第13話 恋とバスケと異世界と 4

 そのムラは北の三輪山と、南の大和川に前後を守られていた。

 周囲を囲むのは、幅一メートルほどの環濠と木の柵である。

 門のまえでは佩刀はいとうした番兵が、そして物見櫓ものみやぐらのうえからは弓を背負った男たちが出入りするよそ者に目を光らせていた。

 広い敷地に数十も建ち並ぶ建物はみな一様に植物でいた屋根がかぶさっており、さながら教科書で見た弥生時代といった雰囲気である。

 そのなかを、翔太はイヨのあとをついて歩いていた。

 異世界に行きたいと言ったのはたしかだが、これは想定外の展開である。このまえ同様、だれもいない草原で剣術のまねごとに興じるだけのつもりが、イヨはこちら側に着いたとたん、ムラに行こうと言い出したのだ。  

 ムラ人たちの奇異の視線に晒されてすっかり委縮していた翔太だが、やがて平常心をとり戻すと、あることに気がついた。制服すがたの二人組に向けられるムラ人たちの視線が、その一方がイヨだと気づいたとたん、友好的なものに変わるのだ。

 翔太は周囲にきょろきょろと視線を走らせながら尋ねた。

「おまえ、もしかして偉いさんなん」

「べつにそういうわけじゃないんだけどね……」

 質問を軽く躱しつつ、イヨはムラの中心部にむかって進んだ。翔太ははぐれないよう、ひたすらぴったりとあとをついて歩く。

 民家が建ちならぶ外郭をすぎ、ふたつ目の柵を越えると、なにもない敷地がひろがっていた。三重に張り巡らされた環濠の中郭と呼ばれる区域である。

 ほかの場所とはちがって雑草はきれいに刈り取られており、周囲には民家よりも数倍大きな建物が並んでいた。

 その学校の運動場のような広場の中央に人垣ができていた。

 老若男女が二、三十人もいるだろうか。興奮して上気する人々の表情や、やけに勇ましい掛け声が飛び交っているところを見れば、なかで喧嘩でもしているのかもしれない。

 イヨは一団にむかって躊躇なくずんずん進んでいった。

「おい、どこ行くねん⁉」

 声にふり向きもせず、イヨは人混みへと分け入っていった。

 そのすがたを見失いそうになり、翔太はあわててあとを追った。もみくちゃになりながらもなんとか前へと進んでいくと、突然、背中を突き飛ばされ、勢いよく衆目のまえに躍り出した。

