六兆年と一夜物語/KEMU VOXX・西本紘奈
第一章 産まれついた時から①
それは とおい とおい とおい じだいの
ふるい ふるい ふるい おはなし
カミサマだけが しっている
とても なつかしい ものがたり
「──ねぇ、キミの願いはなぁに?」
なんのことだろう?
目のまえには女が立っていた。
にっこり。わらった顔。
意味が分からない。
「まだ願わないの?」
……何を?
「マキちゃんに何か願わないの? もう十五歳なんだから、いろいろあるでしょ? 願い事、たくさんあるでしょ?」
マキちゃん?
──ああそうか、これはいつもの夢だ。
【マキちゃん】が出てくる、何度も見た夢。
これでもう七度目かな。
「だから夢なんかじゃないってば。何回も言ってるよね。マキちゃんはこうしてずっと待ってるのに、どうして願わないの? 待つの、いい加減
よく分からないけど、なんだか
「あっ、マキちゃんは子供じゃないんだから怒ったりしてないよ? ほんとは飽きたりもしてないし、別に──……」
マキちゃんの声が止まり、下を向く。
「……別に、
なにが言いたいんだろう。
マキちゃんが顔を上げた。
「ねぇ、欲しいもの、ないの? あるよね?」
マキちゃんの方こそ求めてるような顔だ。
マキちゃんは【願い】を求めてる。どうしてかなんて、知らないけど。
「なんでも
マキちゃんの手に、箱があらわれる。
色とりどりの、たくさんの箱。
「まちがえた過去をやりなおしたい?
まちがえないよう未来が知りたい?
平和に暮らすことを許されたい?
許せない人に
最強無敵のヒーローになりたい?
不老不死の
……なんだって叶えてあげる。
どんな願いも叶えてあげる。
それとも」
それとも、と、マキちゃんは笑う。
「それとも、幸せになりたい?」
………………。
「──? どうして首を
……そんなもの、ない。
何も。
「どうして? 幸せになりたくないの?」
不安そうにマキちゃんが問いかける。
でも僕には幸せが何か分からない。
だから欲しいものなんて何も無い。
何も。
「じゃあマキちゃんは役に立てないの? 願いを叶えられないの? マキちゃんが願いを叶えられるのは×××の××だけなのに──……」
なにを言ってるんだろう。聞きとれない。
「………………っ」
マキちゃんが
「……マキちゃんは
きっと、願いを叶えてあげるから。
1. 箱に
──────ガン!
腹に
「いつまでも
ああ、朝だ。
また今日も一日の始まりなのか。
また今日も彼らの暴力が始まったのか。
さっきまでしていたマキちゃんとの会話は全部、夢。
これから始まるくりかえしが、僕の日常。
「朝一で腹
「だってこうでもしないと起きないだろ? 寝たままのやつ
「言いながら殴ってんじゃん」
頭の上で声が聞こえる。
目がよく見えない。なんでだ?
「つか昨日も顔殴りすぎたんじゃないか? 目が
「本当だ。まぁいいでしょ。こいつの目なんか見えなくても」
殴られる。
殴られる。
殴られる。
「こいつはさ、殴られるしか役に立たないもん」
「無反応だしなー。つまんねぇ。ま、泣いてもうざいけど」
「いいだろ、いくらでも
重い蹴り。
「この部屋がもうちょっと広ければ、十人くらいでこいつを
「今の五、六人ずつって数でちょうどいいって。仲間感あるし! ははっ」
「仲間! あはは、それすごい笑える。【忌み子】で遊ぶ仲間な」
忌み子、か。
もう何度聞いたか分からない言葉だ。
僕のことだってことは分かるけど、それも、もうどうでもいい。
どうでも、いい。
「忌み子のおまえには、村人の
聞かれたって。
別に。
答えなんて求めてないだろう。
「殴られるだけで生きていけるとか、すげぇ楽だよな」
そうなのか?
……そうなんだろう。
「でもさぁ、こいつ痛いとか言わないよね。俺、ここに来るようになって数か月だけど、痛そうな顔も見たことない」
痛い?
