ラスト・チャンス アオイ


「……あ、」

 いつも通り図書館に行くと、そこには熱心に勉強するせんぱいがいた。

 受験生の先輩のじやはしたくなくて、声をかけたいしようどうをおさえながらはなれた席につく。

 ……先輩、がんってるなぁ……

 図書館は静かだった。

 先輩のシャーペンがノートの上を走る音だけが聞こえてくる。

 私は一人、読みかけの本のページを開いた。


「実行委員を希望する生徒は、12時に50番教室に集合するように」

 朝礼が終わると、案の定友達のつみが飛んできた。

ゆう~!! ねぇねぇ、実行委員、やる?」

「……え、」

「あー、あんま乗り気じゃないかんじ?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどねぇ……」


 中学2年生、夏。

 クラスは文化祭の話題で盛り上がっている。

「あ、もしかしてもう先行予約がある、とかっ!?」

「なにその先行予約って」

「そりゃもう彼氏でしょ?」

「いーまーせーん!」

 実行委員……

 聞くからに大変そうなその仕事に、私は一人背を向ける。

 体育祭も文化祭も、目立たないようにするのが私の仕事だから。

 そう言い聞かせ、目の前の菜摘を見る。

「裕香~! ねぇやろ? やろやろ!?」

「いや、私そんなキャラじゃないのよ」

「そんなこと言わずにさ~!」


「じゃあ今から回すこの紙に自分の名前と希望する部門を記入してください」

 結局実行委員になってしまった。

 ……なんでこうなっちゃうんだ。

 同級生の希望者は私をふくめて5人。かなりの少人数だ。

「ねぇいつしよの部門にしよ!」

「……はいはい」

 こうなってしまってはしょうがない。

 あまりちゃんと考えずに、菜摘の紙を見て、第一希望、第二希望、第三希望まですべて同じものを書く。

 この時は、まだ何も知らなかった。

 これから起こる全てのことが、まさに〝青春の1ページ〟だなんて。


「裕香ぁ~」

「なんですかもう……」

「あのね、裕香と部門はなれちゃった」

「え~、あんなに一緒にしたのに~?」

「うん、生徒会に文句言いたい!」

「うん、それだけはやめておこうね」

 聞くと、私は「教室」、菜摘は「イベント」に入ったらしい。

 予定も仕事内容もまるで違う。

 つまり、当日も一緒に回れる可能性がもはやかいに近い。

「まぁ、ドンマイだね」

「なにそれ……裕香は悲しくないの!?」

「いやまぁそりゃ悲しいけど……」

 悲しいというより不安の方が大きい。

 当日菜摘と回れないとなると、確実に私はボッチ文化祭だ。

 そうなると、何かと難しくなってくる。

「あ、それで、裕香はもうさっそく今日の放課後スタートだって、活動」

「え。もう、ですか」

「結構力仕事になるみたい……」

「ち、力仕事、ですか」

 もはや何を言っていいか分からない。私の望む姿は、スポットライトが当たらず、みんなにもあまり気にされず、なおかつ楽に、なのに。

 実行委員で今日からでさらに力仕事!? 気が乗らない。

「じゃ、頑張ってね」

「あ、ちょっ、えぇ~」

 教室部門で力仕事って何をやるんだろう?

 まさか、机を全部運び出すとかじゃないよね?

