1.頂点男子とすそ野女子の攻防④


 話がとんしたように感じ、わたしはきょとんと春日部くんの後ろ姿を見送った。

 イチの友だちのはなやかな人ともフランクに話せたことに、ちょっとこうようしてもいたんだろう。話題が自分の得意分野だったからなのかもしれないけど、そんなに気負うことなくしやべれたことがうれしかった。

「蒼、お前はもう帰れ」

 だからイチからとつぜんそんなことを言われ、頭から冷水をかけられたような気がした。心底混乱した。わたしもしかして、イチにはじをかかせるような大きな失敗をした?

「どうし……」

「サンキューな。蒼の料理はやっぱ美味うまいわ。だけどお前も気ぃつかうだろ」

 そりゃ……。イチの友だちだから気は遣うけど、正直楽しくなかったわけじゃない。

 みんな見た目は派手だ。特に女子二人はこの間まで中学生だったとは思えないほどあかけていておしゃれだ。でも話してみると、みんな根っこはわたしと変わらない十五歳だとわかって、みように安心もした。

 そう思っているのはわたしだけなのかもしれないと、イチの言葉を聞いて考え始めた。

 わたしが気を遣っているんじゃないかとイチは言った。でも裏をかえせば、わたし以外の子がわたしに対して気を遣ってくれているんだぞ、ってことなんだろうか。

 髪も染めていない。メイクもしていない。ピアスなんてもってのほか。洋服はとりあえずお気に入りをぎんして着てきたけど、雑誌から抜け出てきたようなリビングにいる二人の女の子とは、あきらかに次元がちがう。

 特に、シルバーグレイとピンクを足したような、なんと表現していいのかわからない髪色をしている女の子、相良桃菜ちゃんは、ファッションにうといわたしでも、とびきりおしゃれな子なんだとわかる。

 イチに「もう帰れ」と言われてから初めて、あの子たちのかわいらしさがうらやましいと、きようれつに感じた。と同時に、高校生になったのに、中学生の頃とまるで変わらない自分を、ずかしいとのろった。綾川高校は公立の中でも校則はかなりゆるいと思う。

「イチ、わたしもメイクとかしたほうがいいかな? 髪も染めたりパーマかけたり、したほうがいいかな。あの子たちみたいに」

「いや蒼はそのままがいいだろ。しようなんかしたら変にくぞ。絶対やめとけ。絶対な」

「そ……そうか」

「似合わねえ。何もすんな」

 それだけ言うと、イチはわたしに背を向けてリビングに行ってしまった。

 似合わねえ。何もすんな。浮く。絶対やめとけ。

 イチの放った言葉が頭の中でぐるぐるまわる。

 そんな……あの子たちほどかわいくはなれないかもしれないけど、浮くほどおかしいだろうか。ただ、今よりほんのちょっとスタイリッシュになりたいと思っただけなのに。

 皮肉すぎる。

 もとはイチの「お前も気ぃ遣う」という言葉の言外に、「お前はあいつらとは違う」という意味をさとった。自分がどれほどったいか気づいたと同時に、イチにそう思われるのはいやだと痛烈に感じもした。あか抜けたいという思いをイチはしゆんにつぶした。

 めまいがし、立っていられないほどのきよだつかんおそわれる。わたしはそのままそこを抜け出すように、そっと自宅に帰ったんだと思う。


■□■


 最初のホネ会から一年以上たった今、わたしはイチに呼ばれればやっぱり料理作りにおもむく。断ったこともあるけれど、どうしても気になって最終的にはエプロンを持ってイチの家のげんかんとびらを開ける。このままじゃ宵月からのあのごくじよう食材がもったいない。

 それは建て前で、あの食材でイチに美味おいしいものを作りたい。わたしが行かなければきっと肉ばっかり食べるから、栄養のバランスも心配……。幼いころから身についた〝イチほっとけない気質〟が発動し、いてもたってもいられなくなってしまうのだ。

 でも、もう仲間に加わることはない。

 あの時来ていた二人の女の子のうちのひとり、相良桃菜ちゃんは、今でもほぼ毎回参加している。最初の頃、仲間に加わらないわたしに不思議そうな視線を向け、時にはイチのかたさぶって聞いているようなそぶりを見せた。でもそれもすぐに終わった。

