第14話 恋とバスケと異世界と 5
入れ替わるようにしてやって来たのはスノオだ。視線が交差し、ふたりはどちらからともなく手を差し出した。つかんだ拳が力強く翔太を引き起こす。
「……ありがとう……ございました」
ぺこりと頭を下げ、翔太は言った。
「いい勝負だった。とくに体捌きはなかなかのものだ」
スノオはそう言って白い歯を見せた。
近くで見ると、思っていたよりもずっと若そうだ。隆々たる筋骨に精悍な顔立ち、大人びた表情から二十代後半くらいだと考えていたが、もしかしたら二十歳そこそこかもしれない。
日に焼けた肌は真っ黒で無精ひげも目立つが、うしろで束ねられた長い髪が風に揺れると、まるで少女漫画の王子様か、ハイファンタジーの主人公のように絵になった。
「鍛えればモノになるかもな、励め」
スノオはそう言い残すと、踵を返して立ち去った。
かっこいい男というのはうしろすがたさえもイケメンらしい。
ぼんやりとスノオの背中を見送っていると、イヨがひょっこりと顔を出した。
「スノオ様からお褒めの言葉を頂くなんて凄いよ、よかったね、アッキー」
「おい、おまえなあ!」翔太は反射的に声をあららげた。「人のことハメといて、なにがよかったね、やねん。しばくぞ」
「いい経験できたねえ」
イヨは、いつもと違わぬしまりのない顔で笑っていた。
いったいなにを考えているのやら。いや、きっとなにも考えていないにちがいない。翔太はそう納得すると、ひとりふらふらと歩きだした。
「どこ行くの?」
「帰るに決まってるやろ、おまえのせいで体中ぼろぼろ―――」
イヨが突拍子もなく声を上げたのはそのときだった。
「アッキー、ストップ!」
驚いてふり返ると、地面に手をついてうずくまるイヨのすがたが見えた。うつむけた顏からチラリと視線を上げ、目配せを寄こす。
あたりを見渡すと、同様にひざまずく人影がちらほらと確認できた。
翔太は首をかしげながらも、郷に入っては郷に従え、を実践することにした。
痛む体を折り曲げようとしたちょうどそのとき、視界の端にきらびやかな行列が入ってきた。
輿である。革の鎧に身を包んだ屈強な男たちがまわりを固めているところを見ると、高貴な人物を乗せているということだろう。色とりどりに着飾った女たちも近侍していた。
七、八歳と思しきふたりの子供たちに先導されながら、行列はムラの中心部へと向かってゆっくりと進んでいった。
翔太は映画などでよく見る花魁道中を思い出しながら一行を眺めていた。ぼんやりとした色が多い世界で、あきらかに浮いた集団だった。
血の気が引いたのは、目のまえで行列が止まったからだ。あわてて膝をつくが、遅かった。
「無礼者」頭上に厳しい声が浴びせられる。男児の声だ。まえを歩いていた子供のひとりだろう。愛らしい見た目に反し、大人びた口調だった。「こちらの方は女王ヒメミコ様であらせられるぞ」
女王という言葉に好奇心をくすぐられて思わず視線を上げると、こんどは女児の声がピシャリと飛んできた。
「頭が高い!」
察するに、もうひとりの子供だろう。
うずくまったままひたすら恐縮する翔太に、やがて救いの声が差し伸べられた。
「アシナ、テナ」おっとりとした女の声がふたりの子供をたしなめる。名前らしいが、どっちがアシナでどっちがテナかはわからない。「無知ゆえの無礼、許しておやり」
声は、輿のなかから聞こえているようだ。
「ですがヒメミコ様……」
「見るからによそ者ではないですか」
「この時世、よそ者だからこそ油断ならないのです」
男児がキビキビと反論した。
「たしかにそのとおりですが、その者はクマソとは無関係です」
「どうしてそう言いきれるのですか?」
食い下がったのは女児のほうだ。
「わたしにはわかるのです。信じられませんか?」
「いえ、そういうわけでは……」
そろって答えると、ふたりはようやく引き下がった。
