第3話「空を見上げれば」①

 ポタ、ポタ……と、スマホのディスプレイになみだが落ちていく。

 そこにはクラスメイトのなつかしい名前がずらりと並んでいた。


【今日、都築先生が紗南の家に行くって言ってたねー】

いつしよに行きたい人はれんらくくださいって言ってたけど。だれが行くかっつーの笑】

りやくだつ女の顔なんか見たくないって笑】


 男女問わず、私のことについてトークをしている画面が視界に入ってくる。

 私もちゆうめておけばよかったのに、気になってとうとう最後まで見てしまった。

 そして、そこにはまどかから恵子に向かってメッセージが送られていた。


【恵子、さそわれていたねー。行ったの?】

【行かないよ。もう友達じゃないもん】

 その一文をどくにしてふるえる指先で私はすぐにグループから退会し、アカウントも消した。

 もちろんアプリそのものもスマホから消す。

 今見たものをなかったことにしたかったんだ。

 全てはウソで、あんなものはもとから存在しなかったことに。


 でも、そんなことはほうでも使わなきゃ無理だ。

 だから、今見たものは全て現実で、私は今でもクラスメイト達からいらない人と思われている。


「……もう、いやだ」

 外まで聞こえるくらい大声でさけびたかった。

「私は悪くない! なにもしてない!」って。

 でも、私の声なんかだれも耳をかたむけてくれないだろう。

「ふっ……」

 自然に出るなみだごえを誰にも聞かれたくなくって、布団にもぐり込んだ。

 もう、色々と考えるのがバカらしくなってきた。

 もう、どうでもいいや。

 気持ちも体も重いままベッドから立ち上がり、私は部屋の窓に向かう。

 久しぶりにカーテンを開け、窓も開ける。

 外をながめると空は暮れ始めていて、っすらと夜の気配がした。


「……ここから落ちたら、どうなるかな」

 二階くらいじゃ骨折する程度かもしれない。

 何もかもいやになった今、全てを投げ出したいけど、アイツらのせいで人生が終わりになるなんてバカらしいし骨折で終わっちゃうんじゃただの痛み損だ。

「バカなことはやめよ……」

 下を向いても見慣れた自宅の庭で、多少の雑草が生えただけの普通の地面だ。

 そこには私を変えてくれる何かがあるわけじゃない。

 涙を止めてくれるものがあるわけでもない。

 そんなの、きっと見つかるわけない。

 それに、私にもしものことが起きても、周りの人には同じ日々がり返されるだけ。


「早く明日あしたになって……」

 雑草ばかりの庭を見つめ、ポツリとつぶやく。

 その日の夜は夕ご飯も食べる気になれず、電源をオンにしたスマホを見つめ、都築先生からの今まで送信されてきたメールをずっと繰り返し眺めていた。

 そして翌朝、トイレに行こうとした時、メールが届く。

 時計をかくにんすると時間は七時半。

 ……都築先生だ。

 スマホを取る手は今までの中で一番速かったのかもしれない。

 今日はどんなメールを送ってくれているんだろう。

 多分【おはようございます。昨日はありがとうございました】とか事務的なメールな気もするけれど。

 苦笑いしながら見たそのメールには、今まで見たことがないくらい長いメッセージがつづられていた。


【昨日はありがとうございました。久しぶりに弥生さんの顔が見られて、安心しました。だけど、ちゃんとねむれていますか? すいみん不足はいやな念を吸い込んでしまいますよ。気を付けてください】


「ぷっ、なにそれ」

 そんなこと聞いたことがないなと思い、笑いながら続きを読んでいく。


【昨日、弥生さんを見てふと思いました。ちゃんと空気を吸ってますか? 心にもいききをさせてあげてください。ずっと閉じこもっていては、下ばかり見てしまうようになりますよ】


