弦音は響かない 彌砂
好き。
無関心。
他人に
だから、アイツの感情が読めなくても、私が〝彼女〟でアイツが〝彼氏〟である限り、好かれているのだと思っていた。
「付き合って」と告白してきたのはアイツ。
その時、私にはアイツに対して好きも嫌いもどちらの感情もなかった。単にクラスメイト。ただそれだけだ。けれど、好意を持たれていることは
なのに、なぜだろう。
けれど、それがなぜなのか当然わかるはずもなく、付き合い始めてまだまもないからだと、小さな
弓道着に身をつつみ、
「どうって?」
「付き合い始めたんでしょ?
「ああ、うん。そうだけど」
「向こうから告白してきたんでしょ? 意外だよね。島村って自分から気持ちを言うタイプには見えないっていうか」
「……そうだね。私も
遥は彩香の言う通り、大人しいタイプだ。
だから告白をされたとき、正直驚いた。でもだからこそ、その意外性が私の心を動かしたのかもしれない。
「あ、的中」
彩香の声と、タンッ! と、的に矢が当たった音が同時に聞こえた。
弓から射った後の
「
しまった。今は見取り稽古の最中だったのに話していてちゃんと見ていなかった。小声で話していたものの、この静まり返った道場ではいささか目立っていたようで3年の
「やっぱ島村は2年だけど、1番
「そんなことないよ。教えてもらったことないし」
「え? そうなの?」
「うん。それに彩香の彼氏……
「私はサッカーしないし」
「そうだけど」
練習が終わり、弓道着から制服へ
「あ、
「おつかれさま」
私がそう言うと、遥は私の荷物を手に取った。
「え、何?」
「持つよ。一緒に帰ろう」
付き合って1週間が
「わお。島村って
「自分で持てるから……本田くん優しそうだけど」
「んー、健斗くんはみんなに優しいから。やっぱ彼女の私にだけ優しくしてほしいかな」
本田くんは明るくて、優しくて、男女共に人気がある。サッカー部のエースというだけあって
「ぜいたくな
「結花にはわかんないんだよ。じゃあ私はここで健斗くん待つから」
「あ、うん。また明日」
「またな。風見」
夕暮れに染まる学校からの帰り道。
部活もクラスも一緒の私たちは付き合ってからこうして毎日
「…………」
遥は口下手なのか自分から口を開くことはめったにない。
「あー……っと、今日の見取り稽古も素晴らしかったね」
だから、必然的に私から話題を出すことになる。
「しゃべってたのに?」
「……バレてた? ごめん」
遥はふっと息を
再び
この1週間で、遥は私のことで知らないことはほとんどないくらいの情報を得ただろう。
反対に私は遥のことを何も知らない。
付き合ってと言われたのは私の方のはずなのに、
遥は──本当に私のことが好きなのだろうか。
そして、彼氏と彼女になって初めての休日。
といっても、朝から夕方まで部活があるのだが。
「よし。今日の練習はここまで。残って自主練したいヤツは1時間までならいいぞ。何かあったら職員室まで来てくれ」
木村先生はそう言って道場を後にした。
せっかくの休日に居残りまでして練習をしていく人はほとんどいない。
「あれ? 彩香残るの?」
「うん。大会近いし」
そう言って、弓を持って的前に立つ。
「そっか。じゃあ私は……」
と言った時、私の横をスッと
「俺が教えようか」
遥だった。
「え! 島村も帰るんじゃないの?」
「いや。俺も少し残ろうと思ってたから」
彩香がチラリとこちらを見る。
ドクン──と心臓が大きな音を立て、
だが、次の瞬間私は
「私も残るよ。遥、私にも教えてくれる?」
「2人とも優しい! ありがとう!」
心から喜ぶ彩香に私は胸に暗い何かが広がるのを感じ、それをかき消すかのように頭を左右へ振った。
「……
「こ、こう?」
「うん」
まずは彩香が的前に立った。その隣で遥が
弓道を
制服を着ているときにもそれは思うが、弓道着をまとっていると、さらにそれを感じて思わず見とれてしまう。
最初は好きでもなんでもなかったのに、少しずつ、
そうなると、たとえ親友の彩香が相手でもあんなにも
もし。
「ありがとう! さすが島村、ちょっと自信持てたよ」
「そう」
「ごめんね、結花。彼氏借りちゃって」
「ううん。自信持ててよかった!」
そう言って私は
「次、私もいいかな?」
「もちろん」
