2.幽霊に決まった!②

 今日は水泳部がなかった。放課後、どんより気分で郁と真美とろうを歩く。

「なにが文化部は除外、よ。真美の手芸部だってこんなにヒマそうじゃーん!」

 真美の手芸部は活動日は週に一回。あとは好きな時に家庭科室に集まるやる気のない集団だ。

「よしよし」

 郁があたしの頭をなでてくれた。

 もう考えるのはやめよう。ひっぱたかれた男子をいつまでもひきずるなんて、あたしという子がこんなにもエム属性だとは知らなかった。

「今日、デートなんだー」

 郁がうきうきしている。郁の彼氏は他校の同級生。

「幽霊役はリアじゆうから選ぶシステムを採用しないと、世の中不公平になる」

「世の中そんなもんさ。ちょっと行ってくるね」

「あー、はいはい」

 スクールバッグをあたしに預けると、郁はサブバッグだけを持って校門とはちがう方向に歩き出す。あの中にメイクポーチが入っているってわけね。

 郁は校門から一番近い、体育館についているトイレに向かった。

 自由とはいえうちの高校も一応私立だ。て前はメイクもかみのカラーやパーマも禁止。体育館の女子トイレは、外部に彼氏がいる子たちのための、パウダールームと化している。

「あたしも彼氏ほしいなあ、菜子」

「高校生の男子なんてばんなだけだって、真美」

「つき合ったこともないのに菜子にどうしてわかるのよ」

「わかるよ。男子なんて乱暴。短気、たんさいぼう! 女の子同士のほうがよっぽど気楽じゃない」

「えっ。菜子ってそっち系?」

 真美がふざけておびえた表情を作り、自分の身体からだを抱きしめてあたしからきよを取る。

「やだ、そういうわけじゃ──」

「菜子っ」

「およ?」

 トイレに行ったはずの郁がつちけむりをあげそうな勢いで走って戻ってくる。

「びっくりなもんがー!!」

「どうしたのよ、郁、ずいぶん早かったね」

 あたしたちの前で急停止した郁は、前のめりで両手をりようひざについて呼吸を整えている。

 膝についたその手には、なぜか行きには持っていなかったレジぶくろのようなものがかぶせられている。その手で何か棒状のものをにぎっている。

「どうしたの? 何やってんのよ?」

「見てこれ」

 郁は身体を起こし、手にはめている小さいレジ袋をひらいて見せた。

 察するに郁はまずレジ袋の中に手を入れ、それを手袋のようにして何かをつかんだらしい。主にれたくないゴミを摑む時に使う方法だ。

「え? 意味わかんない……けど、これって……」

 あたしより先にその物体に反応したのは真美のほうだった。真美よりいくぶんおくれて、郁が持っているものの意味をさとり、あたしも息をんだ。

 それはみくじ棒だった。七本あり、七本ともに先に赤いマジックが塗ってある。頭の中が急速に冷えていく。

「……えー……」

 短いおどろきの言葉のあとこおりついてしまったあたしにわり、真美が郁から話を聞いてくれている。彼女もどういうことなのかわかったんだろう。

「どこにあったの? これ」

「体育館のトイレのゴミ箱だよ。こうばいでパン買った時のレジ袋があってよかったよ」

 郁、あたしのためにゴミ箱に手をっ込んでくれたんだ。

「ゴミ箱? レジ袋あってもすごいよ。郁」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ、真美」

「ほんとだね」

 おとなしい真美もさすがに険しい表情になり、けんにしわを寄せている。

「ふだんゴミ箱なんてのぞかないのになんか目についた。悪いことってできないよね」

「これどう考えても、今日うちのクラスでくじ引きに使ったあの棒だよね? クジを用意したのって藪野さんたちなんでしょ? つまり、あらかじめ最初にひいた二人が絶対に幽霊役になるようにしてあったんだよね。だってどれ引いても先は赤だもん」

