2.幽霊に決まった!③
文化祭まであと数日に
文化部が
今日は三時で先生都合で切り上げなくてはならないそうで、みんなはばらばらと教室を出て行った。一澤くんも宮内くんや池田くん、山辺くんと一緒に出て行った。
「どうしよっかな、これ。今日ジャージ持ってきてないんだよね」
あたしは自分のベストを見下ろした。レタリングの文字を
たまたま
「それ、血のりをイメージした赤でしょ? さすがにそれで帰るのは
「だよね。
「今日、すぐシミ
「うん」
あたしは学校指定のベストを脱いで、白いスクールシャツ一枚になった。このスタイルで学校に来ることはないから
あたしは郁と一緒に学校を出ると、大きな橋まで来た。
なんだか人だかりが橋の上にできている。けっこう
「どうしたの?」
同じクラスの
「郁、菜子ー。大変なんだよー」
そう言って杏ちゃんはあたしの制服の
「えっ!!」
男子生徒が二人、水の中で
「どうしたの? なにあれ?」
「一澤と宮内だよ。土手のほうからボートに二人で乗って来たんだけど、川の半分くらいまできたら
「えーっ?」
見るとほんとに男子生徒は一澤くんと宮内くんだった。さっさと泳いで土手に戻ればいいのに、なにをあそこで二人でモタモタしているんだろう?
どうやら宮内くんが泳げないっぽい。完全にパニックしていて一澤くんに両手で抱きついてばたばたと暴れている。一澤くんは大声で何かを必死に説明していて、宮内くんの
おそらく宮内くんを引っ張って土手に戻ろうとしているのに、その体勢が作れない。あれじゃ二人とも
あたしは気づいたら
「菜子? 何してんのっ?」
郁が
「助けるんだよ! 水泳部だもん。救助の仕方習ったでしょ?」
「げ? あたしも? あたしもここから飛び降りんの?」
ビビった郁の声に下品にも舌打ちが
土手から泳いでたんじゃ間に合わないでしょ。でもそうだ。郁は競泳の専門。高飛び込みでこの程度の高さは慣れているあたしとは
「郁、土手に回ってて!」
「菜……菜子っ!!」
その声を聞きながらあたしは欄干からスカートを押さえて、溺れている二人のすぐ近くに飛び降りた。早くしないと二人とも死んじゃうよ。
ばっしゃん! とすごい水音がしたことで、一澤くんはあたしのほうを向いた。
宮内くんはパニックしながら失神しているような、器用な状態にあるみたい。白目を
「仙条、お前、どっから」
「あたしは水泳部で高飛び込みが専門。二人なら助けられる。土手まで引っ張って行こう」
「お、おう。だけどこいつ、手ぇ
ここはほとんど流れのないいわゆる
「そのまま足だけで泳げる? 宮内くんはあたしが引っ張って泳ぐから」
宮内くんは救助者に
浅いところまで来たら、迎えにきてくれた池田くんと山辺くんと、あたしと一澤くんで、宮内くんを
「え? これ、拓斗、息してる?」
え……息していないの?
心臓マッサージってどうやってやるんだっけ? えーと、何分に何回かで規則的に心臓を手で
「人工呼吸したほうがよくね? えー、どうやるのが正しいんだ?」
それならわかる。正しい方法を知っているのは水泳部のあたしと郁くらいかもしれない。
迷っている
あたしは宮内くんのそばに
あたしは数メートル
目の前に信じられない光景が飛び込んできた。
あたしが作ったそのままの姿勢で、宮内くんに一澤くんが人工呼吸をしていた。
「ひっ……」
あたしが思わずもらした悲鳴のような声に、うっすらと宮内くんが目を開き……次の
「げうぉうぇっ! なんでお前なんだよ!」
何度も手で
「……拓斗気がついてただろ。なんか口元がニヤけてると思った。お前それは犯罪だぞ!」
「今気がついたんだよ! そしたらお前の顔が目の前にあってびっくり……」
「
「噓じゃねえよ」
「『なんでお前なんだよ!』ってその言葉の意味はなんだよ? 誰だと思ったんだよ。え! え! え! 念のためもっとやっとくか人工呼吸」
「いや、もう息してるしね? 落ち着こうよ稜くん」
一澤くんがすごい形相で宮内くんに
「なんだよもうー。拓斗元気じゃんか! 俺らびしょびしょなんだぞ。あー気持ちわりぃ」
「お前らは下半身だけだろっ? 俺らなんか全身……」
一澤くんのその言葉で、なぜか全員が
「えっ?」
注目される意味がわからない。そこで男子たちの後ろから郁の布をさくような金切り声がした。
「みんなこっちをむきな、さーいっ!! 菜子。シャツが
「ぎゃあああーっ!!」
あたしは自分で自分を抱きしめた。男子たちの後方から郁が
川からの風は、春でも
夢中だったさっきまでと、宮内くんが無事だとわかった今では、もう世界がまるで逆転していて、あたしは
一澤くんが、逃げ回る男子ひとりひとりの後頭部をごいんごいんとひっぱたいたり、