弓を持ち、的前へ立つ。
平常心。と心の中で何度もつぶやき、的を見る。
それから左足を的の中心に向かって半歩
「呼吸が乱れてる」
「え……」
すぐ後ろにいた遥の声に
「雑念があるでしょ」
ない、とは言えなかった。
「お
「……そっか。でも集中して」
「……はい」
ひとつ発見。遥は弓道のことになると少し
私は深呼吸を数回して、それから弓を正面に構えた。親指を弦へかけ真っ
「身体、曲がってる」
不意に真後ろから声がしたと思ったら、
せっかく集中しようとしているのに、逆効果だと遥はわかっているのだろうか。
「う、うん。わかったから、手を……」
「言葉だとわかりづらいから……そのまま引いて」
今度は私の手に自分の手を重ね、
初めて遥に対して
そう思うと指が
「もっと……」
「あ……!」
放たれた矢は的から外れ、
「気が乱れすぎ」
それは遥のせいだ、とも言えず私は「次は当てるから」と頰をふくらませた。
「なーんかドキドキしちゃった!」
練習が終わり、
「何が……」
「やっぱ彼女だもんね。あんな密着しちゃってさー」
私は忘れようとしていたというのに、彩香の言葉でつい今しがたの出来事を思い出して赤面した。
「もう、キスとかしたの?」
「は!?」
ニコニコとしながら彩香が顔をのぞきこんでくる。
「す、するわけないじゃん! まだ手もつないだことないのに」
むしろ、会話すらままなっていない。
「え! 手もつないでないの?」
「ダメなの?」
「毎日一緒に帰ってるのに……そうなんだ」
「そういう彩香は本田くんとどうなのよ」
「え……私? そりゃもう付き合って3ヶ月ですから? キスくらいは」
聞いておいてなんだが、こうもあっさり答えられるとは思わなかった。
「そ、そうなんだ」
「でもいいなあ。島村、やっぱり
「そう……かな」
少し前まではただ
それは、私の気持ちに変化が起こったからかもしれない。
付き合っていると言っても友達に毛が生えたくらいにしか思っていなかったから。
初めて、遥のことをもっと知りたいと思った。
好かれているという実感がほしくなった。
遥が優しいというのなら、その優しさを自分だけに向けて欲しいと願った。
私が遥に
「あ、健斗くんの卵焼き、私のと
「え、彩香んとこの卵焼き甘いじゃん」
最近、お昼は私と遥、それに彩香と本田くんの4人で一緒に中庭で食べている。
これを提案してきたのは彩香だった。
親友の彼氏同士も仲良くなれば、休みの日に一緒に遊びにも行けるからという理由だった。
遥は当然断るものだと思っていたが、予想に反して
「俺のとでよければ」
「え? いいの? やった! たまには
私は遥と彩香が卵焼きを交換している姿を見て
本田くんも
「島村って弓道めっちゃ
本田くんの言葉に遥は「別に。中学の
「その
「私は健斗くんにゴールを決められたってこと?」
2人はそんな会話を
「いや……結花は俺のこと好きでも
ドキリとした。
今までそんな本心を遥に伝えたことはなかったからだ。
「そんなことは……」
それに最初はそうだったとしても、今は──。
「でもいいよ。こうして今一緒にいられるから」
そう言って遥は指を私へ
とっさに身構えてしまうと、その指は私の
「葉っぱ」
「あ、ああ……ありがとう」
彩香と本田くんの前で何をされるわけでもないのに動揺してしまった自分が恥ずかしい。
卵焼き──彩香と交換して欲しくなかった。
「なんかさ、島村って
昼食の後、トイレでの会話だ。
「わかんないよ、そんなの」
だとしたらうれしい。
けれど、どうしても何かが引っかかる。何かが……。
放課後。
今日もいつも通りに遥と並んで駅までの道のりを歩く。
そしていつも通りに遥が口を開くことはない。
「あのさ。本田くんと仲良くなれそう?」
「どうかな。俺とは正反対のタイプだし」
「彩香とは仲良くなれそうだね」と口から出そうになってあわてて飲みこんだ。
「仲良くなれたら4人でどこか遊びにいこうって彩香が言ってたよ」
「……ふうん」
「……嫌じゃ……ないの?」
嫌だと言ってほしかった。
私と2人でいたいと言ってほしかった。
私がじっと見つめると、遥はその
「追いついた!」
その瞬間、背後から走ってくる足音と彩香の声が響いた。
「
「うん……」