「だよね。あの派手なグループなら、学校帰りにメイクするのに体育館トイレ使うでしょ? さすがに二年の入ってる本校舎に捨てる気にはならなかったんだね」

「ここまでやっといてばかだよね。持って帰って捨てればかんぺきなのに」

 そこでやっとあたしはかすみのかかったままの脳を無理やり動かし、言葉を発した。

「な……なんのためにこんなことを」

「あんたをおとしいれるためでしょ、菜子。いつしゆんでこう、死ぬ直前のそうとうみたいにいろんな場面が思いかんでつながったよ。死ぬ直前体験をこんなとこでするとはね」

「……意味が……なんであたしが? 接点なんてないでしょ。藪野さんたちと」

「一澤くんと宮内くんでしょ」

 ちょっと考えるようなこわで真美が答えた。

「え?」

「だよね。真美だってわかってるじゃん。まかしといて。藪野さんたちの思ってるとおりになんてさせないから。菜子、あたしがついてるからだいじようだよ!」

「は? はぁ……」



 郁が言うには、じよじよに固まりつつあるこのクラスのイケてる男子勢力図、その中心にいるのは一澤くんと宮内くんなんだそうだ。

 サッカー部のやまくんとかいけくんもよくいつしよにいるし、女子に人気らしい。男子は部活仲間と一番つながりが強いから、あくまでクラスの中だけでの話だけど。それにしてもあの四人はかなり仲がいい。気が合うんだろう。

 その中の宮内くんがあたしによく話しかけてくる。ちょっかいもだしてくる。

 あたしにしてみればそれは彼の単なる罪悪感からくる行動だろうな、と思っていた。

 あたしは、宮内くんが以前好きだった亜子のようなきれい系統の女子じゃないから、きんちようもしない。単純に話しやすい女友だちなのだ。

 宮内くんはあたしと本や好きなアーティストのしゆが似ていて、情報こうかんやその話をするのがじゆんすいに楽しい。おそらく今は彼もそう感じてくれているんだろう。

 宮内くんとあたしが一緒にいることがたまーにあるから、そこに乗じて彼の友だちの山辺くんや池田くんも加わる。

 あたしにとっては、実はかなり複雑だけれど、一澤くんも、加わる。複雑な気持ちにまさって一澤くんに無視されているわけじゃない、ひとりのクラスメイトとしてつうにつき合えるんだ、と思えたことが本当にうれしかった。

 一澤くんのあたしに対する態度はかたいけど、つとめて普通に接しようとしてくれているように感じる。

 放課後、あたしがあのメンバーに囲まれて話していると、郁と真美がきて、大勢で盛り上がることもたまーにある。全然ひんぱんじゃない。

 一澤くんたち四人は全員部活をやっているから、あのメンバーを起点にイケてる女子と仲良くしようという意識はきっときよくたんうすい。女子をイケてるかイケてないかの判断基準で見てもいないような気もする。

 宮内くん一澤くんグループとはわずかな交流だ。でも藪野さんたちからするとあきらかに自分たちより格下の女子が、クラスで一番イケてる男子グループと仲がいいように見えることがおもしろくないのかもしれない。

「ほんとにそれだけの理由であたしをゆうれい役にしたなら、それはバカすぎるよね」

「おこうには見えないでしょ。あのグループは」

 複雑だな。郁は気づかないで言っているんだろうけど、藪野さんたちがクラスのへだたりをとりはらってつき合っているのはあたしのふたの姉だ。

「だよね」

 おとなしい真美まで同意する。

 性格が派手じゃないから、ああいうグループには近づかない真美だけど、せいなおじようさまぜんとした彼女は、ひそかにクラス男子の中で一番人気らしい。真美もやっかまれて、自分が裏で意地悪いことを言われていることくらいは知っている。

