第一章 産まれついた時から②
2.
扉が開く。
村人たちが入ってくる。
「まったく、やってらんねぇよな。村長のやつ偉そうに……」
「コレを殴って気分直そうぜ」
「そうそう。こういう時には便利だよな」
今日も今日の始まりだ。
何も……変わらない──
「──ほんっと、
殴られる。
視界が暗くなって、頭のなかがぐちゃぐちゃに揺れた。
「こいつに近づいただけで運が悪くなる的な?」
「生きてるだけで
「おまえの呼吸分、空気がもったいないっての」
「役立たずの屑は俺たちに踏まれて反省してくださーい」
「ははっ、それいい、俺も踏もっと。──はい、生きてることを反省してくださーい!」
「情けないツラさらしてのうのうと屑人生を送ってるって反省ーっ」
「反省、反省! 生きててごめんなさいくらい言えってな。はははははっ」
「そりゃ無理でしょー。だってこいつはさぁ──」
僕の首もとを踏んでいた足が移動して、今度は顔を踏みつける。
「────喋れる舌なんて無いんだから」
ぴしゃっ。
生暖かい水が
「おまえさ、唾かけるの
「こうやるんだって、──ほら」
「おっ、俺も俺も!」
「皆で練習しようぜ。こいつにならいくらやっても平気だし」
「こう? あっ、ずれて口ん中入れちまった、ははっ、きもちわりー」
「うわ、おまえ
「悪い悪い、でもいいじゃん、ちゃんと忌み子にかかったんだし」
かけられる唾。
僕はうけとめるだけ。
何も感じない。考えない。気持ち悪いなんて思うわけない。
そんなことは許されていないからだ。
痰を吐いた男が仲間に笑って謝ったのち、僕をにらみつける。
「──おまえのせいで失敗するところだっただろ!? 俺らに謝れよ!」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
失敗させかけてごめんなさい。迷惑になってごめんなさい。生きていてごめんなさい。
僕が全部悪いんです。僕が大罪の忌み子だから悪いんです。生きていて悪いんです。
「おまえの手も頭も顔も体も、全部こうして踏まれる程度しか役に立てないんだよ!」
枷をつけられた手が、強く踏まれた。
男の重みがかけられて、みしみしと手のひらが音を出す。
────手のひら。
そのかたちに、ふと思い出した。
昨日見た光景を。
夕暮れのなかの親子、しっかりとつながれた、ふたつの手を。
『……っ、怒ってるんじゃないのよ。おかあさんはあなたが心配なだけ』
『ほら、もう夕暮れよ。帰りましょう』
『うん、おうちにかえる!』
『……おかあさんのおてて、あたたかいね』
心配。帰る。おうち。あたたかい。
僕は、どれも知らない。
僕の手は踏まれるためだけにあるし、僕の顔も頭も体も全部そうだ。
つなぐなんて知らない。
知らない知らない知らない。
何も。
…………知らないままで、いい。そうでなきゃ駄目なんだから。
頭を蹴られる。
足をねじられる。
腹を踏まれる。
「────早く死ねばいいのに」
そうでなきゃ、いけない。
■□■
男たちが帰る。
もう夕暮れだ。
いつもと同じ。おしおきで始まった今日は、おしおきが終わって終了する。
明日もまたおしおきで始まっておしおきで終わるんだろう。
変わりなんて、ない。
何も思い出しちゃいけない。
夕暮れだからって昨日のふたりのことなんか思い出しちゃいけない。
だから、早く目を閉じよう。耳だってふさごう。
何も何も何も、知ってしまわないように。
何も────
「────!──っ、────!!」
声が聞こえた。
村人たちのおしおきが夜もある日なんだろうか?
でも違う。これは扉の向こうから聞こえてくる声じゃない。
…………外、から?
「……っめんなさい、ごめんなさい、お父さん、許して」
ふるえる声。男のものじゃない。
女? 子供? どちらか分からない。
「──うるさい!!」
ごっ!
今度は男の声とともに、聞きなれた
殴られた音。
こぶしで頭を強く殴られたときの音だ。
「……っぁ──」
どさり。
草むらに何かが落ちた音がした。
……倒れた、のかな。
吐き捨てる声が続く。
「お前がいるから俺はこんなふうな目に
ばしっ、ばしっ、ばん!
何度も鳴る、平手で張り飛ばす音。
「ごめんなさい、お父さんごめんなさい、私のせいでごめんなさい……っ」
謝る女だか子供だかの声。
なんだか聞き覚えがある言葉のような気がする。
そうか、僕がいつも心の中で思っているのと、同──
「──
…… ?
「お父さん、やめて、許して。もうぶたないで」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! お前がいるからいけないんだ、お前がいるから何もかも!」
男が
「知ってるか? この村じゃ、このへんに来たやつは殺されるんだってよ」
……知っている。
僕に近づいた人は殺されるからだ。
(だからあの〝おかあさん〟は子供に悲鳴をあげた)
(あの〝おかあさん〟は子供を〝心配〟したから)
(……〝心配〟って)
がさり。
草むらが揺れる。
「……お父さん……」
ふるえる声がひびいた。
「ちょうどいいじゃないか。分かるだろ?────お前、殺されてくれよ」
……殺されてくれ?
そんな話、はじめて聞いた。
殺されるために、あえて僕の近くに来たんだろうか?