なんのことだろう。
わけが分からない。
「はあ? おまえ、いまさら何言いだすんだよ」
「いやだって、
…………?
なんだ、それ。
そんなの、知らない。
知らない。
知らない。
知らない。
「新入りだから知らなくても仕方ないけどさ~、こいつには、痛いなんて無いの。そんなこと思っちゃいけないの。だって痛くされて当然の【忌み子】なんだからさ。だろ?」
ああそうだ、そうだった。
何も思っちゃいけない。
何も感じちゃいけない。
何も考えちゃいけない。
「なるほど、たしかにこいつはしょせん、ゴミみたいな【大罪の忌み子】ですもんね」
「そうそう。生かしてもらえてるだけ有り
「殴る俺らが悪いんじゃなくて、殴られるこいつが悪いんだよな」
そうだ、僕が悪い。
僕の存在が罪なんだ。
きっときっときっと。
「だから今日も、生きてることへのおしおき~!」
蹴られて。
いつもと変わらない毎日。
くりかえされる日々。
僕は何も思っちゃいけない。
だって僕は【大罪の忌み子】で、村人の皆に殴られるしか価値が無いんだから。
何も感じちゃだめだ。
何も考えちゃだめだ。
きっと。
生きていることが、だめだ。
何もかも、駄目なんだ。
「俺だったらこんな
「死にたいとか思うのかな? そんな
「はっ、死にたいとかそんな自由無いっての。まあ──」
「────殺してやるような
ああほらやっぱり、何も許されない。
「生かしてあげる優しさはあるだろ」
「まあでないと俺らが目ぇつけられて困るじゃん」
「村の皆が言ってるだろ。生かさず殺さず、カイゴロシってやつだよ」
「そりゃささやかな楽しみとして殴るくらいはさせてもらわないとな」
「ほんっと、ささやかだけどな!」
「構わないでしょ。どうせ皆こいつのことなんて、殴る時以外は忘れてるし」
「たしかに忘れてるー!!」
うずくまる。
寒い。
ここは寒い。
息が苦しい。
でもそれもきっと気のせい。僕は何も感じちゃいけない。
「あれっ、こいつ意識またとんだ?」
「いつものことだろ。弱いんだよな」
「だから役立たずの
「つかもう頭おかしいんじゃないか?
笑い声がひびく。
ろくに何も見えないのに、
暴力をうけていることだけは分かる。
……それさえも、きっと分かっちゃいけないのに。
手の
■□■
がさり。
音がした。
何の音だろう?
腫れが引いたのか、いつもと同じ部屋が目に入る。
灰色の部屋。村人の男たちに言わせると
べつにいつものことだ。
点々と飛んだ黒ずんだ染みが
いっそそのほうが
血の色だけは綺麗だと思うから、だから。
真っ赤な箱ができれば、それは、きっと────
──ああ、そんなこと考えたって仕方ない。
がさがさ、がさがさ。
音が近づいてきた。
〝外〟からだ。この部屋には今、僕しかいないから当然だ。
村の男たちが部屋を訪れるのは【おしおき】の時だけだし、僕が倒れたらおしおきは
あきれるほど変わらない、僕と村人の習慣だ。
〝窓〟なのか〝
「……ねぇねぇおかあさん、あながあるよ」
人間なんだろうな。
でも僕よりずいぶんと小さい大きさ。
だから、きっと子供っていうやつだ。
「このあな、てつのぼうがついてて、なかにはいれない」
ときどきこの部屋の近くに来る人間がいろいろ喋るから、それは知っている。
部屋の外の草むらでは、いろんな人がひそひそと話していく。
だから、生まれてからずっと部屋から出たこともないのに、いろんなことを聞いた。
覚えたくもないのに、どうだっていいのに、たくさんの単語を覚えてしまった。
村人。村長。会議。家族。わいろ。金。女。ぜいたく。好き。
意味が分からないのに、単語だけ覚えてしまう。
もっとも、おしおきの時に浴びせられる言葉が一番よく聞くのだけれど。
知ってもどうしようもないのに、くだらない。
「──なかにねこがいるのに、たすけられないよ」
ねこ?
