その3
中村氏はその後高校を卒業し、望みだった大学に進学した。
しかし、どこへ行ってもついて回ったものがあった。
そう、
『愛と死の記録』の幻影である。
本そのものは当時絶版になっていたが、映画はその後DVDになったりして、今でも観ることが可能だ。
どこへ行っても訊ねられることは”愛と死の・・・・のお兄ちゃんですね?”ばかりだった。
ファンレターのようなものも時々届いた。
正直重くなっていた。
勿論、今でもみちるのことは考えないわけではないし、命日には墓参も行っている。だが彼にとってはあくまでも”可愛い妹”という位置づけでしかなかった。
しかし公開された映画では、いつの間にか二人の間に恋愛感情のようなものがあったという設定になっていた。
結局それがファンの間に幻影を生んだのだろう。
たまりかねて彼は映画会社に抗議をしたが”ああしないと映画はヒットしない”とか、
”映画ですから演出も必要でしょう”答えしか返ってこなかった。
事実映画の冒頭には”これは原作を基にしてはいますが、ストーリー自体は完全なフィクションであります”とテロップが出てはいた。
それに映画化の際には許可も出していたので、如何ともしがたい。
諦めた。
苦悩の日々が続いたが、大学を卒業した後、一時民間企業に就職していたことがある。
その会社で一人の女性と出会った。
同じ年で、人柄も良い、朗らかな女性だった。
彼女は”愛と死の・・・・”について知ってはいたが、
”映画を一度観たきり”といった程度で、それほど興味を持っていたわけではないという。
それまで何度か恋愛をしたが、その度について回ったあの”幻影”に邪魔されていたが、彼女との出会いでようやく決別することができる・・・・そう思った優一は二年の交際期間を経て結婚をした。
子供も二人生まれ、ようやく安らぎの日々を手に入れた。そう思っていた。
ところが、である。
新たな悲劇はそこから始まった。
普段は芸能人のスキャンダルしか載せないはずの有名女性週刊誌がこのことを掻き立てたのである。
最初は『あの人は今』的なものだったのだが、そこで彼が別の女性と結婚することが取り上げられていた。
しかもご丁寧なことに顔写真入りで。
どこでどう調べたのか分からないが、彼の住所には手紙が殺到した。
大半が抗議で、
”どうして結婚なんかするんだ!”
”みちるさんが可哀そうじゃないか?!”
”裏切者!”
”絶対に許さない!”
と言うものだった。
甚だしいのになると、封筒にカミソリまで仕込んでくるのもあった。
映画の時と同じように、雑誌社に抗議をしたが、
”ウチは貴方の結婚される事実を伝えただけに過ぎない”という、素っ気ない答えが返ってくるばかりだったという。
職場にも居づらくなった。同僚や上司の目線が気になるのだ。
無論、職場ではこの問題について訊ねられたことは殆どなかった。しかしやはり周囲の視線が気になる。
仕方ない。
退職をした。
そこで卒業した大学の教授に話したところ、
”講師の口ならあるから”と言われ、今の職に落ち着いたという訳である。
『お話は分かりました』ようやく話し終わって、ほっと肩を落とした彼に、俺は訊ねた。
『それで、私に何を依頼されたいんです』
『これを見てください』
彼は鞄の中から何通かの封筒を取り出した。
『拝見します』
俺はそう言って、手に取ってみた。
どれも同じ人間が書いたと思われる。宛名は全て筆跡が分からないように定規を使ってわざとカナ釘流にしてある。
中の便せんはどれもありふれたものだが、こちらの方は活字を切り張りして、
『お前を許さない』
『彼女を弄んで捨てた人間は地獄に落ちろ』
『必ず殺してやる』
物騒な文字が並んでいた。
『最近、”愛と死の記録”がリメイクされましてね。テレビドラマになったんです。同時に著書が復刊になりまして、恐らくそれが原因なんだろうと思いますが・・・・』
中村氏はひどく暗い顔で俺に言った。
『警察には届け出たんですか?』
『ええ、一応は』
だが警察の対応は、
”これでは何も出来ない。証拠にはなるが、警察も人手が余っているわけではありませんからね”と、ひどく素っ気なく言われたという。
『彼らは私が誰かに傷つけられるか殺されるかするまで何もしないつもりでいるんでしょう。私はともかく、妻や子供達に何かあってからでは遅いですからね』
確かにそうだな。
『ストーカー規制法』だとか『迷惑防止条例』というものはあるにはあるが、
『で、私に先手を打って相手を捕まえて警察に突き出せとこういう訳ですね』
『そうです。是非お願いします』
『分かりました。お引き受けしましょう。探偵料は一日につき六万円プラス必要経費、それに危険手当が発生する場合、四万円の割増料金を頂きます。詳しくは契約書を確認された上で署名をお願いします』
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