第1話「暗雲」

第1話「暗雲」


 それはとつぜんの出来事だった。

「ちょっと。あんた、どういうつもり」

 いつもは明るく私の名前を呼ぶ友達のけいに、登校するなりだれもいない化学準備室へと案内してきたたん、この言葉を言ってきた。

「どういうつもり……って。どういうこと?」

「知らないりなんかしてもだから! だって私昨日、見たんだから! いっ君と紗南が、教室で二人でき合っているところ!」

「……はっ?」

 いったい恵子は何を言っているんだろう。

 いっ君というのは恵子の彼氏でたしか二人は付き合って二か月くらいだったはず。

「何それ! 何かのちがいだって。どうして私が恵子の彼と抱き合う必要があるの?」

「だってあのうしろ姿、絶対に紗南だったもん! 私、しっかりと見たんだから!」

「ちょっと待ってよ! うしろ姿だったんでしょ? 顔、見てないじゃん!」

 私のかみがたけんこうこつあたりまであるストレートのロングに、身長は一六〇センチと平均だ。

 そして体形も標準だから、どこにでもいるへいぼんな女子のうしろ姿なんだ。

「顔、見てないけど……でも!」

 キッと強いまなしを私に向ける恵子の瞳には、にくしみだけがこもっていた。


「まどかが言ってたもん! 紗南は前からいっ君をねらっていたって! だから、体を使って私からうばったんだって! 昨日、言ってたもん!」

「はぁ? 意味わかんない! まどかも何言ってんの?」


 同じクラスのしろさきまどかはクラスの中でも目立つ存在で友達も多い女の子だ。

 不安で痛くなってくる頭をおさえて、私は必死に(冷静になれ)と言い聞かせていた。

「それに、いっ君も認めたんだから!」

「……な、なにそれ」

「昨日、まどかから聞いて、紗南は友達だし、絶対にそんなことしないって信じていたけれど! でも、どうしてもいっ君に聞きたくて私、問いつめたの! そしたら、紗南にせまられて断り切れなかったって……何度か、二人でそういうことしたって……」