何の話だ。
中にいるのは僕だ。
僕はねこなのか? いや、忌み子のはずだ。
でもじつはねこなのかな。だったら────
〝たすける〟って、なんだろう。
「何をしてるの!」
女の悲鳴だ。
さっきよりもっと速い勢いで草が
「この家には近づいちゃだめって言ったでしょう!」
ぐいっ。
女が子供を引っ張った。
ちいさい生き物はああいう風に
思った
ふるえる声で女は言う。
「……いなくなって、心配したのよ……っ」
あれ?
心配?
そんな言葉、知らない。聞いたことない。
そんなやわらかい声も、聞いたことがない。
抱きしめる手の力強さも、そもそもそんな触れかたも。
──……知らない。
「お、おかあさ……」
「……っ、怒ってるんじゃないのよ。おかあさんはあなたが心配なだけ」
目から水を出しはじめた子供に、女──〝おかあさん〟とやらが
「ここには怖い忌み子がいて、近づいたら
「ほんとう? おこってない?」
「怒ってないわ。でもここには近づいちゃだめ。分かった?」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい。おかあさん、ごめんなさい」
子供の大声。目からあふれでる水。
あれはきっと、
何度か女が一人で流すのを見たことがある。
「泣かないで」と〝おかあさん〟が言う。ならあの涙を目から出すのが、泣くってことか。
どうしてあの子供は泣いているんだろう。
分からない。
別に考えるようなことじゃない。
きっと、あれは、近づいちゃいけない世界だ。
「もういいのよ。おかあさんもきつく言ってごめんね? ほら、手を
「うん……」
〝おかあさん〟と子供が手を繫ぐ。
しっかりと、手を繫ぐ。
「ほら、もう夕暮れよ。帰りましょう」
「うん、おうちにかえる!」
繫がれた手が夕日に
寒い。
また、寒い。
〝帰る〟二人の姿を見ていると、なんだか寒くてたまらない。
「……おかあさんのおてて、あたたかいね」
あたたかい、なんて知らない。
「繫いでるからよ。それに、あなたのことが大好きだから」
だいすき、なんて知らない。
「ぼくもおかあさん、だいすき! あっ、でもおとうさんもすき」
「ふふ、私もお父さんのこと好きよ。家族だものね」
「うん、おうちにかえるの、だからだいすき!」
家族、なんて。
帰る、なんて。
おうち、なんて。
僕は何も知らない。
楽しげな声が遠ざかっていく。
「でも絶対に、あのおうちに近づいちゃだめよ。おうちのなかにいるモノにも。あそこに近づいたことも話しちゃだめ。近づいたら村の皆に殺されるかもしれないんだから」
「ころされる……?」
「
「タカにいちゃん……ぼろぼろだった……」
「
そういえば以前、変な生き物に指を舐められた。
すぐに人が走ってきて、変な生き物を連れて帰った。
あれは仔牛で、あの人はタカヤというものだったのか。
「タカヤさん、顔も体も
別に僕に近づいて殺された人の話は初めてじゃない。
もう十人くらいになったかな。
これもまた、いつものこと。
「本当、怖いわ……」
え?
怖い? 何が?
死ぬことが? 殺されることが?
……分からない。
草が
僕に近づいて死んだ人。
手を繫いで帰る〝家族〟とやら。
僕は何も分からない。考える自由も感じる自由も許されていない。
何も、知らない。
なのに。
『……おかあさんのおてて、あたたかいね』
『繫いでるからよ。それに、あなたのことが大好きだから』
なのに、本当に本当に本当に本当に寒いんだ。
うずくまる。
寒さなんか感じないよう、自分で自分を強く強く抱きしめて。
そっと、
昏い視界に、夕日に照らされた繫ぐ手が見えた気がした。
『うん、おうちにかえるの、だからだいすき!』
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