小説 千本桜 壱/⿊うさP/WhiteFlame・⼀⽃まる

序幕 千本桜夢現 第一場

 もとの国に今年もこの季節が巡りくる。

 満開の桜の下、街中が薄紅色に染まる季節。雲ひとつ無い絶好の花見日和びより

 木陰に留まる薄汚れた冬の忘れ雪を、溶かすように花片はなびらが優しく覆っていく。

「ほんっと春っていいわねぇ……夜桜をさかなにお酒を飲むのも一興だけど、ぽっかぽか陽気の中で長閑のどかにまどろみながら飲む酒はまた格別だわ~」

 目の前に広がる春ならではの景観を他の花見客と同様に楽しみながら、日本酒の一升瓶を豪快にあおっていた深紅ので立ちの美女が感嘆の声を上げる。

 その美女の膝枕で心地よさげにうたた寝をしている男が「飲み過ぎ、めい」とつぶやくと、めいは「うるさい、かい」と即座に返し、あおい髪の頭をぴしゃりとたたいた。

 かいは苦笑しながら「はいはい」と答え、彼女とは逆側に寝返りをうつと、まどろむ意識の中、うっすらとまぶたを開けた。

 その視線の先、周囲の喧騒をよそに春風に舞う桜の花片をまとい、うぐいす色の髪の少女が歌い踊っている。

「……、また歌がうまくなったなぁ」

 思わずそうつぶやき、そのまま再び眠りに落ちていくかいに、めいは「本当にね」とほほえむとに拍手を送った。その拍手の音につられるように、めいたちの真向かいに座していた金髪の双子もぱちぱちと拍手を送る。

 突然の拍手に、と呼ばれた少女は、面食らったようにみんなを振り返った。

「やだめいねえりんれんも……いったいなぁに?」

「歌がうまくなったなぁって、素直に感心してんの。春を舞う、桜の歌姫って感じ? ……なかなか絵になってたわよ」

 何気ない家族たちの褒め言葉がよほどうれしいのか、は朱がかれたほおを見られまいと照れくさそうに背を向ける。

「だって、ほら、本当に綺麗。こんなに沢山の桜の下で歌が歌えるなんて、まるで『夢の世界』みたい」

 両の腕を広げ、桜色に染まった春風をその身いっぱいに受け止めながら、は夢見る瞳で花吹雪を見上げた。

「でもこの感じ……どこかで見たことがあるような?」

 目を細め、空に右手を伸ばす姉を、端で眺めていた双子のきようだいがクスクスと笑う。

「夢の世界って……姉ってば、去年もそんなこと言ってなかった?」

 一番下の弟のれんが茶化すように言うと、純白のリボンを直しながらりんもうなずいた。

「言ってた、言ってた。遠い昔の大ーっきな桜の木の話」

「遠い昔の大ーっきな桜……? 何それ、ボクそんなこと言ったかしら」

 不思議そうに小首をかしげるへと、ひらりひらりと桜の花片はなびらが静かに降り注ぐ。


 毎年、春が訪れる度にこの桜並木の下で花見をしながら食べたり飲んだり歌ったりすることが、たちの一番の楽しみだった。

 去年もその前もそうであったように、来年も再来年も、ずっとこうして家族みんなと一緒に日々を重ねていくに違いない。それはとても平凡な幸せだけれど、何ものにも代えがたい大切な日常なのだ。

 桜の木々の間からこぼれる暖かな春光が、そんなたちのささやかな未来を照らしているようで、誰もが自然と笑顔になった。

「こんな見晴らしのいい場所を、一ヶ月も前から確保してくれたかい兄に感謝だね」

 れんが、にこやかに三色団子をほおりながら言った。

 その横でまるで合わせ鏡のように同じ動作で三色団子を食べるりんも続ける。

「でもそのかい兄は、せっかくの桜に背を向けてまた居眠りしちゃってるんだけどね」

 りんの言葉に、めいは自分の膝枕でのんに爆睡しているかいを見下ろすと苦笑した。

「いくら場所取りで疲れているとはいえ、まったく失礼な男よねぇ。身近な花にも気づきやしない」

 そう不満げにぼやくと、めいはおもむろに一升瓶をつかみ上げる。

「!」

 まさか、その一升瓶をかいの頭の上にでも振り下ろすのではないかと、その場にいた全員が一瞬冷やっとしたが、何事もなかったかのように、ぐびぐびと飲み続けるめいの姿に、一同はほっと胸を撫で下ろした。


 宴もたけなわと、花見客たちのどんちゃん騒ぎが勢いを増す中、めいはスッカラカンになった最後の一升瓶をもたげ、その口を未練がましく片眼でのぞき込みながら、唐突に話し始めた。