「おもてを上げてください」
ヒメミコ様と呼ばれていた女の声だったが、それが自分に向けられた言葉だと気づくのに、数秒を要してしまった。
妙な沈黙が流れたあと、翔太は恐る恐る顔を上げた。
輿は目のまえに鎮座していて、従者たちがそれを取り囲むようにしてうずくまっていた。御簾にさえぎられており、ヒメミコのすがたを確認することはできない。
「名前は?」
ヒメミコが御簾の向こうから尋ねる。
「秋山翔太……といいます」
「そうですか……」なにかを考えるような間のあと、ヒメミコは言った。「翔太、期待していますよ」
と、その直後、すっと御簾が上がった。
翔太はおどろいて、あわてて頭を下げた。が、彼女の顏ははっきりと見えた。
それは一瞬の出来事だったが、目を閉じただけで細部までくっきりと思い出せるほどに目に焼き付いた。
憂いを帯びてかがやく大きな瞳、柔らかげに揺れる黒髪、服を通してでもわかる華奢な肩のライン―――。
ああ、己の動体視力が恨めしい! 気づいたときには、翔太は彼女のすがたが頭から離れなくなってしまっていた。
「ヒロイン、キタァ―――‼」
身を乗り出したせいでテーブルが揺れ、なみなみと注がれたジンジャエールが波打った。が、意に介さず、長谷川はつづけた。
「このヒロインってだれかモデルおんの? もしかしてエアル?」
「いや……」グラスを持ち上げながら、翔太は答えた。「べつに、ただの空想かな……」
とある放課後、いつものファミレスにいつものメンバーがあつまっていた。
話題は、久しぶりに更新した翔太の小説である。
自らの体験を織り交ぜて元々のプロットを大幅に変更したのちの一話目。主人公がヒメミコをモデルにしたヒロインに出会うシーンは、とりあえず好評のようだ。
「で、おまえはどう思った?」
翔太の視線が中島に移る。
「アクションシーンの描写はめちゃめちゃ良くなったな」
「やっぱりそう思う⁉」
今度は翔太が身を乗り出す番だった。
「うん。なんかコツでも見つけた?」
「ああ、それはコツっていうか……」そこで考え直し、言いかえた。「まあ、そうやな、コツがわかってきた気がする」
中島はうなずいたが、まだなにか言いたげだった。経験からそれがわかるほど、この講評会も回を重ねたということだ。
しばしの沈黙のあと、中島は切り出した。
「世界観とかキャラとかがな、どことなく『ヤマ俺』に似てきてる気がするねんな……」
グラスを持った翔太の手が止まった。
「あ、いや、べつにそれがあかんってわけじゃないねんけど、いままでそんなふうに感じたことなかったから、不思議やと思っただけ……」
中島は翔太が気分を害したと思ってそんなことを言い繕ったのだろう。だが、頭にあったのはまったく別のことだった。
言われてみれば、たしかにムラやヒロインの描写が『邪馬台国論争に俺が決着を着けることになってしまったんだが』に似ている気がする。
しかも主人公が同じような草原で、同じように剣の修行をするシーンがあり、その背後に描かれていたのが三輪山だった。
ふと思い立って、翔太はふたりに質問した。
「なあ、おまえらって桜井生まれの桜井育ちやんな?」
「え、そうやけど……?」
長谷川が怪訝な顔で答えた。
「じゃあ、稜線見ただけで三輪山ってわかる?」
「それって、見た目だけでほかの山と区別つくかってこと?」
「うん」
「そんなんわかるわけないやろ」
「やっぱそうやんな……」
はじめて異世界に行ったとき、草原の向こうにそびえる山をひと目で三輪山だと言い当てることができたのは、無意識のなかで『ヤマ俺』を連想していたからかもしれない。
翔太は異世界での体験をほとんどそのまま小説にした。真似たのはあくまで実体験の異世界であり、『ヤマ俺』ではない。
この奇妙な類似をいったいどうやって説明すればいいのだろう?
