第15話 恋とバスケと異世界と 6
翔太はムラのほど近くの原っぱでイヨを相手に剣術の真似ごとにいそしんでいた。
ことのほか機嫌が良いのは、思った以上に体が動くからだ。刀の振りにキレもあるし、目で追うことさえできなかったイヨの動きに体が反応しはじめていた。
「めちゃめちゃ剣術らしくなったね」
と、イヨにも褒められた。
とはいえ、まだまだイヨには手も足も出ないのだが。
アシナとテナがあらわれたのは、ちょうど翔太が二度目の「まいった」を宣言したときだった。
ふたりは色とりどりの糸で編まれたカラフルな織物を、ワンピースのようにふわりと身にまとっていた。真っ赤な紐で腰を縛り、指先さえ見えないほどたっぷりとした布に全身を覆われている。ともに長く伸ばした髪を結い上げ、勾玉のような耳飾りを顏の横で揺らしていた。
あらためて見てみると美しい子供たちだった。立ち居振る舞いや言葉はいかにも利発そうで、くりくりとした瞳には高い知性さえ感じられた。
翔太はふたりを凝視してみたが、どちらが男児でどちらが女児かわからなかった。せいぜい、前髪をセンター分けにしているか、眉のうえで切りそろえているかのちがいである。
「申し遅れましたが、わたしがアシナ。そして、こっちが妹のテナです」
センター分けの男児が切り出した。顔はおなじだが、声で男だとわかる。つまり、センター分けが兄で、ぱっつん前髪のほうが妹のテナである。
「以後お見知りおきを」
そろって頭を下げられ、翔太はあわてて応えた。
「あ、ああ、はい。……こちらこそ……よろしくお願いします……」
自己紹介を終えると、以前とはうって変わって丁寧な物腰でアシナは言った。
「ヒメミコ様がお呼びです」
断わる理由はなかった。なんといってもこのヒメミコこそ、『ヤマ俺』の原作者なのだから、いま一番の関心ごとと言っても過言ではない。
しかし、そのことに気づいたということを、翔太はまだだれにも明かしていなかった。むろん、イヨにも。
翔太は双子につれられてムラの中心部へとむかった。
ほんの数百メートル、時間にして数分の距離だが、緊張が高まっていくには十分だった。
途中、翔太はどうしても我慢できなくなって訊いてみた。
「それにしてもヒメミコ様はおれなんかになんの用があんねやろな?」
「お会いになればわかります」
アシナがふり向きもせずに応える。
「もしかしてなんか怒られんの?」
「…………」
「なあ、どんな空気やった? ヒメミコ様怒ってなかった? それだけでも教えてぇや」
「…………」
双子はおろか、イヨまでがだんまりを決め込んでいた。
「ああ、めっちゃ緊張するわ。おれ礼儀とか全然わからんけど大丈夫かな。まさかいきなり投獄されるってことはないよなあ?」翔太は意地になってつづけた。気まずいよりは、虚しいほうがいくぶんマシだ。「でも、こういうのはある意味避けては通られへんイベントなんかもな。小説のこと考えたら、ありがたい展開のはずや。しかも、ピンチを乗り切ったらめっちゃスペック上がってるっていう可能性も……いや、でも待てよ―――」
「アキヤマ様」そのとき、翔太の声を遮ってアシナがぴしゃりと言った。「黙ってついて来てください」
「……はい、すみません」
イヨと別れたのは、三つ目の柵のまえだった。特別な許可がない限り、ここより先の一般人の進入は禁止らしい。そのうえ、子供のアシナは別として、ふだんは男子禁制なのだと言う。
女兵士たちの厳重なチェックを受け、翔太はなかへと入っていった。案内されたのは、立派な高床式住居である。
足を踏み入れると、中はうす暗く、扉を閉め切れば、高窓から差し込む細い光だけが唯一の明かりだった。
むき出しの天井は梁と藁葺の屋根が見えており、床は板敷である。質素な祭壇のようなものが壁際に仕付けられているが、それ以外の調度品らしきものはなく、がらんとしていた。
