2.幽霊に決まった!②
今日は水泳部がなかった。放課後、どんより気分で郁と真美と
「なにが文化部は除外、よ。真美の手芸部だってこんなにヒマそうじゃーん!」
真美の手芸部は活動日は週に一回。あとは好きな時に家庭科室に集まるやる気のない集団だ。
「よしよし」
郁があたしの頭をなでてくれた。
もう考えるのはやめよう。ひっぱたかれた男子をいつまでもひきずるなんて、あたしという子がこんなにも
「今日、デートなんだー」
郁がうきうきしている。郁の彼氏は他校の同級生。
「幽霊役はリア
「世の中そんなもんさ。ちょっと行ってくるね」
「あー、はいはい」
スクールバッグをあたしに預けると、郁はサブバッグだけを持って校門とは
郁は校門から一番近い、体育館についているトイレに向かった。
自由とはいえうちの高校も一応私立だ。
「あたしも彼氏ほしいなあ、菜子」
「高校生の男子なんて
「つき合ったこともないのに菜子にどうしてわかるのよ」
「わかるよ。男子なんて乱暴。短気、
「えっ。菜子ってそっち系?」
真美がふざけておびえた表情を作り、自分の
「やだ、そういうわけじゃ──」
「菜子っ」
「およ?」
トイレに行ったはずの郁が
「びっくりなもんがー!!」
「どうしたのよ、郁、ずいぶん早かったね」
あたしたちの前で急停止した郁は、前のめりで両手を
膝についたその手には、なぜか行きには持っていなかったレジ
「どうしたの? 何やってんのよ?」
「見てこれ」
郁は身体を起こし、手にはめている小さいレジ袋をひらいて見せた。
察するに郁はまずレジ袋の中に手を入れ、それを手袋のようにして何かを
「え? 意味わかんない……けど、これって……」
あたしより先にその物体に反応したのは真美のほうだった。真美よりいくぶん
それはみくじ棒だった。七本あり、七本ともに先に赤いマジックが塗ってある。頭の中が急速に冷えていく。
「……えー……」
短い
「どこにあったの? これ」
「体育館のトイレのゴミ箱だよ。
郁、あたしのためにゴミ箱に手を
「ゴミ箱? レジ袋あってもすごいよ。郁」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ、真美」
「ほんとだね」
おとなしい真美もさすがに険しい表情になり、
「ふだんゴミ箱なんて
「これどう考えても、今日うちのクラスでくじ引きに使ったあの棒だよね? クジを用意したのって藪野さんたちなんでしょ? つまり、あらかじめ最初にひいた二人が絶対に幽霊役になるようにしてあったんだよね。だってどれ引いても先は赤だもん」
「だよね。あの派手なグループなら、学校帰りにメイクするのに体育館トイレ使うでしょ? さすがに二年の入ってる本校舎に捨てる気にはならなかったんだね」
「ここまでやっといてばかだよね。持って帰って捨てれば
そこでやっとあたしは
「な……なんのためにこんなことを」
「あんたを
「……意味が……なんであたしが? 接点なんてないでしょ。藪野さんたちと」
「一澤くんと宮内くんでしょ」
ちょっと考えるような
「え?」
「だよね。真美だってわかってるじゃん。まかしといて。藪野さんたちの思ってるとおりになんてさせないから。菜子、あたしがついてるから
「は? はぁ……」
◇
郁が言うには、
サッカー部の
その中の宮内くんがあたしによく話しかけてくる。ちょっかいもだしてくる。
あたしにしてみればそれは彼の単なる罪悪感からくる行動だろうな、と思っていた。
あたしは、宮内くんが以前好きだった亜子のようなきれい系統の女子じゃないから、
宮内くんはあたしと本や好きなアーティストの
宮内くんとあたしが一緒にいることがたまーにあるから、そこに乗じて彼の友だちの山辺くんや池田くんも加わる。
あたしにとっては、実はかなり複雑だけれど、一澤くんも、加わる。複雑な気持ちに
一澤くんのあたしに対する態度は
放課後、あたしがあのメンバーに囲まれて話していると、郁と真美がきて、大勢で盛り上がることもたまーにある。全然
一澤くんたち四人は全員部活をやっているから、あのメンバーを起点にイケてる女子と仲良くしようという意識はきっと
宮内くん一澤くんグループとはわずかな交流だ。でも藪野さんたちからするとあきらかに自分たちより格下の女子が、クラスで一番イケてる男子グループと仲がいいように見えることが
「ほんとにそれだけの理由であたしを
「お
複雑だな。郁は気づかないで言っているんだろうけど、藪野さんたちがクラスの
「だよね」
おとなしい真美まで同意する。
性格が派手じゃないから、ああいうグループには近づかない真美だけど、
ただ残念なことに真美は文化部で、幽霊役決めのくじ引きには参加しなかった。
関係ないのに
「さすがにこれはないよね?