 ただ残念なことに真美は文化部で、幽霊役決めのくじ引きには参加しなかった。

 関係ないのにあおりをくって、幽霊をやらなくちゃならない松本さんが一番かわいそうだ。

「さすがにこれはないよね? 明日あした教室に持って行ってクジが公正じゃなかったこと言ってやろう。もう一度、ちゃんと幽霊役を決める!」

 あたしは正論を口にしながら、あーあ、これでまた藪野さんたちとのみぞが深まりそう、めんどうくさいな、と考えていた。

「いいよ、菜子、幽霊やりなよ」

 郁がうでみをしながら、なぜか自信ありげにあごをもちあげた。

「えー? やだよ。なんでこんなインチキで決まった幽霊役をやらなくちゃなんないの? それは松本さんだって同じだと思うよ?」

「絶対藪野さんのことぎゃふんと言わせてやるから!」

「は?」

「菜子に幽霊役を押しつけたこと、こうかいさせてやる。まかせて菜子! あたしを信じて」

「ええっ?」

「絶対大丈夫だってば。考えがあるの!」

「……郁、あたし、変なメイクとか、おどろおどろしいメイクとか、ずかしいんだよ。これでも一応、女子──」

 思い出したくもない顔がのうに浮かぶ。ただでさえブスだと思われているんだから、向こうにとっては関心なんかないことだろうに、とかなしくなってくる。

 そもそも同じクラスになんかならなければ、こんな気持ちにいつもなやまされなくてもすんだはずだ。

「あたしにまかせとけば大丈夫だって、菜子!」

「……」

「そんなに気になるんなら当日きれいな幽霊になれるように、ダイエットでもしてれば? 菜子はきやしやなほうだから、ほんとはそんな必要はないけど気休めにでもさ」

「……うん」

「やばい。あたし待ち合わせだった。そんじゃね、菜子、真美」

 そこでばたばたと短いスカートをひるがえし、手に持ったままにしていたインチキクジをレジぶくろごとあたしに押しつけ、郁は校門を出て行った。

 先が全部赤にられたクジを見下ろし、ぼんやりと考える。

 もしかしたら、郁はあたしの気持ちに気づいているのかもしれない。

「悪いことしたかなあ。けっきょく郁、メイクしてる時間、なかったよ」

「なんか郁、作戦があるっぽいよね、菜子。大丈夫だよ」

 郁の背中を見送るあたしの立ち姿が、心細げに映ったのか、真美がそっとささやいた。

「うん、そうだね」

 真美に笑いかけると、あたしたちも駅に向かって歩き出した。あたしの家はこの高校から近く、徒歩だと二十分くらい。おくれそうな時は自転車を使うけど、駅までは真美や部の友だちと帰ることが多いから、基本、歩きできている。


◇◇◇◇◇


 放課後の文化祭の準備が始まった。絵筆を持つあたしの手はふるえ、それがいい感じに風にれるやなぎのねじれたような細い葉におもむきあたえている。

 どうして震えているかって、なぜかとなりで一澤くんが作業をしているからだ。

「仙条」

「はは、はい!」

 今日に限って教室にいる人は少なく、郁も真美も帰ってしまった。

 宮内くんはテニス部に出ているのに、どうして一澤くんがここにいるんだろう。

「ほんとに悪かったよ。あの時さ」

 一澤くんは床に置いた模造紙を見つめ、絵の具のついた手で鼻先をいているみたいだから、そこに絵の具がついてしまったんじゃないかと思う。だけどそっちが向けない。

「はい」

「俺、女子のこととかすっごいうといから〝仙条〟が二人いるとかさすがに思わなくて……。つかそのはい、って敬語、やめてくんない?」

「は、うん。できればもう忘れてほしい。一澤くん、ちゃんと謝ってくれたじゃない」

「うん。だけどさ、仙条、拓斗には構えないで話すのに、俺と話す時にはガチガチに固まってるじゃん? ほんとにどう謝っていいのかわかんねーっつーか」

「そ、そうか。時間がたてばだいじようだよ。まさか同じクラスになるとか思ってなかったし」

 下ばかり向いているのは不自然だと、あたしは勇気を出して隣に視線を移す。

 そこには絵筆を持って模造紙を見ている、鼻の頭に少しだけ緑色の絵の具をつけた一澤くんの横顔があった。すごく落ち込んでいるように感じてこっちまで胸が痛くなる。

「弁解していい?」

「え?」

 一澤くんの絵筆を動かす手が完全に止まっている。

「いや、弁解して許されることじゃないけど……弁解とかすげえ男らしくないけど、俺、いつも弁解ばっかしてるわけじゃなくてそう思われんのは心外だけど、あ……これがすでに弁解か。でも!」

 いつになくよくしゃべり、ばやに落とされる一澤くんの言葉に笑いがこみあげる。ちょっとはゆうが出てきてくれたのかもしれない。

 あたしは、一澤くんが半径一メートル以内に入ってくると、緊張しまくって変なあせは出てくるし、みんなで話していてもみまくりだ。あたしの態度がいちじるしくかたいことに気がついているんだろう。どっちかっていうとその硬さは、一澤くんが考えているのとは逆方向の、おこがましくも、……こ、好意ってものからくるんだけどな。

