第12話 恋とバスケと異世界と 3

 ゴールデンウィーク三日目の祝日、佐倉井高校体育館の二階ギャラリーには予想を上回る観客がいた。

 まずは成瀬を中心とした女子バスケ部が数名。そして、すこし離れたところに翔太と、第三クォーター終了のホイッスルが鳴るなり、となりでブツブツと監督の采配にケチをつけはじめたイヨである。

 とはいっても、わざわざ誘ったわけではなく、校門のまえでたまたま出会い、そのながれでいっしょに観戦することになっただけだ。

「ハルちゃん、試合出ぇへんの~?」

 イヨは気持ちの悪い関西弁で言いながら、翔太のカッターシャツの裾をつまんだ。

 なんとなく成瀬の視線を気にしてしまい、翔太は柵に掛けていた手をそっと下ろした。

「ねえってば! ハルちゃんの3点シュート三本で逆転だよね。ハルちゃんを出せ!」

 試合は残り一○分で四八対五六。

 開始から数分間、得点○という焦りからミスを連発した佐倉井だったが、第一クォーターなかばに投入されたPFの井川が流れを変え、猛追のきっかけをつくった。このあいだ春人が言っていた一年である。

 交代後最初のオフェンスで、井川はきっちりと二点を返した。

 決めるべきところで確実に決める。自らに課せられた役割を理解するクレバーさと、それを実行できる力を持つ選手だった。

 そのうえ、一八○センチちかい身長とたくましい筋肉、体格に不釣り合いと思えるほどの運動神経である。

 翔太はその一回のオフェンスで春人の井川評が大げさでないことを、いや、それ以上であることを確信した。

 次の世代どころか、次の試合でスターティングファイブに選ばれたとしてもだれも文句は言えないだろう。井川の実力はそれほどだった。

 つづく第二、第三クォーターは佐倉井高校、というよりももはや井川のペースで試合は進み、クォーター終了のホイッスルが鳴ったときには、格上の樫原高校を完全に射程圏内に捉えていた。しかも流れはいまだ佐倉井高校にある。

 イヨの言うように、スリーポイントシュートなら三本で逆転だ。が、試合はそんな単純な計算で成り立つものではない。

「この状況であいつに出番なんかあるわけないやろ。まだ時間あるんやから、そんなリスキーな賭けに出る必要ないねん」

「ハルちゃんをナメてる。許しがたし、安藤」

 春人の言葉を借りて言うなら、安藤というのは、「一応のバスケ経験者で、それなりに勉強を積んでいる」バスケ部の顧問である。

 翔太は三十路手前のくせにすでに薄くなりつつある安藤の頭頂部を見下ろしながら言った。

「春人がどうとか関係なくて、三点はリスク高いっていう話や。二点ずつ確実に点差つめていったらそれでいいねん。……お前ちょっと黙っとけ」

「えぇ~」

 翔太はむくれるイヨを意識から追い出し、コートに出てきた選手たちに視線を落とした。

 最終クォーター開始直後、井川にボールが渡った。

 その瞬間、相手チームに緊張が走った。樫原高校のディフェンスはマンツーマンで、井川の相手は樫原の三年生エースである。

 開始二〇秒、スコアボードはまたたくまに五〇対五六となった。決めたのはまたしても井川である。

「また入った! これで何点目かな?」

 イヨが感嘆を漏らした。

「二五点目やな……」

「すご~い、数えてたん⁉」

 翔太は的外れなその感想を黙殺した。

 いつもなら、感心するとこまちがっているやろ、とでも突っ込んだろうが、いまはそんな気分ではない。

 成瀬が声をかけてきたのは、イヨとそんなやり取りをしているときだった。

「試合観に来るとか、めずらしいやん。どういう風の吹きまわし?」

「まあ、ちょっとな……」

 成瀬は微妙な距離をたもったまま、柵に手をかけた。友達のところへ戻るつもりはないらしい。

 だが、それっきり会話は途切れ、翔太は頭を悩ませることになった。

 この気まずい空気は果たして自分のせいなのだろうか。そもそも成瀬はなんのために近づいてきたのだろう? これが女心というものだとしたら、自分には一生理解できる気がしない。

 翔太が青少年らしい問題に直面している一方で、井川は二本のフリースローを決めていた。

 残り八分を切ってスコアは五二対五六。こうなったら追われる側より追う側が盛りあがるのは必然だった。

 さらに勢いを増した佐倉井高校の選手たちのプレイは目を瞠るものがあり、残り二分をきったところでついに逆転。その後も流れは変わることなく、結局、試合終了のホイッスルが鳴ったときには、スコアボードは六八対六六となっていた。