「そういえばさ~、この辺りに伝わる奇妙な噂、知ってる~?」

 酒豪で鳴らしためいも、相当出来上がっているのかいよいよれつが怪しくなってきた。

 そんな姉に、は興味深げに身を乗り出す。

「奇妙な噂って?」

「美しい桜に心を奪われると、どこからか神様がうたう歌が聞こえてきて、『神隠し』にうって話。噂っていうか、昔話かな?」


 神様の謡う歌……神隠し……。


 は心の奥深くに何かが思い当たるような気がして、重ねた両の手で胸元を押さえた。

「ねえ、めいねえ。神隠しってなあに?」

 好奇心たっぷりに尋ねるりんとは対照的に、れんは今がチャンスとばかりに、重箱に所狭しと咲く色とりどりのおかずたちを胃袋に詰め込む作業に夢中になっている。

「神隠しっていうのは……神様にさらわれて、どこかにいなくなっちゃうこと、かな?」

 小学六年生になったばかりのりんにもわかるように、めいはなるべく簡単な言葉を選んで説明した。といっても、これ以上詳しく聞かれてもめいにもわからないのだが、おそらく意味は間違っていないはずだ。

「じゃあ、姉も神隠しにったの?」

 りんはまるで西洋人形のような、つぶらな瞳をしばたたかせて尋ねる。

が? どうして?」

「だっていないもん」

 りんの言葉に、爆睡を続けているかいを除いた全員が辺りを見回した。

 そういえば上から二番目の姉、がブログに載せる写真を撮りにいくと言って、一人きりで出かけたまま、もうかなりの時間が経っている。

「あの子のことだから、まーたどっかで迷子になってるんしょ」

 めいは明るく笑い飛ばしたが、はそれを聞いた途端に真っ青になった。

 無論、が『神隠し』に遭ったなどと思ったからではない。彼女が信じられないほどの……桁外れな、いや、規格外の、人智を逸した『方向音痴』だからだ。

 あれは去年の花見の席。同じようにふらっと出かけて、はとうとうその日は戻ってこなかった。たちは警察にも届け出て必死に捜し回ったが、結局、は一週間後に自力で歩いて家に戻ってきたのだ。

は方向音痴のくせに桜の木の保護色だから、こういう場所で迷子になると捜すの大変なのよね」

 保護色……。

 確かにの長い髪は見事ななでし色だが、今はそんな冗談に感心している場合ではなかった。は急いでポケットから携帯電話を取り出し、電話を掛けてみる。と、同時に、めいかたわらに置かれたバッグの中から、『あかひと』の着メロが鳴り響いた。

 の携帯電話の着信音だ。

「あの子、ケータイ忘れてってる。というより、バッグごと置きっ放し! あーあ、もう。ご自慢の一眼レフのカメラも持っていってないってナイんじゃない! いったい何をどう撮るつもりったのよ!?」

 開けっ放しののバッグの中から携帯電話を取り出し、「もしも~し。ただいまは迷子中です。ピーという発信音の後に……」と言うとめいは一人で爆笑した。だめだ。完全に出来上がってる。

 問題のもカメラを忘れたことに気づけば、普通ならすぐに引き返してくるはずだが、それが戻らないとなると、やはりまた迷子になっているとしか考えられない。

「はあ、もう仕方ない。あたし、ちょっとを捜してくるわ。桜並木沿いに歩いていけばすぐに見つかるしょ」

 めいはひとしきり笑った後、一升瓶を支えにして立ち上がろうとして、それが出来ないことに気づいた。膝の上で気持ちよさそうに寝ているかいへいげいしていまいましそうに舌打ちする。

「あ、やっぱりボクが捜してくる。めいねえはそのままでいて。かい兄も場所取りでここのところ、ぜんぜん寝てないし……」

 疲労こんぱいかいと泥酔寸前のめいの身を案じ、を捜しにいく役を買って出た。

「ん。そう? なんか悪いわね、。あんたってば、歌だけじゃなくて空気読むのまでうまくなっちゃって~」

「だってめい姐もかなり酔ってるみたいだし、そのまま行かせたら迷子が増えるだけだもん」

「はは、違いないわ」

 すでにの端にしゃがんで、お気に入りの赤い靴のベルトの金具をパチンと留めて履いているに、めいは肩をすくめて苦笑した。

「じゃあ、行ってくる。姉が見つかったら電話、するから……ふわぁ……」

 立ち上がったその瞬間、は突然、意識を失いそうになるほどの強烈な睡魔に襲われた。

 ──あれ。なんで、こんなに急に眠く……。

「まさか姉も寝不足? 僕たちも一緒に行こうか?」

 大きなあくびをしてふらつくを見て心配げな顔を向けるれんりんに、大丈夫だからとはほほえんだ。その代わり泥酔気味のめいと眠りこけているかいをお願いねと告げる。

「ああ、待って、

 が歩き出そうとしたところで、めいが呼び止める。は地面に付きそうなほどのうぐいす色の長い髪をひるがえし振り返った。始終ご機嫌だっためいが、やけに真剣なまなしをに向け、一言釘を刺す。

を捜しにいくのはいいけど、あんたも子供の頃に、ここで一度迷子になったことがあるんから……気をつけなさいよ」

「え……?」

 は息を飲んだ。

 りんれんも驚いたように同時にめいを見つめ、次いでを見た。

「…………」


 ボクが──ここで迷子になったことがある?


 初耳だった。そんなこと、今めいねえに言われるまで知らなかった……。

「まあ、あんたの場合は、すぐ見つかったんけどね……」

 そう、めいは付け足した。

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