「一澤くん、あたしもう気にしてないから」

「拓斗とは中学もいつしよでさ。中学も同じテニス部で、ダブルスも組んでた」

「そうなんだ」

 大事な親友なんだな。

「テニス以外でもすっげえ気が合うんだよ。ほんと根がまっすぐでいいやつでさ」

「うん、それはわかるよ」

 あたしがそう返したら、ちらりとこっちを見たその視線になぜかうらみがましさみたいなものが混じっていたような気がした。

「学力も近かったし、高校入ったら大学受験のこと考えずに好きなことやりてえって考え方も似てて、二人してがんばった。それでこの付属高校に二人で受かった」

「うん」

「テニス部も学校生活も楽しかった。でも、たしかゴールデンウイークの初日だったな」

「え?」

「あいつ部活で学校に来るちゆう、交通事故にあってさ。小指の先に大けがしたんだ」

「うん……」

 その指を亜子にひどい言いようでじよくされた。つらい体験だっただろうに。

ねこがひかれそうだったんだって。助けようと飛び出して自分がひかれたっていうね」

「……え。猫? その猫は助かったの?」

「ああ。首輪してたっていうからこのへんの飼い猫じゃない? あいつにきかかえられて押しつぶされたのか、去っていく時足引きずってたみたいだけど大丈夫だったって」

「なんの種類……、ってわかんないか。何色の猫だかわかる?」

 猫にこだわるあたしに、一澤くんはかすかにしんそうな顔をした。そうだよね。一澤くんは猫の話をしたいわけじゃない。

「いや、知らないけど」

「だよね。でもせつしよくしたってことだよね? 助かってほんとによかった」

「うん。だけどそのあとが大変だった。テニスは力を入れてグリップをにぎる競技じゃん。けがした左手はあいつのき手だった。あいつスポーツだけ左が主流なんだ」

「そうだったんだ……」

 返事をしながらもどんどん思考が一澤くんが話してくれている内容からはなれていき、心臓がバクバクと鳴った。だめだ。今は彼の親友の大切な話だ。

「指先のは長い時間をかけていずれ治る。でも今はグリップを握るのに不利なんだ。インパクト時のしようげきは相当なもんだから、あいつは感覚をつかめなくてめっちゃ苦しんだ。一時は利きうでえたほうがいいのかまで悩んで、でもようやく結果につながり始めた直後の告白だったわけよ。で、返事があの気持ち悪い発言。あいつの辛さを目の前で見てた俺は頭に血がのぼったっつーか」

「そうか、そうだよね」

 宮内くんの事情もあたしには相当にショックで、離れかけていた思考が一気にもどる。

 小指の先だけの麻痺でいずれ治るからって、日常に差しさわりがないわけじゃなかったんだ。テニスは宮内くんにとって大きな部分をしめるものにちがいない。

「よく確かめもせず、名前だけでかんちがいしてひっぱたいてごめんな。同じクラスになって……話すようになって知ったけど、性格ぜんぜん違うよな? あっちの仙条と」

 あっちの仙条と言った時、そこだけ声のトーンににくにくな強い調子が込められた。

「あのさ!」

 反射的にするどい声が出てしまった。

「え?」

「亜子がしたことは最低だよ。それはどんな言い訳も通じない。でも亜子も傷ついたの」

「は?」

「最近はうち、ちょっと家庭内でごちゃごちゃしてて、あたしと亜子は以前ほど仲がよくない。だけどどうして亜子が宮内くんにあんなひどいこと言ったのかは想像がつく」

「は?」

 低い。一澤くんの声があつ的に低くなっている。言うべきことじゃないとくつではわかっている。

「絶対に亜子の本心なんかじゃないの。弁解だよね。でも聞いてくれるとうれしい」

「…………」

 負のオーラが隣からにじみ出てくるのがわかる。でももう止まらなかった。

「亜子にもすごく苦手なことがある。言われると冷静な判断ができなくなるほどカーッと熱くなっちゃうの。告白した時、宮内くんはそれを亜子に言っちゃったはずなんだよね」

「は?」

 そこであたしはまどった。亜子の内面の事情なのに、かばうためとはいえ話してもいいものかどうか。いや、ダメでしょ。

くわしいことはプライバシーにかかわることであたしには言えない。でも宮内くんが亜子に言ったことが、あの子にはトラウマ級で……」

 思いつく言葉を一気に言い放った。隣から流れてくる負のオーラはうすくなるどころか、どんどんそのさを増していく。あたりまえだ。こんなわけのわからない理屈ってない。

「全く意味がわかんねえ。だって告白だぞ? 好きだつき合ってくれ、ってそれだけのシンプルな話だろ? なんで拓斗が仙条亜子のいやがることを言うんだよ。告白されることにきよう観念でもあるわけ?」

