空から折りたたみ傘 西向十一

 週末ほしうらない、みずがめの運勢は12位だった。断然ごくの最下位。

「ラッキーアイテムは折りたたみがさだってさ」

 そんなの、なんのなぐさめにもなってない。

 先週か先々週だったかの週末星占いも水瓶座の運勢は最下位だった。とにかくその時の週末は最悪な事ばかり起きた。風邪かぜをひいてしまうというオチまでついた。特にヒドかったのは。


 ──ビーチサンダル──


 ラッキーアイテムだと占いが断言していたから、学校から帰宅したあと図書館へ本を返しに行く時にビーチサンダルでける事にした。これが大きなちがいだったのだ。

 図書館前のコンクリートが整備不良でボコボコになった出入り口付近を通るたび、石ころがビーチサンダルと足の裏の間に入り込んで悲鳴をあげそうになった。

 あげく、左足のサンダルのが見事にけるという始末。左足をすり足にして歩く姿でかたおもいのあいざわりようの家の前を通り過ぎるのがずかしかった。


「雨、降る確率は?」

「ゼロっぽいけど」

 教室の窓から校庭を見下ろしていたなつは家までのきよが短いからか、あまり気にはしていなかった。それよりも自分の占いになつとくがいかないようで、

かにの『工事現場からはなれたらきち』ってどういうこと? 週末は外に出るな、ってか?」

 まるでクラスのだれかに説明を求めるかのようなそぶりをした。一方私の『図書館からの負傷帰宅話』を聞いて心配してくれたは、

「ビーチサンダルよりは安全装備だと思うよ」

 と置き傘を持って帰るようにすすめてくれた。

 ロッカーからひょっこり顔を出しているピンクの折りたたみ傘は決して重いわけではない。でもやっぱり置き傘なだけに、また週が明けたら持ってこないといけない訳でちょっとめんどうだ。

 スマホで天気を調べたら、確かに通り雨は降りそうだと書いてあった。だけど、帰る寸前に決めてもいいかな、ってことで。降水確率より帰る時の空の色で決めることにした。

 四時間目のチャイムが鳴るまでもう少しだった。


「もうすぐ夏休みだけどさ、きさらっちはどうすんの?」

「補習になりそうなんだなぁ、古典が」

 思わずガクッと机にした。教室のカーテンのようにかろやかになびくのが仕事ならどれほど幸せかと思ったが、こちらはある程度の点を取って初めて仕事かんりようってとこだ。歴史は得意なだけに……と思いたいところだがそう上手うまくはいかず、古典が成績を目いっぱいに引っ張っていた。

 古典、と言えばクラスメイトの相沢だ。

 平均的にゆうしゆうな成績なのだが、古典だけは特にきよう的な実力の持ち主だった。

「相沢に教えてもらったらいいのに」

 千夏の気安い発言の流れで、少し離れた席で何か本を読んでいる相沢の後ろ姿にチラリと視線を向けてみた。

 すると彼は自分の名前が出たのが気になったのか軽くこちらに視線をよこした。それは想定外に見ることができた彼のすずしげな、でもそれほど興味を示すわけでもなさそうな横顔。いつしゆんで胸が高鳴って、でもえられずに視線をらした。気安く名前を口にした千夏もどぎまぎした表情をかべていた。

 チャイムの音がくすぐったく聞こえた。


 相沢良太とは高校三年間とも同じクラスだ。それなのにまともに話したことはない。

 そういえばたった一度だけ言葉をわしたことがあった。何に引っけたのかわからないが相沢の左ひじにすり傷ができて、少し血がにじんでいた。こんなの痛くもかゆくもない、と相沢は別に気にとめていなかったが、気になった私は相沢の話を聞かずにばんそうこうってあげた。いや、話を聞かずにというのは相沢と会話したら手がふるえて絆創膏がまともに貼れないのではないか、というそれだけの理由だ。