 白石麗香さんが仲間に加わってから、なぜか彼女から完全に無視されるわたしにほかの女子も注意をはらわなくなったように見える。

 ホネ会で調理を終えると、毎回げるように自宅にけ込むわたし。それなのにやっぱり声をかけられれば、けっきょくいつもと同じ行動をとる自分自身にあきれ果てる。

 きっと、わたしは極上野菜にくびったけなのだ。きっと、本当は、ただそれだけなのだ。


 でも、高校に入ってからの、心にぽっかり穴が空いたようなこのさびしさはなんなのだろう。

 幼い頃からわたしが勉強を教えたり、料理を作って食べさせたりしてきたやんちゃな弟を、フォネツのメンバーに取られたような気がしてしまうからだろうか。フォネツのメンバー女子……とまではいかなくても、少しはあか抜けたいと思ったその気持ちを、ばっさりイチにられたからだろうか。


「蒼、蒼っ!」

「あ、えっ?」

 あわてたようなこわにそっちを向くと、麻織がどんぐりまなこでわたしを見つめていた。

「どうしたのよ? ぜんぜん筆が動いてないよ? しんせん野菜の映像が脳内ではっきりしてるうちにいたほうがいいんでしょ?」

 わたしの野菜グラフィックは、美術室に入ってからちっとも進んでいなかった。

「あれほんとだ。おかしいなあ」

「蒼、たまにこういうことがあるよね? 高校に入ってからだよね、こんなの。中学の時は絵に向かうと夢中になっちゃう子だったのに」

「そりゃ……。わたしだって高校生ともなればなやみのひとつやふたつ出てくるよ。人を美術バカのように言わないでよ」

「美術バカだったでしょ。だからいくつも賞を取ってるんだよ、蒼は」

「バカって単語……中間期末の校内成績十位以内が常連の蒼ちゃんに似合わないよねー。でも確かに美術に関してはそうかも。蒼ちゃん、たまにぼーっと考え込んでることあるよね」

 いつの間にか宮市くんも筆を置いている。入り込むとまわりが見えないのは麻織だって宮市くんだって同じなのに。心外!

「なんか、どうにも気が乗らないかも。昨日変な時間に起き出して描いたから、体内時計がおかしくなったみたい。今日はもう終わりにしよっかな」

「蒼、だいじよう? 確かにちょっと顔色悪いよ」

「うん。今日は帰るね」

「送るよ」

 宮市くんがそう申し出てくれた。

「いいよー。そんなに遠くないし。宮市くんの絵、いつも時間かかるから少しでもやっていったほうがいいでしょ?」

「蒼ちゃんのほうが心配」

 そうつぶやくと、まだ座っているわたしをしり目に、立ちあがって自分の絵の具を片づけはじめた。

「えー! それはほんとに悪いってば宮市くん」

「そのグラフィック持ち帰るんでしょ? 荷物多いんだから調子の悪い時くらい甘えてよ」

「蒼、送ってもらったら? ほんとに具合悪そうだもん」

 麻織が心配なんかぜんぜんしていない口調で、しかもにやにやしながらたたみかける。

「でも宮市くん……」

「蒼ちゃんには体育祭の時、生徒会の仕事手伝ってもらったし。困ってる時はおたがい様でしょ? それに実は僕も今日はあんまり気が乗らないんだよね」

 わたしはふっと気がけてみをこぼしてしまった。それ、ほんとなのかなあ。

 イーゼルにっている風景画はもともとかんぺきだから、判断のしようもない。でももしこれがづかいならうれしい、なんて思ってしまうわたしは、きっと相当つかれている。

「ありがと。宮市くん」

 わたしもなおに立ち上がった。


 宮市くんはわたしのきかけ野菜グラフィックをはじめ、絵の具とか、美術関係のものを全部持ってくれて、我が家のある駅まで来てくれた。

「駅からそんなに遠くないし、ここまででいいよ」

「大変だよ、調子の悪い身体からだでこれ全部持って歩くの」

 やさしいなあ、とななめ上にある横顔を見上げた。

 宮市くんは文学青年風のようぼうで、イチみたいな運動部男子じゃないけど、わたしが持てば身体がかたむくような重さの荷物も軽々と運んでいる。やっぱり男子だな、と感心しちゃう。

「蒼ちゃん、あぶない」

 車道側を歩いていたら、さりげなくわたしのうでに手をかけ歩道側にゆうどうしてくれた。

 うわああ! とのけぞるほどびっくりした。

 女子を歩道側に誘導!