 恵子の言葉の最後の方はなみだごえだった。

 なぜ、どうしてそんなことが私の知らないところで起こっているんだろう……

「待ってよ……私、本当に知らない……」

「ウソ、信じられない! だって、まどかも見たって言って、いっ君も……!」

「恵子は私よりまどかや彼氏の方を信じるの?」

「だって思い出せば、紗南ってばいっ君には優しかったもんね! ほかの男子にはあいないのにさ! いっ君にだけは特別だったもん!」


 それは恵子の大切な彼氏だから、愛想よくしてただけだ。

 恵子が彼氏から、恵子の友達っていやなヤツとか言われてほしくなかったから。

「ねぇ、お願い。ちょっと待ってよ。あいざわ君と話をさせて。なんでそんなことを言っているのかちゃんと聞きたい」

「絶対にいやよ! 何考えてるの? バカじゃない! 絶対に会わせないんだから!」


 もうボロボロに泣いている恵子は涙をくこともせず、再び私を憎しみのこもった強い瞳で真っぐに見てきた。

「紗南なんか……だいきらい! 二度と私達に話しかけてこないで!」

 そう大声ではき捨てると、恵子は化学準備室を飛び出していった。

「恵子!」

 恵子を追いかけるため、私も思い切り化学準備室から飛び出した。

 勢いよく飛び出したその先で、出席簿を持って歩いてきたある先生とぶつかってしまう。

「きゃぁ!」

「うわっ!」


 女子生徒の私よりおどろいて大きな声を出したのは、私や恵子のクラス、2‐Aの担任のづき先生だ。

 おたがいにしりもちをついたからろうには激しい音がひびいた。

「や、弥生やよいさんじゃないですか。だいじようですか? どうしてこんなところに……」

 都築先生は弱々しい声を出しながら、こしをさすって立ち上がる。

 な印象がある黒色のまえがみの間から見える瞳には、心配そうな色が見えた。


 急いでいた私は軽く頭を下げて、先生の前から立ち去ろうとするけれど、都築先生は両手を上下させて私の行動をした。

「ちょっと先生じや! どいて!」

「そ、そういうわけには……今、弥生さんものすごくお尻をぶつけましたよね! 大丈夫ですか? 男の僕は何てことないですが、女性であるあなたには……」

 こっちは急いでいるのにおっとりとした話し方で、そのうえ女子生徒相手にお尻の話を始める先生にいかりの感情が込みあがってきて、思い切りにらんでしまった。


「先生、本当に最悪! セクハラ! どっかいって!」

「セ、セクハラ……?」

 都築先生の色白のはだは、私の「セクハラ」発言ですぐにももいろに染まる。

 でも、今は先生のことはどうでもよく、恵子の誤解を解くことが最優先だ。

「あっ、弥生さん……!」

 都築先生のわきをすりけ、じんじんと痛むお尻をまんしながら走り出した。


 ここは化学準備室がある廊下で、私や恵子のクラスはこの先を真っぐ走り、角を曲がったすぐのところにある。

 恵子ともう一度話をして、ちゃんと誤解を解くんだ。

「廊下は走っちゃダメですよー……!」

 後ろからなよなよした都築先生の声が聞こえてくるけれど、私はその声を無視してひと気の少ない廊下をただひたすらに走った。

 そして、とうちやくした2‐Aの教室に私が飛び込むと、教室の中央には泣きくずれる恵子の姿があった。

 まどかを始めとするクラスの女子のほとんどが恵子を囲んでなぐさめていて、その視線は強く冷たい瞳の色で、私へといつせいに向けられた。


「け、恵子……」

 おびえながらも、恵子に向かって声をかける。

「恵子、もう一度話をしよう」

「紗南って本当、自己チューだよね。なに、イイ子気取ってんの?」

 そう言い放ったのは、なぜか私と恵子の彼氏の相沢君が抱き合っているというウソをついたまどかだった。


「まどか、アンタよくも恵子にウソを言ってくれたわね」

「はっ? ウソ? ウソをつき続けたのは紗南の方でしょ。恵子の彼氏をうばおうとしたくせに」

「だから、それは誤解だって……!」

 私の言い訳もむなしく、うわさ好きの女子達はまどかの話に食いついている。

 そして、私を見る視線はけいべつの視線だ。

「相沢君だって認めてるんでしょ? あんたも恵子になおに謝ったらどう?」

 くろかみのロングヘアーを耳にかけ、強めの視線は正義感たっぷりの瞳に変わっている。

「ウソをついているのはまどかの方じゃない!」って、言い出したかったのに。

 でも、それは次々と登校してくるクラスメイト達の声でかき消されてしまう。


「うわっ! 恵子どうしたの?」

 そんな言葉が泣いている恵子にかけられればかけられるほど、私の立場は弱いものへと変わっていく。

 クラスメイト達が泣いている恵子をなぐさめている間、私は一定のきよを保ったまま恵子をずっと見ることしかできないでいた。

 だって、今はなにを言っても、恵子の心にはきっと届かないと思ったから。


 シヨートホームルームになり、泣きんだ恵子は少し落ち着きを取りもどしていた。

 都築先生はそんな恵子を見て驚いていたけれど、事情を聞こうとしても相手にされていなかった。

 そして、私はSHRが終わってからすぐに教室を出て恵子の彼氏である相沢君を探しにとなりのクラスに行った。

 なぜ、どうして何の関係もない私との関係を認めたのか知りたかったから。

 そしてそれを恵子にウソだと伝えてほしかったから。

 相沢君は彼女の恵子が泣いているということを知ってか知らずか、自分のクラスでのん気に友達とだんしようしている。

 またいらちがつのって、私は乱暴な足取りでとなりのクラスに入った。


「相沢君、ちょっといい?」

 私が現れると、たんに気まずい顔になった相沢君を見て、やっぱり恵子にウソをついたんだと確信した。

 きっと、私によく似た女の子と恵子をふたまたしてるんだろう。

 そして、それをすために、私を悪者にしたんだ。

 自分が悪者にならないために。


「……ごめん、今からちょっと用事が」

げるの?」

 かなり冷たい声で言い放った。

 それでも相沢君はこの場から逃げようとするから、私は彼のそのうでつかみ行動を止めた。

「ほら、恵子、見てみなよ。紗南ったら相沢君にまた言い寄ってるよ」

 そんな声が後ろから聞こえてきて、背中に冷やあせを一気にかいてしまう。

 勢いよくり返ると、この教室のとびらの前に立っていたまどかと恵子の姿があった。


「あっ……」

 誤解を解こうと思って起こした行動が、裏目に出てしまった。

 私はあわてて相沢君を摑んでいた腕を放す。

 相沢君はこれ幸いと、そのまま恵子のもとへ走って行った。


「恵子、見た? 紗南ったらバレたからもうあからさまって感じだよね。相沢君、大丈夫?」

「助けてくれてありがとう。恵子、向こうに行こう」

 そう言って相沢君は恵子のかたき、この教室を後にした。

 この一連の行動とやり取りで、私はとなりのクラスでも悪者あつかいの視線を痛いほど浴びてしまった。

 もう、それからは毎日が針のむしろだった。

 噂はどんどんとエスカレートし、「友達の彼氏を奪ったりやくだつ女」から「彼女がいる男でも平気で付き合う女」というレッテルをられ、知らない男子生徒からもからかいの声をかけられるようになった。


 それでも、噂はいつかおさまるだろうと我慢して登校した。

 だって、もしかしたらいつか何らかの形で誤解が解けて、また元通りになれるかもというわずかな期待も持っていたから。


 ─────でも、噂はおさまらなかった。

 おさまるどころか私をからかう人達がますます増え、私は学校での自分の居場所をなくしていった。

 どうして、私は何も悪いことをしていないのに、こんな目にわなきゃいけないんだろう。

 相沢君とまどかのウソのせいで、こんなことになってしまった。

 恵子にはずっと無視をされ、クラスメイト達からもいないもの扱いをされて、味方なんてだれもいない。

 私をせつに追い込むのに必要などくな時間は、すでじゆうぶんちくせきされていた。

 そして、我慢ができなくなった私は担任の都築先生にも何も伝えないまま、二度と登校しない決意をし、学校を飛び出した。


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