『橘かのんってけっこうまえに死んでるらしいな』
『そして橘かのんは異世界に転生し、俺TUEEEを満喫しているのであった』
いつかのふたりの会話が唐突によみがえったのはそのときだ。同時に、荒唐無稽な仮説が頭のなかで急速にかたちを成していく。
いままさに翔太がやっているのと同じことを橘かのんはしたのではないだろうか? つまり、橘かのんは、実体験をもとに『ヤマ俺』を執筆し、そののち事故で死んだのだ。そう考えればふたつの作品が酷似していることに説明がいく。
そして、浅野イヨこそが、その橘かのんなのではないか? イヨがときおり見せる不思議な力の原因を異世界への転生にもとめたなら。作品の奇妙な類似とイヨの存在、そのふたつをこの仮説で同時に説明できるのではないか―――。
馬鹿馬鹿しい話だと自分でも思う。しかし、少なくとも『ヤマ俺』の作者があの異世界を体験していることだけはまちがいない。
翔太が唐突に、バンッ、とテーブルをたたきつけたのは、疑いが確信に変わったときだった。
「ごめん、おれ帰るわ!」
おどろいて目を見開くふたりにそれだけ告げると、翔太は学生鞄をひっつかんで勢いよく立ちあがった。
「え、ちょっ、秋山! ドリンクバー代!」
呼び止める声にふり向くこともなく、翔太は足早にファミレスをあとにした。
頭を整理しながら自転車をこぎつづけ、家に着いたとたん自室のローテーブルのまえに座りこんだ。パソコンの電源を入れ、ブラウザを開く。検索ワードはむろん《橘かのん》である。
検索結果の最上位に表示されたのはネット小説のサイト『カクヨム』だった。
アニメ版の公式サイトとそれに関連する通販サイト、ウィキペディアとつづき、あまり評判のよくない掲示板へのリンクへとたどり着いた。中島の情報源もここにちがいない。
期待した彼女のブログやツイッターは見当たらなかったものの、その掲示板に気になるスレッドを見つけた。
《【悲報】原作者の死亡によってヤマ俺一期で終了》。
翔太は強張る指でそのスレッドをクリックした。
1.いまさらなにを言い出すかと思えば……
それがひとり目の反応だった。そして、レスポンスはこうつづいた。
2.橘かのんが死んだのなんてヤマ俺がアニメ化されるずっと前
3.そもそも二期目つくるほどの人気もないし、アニメ化されたこと自体がふしぎなレベル。悲報でもなんでもない
以後、話題はアニメ談議に移り、翔太はコメントを読み飛ばした。
指をとめたのはレスが三○を超えたあたりだ。
35.もうちょっと生きてれば夢がかなったのに。やっぱり自殺なんかするもんじゃないな
36.え、事故死なんじゃ……?
37.死ぬ直前にブログもツイッターも垢削除してる。自殺と考えるのが自然
気になる記述ではあるが、とりあえず先を読み進める。
38.しかし残念やったな。この世から美女が減ったら、おまえらが付き合える可能性がさらに低くなる
40.っていうかなぜ顔を知っている?
41.むかしフェイスブックに普通に顏写真載せてた
42.おれも見たことある
43.そんな美人なん?
44.おまえらの年収がたとえ一千万でも付き合えないレベル
45.芸能人で言ったら誰?
47.アイドルと言うよりは女優系
48.おまえには橘かのんが女優に見えてるのか……
49.系統としてってことで、女優くらい美人とは言ってない。ちゃんと嫁
50.探してみたけど写真が見つからない。本当に削除されたんだな
51.だれか写真保存してない?
52.おまえら俺に感謝しろ
翔太はそこでマウスから手をはなした。
文字の下に写真の上部と思しき画像がすでに見えている。映っているのは窓や観葉植物や本棚、室内と思しき背景だ。あとほんの少しスクロールすれば、橘かのんの顏が映し出されるのだろう。
イヨが橘かのんではないか。
翔太はなかば本気でそんな夢のような仮説を信じていた。だが、意を決してスクロールした先に映し出されたのは、予想を上回る真実だった。
翔太は自分の目が信じられず、二度、三度と画像を見返した。
たしかに知っている人物である。その部分に関してだけは仮説は正しかったと言えるのかもしれない。
が、それはイヨではなかった。
憂いを帯びた大きな瞳、柔らかげな黒髪、そして華奢な肩のライン―――。
そう、ディスプレイに映し出されていたのは、まちがいなく異世界の女王ヒメミコだった。
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