 とたんに、野次馬たちの怒号のような歓声が巻き起こる。 

 「おまえ、いい根性してるな!」、「いいぞ、スノオ様をやっつけろ!」、「あの若いの、良い体格してやがるぜ!」、「がんばれ、応援してるぞ!」。

 気づいたときには、三十人以上いるであろうムラ人たちの視線を一身に浴びていて、あろうことか、喝采を受けていたのである。

「あ、いや、その……」

 状況を掴めずにしどろもどろしていると、男が話しかけてきた。

「少年、勇気があるな、名を名乗れ」

 全身に筋肉の鎧をまとっているかのような青年だった。

 身体には無数の傷跡が刻まれていて、背は翔太とおなじほどだが、みなぎる生命力オーラは圧倒的である。壮絶な死闘をかいくぐってきたであろうことが想像できた。

 しかし、人を圧倒する勇ましい見た目に反して声はおだやかだった。人を安心させる力がある。

 身につける真っ赤なストールや、野次馬たちからスノオ様と呼ばれているところを見るかぎり、それなりに地位のある人物なのだろう。

 翔太はだんだんと状況を理解しはじめていた。胸中に湧きあがるのは、嫌な予感というやつだ。

 言われたとおりに名前を名乗ると、スノオが納得したように頷いた。つづく言葉はこうだった。

「では翔太。剣を持て」

 嫌な予感が的中した瞬間だった。

 一方の野次馬たちは、最高潮の盛り上がりを見せていた。

 それは、腕に覚えのある猛者どもがスノオに挑戦しようというイベントにちがいなく、ムラ人たちは自分を、恐いもの知らずのお調子者とでも思っているのだ。

 思惑はわからないが、イヨにはめられたということだ。

 瞬殺されるのは目に見えているが、もはや辞退することもできそうにないし、このスノオという男がド素人を危険にさらすとも思えなかった。

 翔太は早々に諦めることにして、刀を思い浮かべた。このあいだ手にしたメイ・メ・マイオスである。あのときと同じなら、想像すれば具現化されるはずだ。

 思ったとおり。脳内でイメージが完成されたのと、手にずしりと剣の重みを感じたのは同時だった。

「どこからでも来い」

 腰に手を当てたまま、スノオは言った。剣を構える必要すらない、ということのようだ。

「じゃあ遠慮なく」

 剣を八相に構えると(その構えにどういったメリットとデメリットがあるのかは知らないが、見映えがするし、とにかくかっこいいのだ!)いっきに間合いを詰め、剣を振り下ろした。

 イヨとの稽古でこの剣の間合いはつかんでいる。完全に捉えた。―――と、思ったのは、むろん愚かな勘違いだった。

 つぎの瞬間目に入ったのは、メイ・メ・マイオスの剣先がスノオの鋼のような筋肉ではなく、地面をえぐっている場面だった。

 翔太はあわてて剣を構え直した。が、すでに遅かった。気づいたときには、右手首をがっちりと掴まれていた。

 こうなると振りほどけるものではない。力半分で体を引き寄せられると、足をからめとられ、そのまま柔道の投げ技のように投げ飛ばされてしまった。

 背中を痛打し、翔太は地面でもだえた。

「受け身をとれ」

 悠々と見下ろされ、思わず「クソッ!」と吐き捨てていた。

 さっさと瞬殺されて終わらせようという当初の思惑はすでになく、翔太はなんとか這いつくばってスノオを見上げた。

「攻撃が見え見えだぞ」はずんだ声で、スノオは言った。「しかし瞬発力はたいしたものだ」

「ここの十倍の重力で日々特訓してるからな」

 翔太は痛みに耐えつつ、立ちあがった。心のなかで、「十倍は大げさだが」と付け足したが、口には出さない。

「よくわからないが、自信ありげだな。ではつぎはこっちから行かせてもらおう」スノオは楽しげに言うと、外野に向かって目配せをした。「すまないが杖を貸してくれるか」

 うなずいたのは白髪交じりの初老の男だった。男はすぐに杖をスノオに投げて寄こすと、仲間の手を借りつつ地面に腰を下ろした。

「べつにそういうつもりじゃないねんけど……」

 なぜかやる気満々のスノオを目の当たりにして、翔太は立ちあがったことを少々後悔した。

 スノオは片手で持った木の杖をすっと正面に向けた。

「いざ―――」

 スノオが踏み込む。

 刹那、翔太は息を呑んだ。蛇に睨まれた蛙のように身動きがとれなくなり、気づいたときには鼻先に杖を突きつけられていた。

 体は硬直し、足はすくんでいた。心臓は高鳴り、息苦しささえ覚えるほどだった。

 恐怖に飲まれそうになるのを、翔太は声を上げることでふり払った。

「わあッ!」という、雄叫びとともに、力まかせに剣をふり上げ、さらに返す刀で胴を狙った。

 スノオは、まるでステップでも踏むように軽やかに後退した。

 つづく翔太のデタラメな連続攻撃を足さばきだけでやり過ごす。自慢の瞬発力も早さもまるで通じていないらしい。

 スノオが軽く繰り出した突きが翔太の肩口をとらえたが、アドレナリンのせいか痛みはさほど感じなかった。

 足を踏ん張って衝撃に耐えると、怯むことなく踏みこんだ。

 横薙ぎに振り抜いた剣を躱されるや、もう一歩を踏みこんで突きを繰り出す。

 しかし、見よう見まねで試した突きはまるでスノオに届かなかった。そもそも西洋の剣で突き技などあるのかどうかも知らない。

「とりあえず突きは封印!」

「懸命だ」

 翔太のでかすぎるひとり言に、スノオが答えた。

 打てども打てども、剣がスノオに届くことはなかったが、それでも、ときおり繰り出される攻撃を、徐々に避けることができるようにはなってきた。

 上半身をひねって突きを躱し、上段からの面をメイ・メ・マイオスではじき返した。さらに胴、突き、逆胴、小手の連続攻撃を、翔太は連続バク転でかわした。むろん、重力の軽いこの場所だからできる芸当である。