あたしは正論を口にしながら、あーあ、これでまた藪野さんたちとの
「いいよ、菜子、幽霊やりなよ」
郁が
「えー? やだよ。なんでこんなインチキで決まった幽霊役をやらなくちゃなんないの? それは松本さんだって同じだと思うよ?」
「絶対藪野さんのことぎゃふんと言わせてやるから!」
「は?」
「菜子に幽霊役を押しつけたこと、
「ええっ?」
「絶対大丈夫だってば。考えがあるの!」
「……郁、あたし、変なメイクとか、おどろおどろしいメイクとか、
思い出したくもない顔が
そもそも同じクラスになんかならなければ、こんな気持ちにいつも
「あたしにまかせとけば大丈夫だって、菜子!」
「……」
「そんなに気になるんなら当日きれいな幽霊になれるように、ダイエットでもしてれば? 菜子は
「……うん」
「やばい。あたし待ち合わせだった。そんじゃね、菜子、真美」
そこでばたばたと短いスカートをひるがえし、手に持ったままにしていたインチキクジをレジ
先が全部赤に
もしかしたら、郁はあたしの気持ちに気づいているのかもしれない。
「悪いことしたかなあ。けっきょく郁、メイクしてる時間、なかったよ」
「なんか郁、作戦があるっぽいよね、菜子。大丈夫だよ」
郁の背中を見送るあたしの立ち姿が、心細げに映ったのか、真美がそっとささやいた。
「うん、そうだね」
真美に笑いかけると、あたしたちも駅に向かって歩き出した。あたしの家はこの高校から近く、徒歩だと二十分くらい。
◇◇◇◇◇
放課後の文化祭の準備が始まった。絵筆を持つあたしの手は
どうして震えているかって、なぜか
「仙条」
「はは、はい!」
今日に限って教室にいる人は少なく、郁も真美も帰ってしまった。
宮内くんはテニス部に出ているのに、どうして一澤くんがここにいるんだろう。
「ほんとに悪かったよ。あの時さ」
一澤くんは床に置いた模造紙を見つめ、絵の具のついた手で鼻先を
「はい」
「俺、女子のこととかすっごい
「は、うん。できればもう忘れてほしい。一澤くん、ちゃんと謝ってくれたじゃない」
「うん。だけどさ、仙条、拓斗には構えないで話すのに、俺と話す時にはガチガチに固まってるじゃん? ほんとにどう謝っていいのかわかんねーっつーか」
「そ、そうか。時間がたてば
下ばかり向いているのは不自然だと、あたしは勇気を出して隣に視線を移す。
そこには絵筆を持って模造紙を見ている、鼻の頭に少しだけ緑色の絵の具をつけた一澤くんの横顔があった。すごく落ち込んでいるように感じてこっちまで胸が痛くなる。
「弁解していい?」
「え?」
一澤くんの絵筆を動かす手が完全に止まっている。
「いや、弁解して許されることじゃないけど……弁解とかすげえ男らしくないけど、俺、いつも弁解ばっかしてるわけじゃなくてそう思われんのは心外だけど、あ……これがすでに弁解か。でも!」
いつになくよくしゃべり、
あたしは、一澤くんが半径一メートル以内に入ってくると、緊張しまくって変な
「一澤くん、あたしもう気にしてないから」
「拓斗とは中学も
「そうなんだ」
大事な親友なんだな。
「テニス以外でもすっげえ気が合うんだよ。ほんと根がまっすぐでいいやつでさ」
「うん、それはわかるよ」
あたしがそう返したら、ちらりとこっちを見たその視線になぜか
「学力も近かったし、高校入ったら大学受験のこと考えずに好きなことやりてえって考え方も似てて、二人してがんばった。それでこの付属高校に二人で受かった」
「うん」
「テニス部も学校生活も楽しかった。でも、たしかゴールデンウイークの初日だったな」
「え?」
「あいつ部活で学校に来る
「うん……」
その指を亜子にひどい言いようで
「
「……え。猫? その猫は助かったの?」
「ああ。首輪してたっていうからこのへんの飼い猫じゃない? あいつに
「なんの種類……、ってわかんないか。何色の猫だかわかる?」
猫にこだわるあたしに、一澤くんはかすかに
「いや、知らないけど」
「だよね。でも
「うん。だけどそのあとが大変だった。テニスは力を入れてグリップを
「そうだったんだ……」
返事をしながらもどんどん思考が一澤くんが話してくれている内容から
「指先の
「そうか、そうだよね」
宮内くんの事情もあたしには相当にショックで、離れかけていた思考が一気に
小指の先だけの麻痺でいずれ治るからって、日常に差しさわりがないわけじゃなかったんだ。テニスは宮内くんにとって大きな部分をしめるものに
