第19話 選手交代 2

 かのんの居室を聞きだすことに成功したのは、夕食のときだった。

 アシナは子供にしては頭がいいが、やはりそこは子供で、「万が一のときに助けに行けるように」とか「夜、見廻るときに注意を払う」とかなんとか巧みに探りを入れることで、彼女の寝室を聞きだすことに成功したのだ。

 それによれば、かのんは内郭のほぼ中央に位置する高床式住居にひとりで眠っているということだった。

 通常、翔太が男子禁制のこの区画に入ろうと思えば許可をとる必要がある。しかし、今回のように許可を持っていないのであれば、取れる手段はひとつ。監視の目を盗み、堀と柵を乗り越えて侵入するしかない。

 夜、ムラが寝静まると、翔太はさっそく寝室を抜け出した。

 幸いなことに、当てがわれている寝室から内郭までは目と鼻の先で、戦争のせいもあってか、櫓に立つ監視もムラの内部にはさほど注意を払っておらず、常に遠くの地平線を見据えているようだった。

 翔太は影を渡り歩きながら濠まで来ると、それを難なく飛び越えた。

 そこから柵までは二歩ほどの幅しかできないが、いまのチート翔太には十分だった。一歩の助走で思いっきりジャンプすると、三メートルちかくある柵のてっぺんに悠々と手が届いた。両手で体重を引っ張り上げ、いったん壁に乗っかってから向こう側に飛び降りる。ここでなら忍者にだってなれそうだ。

 内郭は一段暗い闇につつまれていた。

 同じような高床式住居がいくつも並んでいるが、目星は付けている。夢のなかでかのんに会った中央の高殿たかどののとなりに隣接する一段低い建物が寝室だろう。そう考えればアシナの話とも一致する。

 忍び足で階段をのぼり、戸口にかけられたすだれをそっとめくった。

 思い描いていたのは、眠るかのんにそっと近づき、その口を押えて声を出せなくしてからやさしく語りかけるという、漫画や映画でおなじみのシーンの再現だった。が、現実はそんなにうまくはいかなかった。

 すだれをくぐったとたん、正面に立つ彼女とばっちり目が合ってしまったのだ。窓から差し込む月光が、その驚愕に満ちた表情をくっきりと浮かび上がらせていた。大きく見開いた目で翔太を凝視している。

 大声でも出されたら一巻の終わりである。あっという間に衛兵たちがすっ飛んできて、翔太を変質者として捕らえてしまうだろう。そうなったら勇者どころか犯罪者に転落である。

 翔太は自分が磔にされているところを想像してゾッとした。

 かのんが口を開いたのは、背筋に氷のような悪寒を感じて身震いしたときだ。

「翔太―――」

 と、呼ばれて思わずわが耳を疑ったが、次なる彼女の行動にさらなる衝撃を受けた。かのんは翔太に駆けよると、抱きつかんばかりの勢いで手を取り、こう言ったのだ。

「会いに来てくれたんですね!」

「ええっと……」

 翔太は懸命に頭をひねった。しかし、いっこうにこの状況を説明できる仮説は浮かばなかった。

 アシナやテナは自分を知らなかったし、夢のなかでドラゴンとして登場したコノハは現実には虎だった。それに、何度ためしても手のなかにメイ・メ・マイオスがあらわれることはなかった。

 それらの事象が示すのはひとつ、一連のできごとが夢だったということだ。

 難しい顔を浮かべたまま固まってしまった翔太に、彼女は言った。

「あなたのことはずっとまえから知っていました。わたしは夢のなかですでにあなたに会っているのです」

 かのんはしばし翔太を見つめ返したあと、ふっと笑みを漏らした。そして、ゆっくりとした動作でベッドに腰を下ろした。

 促されて、翔太もとなりに座った。想像したよりも心地のよいベッドだ。

 内装も悪くない。カラフルな織物、勾玉や貝などでつくったアクセサリーやドライフラワーなどが壁や棚にところ狭しと飾られていた。屋根は茅葺でドアも窓ガラスもないが、いかにも女性の部屋といったかんじである。

 もの珍しげに部屋を見わたしつづける翔太に、かのんは言った。

「女性の部屋をそんなにジロジロ眺めまわすものじゃありませんよ」

 とたんに変な汗が吹き出してきた。部屋でふたりきりなのだということを急に意識してしまったのだ。

 焦る翔太をよそに、彼女は穏やかな口調で切り出した。

「こうして会いに来てくれたということは、あなたもわたしに会っているのですね、イヨに見せられた夢のなかで」

 すでに感づいていたことだが、あの一連の夢こそがイヨによる適性検査だったのだ。

 かのんも同様の経験をしていて、そのなかで翔太に出会ったというから、つまるところ、あの夢は適性検査であり、かつ予知夢の性質ももちあわせていた、と解釈すればいいのかもしれない。

「わたしが夢を見たのはもう二年以上も前です。ほんとうにいろんなことがありました。剣術を学んだり、巫女としての修行を積んだり。思えばあのときが一番楽しかったのかもしれません」かのんはそこまでひと息に言うと、急に恥ずかしそうにうつむいた。やがて意を決したように翔太を見上げると、こうつづけた。「そして翔太。わたしはその夢のなかであなたと添い遂げることになったのです」