「そ、そういうわけじゃ……。告白自体に恐怖観念はたぶんない」

「意味わかんねえ。拓斗があんなひどいこと言われる、いったいどんな非があるんだよ」

「非はない。非はないよ。でも亜子には告白時の禁句があるの。トラウマなんだよ」

「……だからあいつ、仙条亜子は悪くないっていうのか?」

「違うよ! そんなこと言ってない。どんな弁解をしようが亜子の言動は最低だよ。だけど、あの子はあの子なりに傷ついてるはず──」

 だめだ。ほんとにだめ。

 一澤くんは宮内くんを、あたしは亜子を、庇えば庇うほどこの理屈は平行線のきよを増していくだけ。まるで終わりのない線路だ。あたしがひくにひけなくなっているように、たぶん一澤くんもひけなくなっている。あたしがかくしん部分を話さないせいでさらにあくじゆんかん

 にらみ合うように並んだあたしたちの内側のりようかたに、とつぜんばんっと大きなてのひらがおかれ、間に人のかげが入り込んできた。

「おーら! お前ら手より口のほうがぺらっぺら、ぺらっぺら動いてんぞ!」

 模造紙を前にしゃがむあたしと一澤くんの間に入ってきたのは、宮内くんだった。

 助かった。気まずいムードが反転した後、一澤くんが小さくごめんとつぶやいた。

「あたしこそごめん。ムキになりすぎた」

 あたしは一澤くんのほうを向き頭をさげた。彼は目を丸くする。

 宮内くんが、なにか言おうとちゆうはんに口を開きかけた一澤くんのせんを制す。

「ケンカするほど仲が悪いってことわざがあるだろ? お前らほんと仲がわりぃな。稜はあっちで城のいしがきのほうやれよ。俺はここで菜子ちゃんとやなぎるから」

「は? つーかお前、部活は?」

「なんでお前がサボってんのに俺だけ出なくちゃなんないわけよ。文化祭前だし、高校総体の団体戦まさかの予選落ちだし? 部がダレててもんのタカさんが早く切り上げたの」

「お前は個人で高校総体、出るだろ」

「それはお前もだろ。ダブルスなんだからよ。お前が今日は用事があるとか言うから俺はひとりで部活出たのに! お前の用事ってクラスのゆうれいしき作りなわけ?」

「……そうだよ。俺は絵を見込まれて美術部のやつらにたのまれててさあ」

「だよなだよな。だから向こうで石垣塗れよ、つか石垣の下書きってお前の担当だろ? なんでここで柳なんかやってんだよ。お前、図書室で城の本……うぐぅ」

 そこで一澤くんの手が宮内くんの側頭部にびてきて、ぐぐぐーっと横に押した。

「すごいね。一澤くん、絵もけるんだ?」

 あたしはさっきまでの悪いふんを取りはらおうとわざとはしゃいだ。

「んー。まあね。ガキのころから何度か賞とって──」

「一澤くーん! もういーい? 話終わったぁ?」

 幽霊屋敷のそうかんとく、美術部のすぎやまさんが、立ち上がってこっちに手をっている。

 正確には一澤くんに手を振っている。美術部からアテにされるほど一澤くんが絵を描くのがうまかったなんておどろきだ。

「ほら行けよ、稜っ」

 体勢を立て直した宮内くんが一澤くんを追い立てる。

「このやろうっ。あんま……わかってんだろうなっ」

 立ち上がった一澤くんは、足のこうで宮内くんのわきばらをけっ飛ばして杉山さんのほうに身をひるがえした。

だいじよう、わかってるって。柳は風にれるなよやかーなぜいを大事に、だろ?」

 え? そうだったの? 一澤くんがそんなに絵を描くことにこだわりのある人だとは知らなかった。

「そうじゃねえよ! だから──」

「一澤くーん。こっちの仕事が終わんないよー」

 杉山さんが飛びねるようにして、一澤くんに合図を送っている。

「幹か。まかしとけよ。俺と菜子ちゃんでここは共同作業でうまーく仕上げるから」

「おーまーえー! そういう話じゃねえだろ、だから……」

「一澤くんってばー」

 杉山さんのたび重なるさいそくに柳の木の美術指導もここまでだと判断したのか、一澤くんはいつしゆんくちびるをきゅっと結んだ。次のしゆんかん、しゃがんでいる宮内くんの背中のド真ん中をうわきで思いっきりどついた。