通報からどのくらいがたったのか、土手には
どうやらこの土手に見たことのないボートが置いてあることに気がついた高校二年のガキ男子四人は、なんの気まぐれか、それで向こう岸に
「稜があっち側にボートで渡るって案に興奮して鼻血出すから仕方なくさあ」
噓かホントか宮内くんが
まともなボートかどうかもわからないのに、バカすぎる判断だ。四人は乗れないだろうと先行したのが一澤くんと宮内くんだ。そしてボートは
「ボートから落ちたのが君と君で、溺れたのが君のほう。助けたのがあなただね?」
救急の担当の人が、一澤くん、宮内くん、あたしを指さす。
「そうです」
「水に全身入らなかった君たち二人はいいとして、じゃあ三人病院へ行くよ」
「えっ? なんでですか?」
一澤くんが
「一応だよ。そういう決まりだ。別に警察に来なさいと言ってるわけじゃない」
「もうぜんぜん平気っすよー」
「君なんかパニックして周りの子に心臓マヒを起こしていると思われたんだろう?」
「うげぇー。そういうんじゃないのに」
「パニックしたのはほんとだろ。すげえ力で
不服を申し立てる二人をしり目に、あたしは完全に
うちの学校の子だって橋の上にたくさんいたのに、なんて恥ずかしいことをしちゃったんだろう。今思えば、あたしがいなくても別に問題なく助かったはずだ。
無罪
郁も今日は早く帰らなくちゃ、ごめんね、と
救急の人に一澤くんと宮内くんが後に続き、あたしはさらにその後からのろのろとついて行った。この二人だってあたしのことを、内心なんてやつだと思っているに
夢中だったとはいえ大勢の前で人工呼吸だなんて、あんなことにならずにすんで、本当によかった。
そう思う反面、自分の親友に人工呼吸をしようとしたあたしを、すごい力で引き戻したあの時の一澤くん。
その手の
あたしとの差がいつの間にか開いてしまったことに気がついてくれたのか、前を行く二人が歩調を
「菜子ちゃん、どうした? 気分悪い?」
「そうじゃないけど、なんか恥ずかしくて……」
「えー、俺はめっちゃ
「そ、そうなんだけど。女子としてどうなのって。みんな来てくれたし、あたしがいなくても充分助かってたよ」
「関係ないよ。俺のために菜子ちゃんがそこまでしてくれたのはほんと嬉しいし」
「それは宮内くんに特別感謝っていうか。ちらっと頭に
「え? なにが?」
「一澤くんに聞いたんだけど、一年前の宮内くんの交通事故、
「そうだっけ? そうだった気もする」
「ゴールデンウイークの初日でしょ? それ、たぶんうちの猫なんだ」
「え?」
「キャラメルっていうんだけど、キャラメル、男の子だから遠くまで行くことあるんだよね。駅を
「えっ。マジで?」
「うん。
「それってすごい
「でも宮内くん、
あたしは深く
いやいやーと頭に手をやって嬉しそうにする宮内くんの数メートル先で、一澤くんが足を止め、完全にこっちを向いているのが視界に入った。
◇
とりあえず救急車で三人、近くの病院に連れて行かれたものの、
空いているシャワー室を使わせてもらい病衣を貸してもらい、
夏の気配をはらんだ夕方の風が、洗い立ての短い
「菜子ちゃんの髪の毛、夕方になるとさらにきらきらだね」
「色が
宮内くんは制服が乾くまでの間、あれこれ話しかけてくれた。
それに反して一澤くんは、終始不機嫌で口数も少なかった。ずっと何かを考えているような
大勢でいる時は
間違いでも女子を平手打ちしたなんて忘れたい黒歴史に決まっているのに、その相手と同じクラスになってしまった。
あの時ブスだと言ったんだから、もともと好きなタイプからはかけ
せめて普通のクラスメイトになれればと思っていた。なれていると喜んでもいたのに。
「菜子ちゃん、水泳の高飛び込みってすごいよね? あれって全国からあの部活のために、うちの高校に入る生徒までいるっていうじゃん?」
「うん、だから万年補欠──」
「お前さあ」
不機嫌な一澤くんの声が割って入る。
「……え?」
身がすくむ思いがした。
「あ、仙条のほうじゃなくて」
「なんだよ? 俺?」
「なんかものすげえ
「だって仙条二人いるし、俺あっちの仙条に振られたんだよ? 思い出したくねえじゃん。性格だってぜんぜん違うからちょうどいいの。ヤじゃないよね? ねー? 菜子ちゃん?」
「う、うん」
もちろんそんなことはぜんぜんイヤじゃないけど、あの水辺の事故から場の空気がどよどよしている。一澤くんは、あたしと自分の親友が仲良くするのにさえ
あたしは自然と、一澤くん宮内くんから一歩ひいた後ろのほうを歩くようになっていた。
「拓斗お前、恩を売る作戦に出る気じゃねえんだろうな?」
「そんな
二人で話していたのにいきなり後ろを向いて、あたしに話題を振ってくる宮内くん。
