ナオハル  はじまりの歌/40mP

一小節目「消えた秘密のノート」①

 目を開けるのがこわい。

 なぜなら、そこに私が望んだものがないことはわかっているから。

 いつだってそうだ。

 期待すればするほど、失望は大きくなる。

 それならいっそ、このまま永遠のねむりについてしまいたい。


 クラスメイトの話し声。ゆかをこする音。

 教室内の雑音が遠ざかり、私のちっぽけな体を残したまま、意識だけがくらやみけていく。


「ねえ、はるか。いつまでそうやってるのよ?」


 その声で、体からはなれかけていた意識が無理やり連れもどされた。


「だって、見るのがこわいんだもん」

「はいはい。現実とうもほどほどにね。もうすぐ次の授業はじまるよ」


 前の席から話しかけてくるすみがどんな顔をしているか、目をつむっていてもわかる。ようえんからの長い付き合いだからね。

 きっと目を細め、口をへの字に曲げて、あきれ顔で私を見つめているにちがいない。


 深呼吸をして、おそるおそるまぶたを持ち上げた。

 暗闇の中にぼんやりと光が流れ込んでくる。


 神様、お願いします──……。


 両手でにぎりしめた試験の答案用紙。名前らんに書かれた「さくら遥」の文字は我ながら美しい。

 そんな美文字を気にする様子もなく、すぐ横に書きなぐられた赤い数字。

 六十一点。

 ああ、やっぱりそうだ。悪い予感はいつも当たってしまう。

 私は答案用紙にむかって、がっくりとうなだれた。


「ちょっと大げさじゃない?」


 ため息交じりにそう言う香澄の顔を、上目づかいでチラッとのぞき込んだ。

 さっき予想したとおりの表情をかべている。


「香澄には私の気持ちなんてわかんないよ……」

「うーん、まあ、おづかい半額はたしかにキツイけどね。次またがんればいいじゃん」


 うなだれたままの私の頭を、香澄は赤ちゃんをあやすようにポンポンとたたいてくれた。

 でも、今はそのやさしさをなおに受け止めることができない。


他人ひとごとだと思って……」

 捨て台詞ぜりふきながら、答案用紙をき込むようにして机にした。


 高校に入学してから私の成績はみぎかた下がりだ。

 とくにひどかったのが一年生三学期の期末テストで、理系科目はほとんどが平均点を下回ってしまった。

 ここにじおか高校は県内で有数の進学校なだけに、ちょっと油断するとすぐに置いていかれる。

 決して私がなまけていたとか、勉強ができないとかではなく、周りのレベルが高すぎるだけだと言い訳しておきたい。

 そんなじようきようを見かねた両親は、二年生からは週一回のじゆく通いを強制し、さらに一学期の中間テストで全教科平均点以上をとらないと、お小遣いを半分にするというな命令を下してきたのだ。


 お小遣い半分──……。

 以前、ニュースで報じられていたどこかのぎようしよく事件で、しようを起こした社員の処分はたしか減給二十%ほどだった。だれかにめいわくをかけたわけでもないな女子高生が、お小遣い五十%カットなんてあんまりだ。

 そんなじんな命令を受け、私はものぐるいで勉強した。大好きなテレビアニメ「スクール☆ダンサーズ」、つうしようスクダンの第二期をるのもまんして。いや、本当はいききにちょっとだけ観ていたけれど。