「へ? 添い遂げ……?」

 翔太がその意味するところを考えあぐねいているあいだに、彼女はさらに言葉を継いだ。

「わたしはここで生き、このムラのために人生を捧げると誓ったのです。あなたがそばにいてくれたら、どんなに心強いか」身を乗りだし、翔太の顔をのぞきこむ。「それで、あなたの夢のなかでは、わたしたちはなにをしていましたか?」 

 ぐいぐい身を寄せる彼女を押し返したのは、あまりの急展開に頭も心もついていかなかったからだ。が、原因はそれだけではなかった。

 翔太の頭には、スノオのことが頭をよぎっていた。

「あの、スノオのことは? 連絡が途絶えたって聞いたけど?」

「彼からは、今日の昼に連絡が入りました。荒天のために連絡が遅れただけだそうで……」

「そっか、よかった」

「ええ、ほんとうに。しばらく生きた心地がしませんでした。もう、奥さんが不憫でならず……」

 それは、聞き流してしまいそうなほど、自然な応答だった。

 翔太はあわてて聞き返した。

「えっと、スノオって結婚しているんですか?」

「はい。新婚さんです。とってもかわいいカップルですよ」

 幸せそうに頬をほころばせ、ふふっと笑った。 

「えっと、じゃああのときわざわざ見送りに行ったのは……」そこまで言ってしまってから、翔太はやっとあれが夢だということを思い出した。「―――ということは、べつにスノオのことが好きなわけじゃない……?」

 つい口から漏れ、かのんがキョトンとした顔でこちらを見上げた。

 目が合うと、とたんに気持ちがゆらぎそうになった。いっそのこと、その細い肩を引き寄せ、抱きしめてしまいたかった。なんど流されそうになったかわからない。が、そのたび自制心に邪魔をされ、行動を起こせないまま時間だけがながれていった。

 やがて、翔太は観念して切り出した。

「ごめん、おれはかのんほどの覚悟できてないっていうか、ここまで来といて自分でも情けないと思うけど……」

「迷ってるってこと?」

「はい」翔太は素直にうなずいた。「っていうか、そこまで思えるかのんが羨ましいって言うか、ふしぎって言うか……。なんでそこまで覚悟できたん……ですか?」

 かのんは翔太の横顔から視線を逸らすと、大きな吐息を漏らした。しばしの沈黙のあと、ぽつりぽつりと語りはじめたのはイヨとの出会いだった。

「あの日は―――」と、彼女は切り出した。「九月も終わろうかというのに残暑のとても厳しい日でした。にもかかわらず、わたしが朝から三輪山に出かけたのは、小説の構想を練るためだったのです。知ってのとおり三輪山は『古事記』や『日本書紀』にも記され、大物主神おおものぬしのかみが鎮まる山として古来より信仰されてきた山です。山に入って一時間もたったころでしょうか。頂上まであとひと息というところで、わたしはふらりと登山道から外れました。なぜって? わかりません。気づいたときには崖の縁に居て、じっと下を見下ろしていたのです。信じてもらえるかはわかりませんが、決して死を望んで山に入ったわけではありません。崖をのぞきこんでいたのも単なる好奇心でした。こんなところから落ちたらぜったいに死体は発見されないだろうな。ミステリーを書くならここに死体を遺棄させようか。いやいや、こんなところまでどうやって死体を運ぶんだよ。などとひとり妄想をふくらませていただけです。わかるでしょう? 飛び降りたくなった理由が無いといえば嘘になります。あのころ、わたしは小説家を本格的に目指しはじめて八年ちかくが経っていました。デビュー作から考えても二年です。運よくネット小説が編集の目に留まり、書籍化されたもののいっこうに二作目の話はない。かといって、なまじデビューなどしてしまったものですから諦めることもできません。二十代も後半に差しかかったとき、学歴も資格もないわたしは途方に暮れてしまいました。いま思えば、わたしは異世界へと導かれたのです。ご都合主義だと思いますか? フィクションなら、たしかにそうでしょう。とにかくわたしはもう一歩、あと一歩と誘われるように足を進め、そして、ついに宙へと踏み出したのです。落下とともに意識を失い、気がついたときにはこちらの世界いて、イヨに顔をのぞきこまれていました。目を覚ましたわたしに彼女はこう言いました。―――異世界に興味ある?」

 翔太がふっと小さく吹き出したのは、イヨと初めて会ったときのことがありありとよみがえったからだ。

 しかし、掛ける言葉は見つからなかった。時間が止まってしまいそうなほどに重たい空気がふたりのうえにのしかかった。

 時がたつにつれ、翔太はすべてを放り出してしまいたい気持ちになっていった。かのんに比べ、自分の決意など取るに足らないものだったということに気がついたのだ。

 つまりは親と喧嘩して家出する子供と同じ、腹が減っただけで家に帰りたくなってしまう程度の覚悟だったということだ。

 十数分、あるいは数十分が過ぎ去ったころ、かのんがぽつりと静寂を破った。

「ちゃんと比べて確かめてみようか」

「え?」

「イヨもちゃんとフェアに選ばせてくれたから、わたしもそうしなきゃ」

 それは、溺れた水のなかに差し伸べられた救いの手のようだった。藁をもつかむ思いで翔太はその手にすがりついた。

「行ってみようか」と、かのんは言った。「異世界に―――」

 その目を見つめかえしたとたん、すっかりおなじみとなったあの感覚に襲われた。めまいのあと、意識が遠いていった。

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