部屋にひとりきりになると、翔太は急に心細くなった。この世界でまるっきりひとりになったのは初めてである。
しばらくすると御簾の向こうから衣擦れの音がした。
翔太は頭を下げて、声がかかるのを待った。
「翔太さん、頭をあげてください。あなたがそんなことをする必要はないのですよ」
その第一声に、安堵のため息が漏れた。とりあえず投獄されることはなさそうだ。
「それで、あの、おれに用っていうのは……?」
「実は……」と、ヒメミコが躊躇いがちに切り出した。「なにか用事があってお呼びしたわけではありません。ただ話をしたかっただけなのです」
「おれと、ですか?」
意味をはかりかねて、翔太は聞き返した。
「はい。わたしには、戦や政治以外の話をする相手がいないのです。口を開けば、みな戦況や戦死者の数、どこのムラが裏切っただの、どこのムラが襲われただのという話ばかりで……」
翔太はこのとき、ヒメミコが向こう側の人間なのだと改めて確信した。
そう考えなければ、どこの馬の骨ともわからない自分を信用して話し相手に指名してくる理由が説明できない。
はじめて会ったときに自分のことを「クマソとはちがう」と断言したのも同じ理由だろう。あのとき着ていたのは制服だった。ヒメミコには自分が向こう側の高校生だとわかっていたのだ。
そんなことを考えながら、翔太は言った。
「だったら、外に遊びに行きませんか?」
「そうしたいのはやまやまですが……」
生粋の女王様なら、ここで断固拒否したかもしれない。だが、彼女は数年前まで向こうの世界にいた。日本で小説家をしていたのだ。それくらいのことはなんでもないというような価値観が根本的にあるはずだ。
翔太は食いさがった。
「こっそり抜け出して気づかれないうちに戻れば問題ないでしょう。ずっとここでおれとしゃべっていたと言えばいい。それに外で話すのもここで話すのも同じですよね」
しばし沈思していたが、やがてヒメミコはこう言った。
「内郭の東北にふだん使われていない古い櫓があります。十分後、そのうえで待っていてくれませんか」
ヒメミコの言ったとおりの場所に櫓はあった。高さは民家の三倍ほどか。足を滑らせれば怪我では済まないだろう。
翔太は慎重に木の梯子をのぼった。
上にたどり着くとムラが一望できた。大和川やその向こうに散在する近隣の集落や田んぼ、大和三山も見えている。
遠くに霞む生駒山脈、金剛山脈を越えれば河内平野も広がっているのだろう。ここにはほんとうに世界があるのだ。
ぼんやりと物思いにふけっていると、とつぜん視界が暗くなり、ぶわっと不自然な風が吹きこんできた。
顔を上げたとたん、目に飛び込んできたのはあまりに現実離れした光景だった。
「まじか……」
思わず呻き声が漏れる。
翔太は震える声でつぶやいた。
「なんぼなんでも、ドラゴンって……」
たしかに、それはドラゴンだった。中国風の龍ではなく、西洋ファンタジーでおなじみ、恐竜に蝙蝠の翼をくっつけたような、あのドラゴンである。
色と大きさは像にちかく、体の何倍もある翼をはためかせながら、そいつは静かにホバリングしていた。
ヒメミコは、そのうえに跨り、にこやかに笑っていた。
翔太はあんぐりと口を開けたまま、ドラゴンにまたがるラノベ作家を見つめ返した。
「恐い?」
ヒメミコが発した言葉は、金縛りを解くカギとなって翔太の耳に届いた。
「まさか」
強がりではなかった。これから起こるめくるめくファンタジーにただ興奮していた。
櫓の柵に足をかけて腕を伸ばすと、ヒメミコがその手を取ってドラゴンの背に引っ張りあげた。
ドラゴンの背を撫でながら、翔太が尋ねる。
「名前は?」
「この子の名前はコノハ」
ヒメミコが答えたのと同時に、ドラゴンがふわりと上空へ舞い上がった。
あっという間に生まれてはじめて経験する高度に達する。以前行った阿倍野の新しい展望台よりもきっと高い。
