第18話 選手交代 1
アシナの説明によると、あの滝のほとりはむかしから度々よそ者がふらりと現れる場所で、その者たちがふらふらと戦闘地域に出ていって殺されるのを、あるいは森のなかで虎に食われて死んでしまうのを防ぐために見張りを置いているのだということだった。
手荒い歓迎は、この世界で生きられるかどうかの確認だったらしく、資格なしと判断された者は即刻もとの世界へと追い返されるという。
あとを追ってきた双子は、「あなたを女王のもとへ案内しましょう」と言って翔太を先導しはじめた。
やはり、と言うべきか、ふたりは翔太のことを覚えてはいなかった。こちらが一方的に夢で見ていた(正確には見せられていた)だけなのだから当然である。
とはいえ、すがたかたちも名前も、ムラへの道中、あれやこれやとしゃべりつづける翔太に、「黙ってついてきてください」と、言ったアシナの口調も夢のなかとまったく同じで安心した。
すっかり暗くなった空の下を三人は月明かりを頼りに歩いた。
ものの十分ほどで森を抜けると、ムラの裏口はすぐ目のまえだった。夢だったとはいえ、衛兵のチェックを受けるのももう三回目、こなれたものである。
三人はムラの正面にまわりこんで中郭に入った。
スノオと戦った広場を横切ると、双子は翔太を謁見の間に通した。
柱に藁ぶき屋根が乗っているだけの簡単な造りの建物で、敷物の上に座ると、まるで海の家にいる気分だった。
翔太は緊張の面持ちでじっと待った。御簾の向こうにかのんがあらわれたのはしばしのあとだ。
「わたしが女王のヒメミコです。ムラを代表してあなたを歓迎します」
着座するなり、かのんは言った。
「秋山翔太です。ありがとうございます」
翔太が恭しく頭を下げる。
「あなたのことはアシナに任せていますので、なにかあれば遠慮なくあれに申しつけてください」
「はい、ありがとうございます」
「では、今夜はゆっくりと体をお休めください」
かのんはそれだけ言うと、側近たちに促されてそそくさと謁見の間を去った。
あまりにもあっけない面会に翔太は落胆した。
だが、考えれば、これが当たり前なのだ。相手は女王で、自分はふらりと立ち寄った旅人。それ以上の関係は、少なくともかのんにはないのだから。
謁見の間を出ると、アシナがひとりで待っていた。翔太を見ると、こう言った。
「寝室に案内します」
通されたのは中郭にある大型の高床式住居だった。
階段を上がると、学校の教室よりも大きな部屋がひとつあった。中が衝立で区切られていて、それぞれが個室として使えるようになっていた。まるでドアのないネットカフェといったところだ。
その一室に、寝具一式と穀物らしき食べ物と水が用意されていた。
「明日の朝にまた来ます。それでは」
そう言い残してアシナが出ていくと、部屋に静寂が訪れた。団体客用寝室ということだが、今夜は貸し切り状態である。
手持ち無沙汰になると、翔太は壁によりかかって窓の外を眺めた。
ひろがる景色は昼間とはまるでちがった。
煌々ときらめく
レンガ造りの歩道に活気あふれる市場。通りを行きかう、エプロンを付けて革のブーツを履いた美少女や、腰に西洋風の剣を差した髭面のマッチョな男、緑の肌のゴブリンに、ごつい体で手先の器用なドワーフ。そんな中世ヨーロッパを時代背景とした世界―――夢にまで見た異世界とはまるでちがう。
ムラは夢のなかで見たムラでしかない。水はぬるいし、よくわからない穀物のおにぎりのようなものには味がない。
だが、それでも、自分が主人公になれる
かのんが自分を憶えていなかったのは残念だが、よくよく考えてみれば、夢のなかでさえ出会ったのはたったの二回。その記憶が向こうにないからといって大騒ぎするほどのことではない。状況は同じなのだからおなじ展開が待っていないとも限らない。
翔太はそんなふうに自分を励ますと、固い寝床の中にもぐりこんだ。
翌朝、人の気配を感じて翔太は目覚めた。
