アンニュイ・ガール 小谷杏子
01:
──
「ねぇ、聞いた?
「へぇ……マジか」
「マジマジ。もうほんとびっくり」
「だねぇ。クラス内
いや、ほんとにそう思った。それなのに、なんだか段々とのどの奥がつっぱっていく。
私は首を
「どーした」
「どーもしとらん。え、てか古見くんと佐智子ちゃん、ほんとに付き合ってんの?」
「急に食いついてくるなぁ……だって本人から聞いたもん」
「本人ってどっち」
「佐智子ちゃん」
(なるほどね)
私は「ふーん」と声を出しながら、チラリと古見くんを見た。友達とバカみたいにはしゃいで大声で笑っている。仲がいい子たちとじゃれているその顔は
(おめでとう、良かったね。はい、おしまい)
「あーあ、私もカレシ欲しいよー」
真紀は
(うーん。私にはそういう感覚がないからなぁ……なんとも、おも、わ、な、い……いや、おかしいな。なんで、ちょっと
真紀に気づかれないように、じっと古見くんを見た。男子同士で制服のズボンを
(アホか。高2にもなって何をしているんだか……)
でも、その様子は見ていて楽しい。
「何笑ってんの、
「え? いや、思い出し笑い」
「なんの?」
「朝読んでた小説」
つい、ごまかしてしまった。真紀は「ふうん」とつまらなそうに
のんびりとした空気は無言。昼休み
(……うーん、何をしよう。特になんにもすることがない)
でも、真紀の手前、本を読むのはよしたほうがいいかもしれない。
となれば、音楽を
(……することがないじゃないか)
私も頰杖をついて、教室の中をぼんやりと
席は私の
でも、古見くんの席は、今は真紀が
佐智子ちゃんと同じ
(ん? 差ってなんだ)
「次、なんだっけ?」
「次は英語だね」
「英語か……」
真紀は気だるそうに言った。私も昼過ぎの授業は気だるい。
(そう言えば「気だるい」って英語でなんて言うんだっけ……)
そんなどうでもいいことが気になってしまい、私は古見くんの席から目をそらす理由をつくるように和英辞典を開く。
「あら……」
ぱっと見た文字はそのまんま「
*
(ダルい。本当に。
「のぞみー、シャー
ノートを取るのも面倒くさいと思っていたら、古見くんが
「貸してって……返してくれんの?」
「いや、返さん。ちょうだい」
「はいはい」
(だったらそう言えよ、とまでは言わないでおこう。授業中だし)
一本、細くてもろいシャープペンの芯をつまみ上げて古見くんの手に落とす。
「ん」
「さんきゅう」
「いーえー」
(はい、今日の会話は多分これで終了。もうめったなことでは振り返ってこないだろう。て言うか、私には振り返ってくれないんだろうなぁ)
とか考えてしまっている。
(なんだ、私は古見くんが好きなのか……え、そうなの? だから気だるいの?)
『古見くんと佐智子ちゃん、付き合ってるらしいよ』と数分前に真紀が言った言葉がよみがえってくる。はぁ……
思わず手の
これを、古見くんが見たらどう思うだろう。何かつっこんでくれるだろうか。
冷やかしの言葉でもいいからくれないかな。
(あぁ、でも、そうか。こいつは私には振り向かない)
振り向かない、振り向かない、
というのは、よく聴くロックバンド・
じわじわと自覚していく恋心と失恋を歌ったやつ。
まさかこんなところで思い出すとは。この曲、好きだったのに。
(なるほどね……これが恋、というやつですね。いやでもさ、私は別に古見くんと付き合いたいとかいう願望はない)
ようやく自覚しても、佐智子ちゃんの座をうばって彼と手をつないでデートしたい、なんて
(……じゃあ、やっぱり失恋じゃないじゃん)
ただ、古見くんが授業中に話しかけてくるのを
(あれ? 私はこいつが嫌いなんじゃないか。むしろ、嫌いなんじゃないか)
だって、古見くんはどうしようもなく変態だし、デリカシーないし、スカートめくろうとするし。
現に、
(完全に女子の敵じゃん。一部では女子から嫌われているというウワサもある……よ?)
「………?」
なんで疑問形。なんで自分にきいてるんだ。
私は頭を
別に古見くんが私の前の席だからと言って喜んでなんかないし、シャー芯は減るし、休み時間にヘッドホンつけてたら「何聴いてんの?」って
(一年生のときだったか、それは)
カサを忘れて家を出て、学校の
でも
夏服だったからまだ
「小野さん、ずぶ濡れじゃん」
軽々しい口調で、何の
「カサ忘れたから」と素っ気なく返したら、彼は冷やかすように笑ってきた。
「マジか、それでよく雨の中来ようと思ったな。勇者だね」
勇者ってなんだ。そんなツッコミはできず、私は
初めてしゃべった内容をこんなにも
(まぁ、一年前のことだけども。しょうがない)
私はもう観念して頭を振った。
「はぁ……」
私は、知らない間に古見くんを好きになっていた、らしい。
まったく
真紀は部活があるから放課後はいつも一人。ちなみに、真紀と佐智子ちゃんはバレー部とバスケ部のマネージャーだから部活時にはよく話をするらしい。それで聞いたんだろうな、と推測しておく。
でも、帰宅部の古見くんと部活をしてる佐智子ちゃんじゃあまりにも接点がなさすぎるのでは。クラスが同じってだけで。どういう
それなのに、そういう日に限ってあいつはバス停にいない。私は帰り道にあるバス停で、ぼーっとつっ立っているのに、今日に限ってあいつの姿はない。
別に
(まぁ出くわしたらいいなくらいにしか思って、な、い……うーん……)
先に教室を出たはずなのに、いないということは友達と寄り道しているんだろう。
どこか
私は
頭にかぶせるように装着。
(変えよう。今日は
曲名を思い
でも、そういう時に限って流れる曲は切なめのものばかり。
(もういい)
親指がつりそうだ。
そうして流れる曲は、静かなアコースティックギター。
「アンニュイ・ガール……」
まったく、私の気持ちを代弁するかのような曲名だ。
「Gureju Gradation」もそうだけど、こっちはまだロック調だからテンポがいいのに。しかも、調べたら「
まさか、クラス内にカップルができるとは思わなかった。
ていうか、私はあんまりそういうのを気にしたことがなかった。
真紀はよくカレシが欲しいと言ってるけど、本気ならがっついてがんばればいい話。
ああやってただぼーっとしてるだけでカレシができるわけないし。
私は別に、カレシなんてほしくない。
だって、付き合うってことはカレシとデートしなくちゃいけないし、気分が乗らなくても会って話をしなくちゃいけないし、電話とかメールとか欠かさずしなくちゃいけないし、いろんなことを共有しなくちゃいけないんだろう。
(佐智子ちゃんってば、そんなことを平気でやるんだろうな。すごいわ、尊敬する)
好きな時に本が読めて、好きな時に音楽を聴いていられるほうがよっぽどいいじゃないか。
「何読んでるの?」とか「何聴いてるの?」とか「何してるの?」とかいちいちきかれて答えるのは本当に面倒くさい。そう、面倒だ。
「……自問自答を
耳に流れてくるボーカルの静かな声に合わせて口ずさむ。
そのフレーズがなぜだか心にずしんと音を立てて落ちてきた。
「はぁ……」
そして、重たくて痛い。すり傷みたいな、地味にじわじわくる痛みだった。
02:
──痛み、というのはいつの間にか
「ねぇ、そう言えばさ……古見くんと佐智子ちゃん、別れたらしいよ」
「へぇ……マジか」
「マジマジ。もうほんとびっくり」
「だねぇ。クラス同じなのに気まずくない?」
「ほんとだよー……気まずいわー」
真紀はのけ反って残念そうに言った。
高3の
物語の
気の
ただ、これについては私もなんだか気まずい。全然関係ないのに。
今はもう、古見くんと席は近くない。
クラス
(うわ、気まずいな。なんか、破局を
いや、なんで私が気まずく思わなくちゃいけないんだ。
「ちなみに、どっちがふったの?」
なんか、きいてはいけないような気がするけど気になる。真紀は
「佐智子ちゃんらしいよ」
「うわぁー……」
言葉とは裏腹に、内心は少しだけ気が軽くなった。
古見くんがふっていたら、なんかよく分からない空気の重さにのまれそうだったから。あいつがふられたんならいいや。
「まぁ、古見くんってあんなだしね……いつになったら落ち着くんだろ」
真紀があきれた声で言った。
古見くんは失恋したことを
標的にする女子は決まっていて、じゃれても許される
「あんなだからふられたんでしょ」
「だねぇ……てか、佐智子ちゃんって
そうやって真紀は
(趣味悪い、か……そうだよね、
私の気持ちも意味わかんない。ただ、ちょっと
(他人の不幸を喜ぶとか、ないわー……)
でも、それが私の本音なんだろう。
「次、なんだっけ?」
「次は体育です」
すぐさま答えてあげると、真紀は「あぁ、そうだった」と、
「
「うん」
体操服を
その時、
「あ、のぞみー」
「何?」
「
「くたばれ」
顔をしかめて言い放つと、古見くんは「まーっ! ひどい!」と
「あーあ……希望も気の毒だよね、毎日」
私もため息交じりに返してみる。でも、真紀のように
ああやってバカなことを言い合うのが、ちょっと楽しかったりするのは
ささやかな楽しみとしていることを、真紀にも佐智子ちゃんにも古見くんにも知られたくはなかった。
あいつの発言は最低だけど、話しかけられることは嫌じゃない。
(そう、嫌じゃない)
実は内心、
しかも、こんな風に古見くんを思えても、やはり私はあいつと手をつないでデートをしたいとは微塵も思わないのだ。
毎日、今日は話しかけられるかなとか、目が合うかなとか、帰り道はかぶったりするかなとか。
それに、これは絶対に実らないものだと
卒業したら、結局は一緒にいられないんだし。卒業まで毎日を楽しんだほうがいいと考えを改めた。
子ども、なんだろうか。そうやって考えてしまうのは。
私は、古見くんとそういう関係になりたくはない、と言い張っているだけじゃないか。
(いや、でも想像ができないし……というか、古見くんじゃないにしても
「あっ」
視線の先では、佐智子ちゃんが友達と楽しげに話をしていた。
本当に何事もないような
「ねぇ、なんで古見と別れたの?」
友達の方は堂々と事を大げさにしているけど。
佐智子ちゃんは困ったように「うーん」と考えあぐねる。
「まぁ、今年受験だし。遊べなくなりそうだしね。それに、
佐智子ちゃんは少し、悲しそうに言った。
思わぬところで
佐智子ちゃんは私たちには気づかずに、更衣室へ入っていった。
「まーね……遠距離はきついか」
真紀も
(なんと、佐智子ちゃんも私と同じ決断をしていたとは)
しかも、ちょっと切なげな横顔が私と同い年とは思えないほど大人びていた。
(あぁ、やっぱり私はまだ子供なんだろうな……)
「あれ? のぞみ」
背後から声がする。振り向かずともわかった。古見くんだ。
「何? 着替えないの?」
間の抜けた顔でこちらを見ている。すでに体操服姿で。
「今から着替えるし。のぞくなよ」
「さすがにそこまでしねーわ」
「お前なら絶対やるでしょ。そんなだから……」
軽口が出てこない。ぐっと、のどの奥で止まってしまう。
古見くんは特に気にせず、ヘラヘラとしたままで「はよ着替えてこいよー」と私の横を通り過ぎていった。
私は何を言おうとしたんだろう。そんなだから、彼女に振られるんだよ、とか?
(はぁ……何がしたいんだ、私は)
気持ちの
古見くんは、体育委員だから体育の時間は早めにグラウンドに出る。だから「はよ着替えろ」と言っただけ。
(
あいつは役割をこなしているだけだ。
高1の夏休み明けに、あいつだけは真っ先に私のことを「のぞみ」と呼んだ。なんで下の名前なの、ときけばあいつは、
「だって、小野が二人もいるんだからしょうがないだろ。だから、今日から『のぞみ』って呼ぶ」
そんなことをなんの
(だから、特別なんかじゃない)
(勘違いするな)
「希望ちゃんってとっつきにくくない?」と佐智子ちゃんに言われたとき、古見くんは「のぞみはツンデレだからな」とさも分かったような口ぶりで言い放った。私の近くで。
そう言われて私は「はぁ?」と
(……あぁ、もう、だから勘違いするなって)
体育の時間とか昼休みとかに、変態発言を私にふっかけてくるのは私の反応を
(勘違いするな)
シャープペンの
私は、あいつのことなんか好きじゃない。
あいつも、私のことなんか好きじゃない。
ただのクラスメイトだから。
(勘違いするな)
炭酸水の
(いつかは、終わらないといけないんだから)
そんなことを考えていると、途端に刻一刻と終わりの時間が
終わりに近づいていく。この日々が、終わる。
(ゆるやかで気だるい時間が、もう残り……)
「もう、希望! 何してんの。早く
すっかり着替え終わった真紀が私の手を引っ張って
私はのろのろとシャツのボタンをはずした。
でも、痛みというのはいつの間にか
実はそこまでオオゴトじゃない。だから、これも一時的なものだと思う。
古見凌平、という名前を見つけて私の指はスマートフォンから少し
(結構
SNSのアカウント名が本名だから、本人なんだろうとすぐに思ったけど別人の可能性だってある。
親指で軽く押してみると、彼のアカウントページが出てきた。
(あぁ、本人だ)
少し
元気でやってるのかなぁと画面をスライドさせていると、彼の
『
(そうか、幸せになったんだなぁ。おめでとう、良かったね)
ちょっと
片方の耳に押し込んでいたイヤホンからは「アンニュイ・ガール」の切なげなギターが流れているけれど……。
「ごめん、希望。待った?」
後ろから声がかかれば、私はすぐさま
古見くんと同じように、
<続きは本編でぜひお楽しみください。>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます