2.幽霊に決まった!③

 文化祭まであと数日にせまって来た土曜日。幽霊屋敷作りも山場をえ、あとは小道具だけの状態だ。文化祭に力を入れるうちの高校は、どこの運動部でもよほど大事な大会前じゃなければ、クラス行事を優先することが許される。

 文化部がいそがしい今、おのずと放課後教室にいるメンバーは決まってくる。主に運動部に所属する二十人弱だ。その中には一澤くんもいるし宮内くんもいる。池田くんも山辺くんもいる。あたしも郁もよく残る。

 今日は三時で先生都合で切り上げなくてはならないそうで、みんなはばらばらと教室を出て行った。一澤くんも宮内くんや池田くん、山辺くんと一緒に出て行った。

「どうしよっかな、これ。今日ジャージ持ってきてないんだよね」

 あたしは自分のベストを見下ろした。レタリングの文字をっていた時にぶつかられて、ベストに絵の具がくっついてしまったのだ。

 たまたますいさいじゃなくてポスターカラーのあざやかな赤だ。水道でちょっと洗ってみたけど取れそうにない。えてやらなかったのが命取りだ。

「それ、血のりをイメージした赤でしょ? さすがにそれで帰るのはずかしいでしょ」

「だよね。ぐか」

「今日、すぐシミきとか出せばだいじようじゃない?」

「うん」

 あたしは学校指定のベストを脱いで、白いスクールシャツ一枚になった。このスタイルで学校に来ることはないからみように恥ずかしい。


 あたしは郁と一緒に学校を出ると、大きな橋まで来た。

 なんだか人だかりが橋の上にできている。けっこうきんぱくしたムードで、けいたいで消防を呼べ、いや警察だとかみんながさわいでいる。

「どうしたの?」

 同じクラスのあんちゃんがいたから聞いてみた。

「郁、菜子ー。大変なんだよー」

 そう言って杏ちゃんはあたしの制服のかたぐちのシャツを引っ張って、川にかかる橋のらんかんから下をのぞくよううながした。

「えっ!!」

 男子生徒が二人、水の中でき合うようにしている。すぐそばには、なにやらボートを半分にしたみたいなもくへんいている。

「どうしたの? なにあれ?」

「一澤と宮内だよ。土手のほうからボートに二人で乗って来たんだけど、川の半分くらいまできたらてんぷくしちゃったんだよー。底に穴があいてたっぽい」

「えーっ?」

 見るとほんとに男子生徒は一澤くんと宮内くんだった。さっさと泳いで土手に戻ればいいのに、なにをあそこで二人でモタモタしているんだろう?

 どうやら宮内くんが泳げないっぽい。完全にパニックしていて一澤くんに両手で抱きついてばたばたと暴れている。一澤くんは大声で何かを必死に説明していて、宮内くんのうでをふりほどき落ち着かせようとしているみたいだ。