目を開いたのと同時にアシナと目があって、思わず小さな悲鳴を上げてしまった。衝立の陰からじっとこちらを見つめていたのだ。この状況では、人形のようにきれいな顔とそれがつくりだす無表情は恐怖の対象でしかない。
いつから居おったんや、見てるくらいやったら声かけろや! と内心で罵倒しつつ、翔太は言った。
「……おはよう。……ございます」
上体を起こし、上目遣いで反応をうかがう。
「おはようございます。今日は忙しくなるのでまずこれを食べ、支度が済んだら下までお越しください」
アシナは事務的に言うと、果物が乗った高坏を置いてさっさと出ていってしまった。
忙しくなるとは何なのか。思い当たる節はないが、言われたとおりにするしかない。
翔太は手早く食事を済ませると、あくびをしながら外へ出た。
アシナは律義に階段の下で待っていた。足下に落ちる影がくっりきと大地を二色に塗り分けている。目を転じた先には目が覚めるほどに鮮やかな空、そして降りそそぐのは、風に揺れる新緑の軽やかな葉音である。
感動すら覚えるほどの清々しさだった。しかし、その矢先、風に乗ってやってきた騒音に翔太は顔をしかめた。
ふたりは音のするほうへと足を向けた。
広場に着くと、忙しそうに歩きまわる人々のすがたが目に入った。下は十歳程度の子供から上は中年まで、女性ばかりが三十人ほども、なにかに追われるようにして働いていた。
「急遽決まった明日の祭りの準備をしているのです」
アシナが翔太の気持ちを先回りして言った。
広場の中央にはキャンプファイヤーをするときのような木が組まれており、それを中心にして子供たちが円座をならべていた。
正面に設えられた祭壇に花や果物などを盛り付けるのは、若い女性たちだ。
そして、先ほどから漏れ聞こえていたのは、彼女らにてきぱきと指示を出すおばさんたちの甲高い声だった。
「祭りか、面白そうやな。おれも出ていいんかな」
「もちろんです。あなたを倭大国の救世主として正式に披露するためのものですから」
翔太は絶叫した。おばさんたちの声を打ち消すほどの悲鳴である。
「救世主がそんな情けない声を人前で上げないでください」
アシナに白い目を向けられてつい謝ってしまったが、翔太にすればそれどころではなかった。
アシナのまえにしゃがみ込むと、肩に手を置いて視線を合わせた。なにをどう聞けばいいのかわからないまま口を開きかたちょうどそのとき、急にうしろから頭をわし掴みにされた。
驚いてふりかえると、四十代半ばと思しきおばさんがにこやかにほほ笑んでいた。
くりくりとした髪にくりくりとした目、丸い顔、どことなく狸を思わせるずんぐりとしたフォルムには見覚えがあった。まちがいない。スノオとの闘いのときに手を貸して立たせてくれた力強いおばさんである。
翔太はこのおばさんを自作の小説に登場させたとき、セイおばさんと名付けていた。
「アシナ、そろそろこの男前を貸してくれるかしらね」
おばさんはそう言うと、二の腕を掴んで翔太を無理矢理に立たせた。
「では、あとのことはお願いします」
「はいはい、任せてくださいな」
翔太を引きずるようにおばさんが歩きはじめる。
「ちょっと待って……アシナ、はなしが……」
翔太は視線で助けを求めた。しかし案の定と言うべきか、その声がアシナに届くことはなかった。
連れていかれたのは中郭の片隅にある小さな竪穴式住居だった。
翔太は敷物を敷いたうえに立たされ、セイおばさんを含む四人の中年女性たちにとり囲まれていた。
「あの、おれはいったいなにをしたら……?」
翔太がおずおずと尋ねる。
「まずこれを着てみて」
髪の長いほっそりとしたおばさんが言った。
翔太は内心コウおばさんと名付けた。ついでに背の低い巨乳のおばさんをトウおばさん、いちばん若くてきれいだが、少々えらの張った四角い顔のおばさんをテイおばさんと命名した。
セイおばさんが顎でしゃくったのは山積みにされた大量の衣類だった。優に三十着はありそうだ。
