第16話 恋とバスケと異世界と 7
戦争がはじまったという話を聞いたとき、翔太は中間テストの真っただ中だった。
頭のなかが真っ白になり、うまく言葉を咀嚼できなかった。そして戦争という言葉がリアルのこととして認識できると、急激に不安が押し寄せた。
あの世界はこれからどうなってしまうのだろう。それを考えると、居てもたってもいられなくなった。スノオは無事だろうか、双子に危険が及ぶことはないのだろうか、かのんはいまどんな気持ちで戦況報告を待っているのだろう、きっと不安でいっぱいにちがいない。
すぐに向こうに行こうとしたが、「行ってあんたになにができるの?」と、イヨに切り返されれば、反論する言葉は思いつかなかった。「テストが終わったら連れていってあげるから」と言われてなんとか思いとどまったのだ。
とはいえ、勉強は手に着かなかった。むしろ、向こうに行けないフラストレーションがそれまで以上に翔太を創作に執着させた。
向こうで見たことや聞いたこと、経験したことや出会った人など、すべてを小説に生かしてやろうと思っていた。そして、そのことだけに頭を使いつづけた。
そうして執筆した小説を、翔太は毎日『カクヨム』に投稿した。結果、PVは急上昇し、比例してコメントも増えていった。なかには《ヤマ俺に似ている》という微妙なものもあったが、そんなことはまったく気にならなかった。同じ経験から生まれた物語なのだから細部が似てくるのは当然だ。パクリだなんだという中傷を、翔太はばっさりと切り捨てた。
久しぶりにエアルからのDMもきた。《更新はやいね》という他愛のないものだ。
二、三ヵ月まえまでの、ウキウキと心が弾むような気持ちはすでに無かったが、嬉しいことに変わりはない。頬は自然とほころんでいた。が、つづく言葉が翔太を心底不快にさせた。
《もうすぐ中間テストだけど、ちゃんと勉強できてる?》
聖域を汚された気分と言えば大げさだろうか。悪気はないのはわかるが、それでも、湧き上がる苛立ちをどうすることもできなった。エアルにテストの話題など持ち出されたくなかったのだ。
翔太は返信もせずすぐにスマホの電源を切った。
しかし、おせっかいなのはエアルだけではなかった。部活停止期間に入ると、春人までが同様の話題を持ちだしてきた。
とある放課後、教室を出たところでこう言って呼び止められた。
「今日、おれの家で成瀬と三人でいっしょに勉強せえへん?」
翔太のとなりを歩きながら、春人は切り出した。
「いや……おれはやめとくわ」
「なんで?」
「成瀬とは、いまちょっと……」
「じゃあ、ふたりでやろうや、どうせ勉強してないんやろ?」
「何やってない前提で話すすめてんねん……」
「じゃあやってんの?」
「……やってへんけど」
「小説書くの、そんなに楽しい?」
唐突な切り返しに、翔太は焦った。学校のなかでその話題には触れられたくなかったのだ。が、そんな気持ちをよそに、春人はさらに言い募った。
「小説書くの、テストより大事なん? バスケより楽しいの?」
「あほかッ、学校のなかでその話題だすなや。しかも、いまバスケぜんぜん関係ないやんけ」
声を荒立てると、春人がトーンダウンし、その隙を突いて翔太は強引に話を打ち切った。
エアルといい、春人といい、まったくどうしてこうもおせっかいなのかと、翔太は心底うんざりした。
そんなこんなで友人たちの忠告を無視しつづけながらテスト期間をやり過ごすと、翌週には悪夢のような結果が出た。
かろうじて赤点だけは免れたものの、結果を聞いた母は、夕食のあいだちゅう眉間にしわを寄せ、小言を言っていた。
だが、翔太は終始うわの空だった。はやく部屋にもどって小説のつづきを書きたかった。
来週になれば向こうの世界に連れていくとイヨも約束してくれている。それ以外のことはどうでもよかった。
翌朝、翔太はノックの音で目覚めた。
時計を見ると、まだ六時まえだった。いったいなにごとだろう。こんな時間にわざわざ部屋まで来て説教ということはないだろうが……。
不審に思いながら戸を見つめていると、母が顔を出した。
「起きてる?」
布団から首だけを出して、うん、とも、ああともつかない返事をかえす。声に不機嫌さと警戒心がにじみ出た。
しかし、話の内容はまったく予想だにしないものだった。
「大阪のおばあちゃんが入院したらしいねん」
昨夜おそく、母方の祖母が緊急入院したという連絡があったらしい。祖父に先立たれた祖母は枚方市でひとり暮らしており、すぐに駆けつけられる家族は長女である母だけということだった。
「へえ……」
寝ぼけた頭でおおよその話を理解したが、これといった感慨は湧いてこなかった。祖母は比較的近くに住んではいるが、付き合いは希薄で、翔太にとっては、あまりピンとくる話ではなかった。
母が出て行くと、翔太はすぐに目を閉じた。
ふたたび気がついたときには、時計は九時を回っていた。遅刻である。
奈良市まで通勤する父も、朝練のある妹もいつも先に家を出る。気にする者はだれもいなかった。あまりにも自然に、翔太はこの日学校をさぼった。