 おそらく宮内くんを引っ張って土手に戻ろうとしているのに、その体勢が作れない。あれじゃ二人ともおぼれちゃう。

 あたしは気づいたらくつを脱いで欄干を乗りえようとしていた。

「菜子? 何してんのっ?」

 郁がまどったような声を出す。

「助けるんだよ! 水泳部だもん。救助の仕方習ったでしょ?」

「げ? あたしも? あたしもここから飛び降りんの?」

 ビビった郁の声に下品にも舌打ちがれる。

 土手から泳いでたんじゃ間に合わないでしょ。でもそうだ。郁は競泳の専門。高飛び込みでこの程度の高さは慣れているあたしとはちがうんだ。

「郁、土手に回ってて!」

「菜……菜子っ!!」

 その声を聞きながらあたしは欄干からスカートを押さえて、溺れている二人のすぐ近くに飛び降りた。早くしないと二人とも死んじゃうよ。

 ばっしゃん! とすごい水音がしたことで、一澤くんはあたしのほうを向いた。

 宮内くんはパニックしながら失神しているような、器用な状態にあるみたい。白目をきかかっているにもかかわらず、すごい力で両手を一澤くんの首に回している。

「仙条、お前、どっから」

「あたしは水泳部で高飛び込みが専門。二人なら助けられる。土手まで引っ張って行こう」

「お、おう。だけどこいつ、手ぇはなさねえから俺までしずみそう」

 ここはほとんど流れのないいわゆるふちと呼ばれる場所。泳げる人なら土手まで楽勝だ。

「そのまま足だけで泳げる? 宮内くんはあたしが引っ張って泳ぐから」

 宮内くんは救助者にからまりついているから、習ったことのある二人でできしやを助ける理想的な形なんてとれない。前方を見ると、池田くんと山辺くんが、こしくらいまでばしゃばしゃと川に入ってこっちに向かっている。四人もいればあんたいだな。土手の草の上を見ると、郁が何かできることはないかとスクールバッグをあさっている。

 浅いところまで来たら、迎えにきてくれた池田くんと山辺くんと、あたしと一澤くんで、宮内くんをかかえ上げ、無事に岸まで運んだ。緑のじゆうたんの上に、あおけにかせる。

「え? これ、拓斗、息してる?」

 だれかがそう言った。

 え……息していないの?

 心臓マッサージってどうやってやるんだっけ? えーと、何分に何回かで規則的に心臓を手であつぱくするんだった。どうやって数えるんだか思い出せない。

「人工呼吸したほうがよくね? えー、どうやるのが正しいんだ?」

 それならわかる。正しい方法を知っているのは水泳部のあたしと郁くらいかもしれない。

 迷っているひまはないんだ。

 あたしは宮内くんのそばにひざをつくと、頭をぐっとらしてあごをあげ気道を確保した。それから鼻をつまみ、宮内くんの口に自分のそれを近づけようとした……ところで横からかたに手をかけられ、後ろにすごい力で引きもどされた。

 あたしは数メートルっ飛んだかと思われるような勢いで、しりもちをついた。

 目の前に信じられない光景が飛び込んできた。

 あたしが作ったそのままの姿勢で、宮内くんに一澤くんが人工呼吸をしていた。

「ひっ……」

 あたしが思わずもらした悲鳴のような声に、うっすらと宮内くんが目を開き……次のしゆんかん、ものすごい勢いで一澤くんの身体からだき飛ばして起き上がった。さっきまで溺れて生死の境をさまよっていた人とは思えないほどのしゆんびんな動きだ。

「げうぉうぇっ! なんでお前なんだよ!」

 何度も手でくちびるをぬぐっている。

「……拓斗気がついてただろ。なんか口元がニヤけてると思った。お前それは犯罪だぞ!」

「今気がついたんだよ! そしたらお前の顔が目の前にあってびっくり……」

うそつけ!」

「噓じゃねえよ」

「『なんでお前なんだよ!』ってその言葉の意味はなんだよ? 誰だと思ったんだよ。え! え! え! 念のためもっとやっとくか人工呼吸」

「いや、もう息してるしね? 落ち着こうよ稜くん」

 一澤くんがすごい形相で宮内くんにめ寄り宮内くんはげる。

「なんだよもうー。拓斗元気じゃんか! 俺らびしょびしょなんだぞ。あー気持ちわりぃ」

「お前らは下半身だけだろっ? 俺らなんか全身……」

 一澤くんのその言葉で、なぜか全員がいつせいにあたしのほうを向いた。

「えっ?」

 注目される意味がわからない。そこで男子たちの後ろから郁の布をさくような金切り声がした。

「みんなこっちをむきな、さーいっ!! 菜子。シャツがけてるんだって!」

「ぎゃあああーっ!!」

 あたしは自分で自分を抱きしめた。男子たちの後方から郁がほうり投げたバスタオルが、あたしの頭にバサリとかかる。たぶん一枚しかない郁のバスタオルは、よう救助者の宮内くんじゃなく、あたしに優先的に使用権がまわってきたらしい。

 川からの風は、春でもじゆうぶんひんやりとしている。

 夢中だったさっきまでと、宮内くんが無事だとわかった今では、もう世界がまるで逆転していて、あたしはずかしくて土手に穴をって入りたい気分だった。

 一澤くんが、逃げ回る男子ひとりひとりの後頭部をごいんごいんとひっぱたいたり、っ飛ばしたりする遊びを、バスタオルにまりながら遠巻きにながめていた。こんな時まであんなにじやで楽しそうだなんて、男子ってなんてうらやましい生き物なんだろう。