遥を見ると、その視線は私ではなく彩香に向いていた。そのことに言いようのない不安がこみ上げる。
そんなはずはないのに。
だって、遥は私に付き合ってと言ってきたのだから。それは
すると、不意に指先を何かがかすめた。
「え……」
「嫌かな」
私は首を左右に振るも「嫌じゃないけど恥ずかしいよ」とつぶやいた。
「おいおい、お前ら手つなぐの初めてとか言わないよな?」
本田くんがからかうようにしてはやし立てる。
恥ずかしいけれど、なんだか
多分、私は遥と手をつなげてうれしいのだ。
「ラブラブだなあ! ま、うちらもラブラブですけどねー」
そう言って、彩香は本田くんとつないでいる手をブンブンと振ってみせた。
「よかったね」
私は心からそう思った。
そうだ。遥は私のことをちゃんと好きでいてくれている。消極的な性格の遥がこうして人前で手をつないでくれたのだから、もっと自信を持たなければ。
それに……今はこんなにも遥のことが好きなのだと伝えなければならない。
好きでも嫌いでもないのに付き合っているなんて誤解されたままは嫌だった。
今度は私から告白をしよう。
そう、決意をした。
告白は大会当日にすることに決めた。
もう付き合っているのだからこんなに
「おまえたちは毎日練習してきた。だからその練習の成果を見せればいい。変に緊張せず、心を落ち着かせて行ってこい」
木村先生の言葉に部員たちの「はい!」という返事が
だが、私の心はここにあらずであった。
「……ん? 島村と風見がいないな。どうした?」
そう。学校に集合した時には確かに2人とも来ていたのに、今は姿が見えない。
妙な
「トイレかもしれません。私が見てきます」
「小田垣、おまえはいい。精神統一しておけ」
木村先生は走って控え室を出て行ってしまった。
そう言われても統一しろと言われた精神は乱れるばかりだ。
それから5分後、木村先生と共に2人が
「……彩香、どうし……」
かけ寄り彩香の顔を見ると、その目は赤く
「……ごめ……私……ふられちゃった……」
「風見。今は気持ちを切り
遥が
「でも……島村にも
「俺のことはいいから」
一体何があったというのだ。
事態が飲みこめず、ただぼんやりと2人を見つめていると「結花、ちょっといいか」と遥に言われた。
「……うん」
木村先生へ彩香を
「競技前に悪い」
「ううん。一体何があったの?」
試合開始まであと15分。
私は少し遠くの
「……本田が
「え? 何を?」
「風見は俺のことを好きなんじゃないかって……」
そう言った遥の
「なんでそうなるの。彩香はただ仲良くなろうとしただけで……」
「ああ、そうだ」
「ちゃんと本田くんに話せばわかってくれると思う。大会が終わったら
「結花」
遥の視線が真っ
「今まで
今度は一体なんだというのだ。
「噓……? 何……?」
遥は薄く唇を開く。
「俺は……風見が好きなんだ」
頭が真っ白になった。何を言っているのだろう。
「親友の結花と付き合えば、風見に俺を見てもらえると思った」
ああ、そうか。
なぜ私は気づかなかったのだろう。
遥は一度も私を好きだとは言ってない。
「付き合って」としか言われていない事実に足元がガラガラと
「……最低」
今思えば──遥が私に
彩香から注目されたくて遥がした行動を、私は彼に好かれていると勘違いして喜んでいたのだ。
なんて──
私はガクガクと
「本当に最低なことした。ごめん……」
頭を深く下げてくる遥に、鼻の奥にツンとした痛みを感じたが、絶対に泣くもんか、と
「でも……よかったよ。好きになる前にわかって」
遥なんて好きじゃない。
好きなんかじゃない。
そう頭の中で
「結花……」
きっと彼は気づいている。私が自分に
「遥が
今の私に言える
最初から遥の矢は、私ではなく、彩香へと向けられていたのだ。
それが、
「二度と噓はつかないで」
「ああ……」
「今までだまされてたんだから、協力はしないよ? けど……話くらいは聞いてもいい。〝友達〟として」
「結花……許されないことした……ごめん……ありがとう……」
今度は私が彼に噓をつく。
好き、という感情を押し殺す。
言えば、あなたを困らせるだろうから。いつか許せるときまで。
放つことのない弓からは、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます