1.頂点男子とすそ野女子の攻防①

 今日は休日で学校はお休み。

 でもイチは午前中、バスケ部に出ていて、夕方からホネ会を開くという。フォネツの会を、略してホネ会と呼び出したのはそのメンバーたちだ。

「うわ、イチっ。そんな切り方したら手ぇ切っちゃうよ。こうだよ、こう」

「うるっせえな、蒼。俺はこういう切り方のほうが好きなの」

 アイランドカウンターで向かい合って大量の野菜を切っている。イチの危なっかしい手つきに視線をうばわれ、作業がちっとも進まない。

「おわぎゃっ!」

「切った?」

 イチのかいな悲鳴に、ようやくじゃがいもにもどした視線をとっさに上げる。

「ききき、切ってはないけど……」

 イチの前のまな板にはズッキーニのぞろいな輪切り。これでも切りやすい野菜を指定したつもりなんだけど。

「もうちょっとなおになってよイチ。そうしないとほんとに指まで切ることになるよ?」

 わたしはにぎっていた包丁を置き、カウンターを回ってイチの隣に立った。

「包丁の持ち方はこうだよ。ちゃんとの根元をしっかり握るの。野菜を押さえる左手はえる感じで──」

「あぶねーって蒼! 包丁のそんな近くに指を」

「怖がって遠くを押さえるから、ズッキーニが安定しなくてゆらゆら動いちゃうんだよ。押さえる手の形は軽いグー。こうだよ」

 背後にまわり、イチの両手を、野菜を切る定型に形作り、上からわたしの両手で押さえた。

「ちょ、やめ……。こんな近く……密着やばい」

の平は、押さえの指に密着させるイメージなのよ。刃先が怖くて包丁が使えるかっての」

「いや、そういう意味じゃ……」

 これくらいのことにフォネツのトップが怖がってまったく! イチのほおがふだんちょっと見ないくらいのさくら色に上気している。

だいじよう、怖くないってば」

「おおおお、おう」

 イチはちゃんが夜勤だと、その時々の自分の仲間──中学時代の派手メンツや今ならフォネツ──を呼んで、いつしよにご飯を食べたがるのだ。それは中学二年からのことだから、自分ひとりで料理する機会もない。夜勤の時の料理はわたしだのみだ。

 中学の時は人数も少なかったからわたしひとりでがーっと作っていたけど、高校に入ったら女子まで仲間に加わり、多い時だと十人を超える。

 これからも続けるつもりなら、イチにも一人前の戦力になってほしい。

 イチはわたしとおなじで早くに父親をくし、看護師をしているお母さんひとりに育てられている。勤務先が大学病院の美和ちゃんは、仕事の時間が不規則で、こうやって休日の午後からよるおそくにかけて勤務のことがたまにある。三交代制の準夜勤だ。

 美和ちゃんとはイチのお母さんのことだ。物心ついた時からうちのお母さんが美和とか美和ちゃんと呼ぶから、それで定着してしまった。ちなみにイチはうちのお母さんのことをミミちゃんと呼ぶ。わが母、さくら四十三歳。

 どうしてこんなにくわしいのかって、うちのお母さんも美和ちゃんが勤める病院で、看護師をしているからだ。二人は看護学生時代からの親友だ。

 それにしてもイチ、身長びたな。わたしのほうが大きかった時期もあったのに、今では百七十五くらいはありそうな。わたしと十五センチ以上ちがっちゃう。そんなイチの後ろからのぞき込むようにして包丁を動かす。

「いーい? いくよ? 包丁このまま動かすよ?」

「…………」

 固まっているイチにかまわず、イチの手の上から握った包丁をリズミカルに押し出す。

「こうやってすっすっすっ。ね? 難しくないでしょ?」

「わっ。わかったよっ。むずくねえってば。だからはなれろ!」

「うん。もうイケる?」

「こんなのぜんぜんひとりで平気だよっ!」

「イチ、危ないから包丁り回さないでよ」

「別に振り回してねえだろ、これでいいんだな」

「え、違、あ─────っ」

「ぎぃゃああああーっ!!」

 ……けっきょくイチは人差し指のつめを包丁の切っ先にひっかけ、けっこうな量の血がまな板についた。


「わりーな、蒼」

「いいえー」

 大量の食材をもうスピードでさばくわたしに対し、指に大判のばんそうこうってダイニングテーブルにじんっているイチは、足組みをしてスマホ画面に視線を落としている。ぜんぜん悪いと思っている態度じゃない。

 でもあのまま危なっかしい手つきのイチを気にかけながら自分の作業をしていたんじゃ、時間までにとうてい終わらないだろうな。幸い、イチのもたいしたことがなさそうだ。戦力になってくれるのはきっとまだまだ先。

 イチのお父さんは料理が得意で器用なほうだったとおくしているけど、そこは受けいでいないのかもしれない。

 顔や性格は似ている。人を巻き込んでやみくもにっ走るチャレンジ精神なんか、そっくりだ。

 イチのお父さんは、今ではすっかり有名になったITベンチャーぎようの創設者数人のうちのひとりだった。あの事故がおこらなければ、いまごろイチはだいごうのひとりむすになっていただろう。

 時がたったのだ。あの事故から七年。わたしもイチも、こうしておだやかな日常を送れるようになっている。

 しゃかりきになってじゃがいもの皮むきをしているわたしの近くで、リラックスした表情でスマホをいじるイチ。イチはたまに顔をあげてこっちをかくにんし、また視線を落とす。午後のほんのりと色づいた光の中で感じるこんな空気が、わたしは、きっと、きらいじゃないんだ、と思う。

 たとえイチたちのホネ会に、わたしは入ることが不可能だとしても。

 できればあの人たちが現れる前に、料理を作り終えて家に帰りたい。今日のステーキメインのメニューじゃ無理だけど。


「よおーっす! イチ、いーいー?」

 げんかんから第一陣の声がする。この声はイチと一番仲良しの春日部大和くん、だろうか? この子はイチと同じバスケ部。午前中は一緒に学校にいたんだろう。今日の集まりは全員で八人だと聞いている。

「入ってこいよー、大和」

「ういーっす」

 玄関までむかえに出ることもなく、大声でこたえているイチ。

 だめだ、料理がじやつかんおくれ気味。

 最後に調理する予定のステーキだけは、できたてにこだわらなくちゃならないから、みんなが来てからのスタートでも仕方がないと思っていた。でもほかの料理はコンプリートしておきたかったのに。

「わっるいのー、なんだよイチ、手伝えよ。蒼ちゃんひとりでこんだけ料理すんのめちゃ大変じゃんか」

 春日部くんはイチの背中をドーンとたたいた。

「最初はやったんだよ。でも手ぇ切った」

「どんまい」

 イチがひらつかせた絆創膏に視線を移すこともなく、春日部くんは口先だけでなぐさめた。


 それからすぐくぼたにくんとやなくんが来た。二人ともおみやげをダイニングテーブルの上に置くとすぐにリビングに入って行った。

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