2.幽霊に決まった!①

「よかったねー」

「うんうん、せきだよ」

 外にってあるクラス発表を見上げながら、郁と真美、三人で輪になって飛びねる。

 二年に上がる今回のクラスえで、あたしと郁と真美は同じクラスになることができた。二年六組だ。

 せいめい大付属かすみはら高校は一学年九クラスで、そのうち一クラスは国立や最難関私大を外部受験するための特別クラス。残り八クラスが理系と文系で半々に分かれる。そしてかなりの生徒が卒業後は上京して、この高校の付属大学に通うことになる。

 あたしも付属大学志望だけど、正直そのころうちの家族がどうなっているのかわからない。あたしは東京に進学できるんだろうか。

 クラス発表の模造紙を見て、亜子といつしよじゃなかったことにどこか胸をなでおろしている自分にうんざりする。

「菜子平気? なんかちょっとめんどうじゃない?」

 郁が心配そうにたずねる。

「なにが?」

「一澤稜くん、一緒だよ。あと宮内拓斗くんも」

「へえ、そうなんだ」

 あたしの気のない返事を聞いて郁のほうから流れる空気がゆるみ、ほっとした色あいを帯びる。

 でも実は知っていた。亜子の名前をかくにんするより先に、不覚にもあたしの目に一澤稜という名前が飛びこんできてしまっていた。

「菜子、強いからね。もう気にしてないか」

「あのことか。ぜんぜん気にしてないよ。ちがいだったわけだし、ちゃんと謝ってくれたじゃない」

「そっか。そうだよね」

「でも、ぜーったいにだれにも言わないようにね。二人とも」

 あたしは郁と真美をちょっとおどけた視線でこうに見やった。

「うん。やだよね。男子に間違いとはいえ平手打ちされたなんてさ」

 真美がぷくっとほおふくらませる。

「まあね。かっこ悪いし」

 真美は外見だけで分けるなら、あたしといるより亜子といたほうが似合いそうな子だ。ただ性格は亜子ほどはっきりしていないし、きつくもない。複雑でもない。

「知られたくないのは自分のため、は一割くらいなんじゃないの、菜子。あとの九割は一澤くんと宮内くんのためでしょ。お人よし」

 郁があきれたような顔をする。

「別に。まだまるまる一年あの二人と一緒なんだよ? 不協和音はめんどくさいじゃない」

 男子数人でじゃれ合う中に一澤くんも宮内くんもいた。

 あたしはため息をついた。できれば一緒になりたくなかった。

 ひっぱたかれた時あたしに、亜子じゃなくあたしにたたきつけられた言葉が、まだ胸のうちに、こびりついている。

 向こうだって気まずいはずだ。関係ないか。

 一澤くんも宮内くんも女子に人気だし、ああいう目立つ男子グループはクラスで一番はなやかな女子グループと仲良くなるもんだ。

 あたしは、早くも一澤くんたちに声をかけている女子数人を横目でとらえた。名前はまだ知らない女の子たち。ひとりは亜子と仲のいい元二組のやぶさんだ。ばやく自分に似合う種類のにおい、自分が目指す種類の匂いをぎつける。

 うちの高校は自由で、部活動を強制するふんがない。校則もゆるい。

 だから高校生活の優先順位が、〝かわいい女子高生〟の生徒たちは、たいてい部活に入っていない。

 手入れの行き届いたはだつめかみの毛。地毛で通るすれすれラインの茶色い髪は、計算されつくした高さのツインテールにして、きれいに巻いている。あきらかにあのへんが亜子と同種だ。

 手芸部の真美も水泳部が一緒の郁も、別にとりたてて地味だというわけじゃない。二人とも学校のない時に外で待ち合わせれば、流行の服やくつを身につけている。

 特に郁は水泳部で日差しを浴びているのがうそのような、なめらかでトラブルの少ない肌をしている。それは日々の努力のたまものだ。

 そんな彼女だから学校ではすっぴんだけど、メイクのうでも高校生にしては第一級だ。

 でもあきらかに藪野さんたちとは方向性が違う。郁の場合、男子にかわいいと思ってもらうためじゃなく、自分が楽しむためだ。

 そこで今度は視線を自分の体に落とす。自分のひざぞう丸出しの足は、冬でも健康的すぎるほどいい色にこんがり焼けている。うらむな、がいせん吸収体質。

 髪だってプールに入るのに面倒だから、年がら年中かたにつかない程度のショート。

 染めている子よりも塩素で金色っぽくなっていて、れいだとめられることもある一方、いたんでるね、と言われることもひんぱんだ。郁を思うともうはんせい

 それはひとまず置いておいて……亜子と同種の子を前にすると、以前から自分がどこかひるんでしまうことは知っている。

 でもあの一澤くんとの一件以来、認めたくないけど、〝ひるんでいる〟は〝ひがんでいる〟にしようかくしてしまったような気がする。

 よりによって自分が気になっていた男子に、ブスだとはっきり言われちゃったからだ。

 亜子やその同種の、女子高生をおうしているような女の子。そのわくにはどうも入らないあたしや真美や郁。女子高生として、どっちも正解だよ。どっちが正しいかじゃなく、どっちが自分に似合うかの問題だ。