 通報からどのくらいがたったのか、土手にはおおかりな救助用の車両や、救急車がまっていた。救助用のバスタオルが全員に配られ、その場で事情が聞かれた。

 どうやらこの土手に見たことのないボートが置いてあることに気がついた高校二年のガキ男子四人は、なんの気まぐれか、それで向こう岸にわたろうとしたらしい。

「稜があっち側にボートで渡るって案に興奮して鼻血出すから仕方なくさあ」

 噓かホントか宮内くんがうつたえる。ほかの二人もしんみような顔をしてコクコクうなずくから、やっぱり言い出したのは一澤くんかもしれない。

 まともなボートかどうかもわからないのに、バカすぎる判断だ。四人は乗れないだろうと先行したのが一澤くんと宮内くんだ。そしてボートはこわれていた、というオチ。

「ボートから落ちたのが君と君で、溺れたのが君のほう。助けたのがあなただね?」

 救急の担当の人が、一澤くん、宮内くん、あたしを指さす。

「そうです」

「水に全身入らなかった君たち二人はいいとして、じゃあ三人病院へ行くよ」

「えっ? なんでですか?」

 一澤くんがこうに近い声を出して、救急の人のほうを見る。

「一応だよ。そういう決まりだ。別に警察に来なさいと言ってるわけじゃない」

「もうぜんぜん平気っすよー」

「君なんかパニックして周りの子に心臓マヒを起こしていると思われたんだろう?」

「うげぇー。そういうんじゃないのに」

「パニックしたのはほんとだろ。すげえ力でつかまれたから首がいてぇわ」

 不服を申し立てる二人をしり目に、あたしは完全にだまってしまった。

 うちの学校の子だって橋の上にたくさんいたのに、なんて恥ずかしいことをしちゃったんだろう。今思えば、あたしがいなくても別に問題なく助かったはずだ。

 無罪ほうめんになった池田くんと山辺くんは、制服のズボンが気持ち悪いと、とっとと帰ってしまった。

 郁も今日は早く帰らなくちゃ、ごめんね、とはくじようなことを言い、池田くんたちといつしよにもう見えないくらい先のほうを歩いている。

 救急の人に一澤くんと宮内くんが後に続き、あたしはさらにその後からのろのろとついて行った。この二人だってあたしのことを、内心なんてやつだと思っているにちがいない。

 かたむきかけたの光に照らされてかがやく下草を眺めながら、せっかくちょっとクラスの仲間っぽくなってきたのにな、と思った。

 夢中だったとはいえ大勢の前で人工呼吸だなんて、あんなことにならずにすんで、本当によかった。

 そう思う反面、自分の親友に人工呼吸をしようとしたあたしを、すごい力で引き戻したあの時の一澤くん。

 その手のかんしよくに強い意志がこもっていたような気がして、それがあたしをどこまでも落ち込ませる。あたしに、親友の宮内くんにはれてほしくないってことだ。

 あたしとの差がいつの間にか開いてしまったことに気がついてくれたのか、前を行く二人が歩調をゆるめる。宮内くんにいたっては止まってり向いて待っていてくれる。

「菜子ちゃん、どうした? 気分悪い?」

「そうじゃないけど、なんか恥ずかしくて……」

「えー、俺はめっちゃうれしいよ。俺のことわれを忘れて助けてくれたってことでしょ」

「そ、そうなんだけど。女子としてどうなのって。みんな来てくれたし、あたしがいなくても充分助かってたよ」

「関係ないよ。俺のために菜子ちゃんがそこまでしてくれたのはほんと嬉しいし」

「それは宮内くんに特別感謝っていうか。ちらっと頭にかんだの」

「え? なにが?」

「一澤くんに聞いたんだけど、一年前の宮内くんの交通事故、ねこかばったんだってね。茶色い猫じゃなかった?」

「そうだっけ? そうだった気もする」

「ゴールデンウイークの初日でしょ? それ、たぶんうちの猫なんだ」

「え?」

「キャラメルっていうんだけど、キャラメル、男の子だから遠くまで行くことあるんだよね。駅をえたんだね。そこで事故にあいそうになったところを、宮内くんに助けてもらったんだと思う。その日、足を引きずって帰ってきたから病院に連れて行ったの」