ムラのうえをぐるっと旋回すると、ドラゴンは傾きかけた太陽に向かっていっきに加速した。
「うおおおおッ!」
翔太はわれ知らず大声で叫んだ。恐怖と興奮とがそうさせていた。
ヒメミコも叫んでいた。
風の音に負けじとふたりは声を上げた。
コノハは風をきってぐんぐんすすんだ。
野を越え丘を越えた。
集落を何個も行き過ぎた。
その間、大和川はずっと眼下に流れていた。夕陽が反射してきらきら輝いている。大地に刻まれた黄金の筋が山脈の割れ目の向こうまでつづいていて、水に触れたい衝動にかられた。
まさか翔太の考えを察したわけではないのだろうが、コノハは突然ぐんっと急降下すると、低空飛行にはいった。
川面を舐めるように走りながら、気持ちよさそうな鳴き声をあげる。まるで鳥のようなその鳴き声に誘われて、水鳥たちがすがたを見せはじめた。小さいのからおおきいのまで集まってくる。
さすがに手は水にとどかなかったが、疾走感は最高だ。
翔太とヒメミコ、ドラゴンと水鳥たちはしばらく並行して飛んだ。
やがて日が山脈の向こうに沈むと、コノハは水鳥たちに別れを告げてふたたび舞い上がった。太陽がまた目のまえにあらわれる。空は切ないほどに赤く、どこまでも広大だった。
「きれい……」
そうつぶやいたヒメミコの横顔を見やった瞬間、翔太は息をのんだ。はじめてそのすがたを目にしたときの、ときめきにも似た感情がよみがえる。
どうしていままで平気だったのだろう。視線に気づいたヒメミコに笑いかけられ、翔太はあわてて目をそらした。
太陽が地平線の向こうに消えたのは、ふたりと一頭が生駒山脈と金剛山脈の谷に差しかかったころだった。
西の空はまだ明るいが、両側に迫るうっそうとした森にはすでに闇が訪れている。吹き下ろす山風も冷房のように冷たかった。
いつの間にかしんみりとした空気がふたりを包んでいた。現実と夢のはざまを揺蕩っているような、ふわふわとした頭がすっと醒めていく。
ヒメミコはいまなにを考えているのだろう。勝手にムラを出てきたことを後悔していないだろうか。
暮れていく空を、ふたりはしばらく無言で眺めていた。
「あのさ、おれ……」と、やがて、翔太はためらいがちに切り出した。「ネットの掲示板で見てんけど、ヒメミコってほんまは、橘かのんなんやろ、小説家の……」
ヒメミコは、ハッと息を呑んで翔太を見つめ返したが、ふっとため息を漏らすと、諦めたようにこくりとうなずいた。
夜になった。
見上げた空に、まん丸い月が煌々とかがやいている。眼下に広がるのは河内平野だ。大和川はどす黒い大蛇のように地上を蛇行しながら流れていた。
翔太にはかのんがどこに向かっているのか見当もつかない。
「そろそろ帰ったほうがいいんちゃう? みんな心配するで」
「そうですね……」同意を示しつつも、かのんは引きかえそうとはしなかった。つづく言葉はこうだ。「でも、もうすこしで追いつけるはずなんです」
「追いつく……?」
かのんが「あっ」と声を上げたのはそのときだった。
「あれ見て、翔太!」
翔太は首を伸ばしてかのんが指さす先を追った。地上にちらちらと輝く光が見える。
「人がいるのか……?」
その言葉に応じるように、コノハが高度を下げた。なんて気の利くやつなんだ、と感心しながら翔太はさらに目を凝らした。
光の正体は松明だった。そして、無数に輝く松明の何倍もの人々がそこで野宿していた。ある者は疲れ果てて眠り、またある者は自らの得物の手入れをしている。スノオに負けず劣らずの屈強な男たちばかりだった。
「どっかに向かってんのかな……?」
翔太がつぶやいた。
「彼らは九州に向かってるのです」
「九州? なんでまたそんな遠くに?」
「戦争です」
そう言ってかのんが語りはじめたのは、この世界の歴史だった。