 あたしは部活に生きるんだ。なんにも考えないで水中にいる時は、自分自身まで水と同化して、心が限りなく青くき通っていくような気がする。


◇◇◇◇◇


「では文化祭の出し物ですがー」

 委員長は、学力テストで一番成績がよかったまつくんがやることになった。

 松野くんは今、副委員長のあん西ざいさんの横で黒板を後ろにきようたくに手をついている。

 うちの高校の文化祭は、六月のじようじゆんというほかとはズレた時期に行う。

 大学の付属高校だからなのか三年の秋ごろから、特進以外はすっかり卒業に向けた開放的なムードになり、希望者をつのっての海外修学にもかなりの生徒が参加する。

「やっぱ花形はお化けしきだろう」

「だよなー」

 ほおづえをついて窓からの風にれるカーテンの動きを目で追いながら、クラス委員の言葉に耳をかたむける。

 やっぱり文化祭は気持ちがき立つ。お化け屋敷か。お化け役は誰がやるのかな。

 特に異論がなく、その後すんなりとお化け屋敷に決定。日本家屋のはいおくがモチーフのゆうれい屋敷だ。

 うちのクラスには美術部が多く、その人たちが当然のようにたい作りの先頭にたつ。

 美術部にも出品展示ノルマがあるのに、クラスの出し物まで引き受けるのは大変だ。人数がそれなりにいたことはラッキーだったんだろうな。

 ちなみに真美の手芸部は、文化祭展示用に好きな物をひとつつくるらしい。水泳部はなにもやらない。

「それでお化け役なんだけど、幽霊だから基本、女子で」

 そこで空気がどよっ、と揺れ、いつせいに女子は身体からだを五センチくらい後ろにひいた。

 幽霊ってどんな格好をすればいいんだろう。

「出品展示のある文化部の女子は無理だと思いまーす。当日も当番で展示教室にめてる時間が多いでしょ? あ、あたしたちも無理ね」

 かたひじをつきながら反対の手をあげてかったるそうに主張したのは、藪野さんだった。

「あの……藪野さんたち調理同好会でしょ? ふだんなんにもしてないんじゃないの?」

 バレー部のさんがえんりよがちに意見した。

「だから文化祭は一年分の活動をすることになっているんでーす。あたしたちメイドきつやるよ! 本格的だよ。みんな来てねー」

 そこであたしは、亜子も調理同好会だったことをとうとつに思い出した。活動が少なくて、あの子が部に入っている認識がまるでなかった。

 でも同好会ふくめ、文化系女子が全部けるの? そうすると運動部の女子って誰……。

 あたしはおそるおそる教室内をぐるりとながめまわした。

 そこで、となりの席に座っている郁があたしのほうに顔を寄せてきた。本当は安西さんの席だけど、彼女は副委員長で板書のために前に出ていて今は空席だ。

「藪野さんたちすごいこつだよね? 文化祭は自分たちの楽しいことしかしたくない、クラス行事は押しつけられたくないって理由で作ってるよね。あの調理同好会って」

「そうなの?」

 おどろいて郁のほうを向いた。

「そうに決まってるじゃん。内輪仲良しの、学年で目立つ女子しかいないでしょ?」

 そういえばそうだ。

 亜子が、仲がいい子だけで同好会作っちゃった、と言っていたのを聞いたことがある。

 部員が五人以上いるから学校から多少の活動資金は出る。でも部じゃないからもんはいない。ふだんは調理研究、としようした食べ歩きをしているんだ。

 活動費をもらっていて何もしないのはまずいから、文化祭では自分たちの好きなことをしちゃう。それがメイド喫茶。ちくしようかわいいな。幽霊とはうんでいの差だ。

「うわ。あそこが三人抜ける、となると──」

 あたしの気弱なつぶやきをかき消すように、はっきりした声がまくを揺らす。

「あとさ、ダンス部も演劇部も無理でしょ? 発表があるもんね」

 ダンス部でも演劇部でもないのに藪野さんが、小首をかしげて愛くるしい表情を作る。

 ダンス部、演劇部だとおぼしき数人のほうが、え? いいの? みたいなまどった顔つきで、藪野さんをり返った。

 そりゃそうだよね。忙しいのは、練習に時間をかれる文化祭前だ。当日は、発表の時間こそクラスにかかわることはできないけど、それ以外のスケジュールは問題がないはずだ。

「だったらすいも無理なんだけど」