「よく確かめもせず、名前だけで
あっちの仙条と言った時、そこだけ声のトーンに
「あのさ!」
反射的にするどい声が出てしまった。
「え?」
「亜子がしたことは最低だよ。それはどんな言い訳も通じない。でも亜子も傷ついたの」
「は?」
「最近はうち、ちょっと家庭内でごちゃごちゃしてて、あたしと亜子は以前ほど仲がよくない。だけどどうして亜子が宮内くんにあんなひどいこと言ったのかは想像がつく」
「は?」
低い。一澤くんの声が
「絶対に亜子の本心なんかじゃないの。弁解だよね。でも聞いてくれると
「…………」
負のオーラが隣からにじみ出てくるのがわかる。でももう止まらなかった。
「亜子にもすごく苦手なことがある。言われると冷静な判断ができなくなるほどカーッと熱くなっちゃうの。告白した時、宮内くんはそれを亜子に言っちゃったはずなんだよね」
「は?」
そこであたしは
「
思いつく言葉を一気に言い放った。隣から流れてくる負のオーラは
「全く意味がわかんねえ。だって告白だぞ? 好きだつき合ってくれ、ってそれだけのシンプルな話だろ? なんで拓斗が仙条亜子の
「そ、そういうわけじゃ……。告白自体に恐怖観念はたぶんない」
「意味わかんねえ。拓斗があんなひどいこと言われる、いったいどんな非があるんだよ」
「非はない。非はないよ。でも亜子には告白時の禁句があるの。トラウマなんだよ」
「……だからあいつ、仙条亜子は悪くないっていうのか?」
「違うよ! そんなこと言ってない。どんな弁解をしようが亜子の言動は最低だよ。だけど、あの子はあの子なりに傷ついてるはず──」
だめだ。ほんとにだめ。
一澤くんは宮内くんを、あたしは亜子を、庇えば庇うほどこの理屈は平行線の
にらみ合うように並んだあたしたちの内側の
「おーら! お前ら手より口のほうがぺらっぺら、ぺらっぺら動いてんぞ!」
模造紙を前にしゃがむあたしと一澤くんの間に入ってきたのは、宮内くんだった。
助かった。気まずいムードが反転した後、一澤くんが小さくごめんと
「あたしこそごめん。ムキになりすぎた」
あたしは一澤くんのほうを向き頭をさげた。彼は目を丸くする。
宮内くんが、なにか言おうと
「ケンカするほど仲が悪いってことわざがあるだろ? お前らほんと仲が
「は? つーかお前、部活は?」
「なんでお前がサボってんのに俺だけ出なくちゃなんないわけよ。文化祭前だし、高校総体の団体戦まさかの予選落ちだし? 部がダレてて
「お前は個人で高校総体、出るだろ」
「それはお前もだろ。ダブルスなんだからよ。お前が今日は用事があるとか言うから俺はひとりで部活出たのに! お前の用事ってクラスの
「……そうだよ。俺は絵を見込まれて美術部のやつらに
「だよなだよな。だから向こうで石垣塗れよ、つか石垣の下書きってお前の担当だろ? なんでここで柳なんかやってんだよ。お前、図書室で城の本……うぐぅ」
そこで一澤くんの手が宮内くんの側頭部に
「すごいね。一澤くん、絵も
あたしはさっきまでの悪い
「んー。まあね。ガキの
「一澤くーん! もういーい? 話終わったぁ?」
幽霊屋敷の
正確には一澤くんに手を振っている。美術部からアテにされるほど一澤くんが絵を描くのがうまかったなんて
「ほら行けよ、稜っ」
体勢を立て直した宮内くんが一澤くんを追い立てる。
「このやろうっ。あんま……わかってんだろうなっ」
立ち上がった一澤くんは、足の
「
え? そうだったの? 一澤くんがそんなに絵を描くことにこだわりのある人だとは知らなかった。
「そうじゃねえよ! だから──」
「一澤くーん。こっちの仕事が終わんないよー」
杉山さんが飛び
「幹か。まかしとけよ。俺と菜子ちゃんでここは共同作業でうまーく仕上げるから」
「おーまーえー! そういう話じゃねえだろ、だから……」
「一澤くんってばー」
杉山さんの
「うおーっ」
当然、不安定な姿勢だった宮内くんは、模造紙の上に
「えっ」
あたしの視界のまん前を、宮内くんがみごとにスライディングしていく。
模造紙には、まだ絵の具の
緑の絵の具だらけになりながら宮内くんは身を起こし、あたしを振り向いた。
「よっぽど気にいらなかったみたいだね、この柳。最初っから二人でやろうか? 夜なべかも。二人で
足早に杉山さんのところに向かっていた一澤くんの上履きが