「えっ。マジで?」

「うん。ちがいないと思う」

「それってすごいぐうぜんだよね。いやもう運命だよ! 俺んちも猫飼ってるからさ、他人事ひとごとじゃないんだよね。うちのはメスで、家からほとんど出ないんだけどさ」

「でも宮内くん、あとが残る大けがしちゃって。いまさらだけどほんとにありがとう」

 あたしは深くこうべを垂れた。

 いやいやーと頭に手をやって嬉しそうにする宮内くんの数メートル先で、一澤くんが足を止め、完全にこっちを向いているのが視界に入った。

 おどろきと、不快感の入り混じった複雑な表情をしている。



 とりあえず救急車で三人、近くの病院に連れて行かれたものの、だれもなんの異状もなく、その場で放免になった。でも、びしょぬれなわけだ。

 空いているシャワー室を使わせてもらい病衣を貸してもらい、れてしまった制服をランドリーにかける。それがかわいてえ終わるともう空がむらさきいろに変わる時刻だった。

 夏の気配をはらんだ夕方の風が、洗い立ての短いかみを後ろに流していく。

「菜子ちゃんの髪の毛、夕方になるとさらにきらきらだね」

「色がけてるからね。水泳部はこんなもんだよ」

 宮内くんは制服が乾くまでの間、あれこれ話しかけてくれた。おぼれてこわい思いをしたことなんか忘れたかのようなじようげん

 それに反して一澤くんは、終始不機嫌で口数も少なかった。ずっと何かを考えているようなくもったけわしい表情だった。

 大勢でいる時はつうにしてくれているけど、やっぱり、きらわれているんじゃないのかな。一澤くんにしてみれば出会いからして最悪だ。

 間違いでも女子を平手打ちしたなんて忘れたい黒歴史に決まっているのに、その相手と同じクラスになってしまった。

 あの時ブスだと言ったんだから、もともと好きなタイプからはかけはなれていたんだろう。そのうえ橋のらんかんから飛び込む、人工呼吸をしようとする、すべてがドン引きの要因に違いない。

 せめて普通のクラスメイトになれればと思っていた。なれていると喜んでもいたのに。

 ゆうれいしきいろりの時、近くにきて一緒に作業をしてくれたのは、もう一度ちゃんと宮内くんの事故のことを説明して、謝ろうと考えたからだったのかな。

「菜子ちゃん、水泳の高飛び込みってすごいよね? あれって全国からあの部活のために、うちの高校に入る生徒までいるっていうじゃん?」

「うん、だから万年補欠──」

「お前さあ」

 不機嫌な一澤くんの声が割って入る。

「……え?」

 身がすくむ思いがした。

「あ、仙条のほうじゃなくて」

「なんだよ? 俺?」

「なんかものすげえれ馴れしくない? チャラ男みてえ。なんで仙条のこと菜子ちゃんとか名前で呼んでるわけよ」

「だって仙条二人いるし、俺あっちの仙条に振られたんだよ? 思い出したくねえじゃん。性格だってぜんぜん違うからちょうどいいの。ヤじゃないよね? ねー? 菜子ちゃん?」

「う、うん」

 もちろんそんなことはぜんぜんイヤじゃないけど、あの水辺の事故から場の空気がどよどよしている。一澤くんは、あたしと自分の親友が仲良くするのにさえけんを感じるんだろうか。