……殺してもらうために?
ゆっくりと目を開ける。
薄く開けた目に、ふたりの姿が映る。
男が、僕と同じくらいの大きさのなにかを引きずっているのが見えた。
僕と違って長い
……女の、子供?
まったく、と、男が唾を吐く。
「早く死ねばいいのに」
え?
はやくしねばいいのに────?
それは、その言葉は。
そう言われるのは。
がさがさ、がさがさ。
男が女の子供(?)を草むらに投げ捨てて去っていく。
痛そうだ。
そう。
痛そう。
痛みなんて僕は知らないのに。知っていてはいけないのに。
なのに思った。
痛そうだと、思った。
……どうして?
■□■
一人、残された女の子供は、地面に座りこんで上を見あげた。
何かを見ている。
去っていった男を?
それとも、空を?
夕日がふりそそぐ。
赤い光が僕の部屋をも照らす。
赤い
赤い箱をつくるみたいに。
草むらに座る存在が、影になって黒くなる。
殴られて血を流した唇が、何かを言った気がした。
し に た い 。
聞こえない。
何て言っているのだろう。
こ ろ さ れ た い 。
風が
夕日に赤く染まった草むらがざあざあと揺れる。
たくさんの声をかきけす。
「 わ た し を し て く れ る と せ て 」
願う? 願う? 願う?
わらうだれかの声が聞こえる気がする。
うずくまる人影は笑ってなんかいないのに。
ほかには誰もいないはずなのに。
願う? 願う? 願う?
声が、して。
「 お ね が い 」
世界が一瞬、黒く見えた。
そんなことがあるはずもないのに。
■□■
……がさ。
草が揺れる。
がさがさ、がさがさ。
近づいてくる。
誰が?
男は去った。遠くへ行った。もう姿も見えない。
なら、誰が?
「………………」
聞こえてくる
ぽたり、ぽたりと血の
がさがさ、がさがさ。
少しずつ音が近づいてくる。
太陽を背にした、黒い人影が。
「──……そこに、いるの?」
「!!」
声をかけられた。
僕に?
……僕にだ。
風が吹く。
僕に声をかけた人間。
女の子供。
昨日見た〝おかあさん〟と似ているようで、でも全く違う。
僕と似た大きさの〝女の子〟。
その、長い髪が揺れる。
銀色の髪を夕日が照らして、一本一本まで綺麗に見えた。
さきほどまで
切れた
まるで、あれだ。
子供が目から流していた水。涙。
でもこの子の涙は赤い。赤い雫。紅い涙。
着古された服はところどころ破れていて、すきまから痣だらけの体が見える。
青黒い痣や
僕には分かる。僕の体についているものと同じだからだ。
────おなじだ。
すぐに思った。
理由など無く思った。
「……そこに、いるんだよね」
問われる。
がさがさ、がさがさ。
音が近づいてくる。
姿が近づいてくる。
あの男が言っていたことの意味を理解していないんだろうか。
僕に近づいちゃ、いけないのに。
なのに。
「いる、よね?」
窓の外から、顔をのぞきこまれた。
──……どうして。
「……やっぱり、いた」
ため息をつかれる。
でもいつも感じているような、
むしろ、安心したような。
……安心?
なんだろう、それ。
どうして僕はそんなことを思ったんだろう。
単語は知っていても、それを見たことなんてなかったはずなのに、どうして。
「ねぇ、…………ひとり、なの?」
さっきと違い、答えを求めている問いをかけられる。
ひどく
それでも
「…………っ」
爪を嚙む。
あまりにまぶしくて。
近づいちゃいけない。考えちゃいけない。僕は何もしちゃいけない。
いけない。
のに。
分かっているのに、無視できなかった。
………………。
ゆっくりとうなずく。
ひとり、そう、僕はひとりだ。
とたん。
ふわり。
いつも向けられている、あざわらう
村人たちのような、見下す笑顔じゃなく。
ひそやかに。
やわらかく。
「私も、ひとりなの。
────おなじ、だね」
「──────!!」
おなじ。
おなじ、おなじ、おなじ。
おなじだと言った。
僕が初めてこの子を見た瞬間、そう感じたのと同じことを。
本当に? 本当の本当の本当に?
信じられない。
女の子はゆるく
涙で赤くにじんだ目もとが、朱い夕焼けを背にきらめく。
ひびとあかぎれだらけで真っ赤にすりきれた手のひらが見えた。
まるで昨日の〝おかあさん〟が子供にさしだした手のひらみたいに。
「私の名前はアイ。
君の名前が知りたいな」
微笑まれ、体がふるえた。
わけもなく
ごめんね、名前も舌も無いんだ。
幕間1 少年は
「ねえ、マキちゃんは、どうして僕にリセットボタンをくれたの?」
夢──なのか定かではないけれど──の中と同じ質問をしてみた。
「強い願いが、そこにあったからだよ」
答は同じだった。でも、あの時と違って、彼女はこう続けた。
「わたしたちは人の願いがあるから、強い願いがあるから、存在していられるの」
「それってどういう意味?」
「人の願いが、強く願う心がわたしという存在を生んで、生かし続けてるって、そういう意味」
「……神様みたいなもの?」
「ユウトがそう思うのなら、そうかもね」
だからこれは秘密のお話。
とても強い願いを
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