「これ全部……?」
翔太はげんなりした。
「そんなおかしな格好で祭りに出させるわけにはいかないからね。なんたって明日は近隣のムラの長たちも集まる盛大なものなんだから」
コウおばさんが言った。翔太のTシャツとジーンズに対し、汚物にでも向けるような視線をよこしている。
「それにきれいどころもいっぱい来るよ」
下卑た笑いを浮かべながらトウおばさんが翔太に目配せした。そんなことを言われて気分が上がるはずもないが、ともあれ西高東低カルテットは翔太の不安などおかまいなしにテキパキと与えられた任務にとりかかった。
翔太は終始無抵抗の―――とはいえ、ボクサーパンツまで脱がされそうになったときには死ぬ気で抵抗、死守したが、それ以降は身も心も着せ替え人形と化し、彼女たちに身をゆだねた。
「ああ、いいね。あんた赤が似合うね。それにしてもいいカラダしてるねえ」
「まあ、スノオ様には負けるけど」
「青もいけるね。背が高いから見映えがするのよ」
「でもまあ、スノオ様には……」
そんな四重奏をうわの空で聞き流しながら、翔太は曇った姿見に映る自分を眺めていた。
徐々に勇者が出来上がっていくさまは、RPGでキャラクターを作り上げていく工程に似ている。ズボンやストールを選び、ブーツを履き、毛皮や勾玉の装飾で飾り付けられれば、ものの数十分でいっぱしの戦士が鏡のなかにあらわれた。
「さあ、これを持ってみて」
衣装が決まると、セイおばさんが革の鞘に入った剣を差し出した。
「それは……?」
「もちろん
「まじか……」
戸惑いながらも剣を受け取ると、翔太は鞘を抜いてみた。
当りまえだがプラスチックや竹光ではなく、ずっしりとした重みが手に伝わってくる鉄の剣だ。黒い柄に、しっとりと輝く両刃は、先にいくにつれて細くなっている。繊細すぎるようにも思えるが、見た目に関しては完璧だ。
翔太は剣を八相に構えてみた。コスプレ感は否めないが、鏡のなかにいるのはどこからどう見ても勇者だった。
四人に勧められるがまま、翔太はそのままの格好で外に出てみた。気分が上がったのは、ムラ人たちのリアクションが思いのほか良かったからだ。
祭りの準備にいそしむ女性陣の視線は自分に釘付けで、感じたことのない熱い視線を一身に浴びた。生まれて初めてモテるという感覚を味わえたのだ。(春人はいつもこんな気分なのだろうか。なんて羨ましいヤツ!)
翔太は自分に年の近そうな女の子たちをつぶさにチェックしながら広場を一周すると、おばさんたちの待つ住居に戻った。
服をTシャツとジーパンに着替え、礼を言って別れた。
衣装も剣も気に入ったし、チートと呼べるほどのスキルもある。もしかしたらハーレム状態も夢じゃないかもしれない。長谷川や中島が聞いたらどれほどうらやましがるだろう。日本じゅうのオタクたちが嫉妬に悶絶するにちがいない。
去り際、セイおばさんは、「明日の朝またここに来なさいね」と言った。つぎにあれを着るとき勇者になれるのだ。夢にまで見た本物の勇者に―――。
なのに、である。
寝室までのわずかな距離を歩きながらも、なぜか刻一刻と沈んでいく気持ちを翔太はどうすることもできなかった。
プレッシャーにホームシックに、スマホ中毒の禁断症状……思い当たる節ならいくらでもあった。考え過ぎはよくないと思ってはいても、漫画もネットもない世界でひとりになると、考えずにはいられないのだ。
部屋に戻ると、翔太は壁にもたれて窓の外を見やった。そうやって昨夜感じた気持ちがよみがえることを期待したのだ。
しかし、あの興奮は二度とふたたび訪れることはなかった。
夕暮れどきになって、かのんに会いに行こうと思い立ったのは、そうすれば吹っ切れるかもしれないと思ったからだ。
翔太は密かに決意すると、そのときに備えて休息をとった。
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