 メッセージを読んでいて、笑う声が止まる。

 息なんかちゃんとしてる。

 だって、息をしなくちゃ生きていけないじゃない。

「心にも息抜きだなんてさすが国語教師ー。ポエムとか書いてんじゃない? この人」

 バカにするようにまた笑い、でも心の奥では的を射られていて胸が苦い気持ちでいっぱいになる。

 そして、メッセージは最後の二文になった。


【今日は雲一つない青空ですよ。窓を開けて、一度でも空を見ましたか?】


 したくちびるんで、グッと込みあがってきたものをまんした。

 私、閉じこもってから一度もちゃんと空なんか見ていない。

 見ていたのは下ばっかりだ。


 私はスマホを手にしたまま立ち上がり、窓を開けた。

 初夏を思わせる少し暑い日差しをはだに感じ、でも朝のんだ空気は私の体に気持ちよさをもたらしてくれる。

 私は思い切り深呼吸をして空を見上げた。

「はぁ……」

 そこには都築先生のメッセージ通り、真っ青な空が広がっている。

 どこまでも遠く続く青空を見ていると、しように泣きたくなった。

 自分がとんでもなくちっぽけな存在みたいに思えて、なやんでいた心が少しだけ軽くなった気がした。


「本当に、心にも息抜きって必要なんだな」

 それはポツリと呟いた独り言だった。

 でも、なんだか都築先生に言いくるめられたみたいだし、変なポエムにせんされたみたいで自分自身が気持ち悪くなってくる。

「うわー、もう気持ちワル!」

 スマホを持っていない手でうでをさする。

 でも、そんなふうに思いながらもその日は一日カーテンを開け、窓からの光を部屋に取り込んだ。

 なんだかそれだけで真っ当な人間に返れた、というのは言い過ぎかもしれないけれど、それでも気分はよかった。


 そして翌日。

 またいつもの時間に都築先生からメールが届いた。

 そこには目を丸くさせるメッセージが送られてきていた。


【おはようございます。担任の都築です。弥生さん、学校はどうなさいますか? まだ来られないのなら、僕が勉強を見たいと思います。場所も学校ではなく、となり町の図書館にしましょう。今週の土曜日、空けておいてください】


「……はぁ?」

 何を考えているんだろう! この先生!

 しかも、一方的に曜日とか決められているし!

「図書館か……」

 先生と二人っきりで会うことが、世間いつぱん的にいいのかどうかなんてわからない。


 そうだ、もし土曜日が晴れたら行こう、雨だったらやめればいいじゃない。

 自分で勝手に条件をつけて、私はかべってあるカレンダーの土曜日に赤ペンで丸をした。

「雨だったら、気分が悪いとか適当な理由つけたらいいよね」

 赤ペンを指先でくるくる回しながら、今週土曜日をジッと見てしまう。

 それに先生も部活があるんだから、わざわざ私一人のために時間をいている場合じゃないだろうし。


 そう思うとまた苦い気持ちが込みあがってきて、赤ペンを机の上にポイッとほうり、気分をまぎらわそうとパソコンの動画サイトを開く。

 今日も決まった時間に動画サイトをこうしんして、ちよう者を楽しませるためにあくせく働いている人が画面の中にいる。

 私はそれを笑って見ながらも、半分は集中できないでいた。

 そしてつまらない日々が過ぎ、土曜日の朝になった。

 天気予報は晴れ時々くもり。

 これなら先生は確実に家にむかえに来るだろう。

 木曜日の朝までは学校行事についてのメールだったのに、金曜の朝には【明日、家まで行きますね】なんて送られてきたもんだから、いやが上にも心臓は反応して、今日までずっと高く鳴りっぱなしだ。


 ソワソワと落ち着かない気持ちで過ごしていると、家のインターホンが鳴る。

 都築先生はきっちり十時に私をむかえにやってきた。

 げんかんでは、先生はお母さんに前もって話を通していたのか「どうかむすめをよろしくお願いします」という声が聞こえてきた。

「親の許可も取ってるんだ。さすがきっちりしてるわ」

 ここまでようしゆうとうなら、一人あがいている自分が無様に思えてきた。

 もう、行くだけ行って適当に勉強して帰ろう。


「弥生さーん、むかえに来ましたー。行きましょー」

 玄関からびした声で私を呼ぶ先生。

 私が「はーい!」なんて返事でもすると思っているんだろうか?