 あーやだやだ。あんまり考えないようにしよう。

 家に帰ったら見ようと思っていたアニメを録画してもらえるよういのりながら、私は一人、ろうで首を振った。


「……ふぅ」

「裕香ちゃんおつかれさま。もう終わりだから帰ろう」

「分かりました」

 体育館の裏にある倉庫から出て、とびらを閉める。

 横を見ると、私たちが倉庫の奥から出してきた養生板が積み重なっている。その枚数はゆうで二百枚をえていた。

「お疲れさま~」

 そう言って、部門のリーダーであるよねやま先輩はそそくさと帰ってしまった。

「え、」

 もう帰っていいと頭で分かっていても、解散があっさりとしすぎていてまどう。

 しかし先輩たちはそんな私に見向きもせず、どんどん帰っていく。

 やっぱり菜摘と同じところが良かったな、そう思った時だった。


ひろさん?」

「えっ?」

 だれかに声をかけられて後ろをり返ると、背の高いせんぱいが立っていた。

 名前は覚えていなかったけれど、うわきの学年カラーで高校2年生の先輩だと分かった。

「あ、名前言ってなかったね。僕、はぎわらさとしっていいます」

「萩原先輩……、えっと私は広瀬裕香です」

「中2だよね?」

「はい、そうです」

「大変だったよね、今日。とかしてない? だいじようだった?」

「ふふ、大丈夫です」

 萩原先輩が心配顔でこっちを見るから、私はこらえきれず笑ってしまった。

 さっきまで一人でいることがさびしかったのがうそのように、楽しくて幸せだった。


 それから1週間。

 うちの部門は私を含めて4人だったから、だいたいの準備日は萩原先輩と私、米山先輩と高校2年生のむら先輩の2グループに分かれて仕事をした。

 つまり、だいたいのことは萩原先輩と2人で行ったということ。

 ドジな私はいろいろ失敗することもあったけれど、そのたびに先輩はがおで手を差しのべてくれた。

 そうするうちにいつの間にか私は、萩原先輩のことが大好きになっていた。


 そして、今日。文化祭、当日。

「裕香ちゃん、いよいよだね」

「ですね、先輩」

がんろう。僕たちも」

「……はい。頑張りましょう」

 グリーンのスタッフTシャツを着た先輩がとなりでこっちを見ながら、さりげなく手を出す。私はちょっと笑って、その手をにぎった。

「良かった、握ってくれて」

「え、どういうことですか、それ」

「だって僕なんかただの先輩だし、手なんて握りたくないかなって」


〝僕なんかただの先輩だし、〟

 この短い言葉に、私の心は大きくれる。

 3歳もはなれているんだから、希望はない。

 早くこんな気持ちなんて捨てなきゃ。

 そう分かってるのに、心が言うことを聞かない。

 心が、分かろうとしてくれない。


「いや~、正直先輩とあくしゆするなんておそれ多いですよ」

「なにそれ~」

 明日あしたも入れて2日間。先輩の隣でこうして笑えるのもあと少しだ。

「じゃ、また後でね。あ、部活のシフト何時?」

「えっとー、14時です。先輩は? クラスのシフト何時ですか?」

「あ、12時! ちょうど重なってないね。じゃあ行くよ」

「私も行きます!」

 うん、とやさしく微笑ほほえんで、教室にもどっていく。

 そんな先輩の背中を、ずっと見ていた。

 この気持ちが届くようにと、願いながら。


 文化祭を無事終えて、私は中学3年生に進級し、先輩も今年は高校3年生、つまり受験生だ。いまだに廊下で目が合うと手を振ってくれたり笑ってくれたりするけれど、それだけ。

 文化祭でもずっと先輩の隣にいたはずなのに、幸せな時間ほどすぐに過ぎていくもので。気づくと私の隣には、何ごともなかったかのように菜摘がいる。

 菜摘だって、私が先輩にこいをしたなんて知るはずもないし、教えるつもりもなかった。結局かなわない恋なら、私の心のなかにしまい続けて、忘れるまでまんする。そうちかったから。

 ここで先輩に告白したって、受験生の先輩にめいわくをかけるだけ。

 好きな人の足を引っ張ることだけは絶対にしたくなかった。


「ねーねー、今日も図書館行くの?」

「え? あ、うん。返したい本あるし」

「分かった。じゃあ待ってるね」

「いつもごめんね」

「裕香の友達でいられるなら図書館で待つくらいどうってことないよ!」

「はぁー? 何それ」

 図書館はこの時期、高校生たちの勉強場所になっている。ただ本を目当てに来る私みたいな中学生は、用が済んだら出ていかなければならない。

 これがこの学校のあんもくりようかいだった。だから今日も本を返したら、さっさと帰ろうと思っていたのだ。

「せーんせー、これ返しに来ました」

「相変わらず読むのが早いねぇ」

「この本がおもしろかったんですよ」

 いつものように機械に本のバーコードを通してたなに戻す。

 その時だった。


はるはこうしたけど、ほんとはこうなんだよ?」

 かすかだけれど聞き覚えのある声がした。

 急に心臓が高鳴る。脈が速くなるのを、自分でも感じていた。

「そっか! ありがと聖!」

 声が聞こえてくる場所をたどって、すぐに見つけた。

 忘れたくても忘れられない大好きな人。けれどその隣には、一人の女子がいた。

 上履きの色を見ると先輩の同学年、高校3年生の学年カラーだった。


「あっ、そろそろ帰ろうよ」

「そうだね。晴香宿題終わる?」

「聖に教えてもらったからなんとか」

「そっか」

 ……彼女さんかな?