「俺が全部やるからいい! 拓斗はもう帰れよ。今日はお前の大っ好きな、ご当地ゆるキャラ選手権があるだろ!!」
「録画してるし」
絵にうるさい一澤くんと、ご当地ゆるキャラが好きな宮内くん。知らなかった二人の意外な一面を
その日は放課後、だいぶ
◇
「ただいまあー」
「おかえりー菜子」
リビングからママの声がした。
少し開いているリビングのドアから、
「キャラメルー」
あたしはキャラメルを
一年前、中学の同窓会の日だったから、
「事故だったんだね。おそろしい」
あたしは
宮内くんはキャラメルを助けようと道路に飛び出し、車にひかれたんだ。
「よかったね、キャラメル。
あたしが頭をなでだしたら、キャラメルはおとなしく抱かれるままになっていた。
「菜子? 何やってるの?」
「あ、ママ……」
そこで今あたしがまわして閉めた鍵を外から開ける音がした。
「ただいま」
「亜子」
亜子だった。亜子は学校を休んでたまに東京の父親に会いに行く。パパはモデルみたいにきれいな
亜子は伸びてきていた
ママがつとめておだやかに話しかける。
「パパは元気だった?」
「まあね。パパは仕事だから夜、外で食事しただけだけど。なんか知らないけど、パパの取引先の人とかも
「そう……。まあ元気でやってるわけね」
「みたいよ。あ、なんか有名っぽいチーズケーキ買ってきた。はい、ママ」
そう言って亜子はママにケーキの箱の入った紙袋を
パパはどんどんこっちに帰って来る回数が減っている。そうめちゃくちゃに遠い
「あと、これ。パパから菜子におみやげ」
亜子はあたしに小さな
一か月に一度くらいの
亜子が買う洋服もバッグも靴もすごく高くて、
「あー
「そう。お
「うん。でもまず
「待ちなさい亜子。昨日、亜子のお休みのことで担任の
「ママ、あたし今東京から帰ったばっかりで疲れてるんだってば」
「そうね。でも一度ちゃんと話さないと」
「わかったよ。起きてからちゃんと話す」
「約束よ」
ママは、すでに後ろを向いてしまった亜子の背中に、深いため息をついた。
亜子が、階段をとんとん上がって行くのを見送ってから、あたしはそっとママのほうを向いた。そうしたらママもこっちを見ていた。
「ママ、亜子、そんなに成績悪いの?」
進級が危なかったなんて知らなかった。
「そうね。あの子もあれで
家庭教師か。進級まで危ないとなると親ならそのくらい考えるだろうな。
「菜子、ケーキは?」
気分を変えるかのように、ママは亜子の渡してくれたケーキの紙袋を持ち上げた。
「さすがに今日はいいや。
「そっか。亜子はそういうのないのかしら? 亜子のクラスは楽なの?」
「わかんない。でも……」
藪野さんたちとメイド
「でも、なに? 亜子もなんかやるの? ママも行ってもいいよね? 文化祭」
ほとんど自分の学校生活のことを話さなくなってしまった亜子のかわりに、ママはあたしから亜子の情報を聞こうとする。でもママに話してあげられるほど、あたしも今は亜子と仲がよくない。別に悪いわけじゃないけど、よくはない。ケンカをしているんなら仲直りをすればいい。でも案外こういうのが、一番もとに
「もちろんくればいいよ、ママも。あー……」
嫌なこと思い出した。あたし、
「あー、って何? 菜子もなんかあるの?」
「ママ来てもな。どうなんだろ。幽霊
「郁ちゃんのママと
「そっか。うん。いいんじゃない?」
郁のママとうちのママは水泳部の保護者説明会で会って、その後、たまに保護者同士で食事会をしている。
「ママ、あたしもお風呂入って寝るわ。ママもう入った?」
「まだよ」
「じゃ、すぐ入っちゃうね」
亜子もあたしも、友だちと遊び歩いていて遅くなることがけっこうある。でもママはいつもお風呂に最後に入る。あまりに娘たちが
部屋に入り、ベッドに寄り
「おおっ」
キャスキッドソンのクラシカルな
亜子が持っているヴィトンのお財布の値段にはぜんぜん届かないけど、こっちのほうがずっとあたしの好みだ。ブレスやネックレス。キーホルダー。スニーカー。
不思議なことに、毎回亜子が持って帰って来るパパのおみやげにはハズレがない。
あたしの好みのものばっかりだ。高くはないけど、ノーブランドでもないところがやっぱりパパの
「あんまり会わない娘の
あたしはいそいそと今のお財布からパパのプレゼントのそれに、お金やカード類を入れ
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