「数百年もむかし、稲作が伝来したことによって集落が生まれました。ですが、集落が大きくなり、消費が収穫量を上回りはじめると、こんどは貯蓄した食物や、より豊かな土地を奪い合って集落同士の争いがはじまりました。集落はムラとなり、吸収合併をくり返しながら巨大化していきました。やがてムラはクニと呼ばれるようになりましたが、それでも争いは収まりませんでした。むしろ、より発達した文明によって激化していったのです。周辺のクニが集まって共立の女王を立てたのは、そんな争いに終止符を打つための打開策でした。人々は女王を『日を見る巫女』という意味で『ヒミコ』、あるいは『姫の巫女』という意味で『ヒメミコ』と呼んで敬いました。女王ヒメミコが治めるクニは『倭大国』と名付けられます。倭大国は『やまとおおくに』『やまとたいこく』などと呼ばれましたが、口から口へと伝わっていく過程で、『やまたいこく』と呼ばれるようになったそうです。倭大国が確固たる力を持ちはじめると逆らう者はいなくなり、戦争は終息していきました。それがいまから五十年ほどまえのはなしです」
「じゃあ、よかったやん。戦争終わったんやろ?」
話が一段落したとみて、翔太が口を開いた。
「そうなんですが……」かのんはふっと小さな溜息をついてから、また話しはじめた。「初代ヒメミコが亡くなったのはいまから三年ほどまえですが、ちょうどそのころ、名を『邪馬台国』女王を『卑弥呼』と名乗る勢力が九州で生まれました。彼らは、『自分たちこそがこの島で唯一正当な支配者であるとし、それ以外のクニや女王は認めない』と主張しはじめたのです。『自分たちこそが神の正当な末裔である』とも言っているそうです。しばらくは黙殺を貫いていた倭大国でしたが、邪馬台国が勢力を拡大し、倭大国の支配地域まで及んでくると、各地で小競り合いが起こりはじめました。約一年まえのことです。こちらに戦争の意思はありません。この征西も邪馬台国を話し合いに応じさせるためのデモンストレーションのようなものなのです。とはいえ交渉は相手しだい、向こうの出方次第でどうなるかはわかりませんが……」
かのんはそう言うと、深い溜息とともに話を締めくくった。
「大変やな……」
説明を聞いても翔太にはそれがどれほど重大な事態なのかピンとこなかった。リアリティがまったくないのだ。それに、翔太にはもっとほかに気になることがあった。
「それはわかったけど、おれが気になんのはなんでかのんがここにいるかってことで……」
「あのなかにスノオがいるからです」
かのんの言葉は質問の答えになっていなかった。
彼女は翔太の疑問を、『なぜ行軍する兵士たちを追ってここまで来たのか』ということだと取り違えようだ。あるいはわざと取り違えたふりをして話題を避けたのかもしれないが、どちらにせよそれ以上踏みこめる空気ではなかった。
「そうなんや……」
スノオの名前になにも感じないわけではなかったが、なにを言っていいのかわからなかった。無理になにか言ったところで、どうせ空虚な台詞になるのは目に見えている。
しかし、翔太が口をつぐんだのはそれだけが理由ではなかった。スノオの言葉を出したときのかのんの顔が、家臣を心配する女王のものとは明らかにちがっていたのだ。その表情は、どう見てもただ愛するひとを心配するひとりの女の顔だった。
いつもなら鈍いはずのこの手のことに敏感に気づいてしまった。そんな自分が、翔太は恨めしかった。いまだけは夢見心地でいたかったのに……。
「会いに行けば? スノオに」
翔太は明るい調子で言った。が、―――
「いえ、必要ありません」
かのんはきっぱりと言い切った。説得しようと試みたが、頑として首を縦に振らなかった。
かのんはただ地上でちらちらと瞬く炎を眺めつづけた。彼女の横顔を翔太も見つめていた。
ふたりがどちらからともなく「帰ろう」と言い出したのは、そんなやるせないときが一時間ほどもながれたあとだった。
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