 とつぜん貼られた絆創膏と私をこうに見た後「ありがとな」と相沢はつぶやいた。

「構わないよ」

 これが私にとってのせいいつぱいかつちようぎこちない返事である。


 それに気になると言えば、相沢は私に何か言おうとしてやっぱりやめる、ということがよくある。思わせぶりな態度にも感じるが、彼にしてみたら単に「絆創膏程度でれ馴れしくすんな」くらいにしか思ってないのかもしれない。

(──私のもうそうの世界では断然前者だが、現実は私の視線をうざがる後者だろう。ただ後者だとしても妄想の世界ではツンデレ相沢が成立する)

 いずれにしても私は相沢のことが好きだ。耳にかかるくらいのかみに、メガネを掛けて涼しげな顔立ちをしている人気者である。至極当然ながら学年で相沢にれない女子はかいと言っても過言じゃない。

 客観的なイメージで言うと、運動は間違いなく得意だ。特にそう思わせてくれたのが冬に行われるマラソン大会で、二年連続彼はひようしようだいだった。それより──。

『目立たない』という言葉に輪をかけると言っても過言でないのは私の存在感で、コンビニの出入り口の自動とびらが開かないくらい存在感がうすい、とされても仕方ないほどである。

 友達はみんな「きさらっち」と呼ぶ。「っち」の意味は不明だがきらわれてはいないと思う。クラスの男子は何のひねりもなくみようで呼ぶが、なぜか必ず「おい、ざき」だ。ごぶんれず相沢もそう呼ぶのだろうが、いかんせん呼ばれたためしがない。私がいることはにんしきしているのだろうが、結局は大して気にするまでもなく学校生活を過ごしているのだろうと思うとがゆくて仕方ない。

 が、それにも増してつのる想いを伝える勇気が1ミリの欠片かけらも無いことに一人なげくしかなかった。


 五時間目の授業が終わるといつせいに下校だと言いわたされた。今日は校舎のたいしん工事で工事車両が運動場へ入ってくるらしく、クラブ活動も休みとなった。

 ──工事?

 思わず図書館でのビーチサンダルの失敗を思い出して、口の中が苦くなった。

 ところがこんな時に限って担任から週明けに使うプリント作りを手伝うように指名された。担任も早く残った仕事を終わらせなければならなかったようだし、何より断れないふんである。

「私は工事現場からげ帰るから。じゃ、また来週!」

 千夏はようようと帰っていった。今帰るなら雨降らないし良いよねぇ、なんてちょっとひねくれながら友達を見送った。

 ふと見送った先に相沢を見つけた。週末だからか、ロッカーの物を何か持って帰りたいようだ。

 横顔も、やっぱりてきだな──。

 当然ながら3秒ももたずに視線を逸らした。もう一度視線を上げてみたが、もうそこに相沢はいなかった。

 ぼーっとしているように見えたのだろう。

「おいおい、たのむから気を散らさずに手を動かしてくれよ」

 担任の言葉はもはやこんがんだった。

 結果からいうと予定よりも早く作業は終わった。担任を喜ばせることができたので手伝ったはあったというものだ。

 校門を出てすぐ、行く先の空が見事なまでにい色の雲でおおわれている事に気がついた。

(──ラッキーアイテムは折りたたみがさ……)

 しまった、帰る時の空を見て傘を持って帰るか決めるつもりだったのに、時すでにおそし。頭のてっぺんにピトっと雨のしずくが落ちてきたと思ったたん、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。

(──最悪だ、今週に限って『本物』のラッキーアイテムだったなんて)


 とりあえず駅方面に進むことをあきらめて、通り沿いのビルの入口になんすることにした。髪も制服もかばんもすでにびしょれだった。し暑い中濡れた事で涼しく感じられるのがせめてもの救いだったが、それにしても濡れたまま電車に乗るのもなんだか気が乗らなかった。

 雲の様子を見てみようと入口から顔を出してみた。どうやらまだ降りそうな雲行きだ。 どうしよう?

 このまま待つ? 濡れてでも帰る?

