弦音は響かない 彌砂


 好き。

 きらい。

 つう

 無関心。


 他人にいだく感情はほかにも色々あるけれど、ことれんあいにおいては少しでも好きという感情がないと成り立たない。

 だから、アイツの感情が読めなくても、私が〝彼女〟でアイツが〝彼氏〟である限り、好かれているのだと思っていた。

「付き合って」と告白してきたのはアイツ。

 その時、私にはアイツに対して好きも嫌いもどちらの感情もなかった。単にクラスメイト。ただそれだけだ。けれど、好意を持たれていることはなおにうれしかったから付き合うことを決めた。

 なのに、なぜだろう。

 いつしよにいてもアイツの──しまむらはるかの気持ちはどこか遠くにあるような。

 けれど、それがなぜなのか当然わかるはずもなく、付き合い始めてまだまもないからだと、小さなかんを覚えながらもそう自分を納得させていた。

 弓道着に身をつつみ、かすみまとへ矢と視線をまっすぐに向ける遥を見ながらそんなことを考えていると、横から「ね、島村ってどう?」と親友であるかざあやが耳打ちしてきた。

「どうって?」

「付き合い始めたんでしょ? と島村」

「ああ、うん。そうだけど」

「向こうから告白してきたんでしょ? 意外だよね。島村って自分から気持ちを言うタイプには見えないっていうか」

「……そうだね。私もおどろいた」

 遥は彩香の言う通り、大人しいタイプだ。

 だから告白をされたとき、正直驚いた。でもだからこそ、その意外性が私の心を動かしたのかもしれない。

「あ、的中」

 彩香の声と、タンッ! と、的に矢が当たった音が同時に聞こえた。

 弓から射った後のつるおとがしんとした道場に響いている。

だれだ。けい中に私語は厳禁だぞ」

 もんむら先生の𠮟しつが飛んできた。

 しまった。今は見取り稽古の最中だったのに話していてちゃんと見ていなかった。小声で話していたものの、この静まり返った道場ではいささか目立っていたようで3年のせんぱいににらまれたので、私たちは肩をすくめた。


「やっぱ島村は2年だけど、1番上手うまいよね。いいな、結花は個人的にも教えてもらえて」

「そんなことないよ。教えてもらったことないし」

「え? そうなの?」

「うん。それに彩香の彼氏……ほんくんだってサッカー部のエースでしょ」

「私はサッカーしないし」

「そうだけど」

 練習が終わり、弓道着から制服へえ、ばこへ向かうちゆうそんな会話をしていると、背後から「結花」と声をかけられた。

「あ、うわさをすれば」

 り向くとそこに遥が立ってこちらを見ていた。

「おつかれさま」

 私がそう言うと、遥は私の荷物を手に取った。

「え、何?」

「持つよ。一緒に帰ろう」

 付き合って1週間がつが、こんな風に荷物を持たれたことはなかったので少々めんらう。

「わお。島村ってやさしいんだね。いいなあ、けんくんもこんだけ優しかったらいいのに」

「自分で持てるから……本田くん優しそうだけど」

 自分の荷物を遥からだつかんすると彩香に問いかけた。

「んー、健斗くんはみんなに優しいから。やっぱ彼女の私にだけ優しくしてほしいかな」

 本田くんは明るくて、優しくて、男女共に人気がある。サッカー部のエースというだけあってとうそつ力があり、うちのクラスで学級委員もになっているような人だ。

「ぜいたくななやみだね」

「結花にはわかんないんだよ。じゃあ私はここで健斗くん待つから」

「あ、うん。また明日」

「またな。風見」


 夕暮れに染まる学校からの帰り道。

 部活もクラスも一緒の私たちは付き合ってからこうして毎日となり合って駅までの道のりを歩く。

「…………」

 遥は口下手なのか自分から口を開くことはめったにない。

「あー……っと、今日の見取り稽古も素晴らしかったね」

 だから、必然的に私から話題を出すことになる。

「しゃべってたのに?」

「……バレてた? ごめん」

 遥はふっと息をらし、遠くの夕日を見た。

 再びちんもくおとずれ、私は「そういえばね、うちのお母さんが……」と聞かれてもいない内輪ネタをろうする。

 この1週間で、遥は私のことで知らないことはほとんどないくらいの情報を得ただろう。

 反対に私は遥のことを何も知らない。

 付き合ってと言われたのは私の方のはずなのに、みようきよかんおそう。

 遥は──本当に私のことが好きなのだろうか。


 そして、彼氏と彼女になって初めての休日。

 といっても、朝から夕方まで部活があるのだが。

「よし。今日の練習はここまで。残って自主練したいヤツは1時間までならいいぞ。何かあったら職員室まで来てくれ」

 木村先生はそう言って道場を後にした。

 せっかくの休日に居残りまでして練習をしていく人はほとんどいない。

「あれ? 彩香残るの?」

「うん。大会近いし」

 そう言って、弓を持って的前に立つ。

「そっか。じゃあ私は……」

 と言った時、私の横をスッとひとかげがよぎった。

「俺が教えようか」

 遥だった。

「え! 島村も帰るんじゃないの?」

「いや。俺も少し残ろうと思ってたから」

 彩香がチラリとこちらを見る。

 ドクン──と心臓が大きな音を立て、いつしゆん、息がつまるような苦しさを覚えた。

 だが、次の瞬間私はがおで答えた。

「私も残るよ。遥、私にも教えてくれる?」

「2人とも優しい! ありがとう!」

 心から喜ぶ彩香に私は胸に暗い何かが広がるのを感じ、それをかき消すかのように頭を左右へ振った。

「……ほおに矢があたるように口のあたりで引いて。つるは軽く胸にあてて……」

「こ、こう?」

「うん」

 まずは彩香が的前に立った。その隣で遥がていねいにレクチャーしているのを私は少し遠くから体育座りをして見ていた。

 弓道をたしなんでいるのだから当たり前なのだが遥の姿勢はとても美しい。

 制服を着ているときにもそれは思うが、弓道着をまとっていると、さらにそれを感じて思わず見とれてしまう。

 最初は好きでもなんでもなかったのに、少しずつ、いな、急激に遥にこころかれていく自分にまどった。

 そうなると、たとえ親友の彩香が相手でもあんなにも身体からだを接近させていることへしつを覚えてしまう。

 もし。

 だんから遥の気持ちが私へ向いていることが目に見えていたら、ここまで不安にられることもなかったのかもしれない。

「ありがとう! さすが島村、ちょっと自信持てたよ」

「そう」

「ごめんね、結花。彼氏借りちゃって」

「ううん。自信持ててよかった!」

 そう言って私はこしを上げた。

「次、私もいいかな?」

「もちろん」

 弓を持ち、的前へ立つ。

 平常心。と心の中で何度もつぶやき、的を見る。

 それから左足を的の中心に向かって半歩み開く。

 りようかたを下げ、呼吸を整えながら背筋と頭を天までまっすぐにばすイメージをかべた。のだが。

「呼吸が乱れてる」

「え……」

 すぐ後ろにいた遥の声にり向いてしまった。至近きよで視線がぶつかる。

「雑念があるでしょ」

 ない、とは言えなかった。

「おなか空いちゃって」

「……そっか。でも集中して」

「……はい」

 ひとつ発見。遥は弓道のことになると少しじようぜつになるらしい。

 私は深呼吸を数回して、それから弓を正面に構えた。親指を弦へかけ真っぐに引く。

「身体、曲がってる」

 不意に真後ろから声がしたと思ったら、かたを引かれた。

 せっかく集中しようとしているのに、逆効果だと遥はわかっているのだろうか。