「え、そりゃもちろん。キャラメルの命の恩人なわけだし──」
そこでまだ何か言おうとしている宮内くんの後頭部に、いきなり一澤くんが、ごん! と音がするほどのパンチをくらわせた。
「
「別にー。猫、かわいいじゃん」
「仙条の家には、お前を振った仙条亜子のほうもいるんだぞ? それでも行くのかよ」
「あー、俺ってすんだことは気にしないタイプなんだよねー」
口を
意識のほとんどが、一澤くんに嫌われているという
駅についたところで、あたしは二人に手を振った。
「あの、あたし、徒歩通学なんだ。家、ここの先なの。二人ともまた学校でね」
「送るよ、菜子ちゃん」
宮内くんがすかさずそう申し出てくれる。宮内くんは
「ありがと、あの、でもまだそう真っ暗じゃないから大丈──」
「俺も行く」
一澤くんまでそう言ってくれる。
どうしよう。本当に宮内くんはもう亜子のことを気にしていないように見える。だから
でも一澤くんは、あたしにいい感情を持っていない。
もしかして、まさかと思うけど、あたしが宮内くんのことを
あたしが好きなのは、やっぱり自分の中でどうごまかしても……。
だめだ。
好きな人に嫌われるのは哀しすぎる。
「もう稜は俺のことが好きすぎるからなー」
のんきな声で宮内くんがそう言った。
やっぱりそうなのか! あたしという
「バカかよっ」
照れ
「ほんとにあたし、
気持ちが
「稜、俺が送って行くからお前は帰れよ! 俺は自分が助けた
あたしの気持ちを察したかのように、宮内くんがちょっと強く言い放った。
うつむくあたしに、痛いほど一澤くんの視線が注がれていた。
「あの、ここなの」
駅を
「うわ! でけえ家。社長
宮内くんがあたしの家を見上げた。
「キャラメル連れて来る? キャラメルが生きてるのは宮内くんのおかげだから」
「うおっ。それは
「ちょっと待ってて」
あたしは青銅の
あたしはママにただいまと声をかけ、わけを話してキャラメルを
ママには一澤くんに事の
その子が来ていることを説明したら、ママは一言だけでもお礼がしたいと言い出した。ママにとってもキャラメルは大事な家族だ。そう考えるのは当然だ。
「菜子上がってもらったら? せめてごはんでも食べていってもらおうよ」
ああ……。一澤くんがいなかったらそうしたかもしれないけど、あたしは今この空気が、一澤くんがまるであたしを見張るようなこの空気が痛くてたまらない。
「ごめんママ。
あたしの
そうしてママも
あたしや亜子、子供のことになるとママはおどろくほどの
あたしの抱くキャラメルの頭を慣れた手つきで宮内くんがなでている間も、あたしはその後ろに、一言もしゃべらず立っている一澤くんが気になって仕方がない。
「かわいいなー。こいつオスなんだろ? うちのシロと見合いさせっか」
「いや、それは……」
少しは一澤くんも関心を示してくれればまだ
「帰るぞ、拓斗」
五分くらいして、大量に
そこには、なんと表現していいのかわからないような表情の一澤くんがいた。
怒っているような。いらだっているような。……悲しんでいるような……。
「先に帰っていいよー。稜」
なんてことを! もう固く目をつぶりたくなった。
「えーと、宮内くん、今日はもう
「お? また遊びに来ていいの?」
うっ! 自分の首を
「勝手にしろよっ!」
地面を蹴るようにしてきびすを返す一澤くん。キャラメルをなでながら、宮内くんが、ふんっと鼻を鳴らすような音が聞こえた。
あたしはキャラメルを抱いたまま、一澤くんの遠ざかる制服の背中をただ見送っていた。なぜかその背中がぼやけてゆらゆらしている。どうしてだろう。
「あーあー」
「そんな泣いたらキャラメルにしずくが落ちて
泣く? びっくりして宮内くんの顔を思わず
「気づいてねえのかよ? ほんと姉妹で性格
「え? それ──」
どういう意味なのか聞こうとした
「拓斗!」
「なーんだよっ」
また宮内くんは振り返らず答える。まるでケンカを売っているようだ。
「俺は親友だから引くとかそういう考えの持ち主じゃねえからな! それくらいで
すごい
「へーえ! 望むところだっての!」
そこでやっと宮内くんは、一澤くんのほうに向きなおった。
一度かなりの
「もう遅くて
「おおおおっとっとー」
ふざけるように一澤くんに襟を引かれ、後ろ向きにとっとっと、と下がる宮内くん。
「じゃあな! 仙条」
「……うん」
まるで連行されるようにくっついていた二人も、足どりが安定すると自然に
「キャラメルー」
キャラメルを思いっきり
<続きは本編でぜひお楽しみください。>
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