『愛と死の記録』の裏側

冷門 風之助 

その1 

 やれやれ、一仕事終わった。


やっとこさ幾つかの依頼を片付け、俺はいつもの行きつけの店『アバンティ』にやってきた。


 懐には金がうなっているという訳ではなかったが、そこそこの稼ぎにはなった。


 仕事を終え、こうして行きつけのバァの止まり木で一杯呑るのが、俺にとって至福の時間ときである。こういう時くらい誰にも邪魔されたくないものだ。


『あの、失礼ですが』背後から声がした。


 俺が振り返ると、そこには中年、いや、どう見ても『後期高齢者でござい』という男が立っていた。

『乾宗十郎さん・・・・私立探偵だと、こちらのマスターに伺ったんですが』

 こげ茶色のジャケットに、グレーのズボンにノーネクタイ。鼻下に口髭を蓄えている。

 昔『ナヴァロンの要塞』に出てきた英国のバイプレーヤー、デビッド・ニヴンにどこか似ている。


 俺は何も答えず、カウンターに肘をつき、マスターの方を見た。

『すまんね。あんたがここへ来た時には仕事の話はタブーだってのは知ってたんだがね』

 男は慌ててマスターを庇うように、

『いえ、マスターが悪いんじゃないんです。私が無理に聞き出したものですから』

『どっちにしろ』

 俺は答えた。

『酒を呑みに来ている時に依頼しごとの話は止しましょう。どうしてもというのであれば、明日の午前9時半以降に新宿四丁目のSビルにある私の事務所オフィスに来てください』

 俺はそう言って、上着の内ポケットから名刺を出して渡した。


 彼は失礼しましたと丁寧に頭を下げ、勘定を済ませて店を出て行った。


『済まなかったね。決して悪い人間じゃないんだよ。ただ随分弱っていたもんだから』

『みたいだな。』


 俺はそのまま呑み続け、結局ネグラに戻った時には、午前零時を回っていた。


 翌朝、ビルの天辺、ペントハウス(つまりはネグラだ)から、階段を降りて事務所オフィスのドアを開けた時、時計は既に午前10時を回っていた。

 コーヒーを淹れ、肘掛椅子に腰かけ、デスクに足を乗っけて考え事をしていると、チャイムが鳴った。


 どうぞと言う前にドアが開き、昨日の男が入ってきた。


『昨晩はどうも』男は馬鹿丁寧な口調で挨拶をし、私が勧めたソファに腰かけ、ほうっと一つため息をつく。

『コーヒーを淹れたばかりですが、お飲みになりますか?ミルクと砂糖はありませんが』


 彼はそれでいいと答えたので、俺はキッチンに行き、もう一杯コーヒーを淹れて戻ってくると、

『手盆で失礼』と断って、皿にのせたカップを彼の前に置く。


『初めにお断りしておきますが、私は法律で禁止されている以外では、結婚と離婚に関する調査は基本的に引き受けませんのでそのつもりで、』


 彼は何も言わずにまずコーヒーを一口啜り、それから傍らに置いたバッグから、一冊の古びた本を取り出した。

 緑色の装丁で、白抜きで男と女の手が握手をしているイラストがあり、タイトルは赤い文字で、

『愛と死の記録』とあり、腰巻にも『真実の愛の記録』とある。

 著者名は『中村優一』と記されてあった。


『その中村優一というのは、私の事です。私が今から50年以上前に出版したものです』


 彼はごく自然な調子でそう言った。


彼の名は中村優一、現在68歳、某有名私立大学で講師をしているという。


 今から40年前、当時彼は17歳、高校の二年生で神奈川県の厚木市に居た。

 

 足を骨折して二か月ばかり入院したことがある。

 その時に一人の少女と病院で知り合った。


 彼よりは三つほど年下の真田みちるという中学一年生だったという。


 


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