いていた知宏に声をかけられ、手を振って断る。

　こんなところを浅野先輩に見られたら、またさっきみたいに知宏にべったりって嫌味のひとつも言われる。

　周りを見ると、浅野先輩の姿は見えなかったから、余計な心配だったのかもしれないけど。

　ほとんど人がいなくなった学校の中は所々薄（うす）暗（ぐら）くて、なんだか不気味。

　向かう先は校舎二階、図書室。

　電気のスイッチを入れて、がらんと静まり返った部屋の中を歩く。

　ひとつの机の上に、ポツンと一冊だけ残った本を手に取って、安（あん）堵（ど）した。

　よかった。そのまま置いてあった……。

　私の手の中には、サッカーのルールブック。

　マネージャーになった日から始まった、図書室通い。

　昼休みに貸し出し手続きを終えたのに、肝（かん）心（じん）な本を持っていくのを忘れてしまっていた。

　今日は、家でじっくり読むつもりでいたのに。

　これで何冊目だろう。本によっては、競技を行う上でのポイントとか、書いてあることが違っていたりするから、色々と勉強になる。

　本も見つかったし、早く帰ろう。

　電気のスイッチに手を触（ふ）れて、ふと窓の外を見る。

　視線の先には、グラウンド。

　……あれ？

　サッカーボールが跳（は）ねたような気がして、私は校舎を抜（ぬ）けてグラウンドへ急いだ。

　暗くてよく見えなかったけど……。

　ボールの片付け損（ぞこ）ないがあったのかな。最後に全部チェックしたつもりでいたのに。

　耳を澄（す）ます。

　やっぱり……。ポーンとボールが弾（はず）むような音が聞こえる。

　風で転がってるのかな。

　グラウンドまで近づくと、人（ひと）影（かげ）が見えた気がしてビクッと立ち止まった。

　えっ、人……？　ひ、人!?

