1.頂点男子とすそ野女子の攻防②

 春日部くんだけがまだダイニングテーブルのまわりでうろちょろしていて、そのうちわたしの仕事っぷりを見ようと思ったのかカウンターのほうまでまわりこもうとした。

 当然かもしれない。春日部くんは〝宵月〟オーナーのむすだ。自分の親のお店の人が、わざわざ軽トラで運んでくれた食材だ。

「大和、そっちは──」

「こんにちはー」

「ちぃーっす」

「来ちゃったぁ」

「わあ、玄関広いねー。イチの家すてきぃー」

 イチが春日部くんをさえぎろうとしたしゆんかん、玄関で明るいソプラノがいくつもさくれつした。わたしの大の苦手な女子軍団の登場だ。

「大和、あっち迎えに行って」

 イチがわたしのほうに来ようとしている春日部くんに、そう指図した。

 女子たちは基本、わたしのことは態度では無視だ。ただし、言葉は発しないくせに視線を上から下までなぶるようにわせてくる子がたまにいる。実を言うと全力でこわいです。

 みんな学校の時よりあきらかにはなやかなメイクをしている。

 特に綾川高校一の美女とうたわれているしらいしれいさん、わたしにちようつめたい彼女は白いはだに真っ赤なリップが目をいて、モデルばりの美しさだ。彼女はしゆつの高い個性的な服装のことが多い。

 今日も、ダメージ入りまくりのショートパンツにオーバーサイズのジャケットをくずして羽織っている。くつなんてわたしがいたらひっくり返りそうな厚底がご愛用品だ。

「イチおじゃまぁー」

 白石麗香さんを筆頭に、ダイニングテーブルの上に持って来たジュースやお、デザートらしきおみやげを置くと、次々にリビングへ入って行く。キッチンには近づきもしない。こっちに目配せをしてちょこっと頭を下げてくれる子もいるけど、基本わたしは空気だ。

「そんじゃ蒼、みんなそろったからサイコロステーキ焼いちゃって」

「うん」

 そんなイチの命令調の指示にも、この場でやることのできたわたしは飛びついた。

 でも、みんなが手分けしてお皿を運んだりジュースを注いだりしている間に、サイコロステーキは簡単にできあがってしまった。

 男子も女子も、庭に面したリビングで、きゃあきゃあと楽しそうに用意をしながらじゃれている。

 キッチンをはなれたくない。あそこに行きたくない。だけど、だれもこの完成したステーキのお皿に注意をはらってくれない。

 ばっちりメイクに流行はやりの服をそつなく着こなすあの女子たちの中では、すっぴんでったいエプロン姿のわたしは思いっきりいてしまう。

「イチ……」

 つぶやいたけど、L字の大型ソファをみんなが座れる形に直しているイチに、わたしの小声は届かない。

 仕方がない。このステーキはわたしが運ぶしかないんだ。これを運んだらすぐ家に帰ろう。

 ごくじよう野菜に興奮しきって楽しく調理にいそしんでいたさっきまでの気持ちが、うそみたいにしぼんでしまっている。

 わたしはサイコロステーキの大皿を両手で持ち、意を決してリビングのほうに歩き出した。大きなローテーブルのはしに、できるだけそっと置く。さあ早くここから出て行こう。

 しかしながら、あせったわたしは足が変にもたつき、リビングとダイニングのほんの二ミリの境につまずいて転んだ。

 お皿を持っていなかったのが不幸中の幸いだ。でもかなりの音がして、みんながばらばらとこっちをり向く。さっきまでのそうぞうしさが一瞬にしてみ、みんながわたしに注目していることがわかる。

 ぷっと、小さくき出す声が静まり返ったリビングにひびく。女の子の誰か、たぶん白石麗香さんが笑ったのだ。顔が火をいているのがわかる。

「えーと失礼します。楽しんでください」

 おかしな体勢のまま、わたしは頭をさげ、きびすを返した。

「蒼ちゃん、ありがとな!」

 とっさに大声でそうさけんでくれたのは春日部くんだけだった。

「蒼、俺たちおそくまでここで遊んでると思うから、腹減ったら電話する」

 イチの声が背中を追ってくる。また何か作りに来いってか。

「ごじようだん、で、しょ」

 呟く自分の声はのどにつまるなみだのせいで、くちびるかられたかどうかわからない。

 わたしは玄関で靴を履くのももどかしく、すぐとなりの自宅にげ帰った。


 今日はうちのお母さんも準夜勤だ。

 なぜかローテーションで美和ちゃんとかぶることが多い。大きな大学病院で、担当のびようとうちがうけど、準夜勤や夜勤の時間帯は同じなのだ。

 のろのろとした手つきでかぎあなに鍵を差し込もうとして、足元になにかが置いてあることに気がついた。夕暮れの光の中で、小さなダンボールに入った野菜が、つややかな色を発していた。

 鍵を開けるとわたしはそのダンボールをかかえ、さっきまでいた場所とまるで変わらないげんかんに足をみ入れる。上がりがまちにダンボールを置くと、そのままそこにへたり込んだ。

 いつからこんなことになってしまったんだろう。どうしてイチはわたしにいつまでもこんな役目をさせるんだろう。

 中学生のイチも、今と変わらずクラスや部活のわくえ、学年で一番目立つ子たちとつるむことが多かった。フォネツみたいな名前こそなかったけど、やっていることは今とほとんど同じ。