「うおーっ」

 当然、不安定な姿勢だった宮内くんは、模造紙の上にごうかいほうり出されることになった。

「えっ」

 あたしの視界のまん前を、宮内くんがみごとにスライディングしていく。

 模造紙には、まだ絵の具のかわききっていない柳の葉が、風にひらひらとそよいでいた。

 緑の絵の具だらけになりながら宮内くんは身を起こし、あたしを振り向いた。

「よっぽど気にいらなかったみたいだね、この柳。最初っから二人でやろうか? 夜なべかも。二人でまりかもー」

 足早に杉山さんのところに向かっていた一澤くんの上履きがいつしゆん止まり、こっちを向く。

「俺が全部やるからいい! 拓斗はもう帰れよ。今日はお前の大っ好きな、ご当地ゆるキャラ選手権があるだろ!!」

「録画してるし」

 絵にうるさい一澤くんと、ご当地ゆるキャラが好きな宮内くん。知らなかった二人の意外な一面をかいた、放課後の幽霊屋敷作りだった。

 その日は放課後、だいぶおそくまでがんばり、幽霊屋敷のだいたいの形ができた。



「ただいまあー」

 げんかんに入って中からかぎを閉める。

「おかえりー菜子」

 リビングからママの声がした。

 少し開いているリビングのドアから、めずらしく茶トラのねこがおでむかえにここまで出て来てくれた。あたしを見上げて真ん丸の目をしてなー、と鳴く。なんてかわいい!

「キャラメルー」

 あたしはキャラメルをき上げた。

 一年前、中学の同窓会の日だったから、ちがいなくゴールデンウイークの初日だったことを覚えている。病院でひびが入っているとしんだんされたキャラメルの後ろあしをゆっくりさする。もう今ではまったくなんでもない。こうしようも残っていない。

「事故だったんだね。おそろしい」

 あたしはいやがるキャラメルの顔に、無理やりほおずりをした。一年前のこととはいえ考えるとこわくてふるえがくる。ママが知ったらぎようてんしてひきつけおこすかも。でも言わないわけにはいかないな。ことによってはばいしよう問題だ。

 宮内くんはキャラメルを助けようと道路に飛び出し、車にひかれたんだ。

「よかったね、キャラメル。やさしい人に守ってもらったんだね」

 あたしが頭をなでだしたら、キャラメルはおとなしく抱かれるままになっていた。

「菜子? 何やってるの?」

「あ、ママ……」

 そこで今あたしがまわして閉めた鍵を外から開ける音がした。

「ただいま」

「亜子」

 亜子だった。亜子は学校を休んでたまに東京の父親に会いに行く。パパはモデルみたいにきれいなむすめまんで、小さいころから亜子を連れまわすのが大好きだ。

 亜子は伸びてきていたかみを流行のかみがたに少しだけカットし、たぶん毛の根元もひかえめなブラウンに染め直している。りよううでにはいくつものブランドのかみぶくろ。東京の高級ブランド店で買ってきたくつやバッグや洋服だ。

 ママがつとめておだやかに話しかける。

「パパは元気だった?」

「まあね。パパは仕事だから夜、外で食事しただけだけど。なんか知らないけど、パパの取引先の人とかもあいさつにきて、究極にめんどくさかった」

「そう……。まあ元気でやってるわけね」

「みたいよ。あ、なんか有名っぽいチーズケーキ買ってきた。はい、ママ」

 そう言って亜子はママにケーキの箱の入った紙袋をわたす。

 パパはどんどんこっちに帰って来る回数が減っている。そうめちゃくちゃに遠いきよでもないのに。

「あと、これ。パパから菜子におみやげ」

 亜子はあたしに小さなげ紙袋を渡した。

 一か月に一度くらいのひんで東京に行く亜子に、ねだられるまま好きなだけ高いものを買いあたえるパパだけど、一応あたしにもおみやげを持たせることを忘れない。

 亜子が買う洋服もバッグも靴もすごく高くて、いつぱんの高校生の持ち物からはかけはなれている。でもまるで芸能人みたいな亜子には、それが彼女をイメージしてデザインされたもののようによく似合う。