 このしゆんかん私は、人生で初めてのしつれんをした。


 その日の夜、家で勉強をしながらうたたしてしまった私は夢を見ていた。

せんぱい! もう探したんですよ~どこ行ってたんですか?」

「ごめんごめん、ちょっと迷子になっちゃって。次どこ行く?」

「じゃー……あれ!」

「いいよ、行こう」

 先輩との遊園地。大好きな人の笑顔。

 そんな場面でハッと起きて、あわてて首をふる。

 目を開ければ現実は目の前にある。

 今この瞬間も、先輩はあの時見た彼女さんといつしよにいるんだろうか。

 握りしめたシャーペンが小さく音をたてる。

 いつでも、何をしていても、先輩のことばかり考えてしまう。

 こんなんで忘れられるのかな?

 気をまぎらわすために、手元の問題集を見た。

「主人公はこの時どのような心情だったか、次から選べ……切ない、苦しい、くやしい、はかない……」

 ケンカに負けたというシーンの主人公の心情だから、きっと正しい答えは〝悔しい〟なのだろう。けれど、今の私には、答えを選べなかった。

 うちの学校は、体育祭以降、高校3年生が教室や自習室以外を使用することを禁止している。先輩の顔を確実に見られるのは今から約2週間後の体育祭が最後。

 これがラストチャンスだ。

 恋人同士にはうってつけの体育祭というイベントが、私にとってのラストチャンス。


「クラスTシャツどんなのがいいかなぁ~!」

「今いろいろ考えてるらしいよ!」

「楽しみ~!」

「こういうのは初めてだもんね」

 周りは中学3年生から着ることができるクラスTシャツのことで持ち切りだけど、私はそんなことどうでもよかった。

 とにかく、今年の体育祭を楽しむ方法を考えないと。

 そう思うと急に切なくなる。こんなにも先輩が好きな自分が、本当にこわかった。

 あの日、文化祭実行委員にさそわれた時はあんなにいやだったのに。

 今となっては、「やろう!」と声をけてくれた菜摘が神様に見える。

 3年7組、萩原聖先輩。

 すっかり覚えてしまったその名前を、また心のなかで小さく呼んでみる。

 きっと、先輩の中のめい簿にも、私の名前が書いてあるはず。

 一番下の段に、小さく、今にも消えそうな細い字で。

 それでもいい。こんな名前のこうはいがいたなぁ。そうやって何年か後に、思い出してくれるのなら。

 体育祭、がおがんろう。


「体育祭も実行委員するの?」

「……うん。するよ」


 体育祭当日。

 菜摘と共にクラスTシャツの上からグリーンのベストをはおり、スタッフ用のぼうかぶる。実行委員の私はみんなよりも早く登校して、体育祭の準備をしていた。

「あれっ?」

 後ろで聞き覚えのある声がする。

 り向くと、そこには萩原せんぱいが立っていた。

「久しぶりだね裕香ちゃん!」

「お久しぶりです!」

「あ、そういえばさ、このあいだ図書館いた?」

「……え? 図書館?」

 図書館……このあいだ……


「いやぁ、だって先輩彼女さんみたいな人と一緒にいたから。声かけづらくて」

「あいつか、原因は」

「いやそういうことじゃなくて、先輩のじやをしたくなかったんですよ」

「そっかそっか」

 照れる先輩を前にいつわりの笑みを浮かべる私。

 そんな私をとなりで見てる菜摘。苦しかった。

「俺今回しんぱんなんだよ。裕香ちゃんは実行委員?」

「はいそうです。友達の菜摘も」

「あ、こんにちは」

「こ、こんにちは……?」

「なに菜摘、きんちようしてるの? 先輩は彼女持ちだよ?」

「それはそこまで強調しなくていいから」

 先輩は笑いながら私のかたに手を置く。

 その瞬間、キュンとして思わず飛びねそうになった。

 でもぐっとこらえてまんする。今にも心ははち切れそうだった。


「あとで俺のクラTにメッセージ書いてよ」

「いいんですか!?」


「……頑張れ」

「菜摘……分かっちゃったか」

「なんとなく。ほら、先輩のクラTにメッセージ書くんでしょ?」

 皆のTシャツは文字でまっている。寄せ書きのように友達からメッセージを書いてもらうのがうちの体育祭のこうれい行事だった。

「先輩!」

「あ、裕香ちゃん!」

「書かせて下さい」

 ペンを見せると、先輩はうれしそうに笑った。かんちがいしてしまうからそういうことはやめてほしい。

「背中でもいいですか?」

「どこでもいいよ~」

 先輩は私が書きやすいように、ちゆうごしになってくれた。

 もうれることのできないやさしくて大きな背中に、私は先輩への最後のメッセージをつづった。

〝萩原先輩、ずっと大好きでした。 広瀬より〟

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