 そんなことを考えると、ずかしくて顔から火が出そうだ。

「もう……行きゃいいんでしょ!」

 適当に教科書とノートをトートバッグにめ、勢いよく立ち上がった。

 登校きよを始めてから四週間。

 この日、登校拒否をしてから私は初めて外に出た。


「あっ、来た来た」

 私がめんどうそうに階段を下りていくと、それはうれしそうに笑った都築先生が玄関に立っていた。

 その姿はいつもの学校での白シャツとスーツのズボンとかじゃなくって、メンズブランドのTシャツと細身のデニムだ。


「紗南、先生にめいわくをかけちゃダメよ。今までおくれた分、ちゃんと勉強して……」

「もう、うるさい」

 ぶつちようづらでお母さんの話を自分の声でさえぎり、乱暴にサンダルをはいた。

 お母さんはずっと先生に頭を下げていて、先生も両手をり「だいじようです」と答える。

 学校の問題のことで親がかかわると、どうしてこんなにイラッとするんだろう。

 放っておいてほしいといつも思ってしまう。

「では、お昼には帰りますので」

「本当にどうぞよろしくお願いいたします……」

 それでも小さくなったお母さんの姿を見て、ズキンと胸が痛む。

 できるだけお母さんを視界に入らない様にさせて、私は先生より先に家を出た。


「あっつ……」

 昨日、一日中雨が降っていた外は、想像以上にし暑い。

 はんそでの腕にジメッとした雨特有の不快感を覚えた。


「もう初夏の陽気ですからねぇ。でも車の中はクーラーをきかせているのですずしいですよー」

 先生の車の中は本当にクーラーをきかせてくれていて、私は助手席に乗った。

 それでも先生は「よかったです、乗ってくれて。では、出発しますねー」とのんびりした口調だ。

「弥生さん、シートベルトお願いします」

「……はーい」

のどかわいていませんか? 一応、女子高生が好きそうなドリンク、買って来たんです」

「……別に、渇いてない」

「あっ、今日は現国と英語メインにしましょうね。二時間しかないので……」

「それより早く出発してよ」

「あぁ、そうですね。はいはい」


 先生は会話に夢中になっていて、いつまでたっても車を出発させようとしない。

 本当におっとりしていて、のんびりしている人だ。

 それなのに、運転する姿は大人の男の人を意識させるなんてズルいと思う。

 運転席にお父さん以外の人がいるなんて経験がほとんどないから、余計意識しちゃうだけなんだと思うけど。

 そして車をゆっくりと発進させて都築先生は私に陽気に話しかけてくる。


「そうだ、となり町の図書館までは二十分くらいですから。音楽でもかけましょうか?」

「……いらない」

「じゃあ、ねむっていてもいいですよー」

「……眠たくない」

 こうして会話をしていたいと言ったら、この先生はきっとバカみたいに喜ぶんだろうな。

 私が「もういい」って言うまでずっとしやべっていそうだ。

 一方私はというと、久しぶりに家族以外と会話をするのが案外ここよく楽しかった。


 そしてとうちやくしたとなり町の図書館は、地元の図書館よりも倍近く広い館内だった。

 ジメッとしたはだに館内のれいぼうはとても心地よく、私は一気にホッと息をはき出す。

「今日は土曜日だからちょっと人が多いですね」

「よく来るの?」

「えぇ。休みの日で部活動のない日はほとんど図書館で過ごしてます」

「……遊びにとか行かないの?」

「行きますよー。といっても友人はサービス業の人が多いので夜によく会いますねぇ」

 ということは、先生は彼女とかいないのかな?


 そんなことを考えていると、先生は「あっ、あそこに座りましょうか」と指さした。

 先生が指さした場所は、二段上った先にあったまどぎわの二人用の席だった。

 大きな窓からは図書館の周りに植えられている様々な緑が見える。

 私達は向かい合わせになって座り、教科書とノート、筆記用具を出した。

 先生も持って来ていたリュックの中からファイルにはさんでいたプリントを数枚出す。


「英語のたに先生から弥生さんが休んでいた間の小テストのプリントを預かってきました。今日はこれをやりましょうね」

「うっ……英語、きらい」

「まぁそう言わないで。僕も昔を思い出して英語、がんりますねー。いつしよに解いていきましょう」

「なにそれ、教えてくれるんじゃないの?」

「何事も問題は一緒に解決した方がいいですよー。なので、一方的には教えません」


 そういえばこの人の授業って「教える」じゃなくって「一緒に答えを導き出す」やり方だったなって思い出した。

 それを理解して、シャーペンの先からしんを出しながら小テストのプリントと向かい合う。

 ここのところ全く勉強から遠ざかっていたせいで、登校拒否する前に習っていた英文さえ訳せなくなっていた。

「どこがわかりませんか?」

「もうおくがぶっ飛んでて、何が何だかわかんない」

「あははー、それは困りましたねぇ」

 そんなゆるい空気のまま、私は先生が持参してきた英和辞典とにらめっこしながら勉強を始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る