 これって、雑誌か何かで読んだことがある「男子にされてきゅんとくるこう」のかなり上位にランキングしていたおくがある。わたしが男子から、このような女の子あつかいをしてもらえるなんて!

 なんたって一番近くにいるのがイチだ。わたしを女子だともなんとも思っていないあのドS男子。

 昨日のホネ会で、何人かいた女子の中でわたしだけがそのわくに入っていないことに、自分が思っているよりずっとらくたんして、結果疲れてしまったのかもしれない。

 ひとり性別不明状態っていうのは、心が冷えてり固まるものなのだ。それが気持ちのいい温度のお湯で、解きほぐされていくような感覚がした。

「ありがと」

 下を向いてひかえめにお礼を口にする。

「いやいや」

 話題を変えないとなんだか泣いてしまいそうだった。

「宮市くん、コンクールに出す絵画、決めてるの?」

「描きたいものはあるんだよね」

「なになに?」

ないしよ。たぶん描けないものだから」

 照れたような笑みを見せた。

「わかった! また風景画だよね? 描くのに許可がいるような場所なんでしょ?」

「風景画じゃないんだけど、実はそうなんだよね。許可取らないと描けない。それで、たぶん許可は取れない」

 いつも天然で空気を読まない発言も多い宮市くんが、なんだか歯切れが悪い。

「あ、ここだよ、わたしの家。このへん一挙に売り出した建売住宅ばっかりなんだ。そっくりの家がいっぱいあるでしょ」

「俺んちとかな」

「えっ」

「は?」

 後方からいきなり飛んできた声に、二人同時にり返る。とんきような反応をしてしまった。

「イチ、早くない? バスケ部もっとおそくまでやるよね?」

 そこには部活のジャージ姿のままのイチがいた。バスケ部のジャージはかっこいいからそのまま帰っても問題ない。

 はちわせをしたらいやだな、と無意識のうちにバスケ部が終わる時間を計算に入れていたことに、今気づいた。

「早く終わる時だってある」

 ぶっきらぼうにそれだけ口にすると、自分の家の低いもんに手をかけた。

「ああ、蒼。明日あしたちょっとつき合えよ。バッシュ買うわ。あとミミちゃん夜勤だろ? 俺行ってやるよ、明日、夜雨だって」

「い、いいよ! 何言ってんのよ。わたしはイチとちがって友だちとか呼ばないし。手伝ってもらうこともないし! そんな必要ないから!」

「あーあー。そんなムキんなっちゃってなー」

 イチはちやすような言葉を完全棒読みで口にすると、そのまま門扉の中へ、そしてげんかんとびらを開けて家に入って行った。

 もう。なんだろうあの態度。わたしが男子に荷物を持ってもらって帰ってきたのが、そんなにおかしいのかな。

「ごめんね。イチがよくわかんないこと言って。あいつ最近ほんと何考えてんのかちっともわかんないの。うちのお母さんが夜勤だって、別にうちに来ることなんてないのに」

 確かにすごい雨だったりすると心配はしてくれる。

「でも蒼ちゃんは松風くんのお母さんが夜勤の時は、よく家に行ってめんどう見てるんだよね」

「面倒なんてもんじゃないよ。もう家政婦だよ家政婦! 有名でしょ? イチたちフォネツが、夕飯食べながらゲームやったりしてお祭りさわぎしてるの」

「うん、でも試験前は勉強会になったりするって聞くよ」

「試験前のいつしゆんね。はんこう期&バリバリ中二病の弟って感じ? このままじゃ困るって」

「……ほらね。許可は取れないんだよ、人物画のさ」

 独り言みたいにぼそぼそ呟くから、いまひとつ聞こえなかった。

「え? なに?」

「いや、なんでもないよ。松風くんは蒼ちゃんをいつも心配してるんだと思うよ」

「まさか! めずらしくわたしが男子に送ってもらってるとこ見て、からかう気になったんじゃないの?」

「そうかな」

「そうだよ」

「あーあ。自覚なしだし。本人の許可も取れないんだよね」

 宮市くんの話も今日はよくわからないけど、つっこんで聞く元気もない。

 せっかく送って来てくれたのになんだかあやふやな空気の中、わたしは宮市くんから荷物を受け取った。明日、お礼にこうばいでジュースとお、買わなくちゃ。



<続きは本編でぜひお楽しみください。>

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