stage 2-2


 うすピンク色のハンカチにつつまれて、スマートフォンはまだヴーッヴーッとしつこい着信を告げている。

(……チッ、完全防水だったか)

 舌打ちをして相手を見る。

 よけいなことをしてくれた。


「君、やっぱりストーカー?」

 いら立ちまぎれに冷たい視線をおくると、彼女は目をまん丸くした。

「え?」

「ボクがだれだか、知ってて追ってきたんでしょ? わざわざこんなものひろって」

「べ、べつにそういうわけじゃありません! それに、わたし風真くんファンなんで! ぜんっぜん塔上くんじゃなく!」

「……君、それはそれで失礼じゃない?」

「えぇっ、そ、そっちこそじゃないですか……! そういえば前もストーカーって言いましたよね!?」


「ストーカーじゃないならなんなの?」

「あれはたまたまです。ただのぐうぜん! いくらドルチェが好きだからって、そこまではしません。わたし、ファンマナー守りますから。風真くんにきらわれたくないので!」


 たしかにな、と思う。

 いまのところ、おなじマンションなのをいいことに風真に近づこう、なんてことはしていない。

 それどころか、風真からげているのを知っている。


「……ひろわなくてよかったのに。捨てたんだよ、それ」

 言うと、彼女はすこしだけ困った顔をした。

「──ホントは、知ってます。捨てるとこ見ちゃったので」

「じゃあなんで」

「あの、でも水の中でもずっとブーブー鳴ってるのがきこえたから、そのままにしておくと個人情報とか、あぶないかなと思って」


 こんどは沙良が目を丸くする番だった。

「じゃあ、ようするにボクのこと心配してひろってきてくれたってわけ?」

 落としましたよ、と声をかけたのは、うけとるときに沙良が気まずくならないようにか。

「はい」とは言わず、彼女はただにこっとやさしくほほんだ。


(君、Tシャツぬれちゃってるじゃないか)

 スマホをひろうさいに、水がかかってしまったのだろう。

 かたでさらさらとゆれるかみからも、ちょっぴりすいてきがたれている。


「……ばかじゃないの?」

 ほっときゃいいのに。

 スマホを不用心に捨てようとしたのは沙良だ。

 自分が悪い。なのに。


「ば、ばかって……。だって個人情報はだいじですよ? アイドルのスマホなんて、きっとそく転売です!」

「君ね、おせっかいなの? ええと……王子さんだっけ?」

「えっなんで知ってるんですか?」

 相手はおどろいた顔をしたけれど、じつは言った沙良本人が、一番自分におどろいていた。

「……ポスト。あんなところにしっかりみよう書いてるの、君の家くらいだよ。それこそ個人情報でしょ」

 さらりと答えたけれど、心の中はみょうにどうようしていた。


 そうだ。

 彼女の苗字はポストで知った。それはまちがいない。

 あの、ドルチェ部屋をあたえられたはじめての日、ろうでこの子に会った。

 あくしゆ会の日だ。

 でも、会ったしゆんかんに思ったのは、『握手会にきてたファンの子だ』ではなく、『あのオーディションのときの子だ』だった。


 風真ばっかり見て、沙良をまったく目にうつさなかった子。

 沙良がトスしたブーケをはじき落とした子。


 なんだか腹がたって、さらに腹をたてさせる相手の名前を知っておきたくて。

 帰りぎわ、ポストの苗字をちらっとだけ見た。


 でも、それだけだ。

 覚えていようと思ったわけじゃない。

 なのにいま、自然と口からその名前が出ていた。


(なんで……?)

 ちら、と相手の顔を見る。

 へいぼんな顔だ。身長も平均的。

 着ている服も、おしゃれとは言えない。

 平凡なTシャツに、スポーツメーカーのハーフパンツ。

 クツもいかにも運動しやすそうな、ランニングシューズだ。


(これっぽっちもタイプじゃないね)

 沙良は自他ともにみとめる面食いだ。

 ギリシャからは「もっと内面も見ろ」とか言われたが、外見がよくて内面もよければ、それにこしたことはないと思う。


 ちなみにギリシャのタイプをきいたところ、「やっぱ胸がデカイ子だろ!!」と力説してたので、もうあいつの話はいっさいマトモに相手しなくていいと思う。


「君、はだれしてるよ」

「なんですかとつぜんっ!」

 ぎょっとしたように彼女は飛びのいた。

「目の下もすごいくま。もうすこし美容に気をつかったら? 女の子なんだし」

「うぅ、塔上くんはもうすこし、べつなところに気をつかったほうがいいと思います」


 うらめしそうにそんなことを言うが、実際彼女の目の下はかなりひどいことになっている。

 コンシーラーでごまかしてはいるが、そうとうなそくに見えた。

 顔色だって悪い。


「もしかしてそのカッコって、いまからランニングでもする気? 走ってないで寝たら?」

だいじようです。ランニングは毎日やるって決めてるんで」

「ダイエット? ムダだと思うけど」

「ちがいますっ! ダイエットじゃないし、ムダじゃないですっ。だからもー、もうすこし気をつかってくださいっ。女の子に対してその言いかた!」


 彼女はハムスターのようにほおをふくらませているが、沙良としてはしっかり気をつかったつもりだった。

 寝不足は肌も荒れるし、太りやすくなる。

 ダイエットなら、くまをつくって走るよりも寝たほうがいい。

 沙良が口をつぐむと、彼女はふぅっと息をはいた。


「……まあ、たしかにカロリー消費を期待してないわけじゃないんですけど……」

「なんだ、やっぱりダイエットでしょ」

「でもそっちがメインじゃないんですよ。インスピレーションをさがしながら、あっちの川沿いをずっと走るんです。美は自然のなかにあるっていうのが、おじいちゃんの教えで」

「インスピレーション? 美?」

「そうです。頭をからっぽにして走ると、川のキラキラした光だったりとか、水鳥の羽の一枚一枚だったりとか、ちぎれて流れる雲だったりとか、そういうものの美しさがストンって直接心に入ってくるんです。そういうのが、新しいショコラのアイデアにつながるっていうか」

「ショコラのアイデア……?」

「はい。わたし、ショコラティエになるのが夢なんです」

 彼女はちょっとだけずかしそうに、けれどもしっかりと沙良の目を見て、にっこりと笑って答えた。


<続きは本編でお楽しみください。>

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