　でもさっき、練習は終わって皆（みんな）帰ったはずだし……。

　こんな時に、小学校時代にあった七不思議のひとつ、誰（だれ）もいない体育館でボールで遊ぶ幽（ゆう）霊（れい）なんて、余計なことを思い出す。

　いやいや、まさかそんな。……え？

　怖（こわ）いはずなのに、私の足はグラウンドへ進む。怖いもの見たさとは、まさにこの事。

　ドキドキしながら、幽霊の正体を見ようと足を進める。

　この幽霊、ずいぶんとサッカーが上手な……。

「……浅野先（せん）輩（ぱい）？」

　思わず声に出してしまった。

　そこにいたのは幽霊でもなんでもなくて、先ほど皆と一（いつ）緒（しよ）に帰り支（じ）度（たく）をしていたはずの人だったから。

　何でひとりで……。

　考えてみれば、校門まで向かっている時、浅野先輩の姿はなかった。

「梨子ちゃん？　帰ったんじゃなかったの」

　浅野先輩も私に気づき、足を止める。

「私は、学校に忘れ物しちゃって……」

「知宏は？」

「あ、帰りましたけど」

「へー、いつも一緒なのに」

「そんなにいつも一緒にいませんよ」

　知宏とは家は近いけれど、学校に行く時は別々だし。帰りだって、知宏は他の一年生の男子と一緒に帰るし。

　知宏以外の男子が苦手な私が、そこに交ざることはない。

「そうだっけ？」

　また意地悪を言うふりをして、わざと話題を変えようとしているみたいに見える。

　だからだと思う。気になってしまったのは。いつもの私なら、すぐに立ち去っていたはず。

「何してるんですか？　こんな時間まで」

「……」

　やっぱり。話をそらして、聞かれたくなかったのはこのこと。

「もしかして、いつも部活が終わったあと、ひとりで練習続けてたんですか？」

　そんな、まさかとは思うけど。何かと理由をつけて、いつもサボろうとするこの人が。

　浅野先輩は苦笑いをして、返事の代わりにとでも言うように、私の手元にストップウォッチを投げた。

「わわっ」

　落としそうになりながらも、両手でキャッチ。

「知られたんなら、もう梨子ちゃんも共犯。手伝って。ゴールまでドリブルするからさ、ちょっとタイム計ってよ」

　浅野先輩の表情は、いつものからかうような笑（え）顔（がお）に戻っていた。

　しばらく練習を手伝って、「そろそろ終わりにしよう」と声をかけられた頃（ころ）には、辺りは真っ暗。二時間も経（た）っていた。

　そんなに経過していたなんて、全然気づかなかった。

　先輩の表情は、私が初めて見た頃のものと同じで、ただ見とれてしまっていたから。

　あの日の先輩は、見（み）間（ま）違（ちが）いじゃなかったんだ……。

「帰り、送るから」

　部室にボールを片付けながら、浅野先輩が私を見ないまま話しかける。

　暗いから見えにくいけど、毎日使っている場所だから、大体の位置は分かる。

　切れた蛍（けい）光（こう）灯（とう）を顧（こ）問（もん）の先生が替（か）えてあげると言ってくれた時から、優に一ヶ月は経過している。

「えっ、そんな、大丈夫ですよ。先輩、電車通ですよね？　うち、駅の反対方向だし、そんなに近いわけじゃないし悪いです……」

「遠いなら、なおさらだろ。暗い中で女の子ひとりで帰したくないし」

　……。今、なんて言った？

　聞き違えでなければ、浅野先輩が私を女の子扱（あつか）いしたような……。

「普（ふ）段（だん）は、知宏と一緒に帰ってんでしょ」

　ありがとうを言いたかったのに、先輩が話し始めたことでタイミングをなくしてしまった。

「だ、だから、いつも一緒にいるわけじゃないですって……」

　代わりに口から出てしまったのは、こんな可愛（かわい）くない言葉。

　言わなきゃ、ありがとうって……。

「先輩、あの……」

「あれ？」

　声を出したのは、ほとんど同時だった。

　片付けも終わり、先輩が先に部室を出ようとドアノブを回した時。ガチッと、硬（かた）い音がした。

「……どうしたんですか？」

　ドアノブをつかんだまま固まる背中に、たまらず声をかける。

　先輩は心なしか青ざめた顔で振（ふ）り返り、小さく告げた。

「鍵（かぎ）、閉められた」

　少しの間理解が出来ずにいた私は、何度か瞬（またた）いて、

「……え、えー!?」

　久しぶりに、大声を上げた。

「誰かー！　いませんかーっ!?」

　部室内にある壁（かべ）掛（か）け時計で確（かく）認（にん）した時刻は、午後十時。

　ここに閉じ込められてから、すでに一時間以上過ぎていた。

　電灯のないこの部屋では、唯（ゆい）一（いつ）窓から差し込む月明かりだけが頼（たよ）り。

　その頼（たの）みの綱（つな）の窓ですら、はめ殺しになっているタイプのもので、人が手で開けることは出来ない。

「もう諦（あきら）めたら？　さすがに、この時間まで残ってるバカはいないって」

　部室には、大きいテーブルが一台と椅（い）子（す）が六脚（きやく）。それと、部員各自のロッカーに、カゴに入ったサッカーボール。ユニフォーム。タオルに、ヤカン。

　他（ほか）に余計なものは何もない。扉（とびら）を開ける、鍵すらも。

　外から施（せ）錠（じよう）された扉に向かって叫（さけ）ぶ私に、先（せん）輩（ぱい）はのんびりと椅子に座ってあくびをしながら言う。

「せ、先輩ももっと焦（あせ）ってください……！　開かないんですよ、扉！」

「外からしか閉めらんない鍵だからねぇ」

「何でひとりでに閉まったりするんですか……！」

「いや、さすがにやったのは人間でしょ。夜間警備員いるんだよ、この学校。知らなかった？」

「し、知ってますー！　だからそれが何でっていう話を……！」

「いつもは鍵閉めてる時間だったんじゃん？」

　先ほどから何度目だろう、このやりとりは。

　パニックになる私と、のんきな先輩。ずっと繰（く）り返しの平行線。

　この状（じよう）況（きよう）でさらに、ふたりともスマホが入ったかばんは部室の外というおまけ付き。

「仲良くしようよ、梨子ちゃん。どうせ、朝までふたりきりなんだから」

　月明かりに照らされて、浅野先輩がニヤリと笑った。

　朝まで、世界で一番苦手な人と。

　……ふたりきり？

　頭が真っ白になって、脳内で反（はん）芻（すう）させる。

　浅野先輩と、このままふたりきり。それは、つまり。

「いっ……嫌（いや）です──!!」