 そのしゆんかんみようなことに気が付いた。顔を出しているにもかかわらず、雨が落ちてこない。理由を確かめるべく見上げてみると、そこには空が広がっているのではなく、傘が広がっていた。


 り返るとメガネを掛けて涼しげな顔立ちをしたクラスメイトが傘を差してくれているではないか。

「あ、あ、相沢?」

 私は飛んでいきそうなくらいびっくりして、後ろにけ反った。そんなリアクションの私を見て今度は相沢がびっくりした顔を見せた。涼しげな顔立ちに似合わず、耳が少し赤くなっていた。

「……あのさ」

 相沢は困ったような表情で私に話しかけた。何か言おうとしたが言葉を飲み込んだみたいだった。彼は私に傘をにぎらせ、

「俺ん、近所だから。折りたたみで小さいけど持っていけば」

 返事を待つことなく、この雨の中を走るように帰っていった。

(──あの相沢が私に傘を貸してくれた?)

 うれしさとまどいで混乱する自分をまずは落ち着けてみたものの、同時にとんでもなく大切なことを忘れていることに気がついた。相沢の家は図書館からほど近い場所。まだ結構なきよがあるじゃないか。

 傘を力強く握り直すと、相沢の走って行った方へ急いで追いかける。

 さすがの相沢もこの雨には勝てず、店ののきさきごとに避難しては次の軒先まで、をり返しそれほど距離を進んでいなかった。追いついた時、相沢はさっきの私と同じくらいおどろいた顔を見せた。さっきよりも耳が赤くなっているように思う。

「相沢の家って距離あるでしょ、まだこんなに降ってるし」

 そうなんだけど……と相沢は思いも寄らない言葉を発した。


「矢崎は俺と相合い傘じゃ、いやだろ?」

「嫌だなんて思う訳ないでしょ、絶対」

 精一杯つうよそおってみせたが、おそらく不自然なリアクションだったにちがいない。

 いつもとは違う変な空気が流れていることに気がついた。こんな空気を感じたのは初めてだった。しかもその空気の向こうに相沢が立っている。折りたたみ傘だけに二人の距離は近かった。


(──これって世に言うせんざいいちぐうのチャンスってヤツじゃないか!)


 これまで勇気もなく、募るおもいをひっくるめて存在感を消していた私の手にはラッキーアイテムが握りしめられている。でもなんと言えばいいのかわからず、相沢もそんな私の表情を見て少し不安げな表情をかべていた。

「古典、得意だよね、相沢は」

 こんな時に古典の話しかできない自分、とあきれられそうに思えて仕方ない。しかし私にとってはそれしか切り出すネタがなかった。

「まぁ、得意科目と言えば、得意かな」

「教えてよ、今度。ってかほら、傘返さなきゃいけないでしょ? ってことは相沢の家ってどこにピンポン押すとこがあるか聞いておかないといけないし。だから借りて帰るにしても相沢の家までは私もついていくから。……じゃあ、これはどう? 家に着くまで古典を教えてもらう、とか」

「この距離で古典を教えろって言われても、それは無理な話だな」

 ようやく相沢のかたかった表情がくずれた。それを見て私も少し気が楽になった。

 それからというもの相沢の家に着くまでの短い時間──それでも十数分くらいは歩いた──相沢と小さな折りたたみ傘の中でいろんな話をした。特に彼の一番の疑問は「何故なぜ私が相沢の家を知っていたか?」だった。

かたが濡れるんじゃない? 傘が小さいし」

「傘を借りる前から結構びしょ濡れだったから気になんない。何よりこちらは間借りしてる立場だしね」


 ──普通の傘じゃなくて折りたたみ傘──

 小さい傘で良かったなんて初めてだ。

 二人の距離は肩と肩がぶつかるくらいだった。でも今までみたいに気持ちの距離は感じない。

 ラッキーアイテムという言葉をあらためて実感した。

 この時間が永遠に続けばいいのに。歌詞の世界とかにだけある言葉だと思っていたのに、いざ自分が体験するとなんともいとしい表現に思えてくる。しかしそんな身勝手な願望も現実が木っみじんに切りいてしまう。