 そのあって、中間テストの結果はなかなかのものだった。

 得意の文系科目はどれも八十点以上。苦手な理数系もなんとかギリギリ平均点以上をキープするけんとうぶり。

 問題は化学。ヤマをはっていたしよがことごとく出題されず、試験当日はえ湯を飲まされた。

 そして、結果はご覧の有り様。

 平均点は六十五点。私が今抱きかかえている答案用紙の点数は六十一点。

 赤ペンで線を書き加えれば六十七点にでっち上げることもできそうだけれど、さすがに思いとどまった。それをやったら人間としての大切な何かを失ってしまいそうだ。

 お父さんはまだしも、お母さんはがんなので、頑張ったことを評価して大目にみてくれる、なんてことは絶対にないだろう。

 今月から私のお小遣いは月二千円になることがほぼ決定した。もうすぐ発売されるスクダンのキャラソンCDも当分買えそうにない。


「ねえ、香澄……」

「なあに?」

 頭を上げると、香澄はとっくに前を向いて次の授業の準備に取りかかっている。


「なんで大人はあんなに勉強、勉強ってうるさいのかなあ……なんで勉強しなきゃいけないの?」

「そりゃあ、良い大学に行くためじゃない」

「なんで良い大学に行くの?」

「うーん、良い企業に就職するため?」

「なんで良い企業に就職するの?」


 めんどうくさそうに背中で返事をしていた香澄はようやくこちらを向いてくれた。


「幸せになるため……かな?」


 そう言ってほほむ香澄の顔はなんだかすごく大人びて見えた。

 いつもはいつしよになってアニメや声優の話題ではしゃいでいるのに、時々こんな風に子どもを見守る親のような表情を私に向けてくることがある。


「幸せ……?」

「そう。遥のお父さんとお母さんも、遥の幸せを思って厳しくしてるんじゃないかなあ」

「幸せ、かあ……」


 答案用紙の角を指でくるくる丸めながら、その言葉をめた。

 幸せって何だろう?

 ぼんやりしていてよくわからないし、考えるとなんだか首筋のリンパせんのあたりがムズムズする。


「なあ、なお! たのむって!!」


 教室をらすようなとつぜんの大声によって、私と香澄の人生相談トークは中断された。

 声の主はとなりのクラス、二年三組のかざあきだ。

 軽音楽部の部長で、自身のバンドではボーカルを担当している。とにかくいつも声が大きい。

 そして背が高くて顔もそこそこ整っているので女子に大人気だ。この人が半径十メートル以内に近づけば誰もが察知するほどのあつとう的な存在感を放っている。

 いつも前向きで明るくて、きっと「幸せ」という言葉は彼のような人のためにあるのだろう。


 そんな風間君の子犬みたいな目に見つめられているのは、私たちと同じ二年四組のかんざき君。今はじめて知ったけど、下の名前は直哉というらしい。

 風間君とは対照的に、学年でもくつの目立たない子で、休み時間は自分の席で本を読んだり音楽をいたりしている。

 同じクラスになってから二ヶ月間、私は彼が授業以外でしゃべっているのを見たことがない。


「お、おい、彰人! 声が大きいんだよ……!」


 クラス中の視線を集めた神崎君はよっぽどずかしいのか、顔を赤らめて風間君にこうしている。今、はじめて授業以外でしゃべっている姿をもくげきした。記念すべきしゆんかんだ。

 そんなことより、風間君と神崎君が下の名前で呼び合う仲だということが意外すぎる。



「なあ、頼むよ! 俺のバンドでギターいてくれよ! お前じゃなきゃダメなんだって!」

「だから、何度も言ってるだろ……! 俺はバンドはやらないって……」


 にらみ合う二人の周りでクラスメイトのささやき声が飛びう。

「神崎君って風間君と仲良かったの?」

「え、神崎のやつ、ギター弾けるの!?」


 私も同じことを思っていた。

 二ヶ月間、ほぼ未知の存在だった神崎君について、名前、友達、特技。ほんの一分ほどの間にこんなにたくさんの情報を仕入れることができるなんて。それにしても、ギターを弾いている姿は全然イメージできない。


 そのとき、神崎君にたすぶねを出すかのようにチャイムが鳴った。

「あ、やっべ! 教室もどらなきゃ! 直哉、俺あきらめないからな!」

 そう言い残して、風間君はげるように教室を出ていった。あわてているときも決して笑顔を忘れない。イケメンのかがみだ。

 神崎君は返事をすることなく、みんなの視線をシャットアウトするようにに座って背中を丸めている。

 その姿は石の下から無理やり日向ひなたに連れ出されたダンゴムシのよう。

 ダンゴムシがエレキギターを弾く姿を想像して思わずき出しそうになるのをこらえていると、日本史の先生が教室に入ってきた。

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