母から電話がかかってきたのは夕方だった。無断欠席が学校から伝わったらしい。
電話の向こうで母は喚いたが、「体調不良」の一点張りで押しとおした。
電話で言ってもらちが明かないと悟り、母が通話を切ったのは一時間後である。
翌日も学校に行かなかった。これといって理由はないが、しいて言えば、どのみち明日になれば母が戻るから、サボることはできなくなる。学校は月曜から行けばいい。目覚めたとき、そんな気持ちになっただけのことだった。
昼前にベッドから這い出ると、翔太はパソコンに向かった。
数時間画面をにらめつけていたが、いっこうに物語はすすまなかった。理由はわかっている。異世界で経験したすべてを書き尽くしてしまったのだ。
そのとき、考えないようにしていた選択肢がふと頭をよぎった。翔太には、異世界への行き方がすでにわかっていたのだ。いままで実行しなかったのは、すこしの恐怖心がぬぐえなかったからだ。
しかし、いま、異世界への思いはその恐怖を上回ろうとしていた。
インタホンが鳴ったのは、翔太が意を決し、異世界へと向かおうと立ち上がったときだった。
居留守を使おうかとも思ったが、メールの着信ですぐに訪問者がわかった。
《居留守は無駄やぞ!》、《開けんかったら余計めんどくさいで》
メッセージは長谷川と中島からだった。
「やっぱ元気やん」部屋に上がり込むなり、長谷川は言った。ベッドのうえに腰を下ろしてサイドボードから漫画雑誌を取り上げると、さっそくページをめくりはじめる。それがこの男なりの優しさからくるものなのか、ほんとうになにも考えていないだけのか翔太にはよくわからなかった。「おまえこれ以上学校休んだら留年するで、テストも最悪やったくせに」
「……ああ、月曜から行くわ」
「あ、そうなん? ふうん、じゃあいいねんけど……」
翔太の返事はおざなりだったが、長谷川がそれ以上追求してくることはなかった。
「藤崎と成瀬がおまえのこと心配しとったで。ふたりしておまえのこと聞きにきたわ。メールしとけよ」
中島が言い終えると、すぐに沈黙が訪れた。話は終わったらしい。
「そんなことわざわざ言いに来んでも、メールすればいいやん」
翔太が面倒くさそうに言うと、めずらしく長谷川が声をあららげた。
「おまえがメール見いひんからや!」
言われてみて初めて気がついた。スマホの電源を入れてみると、十件以上の通知が表示された。
「忘れてたわ……」
間を置かずに、ふたたび長谷川が口を開く。
「ていうかさあ」と、視線を雑誌に落としたまま言った。「エアル探しどうなってんの? 浅野に探り入れてるみたいやけど、なんか進展あったん?」
つい、苛立ちが舌打ちとなって翔太の口から漏れ出た。いま話したいのはそんなことじゃない。
「舌打ちってどういうことやねん⁉」長谷川が冗談めかして言う。「あ、もしかして告った? すでにフラれてるとか?」
長谷川の言葉に中島も笑った。笑いにして、流れかけた気まずい空気をなかったことにしようとしてくれている。だが、そんな優しささえもいまは鬱陶しいだけだった。
「いまそういうの、まじでいいから」苛立ちを隠そうともせず、翔太は言った。「っていうか、なにしに来てん、用ないんやったら帰れよ」
「はあ⁉ なんやねんその言い方、せっかく心配して来たってんのに!」
「だから、心配とかされるようなことじゃないねん!」
「あ、そう。じゃあ、もういい、帰るわ。お邪魔しました!」長谷川はそう吐き捨てると、鞄をつかんで立ちあがった。「まじでわけわからん、帰ろう、中島」
「ああ……」
促されて立ちあがったが、中島は長谷川が部屋を出ていってもしばらくその場から動かなかった。
「……なに?」
少し冷静になって、翔太は中島を見上げた。
「なあ、おまえほんまにどうしたん?」
「……おれまじでいまそれどころちゃうねん」
「だからなにがあってん」
「…………」
玄関から中島を叫ぶ長谷川の声が聞こえた。中島は、「ちょっと待って」とだけ返し、ふたたび翔太に視線を戻した。
「なあ、まえから聞こうと思っててんけど……」中島は握った拳を口もとにあて、いかにも言いにくそうに切り出した。「エアルって、どういう意味か調べたことある?」
「は……?」
予想外の話の展開に、翔太は戸惑った。いったいなにを言おうとしているのだろう。柄にもなく中島の視線はきょろきょろとせわしない。
「おれな、ちょっと気になって調べてみてんけどな、エアルってギリシャ語でな―――」
「おい、中島ッ! はよ来いよ!」
意を決したように話しはじめた中島の言葉は、しかしふたたび怒鳴った長谷川の声にかき消された。
「え? なんて?」
翔太が聞き返すと、なぜか妙な沈黙がふたりのあいだに流れた。
しばし見つめ合ったあと、中島が口にしたのはこんな言葉だった。
「ごめん、やっぱいいわ……」そして視線をそらすと、「月曜学校来いよ」とだけ言いいのこし、部屋を出ていった。
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