「あーつかれたー。あたし、上行って休むね」

「そう。おは入るんでしょ?」

「うん。でもまずたい。起きてから入るよ」

「待ちなさい亜子。昨日、亜子のお休みのことで担任のやまぐち先生とお話ししたのよ。あなた、成績が……、特に数学と現国が危ないらしいわよ? 休みも多いし。二年に上がるのだってぎりぎりだったんだから、今から気を引き締めてやらないと本当に三年に──」

「ママ、あたし今東京から帰ったばっかりで疲れてるんだってば」

「そうね。でも一度ちゃんと話さないと」

「わかったよ。起きてからちゃんと話す」

「約束よ」

 ママは、すでに後ろを向いてしまった亜子の背中に、深いため息をついた。


 亜子が、階段をとんとん上がって行くのを見送ってから、あたしはそっとママのほうを向いた。そうしたらママもこっちを見ていた。

「ママ、亜子、そんなに成績悪いの?」

 進級が危なかったなんて知らなかった。

「そうね。あの子もあれでせんさいだから。いい家庭教師がいないかしら。じゆくより確実よね」

 家庭教師か。進級まで危ないとなると親ならそのくらい考えるだろうな。

「菜子、ケーキは?」

 気分を変えるかのように、ママは亜子の渡してくれたケーキの紙袋を持ち上げた。

「さすがに今日はいいや。明日あしたの朝三人で食べようよ。文化祭まであたしも遅くなるし」

「そっか。亜子はそういうのないのかしら? 亜子のクラスは楽なの?」

「わかんない。でも……」

 藪野さんたちとメイドきつをやるんじゃないのかな。その準備はいいのかな。

「でも、なに? 亜子もなんかやるの? ママも行ってもいいよね? 文化祭」

 ほとんど自分の学校生活のことを話さなくなってしまった亜子のかわりに、ママはあたしから亜子の情報を聞こうとする。でもママに話してあげられるほど、あたしも今は亜子と仲がよくない。別に悪いわけじゃないけど、よくはない。ケンカをしているんなら仲直りをすればいい。でも案外こういうのが、一番もとにもどりにくい関係なんだと思う。

「もちろんくればいいよ、ママも。あー……」

 嫌なこと思い出した。あたし、ゆうれい役をやるんじゃない。ママに話したら押しつけられたんじゃないかって心配するかな。いや、実際押しつけられたのか。

「あー、って何? 菜子もなんかあるの?」

「ママ来てもな。どうなんだろ。幽霊しきなんだよね。うちのクラス」

「郁ちゃんのママといつしよに行こうと思ってるんだけど」

「そっか。うん。いいんじゃない?」

 郁のママとうちのママは水泳部の保護者説明会で会って、その後、たまに保護者同士で食事会をしている。

「ママ、あたしもお風呂入って寝るわ。ママもう入った?」

「まだよ」

「じゃ、すぐ入っちゃうね」

 亜子もあたしも、友だちと遊び歩いていて遅くなることがけっこうある。でもママはいつもお風呂に最後に入る。あまりに娘たちがおそくなる時は、駅までむかえに来るからだ。いつも待機しているというわけだ。


 部屋に入り、ベッドに寄りかって、パパがおみやげに持たせてくれた紙袋から、箱を取り出して開ける。

「おおっ」

 キャスキッドソンのクラシカルなはながらのおさい、見たことがないからたぶん新作だ。このへんには絶対に売っていない。すごくかわいい。今使っているお財布の角がスレてきたから、非常にありがたい。

 亜子が持っているヴィトンのお財布の値段にはぜんぜん届かないけど、こっちのほうがずっとあたしの好みだ。ブレスやネックレス。キーホルダー。スニーカー。

 不思議なことに、毎回亜子が持って帰って来るパパのおみやげにはハズレがない。

 あたしの好みのものばっかりだ。高くはないけど、ノーブランドでもないところがやっぱりパパのせんたくだ。

「あんまり会わない娘のしゆもなぜかよくご存じでー」

 あたしはいそいそと今のお財布からパパのプレゼントのそれに、お金やカード類を入れえた。

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