「井川、あれで一年とか、すごいな……」

 成瀬が気まずい沈黙をやぶったのは、選手たちがコートから去ったあとだった。

「結局三○点とったな……」同意を示したかに見えた翔太だったが、しかしつづく言葉は、ふたりの思いがまったくべつの次元にあったことを浮き彫りにした。「むこうの三年生エース悔しいやろうな。たぶん今日は寝られへんで」

 翔太は言ってから気がついた。こんなことを考えてしまっている時点ですでにバスケ選手として、いや、スポーツマンとして自分は終わってしまっているのだと。

 成瀬はいまどんな顔で自分を見ているのだろう。軽蔑か、落胆か、憐憫か。

 翔太は視線をコートに向けたまま、顔を上げることができなかった。


 ギャラリーから下り、舞台裏から外に出ようとしたとき、がやがやとやかましい声が表の水飲み場のほうから聞こえてきた。

 なんとなく鉢合わせるのを嫌い、翔太は足を止めてその声に耳を澄ませた。

「井川、ほんま凄かったな」

 そう言ったのは春人だった。賛同を示す声に女子の声が混じっているのは、おそらく成瀬たちだろう。

「そんなことないっスよ。それにおれはスリーポイント上手くないから、藤崎先輩には期待してますよ」

 井川らしき声につづき、べつの声が言った。

「たしかに、藤崎のスリーポイントが武器になればウチの得点力倍増するな」

 おおッ、と、どよめきが起こり、またべつの声が言う。

「それが形になったら、もしかしておまえらの世代、決勝リーグまで行けるかもな。頑張れよ」

「先輩、なにセコいこと言ってるんですか、どうせやったら『目指せ、全国大会!』くらい言ってやってくださいよ!」

 先輩にむかって物怖じしない言葉を繰り出したのは成瀬だ。

 沸き起こった歓声を聞いていると、ふいに、さびしさがこみあげた。自分の居場所がもう完全にバスケ部にはないのだということを、思い知らされた気がしたのだ。

「いいね、いいね、青春だねえ。アッキーも戻りたくなってきたんじゃない?」

 イヨは、バスケ部の面々を眩しそうに見つめながら言った。

 翔太は舌打ちを残し、舞台袖からコート側へ下りた。足早に体育館を横切り、正面出口から渡り廊下に出る。

 背後からイヨの声が追いすがってきた。

「ちょっと待ってよ、アッキー! ハルちゃんたちに挨拶したほうがいいんじゃないの?」

「そう思うんやったらおまえひとりで行けよ。なんでおれについてくんねん。っていうか、だれがアッキーやねん!」

「え、秋山君だから、アッキー。そう呼んでいいよね?」イヨは尋ねたが、答えも聞かずにつづけた。「それに、わたしがアッキーについていくのは当たり前だよ」

「は? それどういう意味?」

 翔太は廊下の真ん中で足をとめ、ふり返った。

 他校の生徒が行きすぎるのをやり過ごしてから、イヨが答える。

「何度も言ったよね。アッキーの異世界適性を調べるって」

 翔太としては、曖昧にうなずくしかない。

「そう言えば、異世界に来たら人助けするもんや、とかも言ってたな?」記憶をたどりながら言葉を継いだ。「でも、なんでおれなん? もっと困ってる人いくらでもおるやろ?」

「まあ、正確に言えば、わたしがほんとうに助けようとしてるのはアッキーじゃないんだけどね」

「じゃあ、だれを助けようとしてんねん」

「エアル……」

 イヨの口からその名前を聞かされるのは二度目だ。

「……どういう意味やねん」

「へへ」とイヨは笑った。「だめだめ、まだそこまでは教えられない」

 翔太は、へらへらと腑抜けた笑みを浮かべるイヨの顔をしばし眺めたが、やがて大きなため息を吐き出し、無言で背をむけた。

「なにそのため息⁉」

 イヨは不満げな表情を浮かべながら、それでも有言実行とばかりにあとを追った。

 翔太が口を開いたのは駐輪場で自転車にまたがってからだった。ぼんやりと見送るイヨに顔を向け、切り出した。

「なあ、浅野、今日これから予定あんの?」

「え、べつにないけど……?」

「行けるもんならまた行きたいねんけど、このまえのつづきもしたいし……」

「行くって、もしかして……」

 ふたりは視線を合わせ、同時に言った。

「異世界に……」

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