 あたしは自然と、一澤くん宮内くんから一歩ひいた後ろのほうを歩くようになっていた。

「拓斗お前、恩を売る作戦に出る気じゃねえんだろうな?」

「そんなそくな作戦に出るほどコモノじゃねえもん。あっ! 菜子ちゃん、キャラメルはその後元気なの? あん時の猫、菜子ちゃんちのかぁ! 今度見に行ってもいい?」

 二人で話していたのにいきなり後ろを向いて、あたしに話題を振ってくる宮内くん。

「え、そりゃもちろん。キャラメルの命の恩人なわけだし──」

 そこでまだ何か言おうとしている宮内くんの後頭部に、いきなり一澤くんが、ごん! と音がするほどのパンチをくらわせた。

じゆうぶん恩を売ってんじゃねえか!」

「別にー。猫、かわいいじゃん」

「仙条の家には、お前を振った仙条亜子のほうもいるんだぞ? それでも行くのかよ」

「あー、俺ってすんだことは気にしないタイプなんだよねー」

 口をはさめる余地はなく、あたしはただ二人のやり取りを後ろからぼうぜんながめていた。

 意識のほとんどが、一澤くんに嫌われているというむなしさにからめとられているせいで、二人の話している内容の意味もよくわからない。

 駅についたところで、あたしは二人に手を振った。

「あの、あたし、徒歩通学なんだ。家、ここの先なの。二人ともまた学校でね」

「送るよ、菜子ちゃん」

 宮内くんがすかさずそう申し出てくれる。宮内くんはやさしい。

「ありがと、あの、でもまだそう真っ暗じゃないから大丈──」

「俺も行く」

 一澤くんまでそう言ってくれる。

 どうしよう。本当に宮内くんはもう亜子のことを気にしていないように見える。だからじゆんすいな親切心なんだろう。今日、あたしは宮内くんを助けようと川に飛び込んだわけだし責任を感じている。

 でも一澤くんは、あたしにいい感情を持っていない。

 もしかして、まさかと思うけど、あたしが宮内くんのことをゆうわくするとでも考えているのかな。人工呼吸をごういんにとめられたんだから、あたしが宮内くんをねらっている、みたいに誤解してけいかいしているんじゃないのかな。そんなことないのに。

 あたしが好きなのは、やっぱり自分の中でどうごまかしても……。

 だめだ。かなしすぎる。

 好きな人に嫌われるのは哀しすぎる。

「もう稜は俺のことが好きすぎるからなー」

 のんきな声で宮内くんがそう言った。

 やっぱりそうなのか! あたしというどくから親友を守る、的な?

「バカかよっ」

 照れかくしなのかおこった顔で一澤くんが、宮内くんのおしりにするどいりをかました。

「ほんとにあたし、だいじようなんだけど……」

 気持ちがじようできないほどしずんでしまい、一刻も早くひとりになりたかった。

「稜、俺が送って行くからお前は帰れよ! 俺は自分が助けたねこを見に行くの!」

 あたしの気持ちを察したかのように、宮内くんがちょっと強く言い放った。

 うつむくあたしに、痛いほど一澤くんの視線が注がれていた。

「あの、ここなの」

 駅をえて十分歩くとあたしの家。あたしは道路の角の家を指した。

「うわ! でけえ家。社長れいじようってうわさはマジだったのか」

 宮内くんがあたしの家を見上げた。

「キャラメル連れて来る? キャラメルが生きてるのは宮内くんのおかげだから」

「うおっ。それはうれしい!」

「ちょっと待ってて」

 あたしは青銅のげんかんとびらを開けた。そこからしばを囲む庭が少しあり、その奥がほくおうちっくな家だ。大きいのにふだんはママしかいない家だ。


 あたしはママにただいまと声をかけ、わけを話してキャラメルをき上げた。

 ママには一澤くんに事のけいを聞いたその日のうちに、キャラメルの一年前の事故のことを話してある。宮内くんも宮内くんのおうちの人も、本人の意志で勝手にやったことだとがんとしてゆずらず、けっきょくばいしよう問題にはなっていない。