明日あしたは晴れるって天気予報で言ってたけどな」

 そんな相沢の言葉をよそに私は言いたくない言葉を言わなくてはならないじようきようがひたひた近寄ることを恐れていた。

 ──じゃ、またね──

 そう言ってしまえばもう二度と相沢と話す機会がなくなるんじゃないかって、そう考えるとつらくて仕方なかった。だから少しでも違う話題を出して引き延ばすことも考えてみたけど、それはそれで濡れたままの相沢があまりにわいそうだった。結局「また会いたい」と言えない、勇気のない自分がそこにいた。


「とりあえず、明日学校行く時に傘を届けるよ」

 そう言った私に相沢はき出した。

「明日って土曜日だよ! 休みじゃん」

 そうだった。みようずかしさが背中をけたような気がしたが、相沢の笑う顔を見ていると私も嬉しくなる。そのがおが、なんだかよくわからないけれど、私にちょっとした勇気をくれたように思う。


 ──もっと話がしたいから──

「明日は学校休みだけどさ、かさ持ってくるから。本を借りてるから図書館へ行かなくちゃいけなくて。だからもし良かったら明日図書館で古典教えてくれたらなって。あ、図書館はうるさくできないな。なんなら近くのファーストフードのお店とかででも…」

 相沢の表情は読み取れなかった。だけど耳はやっぱり赤くなっていた。ちょっといきなりすぎたかな、でしゃばりすぎたかな、って頭の中で妙な感情がぐるぐる回っていた。

「いいけど」

 思わず、いや、だが小さく飛びねた。

 彼の家の前でなければどんな喜び方をしていたかわからない。だって1話完結じゃなく、明日も会うことができるなんて。まさにデートの約束じゃないか!


 結局相沢は私を駅まで送ってくれた。

 別れぎわ、相沢はこんなことを言った。

「やっぱりラッキーアイテムだったな、折りたたみ傘」

 ──確かに。でもなんで相沢がそれを?

「あまりうらないとか興味はないけど──」

 照れくさそうな笑顔を見せた。

 相沢、私達の会話、聞いてたんだ。

ばんそうこうってもらってから、いつか矢崎に話しけるきっかけがあればな、とは思ってた」

 嬉しい誤算。相沢のあやしい行動は「れ馴れしくすんな」じゃなかったみたいだ。

「しかも俺まで当たってるなんてな。『工事現場からはなれたらきち』って」

 相沢が私といる今を『吉』だと思ってくれていることが嬉しかった。それと、相沢がかにだったことを初めて知った。

「矢崎がみずがめってのは今日初めて知ったよ」

如月きさらぎ生まれだから『きさら』だよ。ってそんなに興味なかったでしょ?」

 今度は少しねたような顔をしてみせた。

 ずっと相沢の事を知りたいと思ってた。初めて学校で見かけた時からずっと。今なら一気に想いを伝えられそうな気がした。ところが、だ。

「拗ねた顔、間近で見たの、初めてだ」

 な……なんだって? 何を言うんだ、相沢っ!

「どんどん好きになってくみたいだ」

 予期せぬ発言に私の頭の中身は真っ白になり、はだという肌は真っ赤にで上がった。

「これから矢崎のこと、きさらって呼んでも問題ないかな?」

 絶命カウンターパンチを受けてノックアウト寸前だ。

「いや……そ、それじゃ相沢と私が付き合ってる感はんなくない?」

「構わないよ」

 相沢は絆創膏を貼った後の私のをして笑った。

 くやしい、今まで言えなかった気持ちをこんなにいつしようけんめい伝えようとしているのに、何? このサラッと感まんさいあせきシートめいた相沢の笑顔。

 うれしすぎて可愛かわいい言葉のみなさんが恥ずかしがって口から出てこようとしない。

 ヤバイ! あたふたして何も思いつかなくて……。

「良太のバカっ」

 せいいつぱいの一言。

 でも今のはぎこちなくなかったはずだ。


<続きは本編でぜひお楽しみください。>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る