その2
真田みちるとは病院の談話室で知り合った。たまたま二人とも同じ映画雑誌を読んでいて、しかもある米国の有名女優の話で盛り上がり、仲良くなった。
中村氏は足を骨折していただけだったから、長くても二か月ほどで退院だったが、みちるの方は”何の病気であるか”は、はっきりと教えてくれなかったものの、もう半年は入院中の身であること。この先いつ退院出来るか分からないことなどを教えてくれたという。
そうして毎日のように談話室で話をするごとに、二人は仲のいい友達になっていった。
ある日、みちるが中村氏に”交換日記をして貰えないだろうか”と提案してきた。
中村氏は最初戸惑った。
自分は高校二年生、みちるはまだ中学一年生である。
姉妹がいなかった彼には”可愛い妹だな”と言う程度の認識しかなかった。
そこで”僕が入院している間だけなら”という約束で始めた。
病室で書いて、次の日の朝、朝食の済んだ後談話室で渡す、という約束にした。
お互いに書くことはほんの他愛のない言葉ばかりで、特に熱烈な言葉など一言もなかった。
詩の話(彼女は詩を書くのを趣味にしていた)、読んだ本の話、好きな音楽の話。映画の話・・・・家族や生い立ちの事、誰でも書くことを当たり前のように綴っていたに過ぎない。
二か月はあっという間に経ち、彼の足は全快し退院することになった。
明日は退院というその日になって、みちるは中村氏に言った。
”お願い、お兄ちゃん(彼女は中村氏をこう呼んでいたという)、退院してもお手紙だけは頂戴。本当なら毎日書いて欲しいけれど、一週間に一度、いえ、それが無理なら一か月に一度でも構わないわ。”
何でも彼女は白血病とよく似た血液の病気で、度々血液交換を行わないと命の危険があるという。
病名については彼女も詳しくは知らなかったが、彼女の眼差しの必死さから、尋常のことではないと中村氏も分かったという。
『それで、ほぼ毎週のように手紙を送りました』という。
格別筆まめな方ではなかったが、約束は約束である。とにかく日常、何でもないことでも兎に角書いて送った。
体調がいい時にはたまに電話が向こうからかかってくることもあったという。
そうして半年ほど経った頃、彼女からの手紙が途絶えた。
”体調が良くないのかな”そう思い、病院に行って確かめてみようと思ったが、家族でもない自分が出かけて行っても、患者の容体なぞ教えてくれる筈はない。
そう思ってしばらく出さずにいると、そのうちに彼女の母親から連絡が入り、
”みちるは病のため、天に召されました。有難うございます”
ショックだった。
確かに男女と言う意味で『恋』をしていたわけではないにしろ、自分のことを慕ってくれていた少女が亡くなったというのは衝撃であった。
そこで、彼としてはその記憶をとどめておきたいと思い、遺族の了解も得て、彼女との交換日記と、連絡が途切れるまでの往復書簡を一冊の本にまとめた。
とはいっても、別に出版をする気はなく、単に記録として手元に残しておくだけのつもりだった。
(だから題名もつけていない。単に”交換日記と往復書簡集”としていただけである)
そのうちに大手の出版社が聞きつけ、
”ウチで出版させて貰いたい”と言ってきた。
最初は迷ったが、しかし『こういう事実もあったのだ』ということを世間に知っておいて貰うのも悪くはないと考えて、出版を承諾した。
”愛と死の・・・・”という題名もこの時出版社でつけられたもので、彼は最初”止めてくれないか”と断ったが、売れるためには目立ったものにしなければという向こうの言葉に押し切られてしまった。
本は瞬く間にベストセラーになり、特に女性読者の感動を呼び、初版だけで7万部も売れた。
中村氏は印税の半分をみちるの遺族に送り、そして残りを難病支援のための基金にした。
本の評判を聞きつけた某映画会社が、映画化の話も持ち込んできた。
最初は渋ったが、みちるの遺族も快諾してくれたため、映画になり、これまた大ヒット。当時の青春スター二名が共演し、興行収入もトップだったという。
しかし、問題はそこからだった。
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