「う、うん。わかったから、手を……」

「言葉だとわかりづらいから……そのまま引いて」

 今度は私の手に自分の手を重ね、いつしよに矢を引いてきた。

 初めて遥に対してどうが高鳴るのを感じた。

 そう思うと指がふるえる。

「もっと……」

 まくに遥の声がひびくと、さらに鼓動ははやがねを打つ。

「あ……!」

 放たれた矢は的から外れ、ずちさった。

「気が乱れすぎ」

 それは遥のせいだ、とも言えず私は「次は当てるから」と頰をふくらませた。


「なーんかドキドキしちゃった!」

 練習が終わり、えをしていると彩香がさも楽しそうに言ってきた。すでにほかの部員は帰ってしまっていて、女子ロッカーには私たちの姿しかない。

「何が……」

「やっぱ彼女だもんね。あんな密着しちゃってさー」

 私は忘れようとしていたというのに、彩香の言葉でつい今しがたの出来事を思い出して赤面した。

「もう、キスとかしたの?」

「は!?」

 ニコニコとしながら彩香が顔をのぞきこんでくる。

「す、するわけないじゃん! まだ手もつないだことないのに」

 むしろ、会話すらままなっていない。

「え! 手もつないでないの?」

「ダメなの?」

「毎日一緒に帰ってるのに……そうなんだ」

「そういう彩香は本田くんとどうなのよ」

「え……私? そりゃもう付き合って3ヶ月ですから? キスくらいは」

 聞いておいてなんだが、こうもあっさり答えられるとは思わなかった。

「そ、そうなんだ」

「でもいいなあ。島村、やっぱりやさしいし、弓構えてる時はめっちゃかっこいいよね!」

「そう……かな」

 少し前まではただれいだな、としか思わなかったが、今日の遥はかっこよく見えた。

 それは、私の気持ちに変化が起こったからかもしれない。

 付き合っていると言っても友達に毛が生えたくらいにしか思っていなかったから。

 初めて、遥のことをもっと知りたいと思った。

 好かれているという実感がほしくなった。

 遥が優しいというのなら、その優しさを自分だけに向けて欲しいと願った。

 私が遥にこいをしたこのしゆんかんしつれんしていたとも知らずに──。


「あ、健斗くんの卵焼き、私のとこうかんしない?」

「え、彩香んとこの卵焼き甘いじゃん」

 最近、お昼は私と遥、それに彩香と本田くんの4人で一緒に中庭で食べている。

 これを提案してきたのは彩香だった。

 親友の彼氏同士も仲良くなれば、休みの日に一緒に遊びにも行けるからという理由だった。

 遥は当然断るものだと思っていたが、予想に反してかいだくされた。

「俺のとでよければ」

「え? いいの? やった! たまにはちがう味の卵焼き食べたくなるんだよね」

 私は遥と彩香が卵焼きを交換している姿を見てしようげきを受けた。

 本田くんもいやなのではないか? そう思って彼を見るも別段気にしている様子はない。私が考えすぎなのだろうか。

「島村って弓道めっちゃ上手うまいんだろ? 彩香がすげえめてた」

 本田くんの言葉に遥は「別に。中学のころからやってただけだから」と答えた。

「そのうでがきのハートもいたってか!」

「私は健斗くんにゴールを決められたってこと?」

 2人はそんな会話をずかしげもなく楽しそうにわしている。

「いや……結花は俺のこと好きでもきらいでもなかったよ」

 ドキリとした。

 今までそんな本心を遥に伝えたことはなかったからだ。かれていたことに多少なりともどうようしてしまう。

「そんなことは……」

 それに最初はそうだったとしても、今は──。

「でもいいよ。こうして今一緒にいられるから」

 そう言って遥は指を私へばしてきた。

 とっさに身構えてしまうと、その指は私のかみへ降りた。

「葉っぱ」

「あ、ああ……ありがとう」

 彩香と本田くんの前で何をされるわけでもないのに動揺してしまった自分が恥ずかしい。

 卵焼き──彩香と交換して欲しくなかった。


「なんかさ、島村ってみような色気があるよね。今まで気づかなかったけど、好きな人と一緒にいるからかな」

 昼食の後、トイレでの会話だ。

「わかんないよ、そんなの」

 だとしたらうれしい。

 けれど、どうしても何かが引っかかる。何かが……。


 放課後。

 今日もいつも通りに遥と並んで駅までの道のりを歩く。

 そしていつも通りに遥が口を開くことはない。

「あのさ。本田くんと仲良くなれそう?」

「どうかな。俺とは正反対のタイプだし」

「彩香とは仲良くなれそうだね」と口から出そうになってあわてて飲みこんだ。

「仲良くなれたら4人でどこか遊びにいこうって彩香が言ってたよ」

「……ふうん」

「……嫌じゃ……ないの?」

 嫌だと言ってほしかった。

 私と2人でいたいと言ってほしかった。

 私がじっと見つめると、遥はそのうすくちびるを開いた。

「追いついた!」

 その瞬間、背後から走ってくる足音と彩香の声が響いた。

 り向くと、満面のみをかべる彩香と手をつないだ本田くんの姿があった。

いつしよに帰ろ!」

「うん……」

 遥を見ると、その視線は私ではなく彩香に向いていた。そのことに言いようのない不安がこみ上げる。

 そんなはずはないのに。

 だって、遥は私に付き合ってと言ってきたのだから。それはちがいないのだから。

 すると、不意に指先を何かがかすめた。

 おどろいて見ると、遥の手が私の右手をにぎろうとしているところだった。

「え……」

「嫌かな」

 私は首を左右に振るも「嫌じゃないけど恥ずかしいよ」とつぶやいた。

「おいおい、お前ら手つなぐの初めてとか言わないよな?」

 本田くんがからかうようにしてはやし立てる。

 恥ずかしいけれど、なんだか身体からだがふわふわと浮いてしまったような感覚がする。

 多分、私は遥と手をつなげてうれしいのだ。

「ラブラブだなあ! ま、うちらもラブラブですけどねー」

 そう言って、彩香は本田くんとつないでいる手をブンブンと振ってみせた。

「よかったね」

 私は心からそう思った。

 そうだ。遥は私のことをちゃんと好きでいてくれている。消極的な性格の遥がこうして人前で手をつないでくれたのだから、もっと自信を持たなければ。

 それに……今はこんなにも遥のことが好きなのだと伝えなければならない。

 好きでも嫌いでもないのに付き合っているなんて誤解されたままは嫌だった。

 今度は私から告白をしよう。

 そう、決意をした。


 告白は大会当日にすることに決めた。

 もう付き合っているのだからこんなにきんちようすることもないのだろうが、なんとなく大会の成績がよければ、その勢いで言えてしまう気がしたからだ。

「おまえたちは毎日練習してきた。だからその練習の成果を見せればいい。変に緊張せず、心を落ち着かせて行ってこい」

 木村先生の言葉に部員たちの「はい!」という返事がひかえ室にひびく。

 だが、私の心はここにあらずであった。

「……ん? 島村と風見がいないな。どうした?」

 そう。学校に集合した時には確かに2人とも来ていたのに、今は姿が見えない。

 妙なむなさわぎがする。

「トイレかもしれません。私が見てきます」

「小田垣、おまえはいい。精神統一しておけ」

 木村先生は走って控え室を出て行ってしまった。

 そう言われても統一しろと言われた精神は乱れるばかりだ。

 それから5分後、木村先生と共に2人がもどってきた。

「……彩香、どうし……」

 かけ寄り彩香の顔を見ると、その目は赤くじゆうけつして、なみだれていた。

「……ごめ……私……ふられちゃった……」

「風見。今は気持ちを切りえろ」

 遥がりんとした声を出した。

「でも……島村にもいやな思いを……」

「俺のことはいいから」

 一体何があったというのだ。

 事態が飲みこめず、ただぼんやりと2人を見つめていると「結花、ちょっといいか」と遥に言われた。

「……うん」

 木村先生へ彩香をたくし、私は遥と一緒にろうへと出た。

「競技前に悪い」

「ううん。一体何があったの?」

 試合開始まであと15分。

 私は少し遠くのかべにかかった時計をちらりとかくにんしてから遥を見た。

「……本田がかんちがいした」

「え? 何を?」

「風見は俺のことを好きなんじゃないかって……」

 そう言った遥のひとみが泳ぐ。

「なんでそうなるの。彩香はただ仲良くなろうとしただけで……」

「ああ、そうだ」

「ちゃんと本田くんに話せばわかってくれると思う。大会が終わったらみんなで本田くんのところへ──」

「結花」

 遥の視線が真っぐに私をいた。

「今までうそをついてた。ごめん」

 今度は一体なんだというのだ。、私は遥に謝られているのだろう。

「噓……? 何……?」

 遥は薄く唇を開く。

「俺は……風見が好きなんだ」

 頭が真っ白になった。何を言っているのだろう。

「親友の結花と付き合えば、風見に俺を見てもらえると思った」

 ああ、そうか。

 なぜ私は気づかなかったのだろう。

 遥は一度も私を好きだとは言ってない。

「付き合って」としか言われていない事実に足元がガラガラとくずれていくのを感じた。

「……最低」

 今思えば──遥が私にれてきた時は……やさしくしてくれた時は、いつだってそばに彩香がいた。

 彩香から注目されたくて遥がした行動を、私は彼に好かれていると勘違いして喜んでいたのだ。

 なんて──おろかなのだろう。本当にバカだ。

 私はガクガクとふるえる足で必死に立っていた。

「本当に最低なことした。ごめん……」

 頭を深く下げてくる遥に、鼻の奥にツンとした痛みを感じたが、絶対に泣くもんか、とくちびるをかみしめた。

「でも……よかったよ。好きになる前にわかって」

 遥なんて好きじゃない。

 好きなんかじゃない。

 そう頭の中でり返す。

「結花……」

 きっと彼は気づいている。私が自分にこいごころいだき始めていることに。

「遥がてきしたとおり、私は遥のこと好きでもきらいでもないから。友達としては……好きだよ」

 今の私に言えるせいいつぱいの言葉だった。

 最初から遥の矢は、私ではなく、彩香へと向けられていたのだ。

 それが、かんの理由であったことにようやく気づき、胸のつかえが取れたような気がした。

「二度と噓はつかないで」

「ああ……」

「今までだまされてたんだから、協力はしないよ? けど……話くらいは聞いてもいい。〝友達〟として」

「結花……許されないことした……ごめん……ありがとう……」

 今度は私が彼に噓をつく。

 好き、という感情を押し殺す。

 言えば、あなたを困らせるだろうから。いつか許せるときまで。


 放つことのない弓からは、つるおとは響かない──。

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