序幕 千本桜夢現 第二場

 ──姉、どこまで行っちゃったんだろう……。

 行けども行けども桜、桜、桜。

 果てしなく続いているのか、それとも同じところをぐるぐると巡り続けているのか、それすらもわからなくなるほど、は、この桜並木の迷宮をもう四、五〇分は走りまわっている。

 並木というよりまるで桜の海──この一帯を『せんぼんざくら』と呼称する所以ゆえんだ。

 木々の合間からこぼれる光と桜の花片はなびらいくにも降り注ぎ、あたかものゆく手をはばむように世界を桜色へと塗り替えていく。

 それは幼き頃に見た、くるりと廻せばきらりと光り、様々に姿を変える万華鏡のように……。

 忘れていた遠い記憶がよみがえった気がして、その光の先に手を伸ばしたせつ──。


「……!?」


 どこからともなく響き渡る旋律に、は弾かれたようにその場に立ち止まる。

 そして、気づいた。

 舞い散る桜吹雪の中、眼前にそびえ立つ、視界を覆うほどの桜の大樹に。


 その堂々たる樹幹には、巨大な注連しめなわおごそかに巻かれていた。

「なんて立派な桜……」

 その木肌に手を触れると、感嘆のため息を漏らし、は思わずつぶやいていた。


 美しい桜に心を奪われると、どこからか神様がうたう歌が聞こえてきて、『神隠し』にうって話──。


 ふと、は、先ほど聞いたばかりのめいの話を思い出した。

 ──ま、まさか、これが神隠し……とか?

 とつに自身の束ね髪を両の手で握ると、思い切り横に引っ張ってみた。


 び────────ん!


 痛い。やはりこれは現実だ。

 しかし、現実ならば、先ほどまでのまばゆいばかりの春光はいったいどこへ消え失せたのだろう? いつしか漆黒に染まった夜空には、ほのぐらい月が浮かんでいた。

 あおじろい月の光の下、急に不安に駆られては叫んだ。


「だ、誰かいませんか!?」


 振り絞るようなの声は、闇に吸い込まれ、再び静寂が押し寄せる。

 周囲には花見客もいなければ、無論、神様も見あたらない。

 目の前には、どこまでも広がる闇と、巨大な桜の樹。

 この世界にいるのは、まるで自分一人になったように思えてくる。

 そんな不安を振り切るように、は頭を振った。

 その直後、の背後に、黒い何かが飛び出してきた。

「えっ! な、何!?」

「…………」

 無言のまま、ゆっくりとこちらへ近づいてくるその影は、一見した限り……そう、黒装束の……『女忍者』だった。

 なんで忍者のかつこうをした女の人が!? も、もしかしてコスプレ?

「こんばんは、群れからはぐれた、小鳥ちゃん?」

「ああ、良かった、人がいて……」

 あんに胸を撫で下ろす。

「こんばんは、あのう、おたずねしたいことが……ここっていったい……ひっ!?」

 声を掛けた瞬間、空気が鋭い音を立ててうなる。

 反射的に、は背骨がきしむほど大きく上体を反らした。と同時に、鼻先をかすめるように何かが高速で飛び越していく。

 逃げ遅れた長い髪がひと房、引き千切られて闇に舞う。

「ふっ、さすがていこく軍人。確実に仕留めたと思ったけど……まさかけるとはね」

「て、ていこく軍人んん!?」

 は改めて自分の姿を見て、そのクリッとした瞳をさらに大きく見開いた。

 先ほどまでは確かにフリルの袖口が付いた桜色のパフスリーブのブラウスに、黒茶のプリーツスカートと赤い靴を履いていたはずなのに……。

 それがいつの間にか、着物の袖に『桜』とおぼしき柄の入ったちようしゆんいろの軍服を着ている。丈の短いスカートからは、太ももの半ばまであるニーハイソックスと、靴底が下駄という見たことも聞いたこともないブーツを履いていた。

 ──い、いつの間に、ボクまで、こんなコスプレを!?

「ふふ、そういえばアンタ……さっきアタシに何か訊きたいことがあるってってたわね?」

「え? そ、そうなんです! もう色々とわからないことばかりで……」

 姉を捜して走り廻っていたと思ったら、まるで瞬間移動でもしたかのように知らない場所に居たり、いつの間にか軍服に着替えていたり、女忍者が現れたり……。

 本当にわからないことだらけだった。頭が混乱してしまう。

「あのう、実はボク……」

「ああーっ、最後まで云わなくてもいいわ。アタシの特技はね、他人の悩みが手に取るようにわかることなのよ」

「そ、そうなんですか!?」

「…………」

 女忍者は静かに瞳を閉じる。

 そして数秒後、くわッと目を見開いた。

「そう! ズバリ、アンタの悩みは、その平たい胸!!」

 失礼な。

 忍者はを挑発するかのように一歩踏み出した。

 たわわな胸が上下に大きく揺れる。

 このボクへの──挑戦としか思えない。

 も負けじと一歩踏み出す。

 しかし、残念ながら何も揺れなかった。

「でも……いいわよね、アンタ」

 目の前に対峙した忍者は、急にそのルージュを引いたような赤い唇から、長年の疲れを吐き出すように深いため息を漏らすと、恨めしげにつぶやいた。

「若くてぷりぷりしてて、肌もしっとり綺麗で、キラキラしてて可愛かわいくて……うらやましいわ」

 一転してのことを嫉妬するような目でめ付けると、手元にパシリと『鎖鎌』を引き戻し握り締めた。

「そして同時に……そのぷりぷりしっとりキラキラがこれ以上無いほどにねたましいのよっ!」

 怒気と共に鎖鎌の一方の端を地面にたたきつけると、分銅は地中にえぐり込み、その地響きに揺らいだ巨樹がばっと桜の花片はなびらを散らした。

 先ほど空気が音を立ててうなったのは、この武器のせいだ。もし、あんなものが本当に当たったら、絶対、だけじゃ済まされないと思う!

「あの、その、く、鎖鎌とか……物騒なもの、どうかしまって下さい。これは何かの冗談ですよね? 映画か何かの撮影で、カメラがどこかにあるんですよね?」

 そうだ。これはきっと撮影に違いない。

 映画のセットなら、この見たこともないほどに巨大な桜の木の存在にもうなずける。

 よくできてるけど、きっと作り物だ、ハリボテだ。

 ボクは何かの撮影現場にまぎれ込んでしまって、この人は忍者を演じているのだ。

「撮影? アンタこれが活動写真か何かだと思ってるの? おあいにくさま。残念ながら、そんなお気楽なもんじゃないわ。だってアンタはこれから、アタシにわれるんだから」

「……くわれる?」

「あら、わからない? つまりはこういうことよ!」

 忍者に蹴り飛ばされたと理解したのは、が何メートルも後方の桜の木に激しく頭と背中をぶつけた後だった。

「……くっ……ぁ」

 痛みは意外にも感じず、意識だけが遠のく。軽いのうしんとうを起こしたのか、視界がかすんだ。

 全身から力が抜けていく。桜の幹に寄りかかったからだが、徐々にかしいで地面に倒れていく。

「他愛も無い……反撃はどうしたのよ? 帝都を守護する不死身の『かみつき』といえど、しよせん、小娘の力ではこの程度なのかしら?」

 忍者は無様に地面に転がったままのに近づき、見下すような口調で吐き捨てた。へいげいしたまま片足を上げると、まだ動けないでいるの軀を踏みつける。

 もうろうとする意識の中、なんとか軀をつぶされないように両腕を胸の前で交差させてまもる。

 そして両腕に力を込め、声無き声で抗議する。

 なんてこと!

 よりによってなんで胸!?

「弱すぎる……が、まあいいわ。永遠の命を持つ『神憑』を喰らえば、アタシはまたしばらくこのぼうを保つことができる……」

 どこかうっとりするようにつぶやいた忍者は、ようやくを蹴りつけるのをやめると、今度はその細い首に手を掛けて、そのまま片手での軀を持ち上げた。

 あおじろい満月の光が反射して、忍者の残忍な瞳が鈍く光る。

 彼女はまるで吸血鬼のように、の首筋に唇をつけようとする。

 ──こ、殺される……。

「ちょっと待った!」

 やにわに投げかけられた声に、忍者は振り返った。

 黒いはんがいとうを小粋にひるがえして現れた金髪の少年が、上斜め前方に挙手しながら声を張り上げる。

「我ら大日本ていこくかみつき特殊桜小隊』! かがみれん! そして、今一人はっ」

 そう息巻き、さつそうと名乗りを上げる少年の横には──。

 せきがんの少女が、心ここにあらずといった風で、ただぼうっと突っ立っている。

「い、今一人は、姉のりん!」

 仕方なく少年は補足した。

 突如、目の前に現れた、双子のきようだいの登場に、は目を見開いた。

れん!? それにりんも!」

 二人ともいつ着替えたものか、と同じような振袖の付いた軍服を着ている。りんれんの振袖にはそれぞれ、『ちよう』と『おうぎ』の模様が施されていた。

 きっと二人のことだから、何か遊びの延長だとでも勘違いして、ノリノリで参加してきたに違いない。りんれんも知らないのだ。目の前にいる忍者がどれだけ危険人物かということを。