 すいそうがく部の子がひかえめだけどはっきりした口調で主張した。

 だよね。そのくつなら。じりじりとお化け役をやる女子が限られていく。

「女子は文化部が多くて幽霊役は限定されるんだな。男女の人数ちょっと考えないとな」

 委員長の松野くんは全くの他人事ひとごとで、ゆうちように頭をかいている。黒板のほうを向いて決定こうを整理していた安西さんが、チョークを持ったまま振り向く。

「あたしも無理だな。生徒会があるの」

 これもしかして絶望的じゃないか? 幽霊役って何人? 全員女子なの? 裏方だから当然美術部も除外だな。

 自分の身に幽霊がふりかかりそうになって、あたしはようやく黒板に書いてある幽霊屋敷のしようさいを、目を皿のようにして読み始めた。

 幽霊役の女子が二人。すっぽりかぶるラバーマスクの役の男子が三人。なんだ男子のほうが多い。文化部女子が多いからへんこうがあったんだ。

 ラバーマスクはゴムでびよんってびるやつをすっぽりかぶるんだな。それなら変な幽霊メイクをされるよりまだ救いがあるかもしれない。

「希望者いる? 幽霊役」

 男子も女子も、もちろんだれも手をあげない。

 ため息をひとつついた委員長は、安西さんと顔を見合わせた。

「もう話し合ってても決まらないからさ。当日クラス以外の活動がない人でくじ引きだな」

 あたしはうなだれた。うー、クジ運が悪いんだよな。ちらりと一澤くんのほうをぬすみ見る。興味がなさそうに隣の男子とケタケタ笑いながら遊んでいるけど、一澤くんだってテニス部で当日の仕事はないはずだ。


 その後、藪野さんたちによってクジが作られた。ふたを開けてみたら文化祭でクラス以外の仕事がない女子は七人。七分の二か……。

 席順でクジを引くことになった。おみくじみたいなクジだ。角に小さく穴のあいた六角形の本格的なみくじづつの中にみくじ棒が七本入っていて、そのうちの二本のせんたんがマジックで赤くってあるらしい。それを引いた人が幽霊役というわけだ。

 おもちゃなんだろうけど、誰がこんな本式の道具を持っていたんだか。

「どうせクジになると思って映研の子に借りといたんだー。去年の文化祭で映研がやった神社の映画にこのおみくじが出てきたんだよー」

 藪野さん仲間のえんどうさんがまんに笑う。幽霊役をのがれている子はのんきだな。

「じゃ、仙条さんから後ろに順番に引きに来て」

 机の並び順で最初にクジを引くのはあたしだった。

 教卓の前で、委員長が差し出してくるクジを目をつぶってえいっと引く。

 神様、お願い。やりたくない。

 一澤くんに幽霊のおどろおどろしい格好をしているところなんて、見てほしくない。そりゃあっちはあたしのことなんて眼中にないだろうけど、勝手な自意識で……。

 片目ずつおそるおそる開いた目の前で、自分の指がはさむみくじ棒を見てひざの力が抜けそうになる。先がマジックで赤く塗られている。アタリ。幽霊役だ。

「うげぇー」

「やっちゃったね。菜子。これで確率下がったわ」

 いひひ、と郁が歯を見せて笑う。隣の席の郁はひく順番があたしから三人後だ。机の並び順で前から後ろに流れていくやり方だから。手芸部の真美はこの難を逃れている。

「えっ! ちょっとぉー……」

 郁にあたしがいじられている間に、バスケ部のまつもとさんがクジをひいた模様。松本さんも先が赤いクジを持ち、短い言葉を発した後にぼうぜんと立ちくしている。

 並んでいた女子が、あんの声をらしながら散っていく。

「こんなあっさり決まることもあるんだね。いや、助かったー」

「郁ぅー」

 まだみくじ棒を棒付きアイスキャンディーのごとく顔の前に立てて持っているあたしに、郁はうわべだけのあわれみのしぐさをして自分の席にもどって行った。

「うわあん仙条さーん」

「うわあん松本さーん」

 かわいそうなゆうれい女子二人は、き合わんばかりになげいた。

 その後決まった男子三人の中には一澤くんも宮内くんも入っていなかった。決まった男子も別に気落ちしている様子はない。なんならあたしがラバーマスクでもいいよ。むしろそのほうがいいんだけど。松本さんだってそう思っているんじゃないだろうか。

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