 その子が来ていることを説明したら、ママは一言だけでもお礼がしたいと言い出した。ママにとってもキャラメルは大事な家族だ。そう考えるのは当然だ。

「菜子上がってもらったら? せめてごはんでも食べていってもらおうよ」

 ああ……。一澤くんがいなかったらそうしたかもしれないけど、あたしは今この空気が、一澤くんがまるであたしを見張るようなこの空気が痛くてたまらない。

「ごめんママ。ほかの子もいてさ。何か他の形でお礼をすることにしたいんだよね」

 あたしのそうただようただならぬふんに何かを察したらしいママは、それ以上、上がってもらいなさいと主張しなかった。

 そうしてママもいつしよに外に出てきた。ママはぺこぺこ何度も頭を下げると、すぐに家に引き上げた。こんな感謝の仕方じゃ自分的に充分じゃないに決まっているのに、家にもどってくれた。

 あたしや亜子、子供のことになるとママはおどろくほどのどうさつ力を発揮する。

 あたしの抱くキャラメルの頭を慣れた手つきで宮内くんがなでている間も、あたしはその後ろに、一言もしゃべらず立っている一澤くんが気になって仕方がない。

「かわいいなー。こいつオスなんだろ? うちのシロと見合いさせっか」

「いや、それは……」

 少しは一澤くんも関心を示してくれればまだなごやかになると思う。どう考えても空気がピリピリしているのに、どうして宮内くんはこんなに能天気なんだろう。

「帰るぞ、拓斗」

 五分くらいして、大量にふくむ一澤くんの声が降る。あたしは反射的に顔をあげた。

 そこには、なんと表現していいのかわからないような表情の一澤くんがいた。

 怒っているような。いらだっているような。……悲しんでいるような……。

「先に帰っていいよー。稜」

 なんてことを! もう固く目をつぶりたくなった。

「えーと、宮内くん、今日はもうおそいしいろいろあったし、今度ゆっくりさ……」

「お? また遊びに来ていいの?」

 うっ! 自分の首をめたかも。そういう意味じゃなくて一緒に帰ってほしくて……。

「勝手にしろよっ!」

 地面を蹴るようにしてきびすを返す一澤くん。キャラメルをなでながら、宮内くんが、ふんっと鼻を鳴らすような音が聞こえた。

 あたしはキャラメルを抱いたまま、一澤くんの遠ざかる制服の背中をただ見送っていた。なぜかその背中がぼやけてゆらゆらしている。どうしてだろう。

「あーあー」

 あきれたようなびした声がすぐそばから聞こえ、あたしのほおが制服の長そでシャツの何段も折った部分で乱暴にこすられる。

「そんな泣いたらキャラメルにしずくが落ちてれるだろ?」

 泣く? びっくりして宮内くんの顔を思わずぎようしたら、ふっと口元で笑われた。

「気づいてねえのかよ? ほんと姉妹で性格ちがうな。俺としちゃ、全くおしい話なんだよ」

「え? それ──」

 どういう意味なのか聞こうとしたしゆんかん、すごい勢いで歩いていた一澤くんがくるりとり向いた。

「拓斗!」

「なーんだよっ」

 また宮内くんは振り返らず答える。まるでケンカを売っているようだ。

「俺は親友だから引くとかそういう考えの持ち主じゃねえからな! それくらいでこわれるくらいならそんだけの友だち関係だった、ってだけの話だよ!」

 すごいけんまくでまくしたてる内容は、やっぱりあたしには理解できない。

「へーえ! 望むところだっての!」

 そこでやっと宮内くんは、一澤くんのほうに向きなおった。

 一度かなりのきよを取った一澤くんはくつおともあらく戻ってきて、宮内くんのえりを引いた。

「もう遅くてめいわくだっての! 帰るっつったら帰るぞ!」

「おおおおっとっとー」

 ふざけるように一澤くんに襟を引かれ、後ろ向きにとっとっと、と下がる宮内くん。

「じゃあな! 仙条」

「……うん」

 まるで連行されるようにくっついていた二人も、足どりが安定すると自然にはなれた。やみに白いスクールシャツはくっきりえていた。そのりんかくあいまいになってやがてはこんいろの空気に取り込まれてしまっても、あたしはそこに立ちくしていた。

「キャラメルー」

 キャラメルを思いっきりきしめ、そのふかふかする毛並みと猫特有のやわらかいにおいに、そっと頰をうずめる。


<続きは本編でぜひお楽しみください。>

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