「かっこつけてないで、二人とも、に、逃げて!」

 必死の思いではかすれた声を絞り出して叫んだ。こんなわけのわからない相手に、大切な妹と弟を傷つけさせるわけにはいかない。

「神憑特殊桜小隊? ……なるほどねえ、アンタたちもこの娘と同じ、『神憑』ってわけ? ふふ、今夜は食べ放題じゃないの」

「貴様! 姉から離れろ! 出でよせん!」

 黄金色の光と共にけんげんした二へいの扇を手にれんは地を蹴った。

 真っ正面から勢いよく突進してくる少年を、忍者は鎖鎌を構えもせずに、くっくっと、不敵にわらいながら、待ち受けている。

「だめ、れん、相手にしちゃ!」

 戦いの経験など皆無だったが、はそう確信した。

「僕が帝都の平和をまもる! あとついでに姉も!」

 ついで!?

 が制止するよりも一瞬速く、れんは忍者に疾風はやてのごとく飛び掛かった。

 跳躍しながら身をよじり、右手の扇を投げつけ、それを敵が鎌で弾き返した瞬間、さらに左の扇で追い打ちを掛ける。

 しかし、忍者はその攻撃を紙一重で避けると、れんの顔を狙って分銅を繰り出した。

「ぐっ!」

れん!!」

 夜目にもはっきりと飛沫しぶきが上がった。れんが片目を押さえて、どうっと地面に崩れ落ちる。

「ひ、人殺し!」

 叫びながらは、とつに拾い上げた石を投げつけた。こんなものでこの忍者を撃退できるとは思えない。が、何もせずに黙って見ているわけにはいかない。

 震える膝を手で押さえながら立ち上がると、は精一杯の虚勢を張った。

「二人には手を出さないで! ボ、ボクが、相手になってやる……!」

 未だ視界は回復せず、ともすれば意識すら手放しそうになる中で、は必死に忍者を睨み付ける。もちろん、勝てる見込みなんて万にひとつも無い。だけど、たとえ自分の身がどうなろうと、大切な家族……りんれんまもらねば。

「『家族愛』という名の調味料ね、嫌いじゃないわそういうの」

 そううやいなや、忍者は鎖鎌の分銅をまるで生き物のように操り、を捕らえると、その細い首を絞め上げた。

「うっ!」

 瞬時にして呼吸するすべを奪われたは、首に巻き付いた鎖から逃れようとくが、足搔けば足搔くほど、鎖は首に深く食い込むばかりで、身動きが取れなくなっていく。


 ちつそく寸前のの耳に、突然、別の男の声が飛び込んできた。

「俺の大切な妹を放してもらおうか」

 ──か、かい兄?

 さびを含んだ声はまぎれもなく兄のものだった。助けを求めようにも、は声が出せないどころか、巻き付いた鎖に首をつぶされないようくので精一杯だ。

「このアタシの胸に刃を向けるなんて、とんだ無粋な軍人ね。そんなにこの小娘の首をへし折られたいか」

「試してみるか? 俺の刀が貴様の心の臓を貫くのと、どちらが速いかを……」

「…………」

 敵は鬼気迫るかいの殺気に気圧されたのか、距離をとるように後方へと跳びすさる。不意に鎖鎌のいましめが緩み、は即座に駆け寄ったかいの腕の中に倒れ込んだ。

「あたしたちが来たからにはもう大丈夫よ、

 深紅の軍服に身を包む女軍人がかいの腕からを優しく抱き留める。

 ──めい……ねえ……?

「ちっ。相手が多すぎる。少々、遊びがすぎたか」

 舌打ちし、吐き捨てるように忍者はつぶやくと、たちの足元に何かを投げつけた。その直後、もうもうとした煙に包まれ、視界が完全にさえぎられた。

「煙幕だ!」

 いまいましげにかいが叫んだときには、めいの腕の中でこんとうしていた。


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