「おおッ! やりやがる、あの小僧!」

 トリッキーな体捌きに観客からの拍手喝采が巻き起こる。

 「ほう」と、感心するスノオのつぶやきもはっきりと聞こえた。

「こっから反撃だ!」

 自らを鼓舞し、翔太はスノオに向かって走りだした。元来がノリやすい性格である。調子づくのも無理はなかった。 

 脇構えに構えた剣を逆袈裟にふり上げ、返す刀でスノオのこめかみを狙う―――が、つぎの瞬間には、「甘い」という声とともに腿に激痛が走っていた。

 右手首をスノオにつかまれた挙句、横から蹴りを食らったのだ。バランスを崩し、翔太は人ごみのなかに倒れこんだ。

「お、おい、あんた大丈夫かい?」

 恰幅の良いおばちゃんが心配げに翔太をのぞきこんでいた。

 痛みが去るのを待ってから、そのおばちゃんの手を借りて立ちあがると、翔太はふたたびスノオに向かっていった。

「もう一本!」

 翔太が息巻く。

「まだやるつもりか?」

「当然」

「負けん気だけは一人前だな。いいだろう、来い」

 しばしにらみ合ったあと、翔太は全速力で走りだした。そして、互いの距離を半分まで詰めると、思いっきりメイ・メ・マイオスをスノオめがけて投げつけた。

「愚か者。武器を手放すやつがあるか」

 スノオが落ち着いたようすで杖を繰り、剣を叩き落とす。

 翔太が飛びあがったのは、メイ・メ・マイオスが音をたてて地面に落ちたときだった。

 正確には『跳びあがった』が正しい。だが、この世界の者たちにとって、それは『飛びあがった』と表現するにふさわしい跳躍だった。

 翔太はスノオの二メートル手前で踏み切ると、ベリーロールの方式で彼の頭を飛び越えたのだ。

 計算通り空中で一回転し、スノオの背後で着地する。

 軽くやった垂直跳びで一メートルを超えたのだから、これくらいはできると踏んでいた。もちろん体育の授業に感謝することも忘れてはいない。

 しかし、着地は走り高跳びのように上手くはいかなかった。地面にこすれ、手や膝が傷だらけになってしまった。

 なんとか踏ん張って方向転換すると、翔太はスノオの背なかを狙って踏みこんだ。

 策略に気づいたスノオがふり返る。カッと目を見開いたのは跳躍に驚いたからではない。その手にメイ・メ・マイオスを見つけて瞠目したのだ。

「想像すると剣は手のなかにあらわれるんだろ?」

 スノオの背中に剣を突きつけ、翔太は言った。

 ―――が、勝利を確信したまさにそのとき、突然目のまえがぱっと明るくなった。

 さらに襲い来る爆風のような鋭い風。

 なにが起こったのかと考える間はなかった。あっ、と思ったときには体は宙を舞っていて、その直後には、地面にたたきつけられる衝撃を全身に感じていた。

 目を開くと、野次馬たちの心配げな顔が見えた。さっきのおばちゃんも同様の表情だ。

 突風を受けたあと、まっ白な太陽を見上げたところまでは覚えているが、それから数十秒、意識が飛んでしまっていたらしい。

 さすがに起き上がる気力も体力もなかった。興奮がおさまってきたせいか、打撲やら擦り傷やらがズキズキと痛みだしている。

 寝ころんだまま空を見上げていると、パンパンと手をたたく音が聞こえた。解散の合図だったらしく、野次馬たちが散り散りに去っていった。

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