 母親二人が親友の松風家とわたしの家、桜木家は示し合わせてこの建売住宅を隣同士でこうにゆうした。イチとわたしの父親同士もうまが合って、すぐに意気投合したそうだ。

 そして二家族には半年違いの同学年で子供が生まれた。先に生まれたのが桜木家のわたし。そして半年後に松風家のイチ。

 わたしとイチは生まれた時からいつもいつしよで、とても幸せに育った。しばを張った庭で子供用プールに入ったり、バーベキューをしたり。まだお父さんがいたころおくは温かいものばかりだ。

 それが一変したのが小学四年の秋の休日だった。イチのお父さんとわたしのお父さんは二人でゴルフに行き、その帰りに交通事故にった。スリップしたトラックが、中央ぶんたいを乗りえてお父さんの運転する乗用車にっ込んできたと聞かされている。

 イチのお父さんはそくだった。でもわたしのお父さんは病院でしばらく生きていた。

 わたしのお父さんはまだ九歳だったイチに対し、蒼をたのむ、とり返し言っていた。何度も何度も、それこそ息の止まる寸前まで。

 それに対し、イチは見たこともないほどしんけんな表情で、お父さんの手をしっかりにぎり、約束します、と答えていた。

 それがわたしの記憶に残るお父さんのさいだけれど、今となってはあれが本当にあった出来事なのかどうか判断がつかない。だっておかしい。どうしてうちのお父さんはお母さんじゃなく、まだ小学生のイチに「蒼を頼む」と言ったのか。

 イチだって自分の父親をとつぜんくし、パニック状態にあったはずだ。うちのお父さんやわたしのことになんか、かかわっていられる精神状態だったとは思えない。

 蒼を頼む。約束します。今でも耳に残るあのやりとりは、大好きなお父さんを亡くし、誰かにたよりたくなったわたしの弱い心の表れなのかもしれない。

 それからの松風家と桜木家は文字通り力を合わせて生きてきた。家の保険というものが下り、世帯主を失った松風家も桜木家も住宅ローンの返済がめんじよになったらしい。

 おかげでこの住みは手放さずにすんだ。

 そして幸いにも母親二人は看護師という立派な職業を持っていた。

 イチとわたしが小学生の頃には、夜勤がかぶらないように病院側に調整してもらっていたようだ。そしてどちらかの夜勤の時は、そうではないほうの母親が子供を預かる。男女だったこともあり、中学にあがると子供の預かり合いはやめたけれど。

 ダンボールのふたを開き、さっきイチの家で見た時から一目ぼれだったオレンジのパプリカを手に取る。

「わたしがきたがること……」

 ちゃんとわかっていたんだね。

 野菜をへんあいするわたしの、綾川高校での所属は美術部だ。

 モチーフにしているのは野菜ばっかり。こんなに大きくて色つやのいいパプリカは、我が家の経済状態じゃとても買えない。庭の一角にある自己流家庭菜園でも作ることはできない。

 きようだいみたいに育ったイチ。勉強はわたしのほうができたから、中学時代は中間、期末の時期はよく教えたし、高校受験の時もだいぶ頼られた。そんな時は弟みたい、と思っていたけれど、イチからしてみたら引っ込み思案でおとなしいわたしは、妹的な存在だったのかもしれない。

 だから、イチは、家族のように育ったわたしを守ろうとしてくれていたのかもしれない。わたしが困っていれば必ず手を差しべてくれる。

 家族ぐるみのつき合いもさらに強固になり、イチは男手のない我が家で力仕事が発生すると気軽に手伝ってくれる。意味もなく我が家のリビングでくつろいでいることも日常はん

 ただ持って生まれたイチとわたしの性格の違い、コミュ力の違い、スペックの違いは学校生活においてはけようもなく、確実に反映された。

 イチとわたし。お父さんがいた頃にもそこそこ開いていた教室内での上下関係は、ねんれいとともにどんどん大きくなった。

 今ではイチは綾川高校の貴族か、もしかすると王様だ。まわりには似たような貴族様ときらびやかなおひめさまが取り巻いている。

 平民でも下働きクラスかもしれないわたしとは、普通に考えればもう接点はないはずだ。わたしは学校では、派手なメンバーと群れるイチを、自分とは異質で簡単に手を伸ばしてはいけない存在のように感じていた。

 なのにイチは今でもこうしてわたしをちゆうはんに頼り、みようきよかんを保ち続けてくる。

 学年トップの男女がつどうホネ会には入れてくれないくせに……というか、わたしも入るのは気が進まない。こわいのかもしれない。

 イチが、春日部くんに頼んでおいてくれたらしいパプリカのオレンジを、ためつすがめつながめながら深いため息をついた。

 イチはやさしいんだか勝手なんだかちっともわからない。宵月オーナーのむすも女子軍団もいるけど、残念なことにみんな料理をしないらしい。でもみんなでわいわい作るのだって、味はどうあれ楽しいと思うのにな。

 だからわたしを料理のためだけに呼びつけるのは、そろそろやめてほしい。

 そりゃ料理は大好きで、さらに野菜ともなれば偏愛レベルだけど、それも場合によりけりなんだとわかってほしい。

 もっとも、イチの頼みを断れないわたしが、実は一番問題なんだとわかっちゃいるのだ、心の中では。

 ゆうやみせまる空の様子があやしくなってきた。夕立かな、大雨かな、かみなりが鳴るかな。

 もうてしまおう。大雨の中ひとりでいるのはいやだけれど、イチの家にもどるのはもっと気が進まない。

 イチから料理追加の電話がかかってきても無視できるように、わたしはけいたいの電源を切った。まだ夕方だけどベッドに入ってとんを頭からひっかぶる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る