第10話 恋とバスケと異世界と 1

 二年になって長谷川と中島とクラスが別れ、代わりにイヨが同じクラスとなった。

 相変わらず、イヨはなんやかんやと構ってくるが、とくに変わったことは起こらず、翔太も、次第にその状況に慣れていった。

 変化が起こったのは、新学期に入って二週間ほどが経ったある放課後だった。

 帰宅途中、駅前で長谷川、中島と別れたあと、ひとりで自転車をこいでいたときのこと。自宅までほんの数百メートルの場所で、突然、イヨが目の前にあらわれてこう言ったのだ。

「きみの性格はだいたいわかった。そろそろ本格的に適性検査させてもらうね」

「は? 適性検査……?」

「そう、適性検査」

 そう言うなり、イヨはついてこいとばかりに歩きだした。

 素直についていったのは、イヨが転校してきた日のことを思いだしていたからにほかならない。翔太は内心、非現実的な展開にすこしばかり期待していた。

 やって来たのは近くの小さな神社だった。まえを通りかかったことは何度もあるが、鳥居をくぐったのは初めてである。

 乾いた田んぼの向こうにそびえる三輪山が、晴れわたった空にくっきりとした稜線を描いていた。

「秋山君は、剣術とか興味ある? 運動神経はいいから大丈夫だとは思うけど……」

 境内の真ん中でふり返ると、イヨはそう言って翔太の目を見すえた。その瞬間、ふわっと脳が浮くような感覚に陥った。もう何度か経験したことのある感覚である。

 翔太は額を押さえて立ちくらみに耐え、それから顔を上げた。

「なんやねんこれ……なんか、頭くらくらするねんけど……」

「大丈夫、大丈夫。気にしないで」

「気にしないでってなあ……」

 翔太がそこで口をつぐんだのは、イヨの手に握られている見慣れぬモノに気をとられたからだった。

 一瞬、見間違いかと思ったが、それはたしかに刀だった。

 いや、剣と言いなおすべきかもしれない。西洋風というべきか、古代の中国風と言うべきかわからないが、日本刀でないことはたしかだ。両刃の大刀である。

「お前、そんなもんどっから……」

「まあまあ、細かいことは気にしなくていいから」

「細かいことってなあ……」翔太はそこまで言ったものの、途中であきらめ、こう言い直した。「それで、その刀がどうしてん。チャンバラごっこでもしたいんか?」

「まあね、そんなとこ」イヨは応えるなり、刀を振りかぶった。「ここでこう切り込まれたら、秋山君どうする?」

 刀を袈裟掛けに振り下ろしながら、そう尋ねた。

「どうって……」

「刀を持ってるつもりで考えてみて」

 そう言われてとっさに頭に浮かんだのは、自身の小説で主人公に持たせている剣―――銀色に輝く両刃が美しく、黒い柄に金の装飾が施された聖剣メイ・メ・マイオスだった。

「まあ、こうやって受け止めるかな……」

 翔太が空想の剣で攻撃を受け止めると、イヨは刀を下ろしてうなずいた。そして、言った。

「オッケー、じゃあ本番ね」

「本番……?」

 そのとき、イヨの髪やブレザーの裾が突風でも受けたかのようにバタバタと激しくはためきはじめた。その背後では、小さなつむじ風が砂を巻き上げている。

 雷のような閃光が目に飛びこんできたのはその直後だ。眩しすぎて目を開けていられないほどの光だった。

 いったいなにが起こっているのだろう。

 翔太は自分の置かれた状況を必死で考えた。が、そこで思考は停止した。

 目を開いたとたん、光のなかから飛び出してきたイヨのすがたが映ったのだ。剣を振りかぶり、いまにも切りつけようとしているではないか。

 危険を察知し、翔太は本能的に防御の行動をとっていた。考えるより先に体が動いていたのだ。

 空想の刀が実体化していることに気がついたのは、まさにそのときだった。刀身の輝きから繊細な装飾、鋼の重量感にいたるまで、頭に描いたメイ・メ・マイオスそのものである。

 金色に輝くイヨの刀が翔太のそれと交差し、刹那、弾き合った。

 ふたりは反発し合ったかのように背後に跳んだ。

 軽く退いたつもりだったが、思った以上に勢いがついてしまったらしく、翔太はバランスを崩して尻餅をついた。

 イヨはすかさず詰め寄ると、その鼻先に刀の切先を突きつけた。

「降参」

 柄から手をはなして翔太が両手を上げると、イヨはにっこりとほほ笑んで刀身を下ろした。

「はじめての立合いはどうだった? やれそう?」

 翔太の手を引っ張り上げながら、イヨは尋ねた。 

 しかし、訊かれたほうにしてみれば、もはやそれどころのさわぎではなかった。

 イヨが光のなかから現れた瞬間、自分たちは時空を超え、まったくべつの場所へと移動していたのだ。

 背景の変化には気づいていたが、そのことに反応する余裕すらなかった。

 翔太はあらためてあたりを見渡してみた。

 鳥居や社殿はおろか、人工物は影も形も見当たらない。どこまでもつづく草原と、真っ青な空に浮かぶひと筋の雲とが見えるばかりである。草の緑は若々しく、気温は暑くも寒くもなかった。

 ふたりのあいだを吹きぬける風が杉の花粉を運び、翔太の鼻孔をくすぐっていった。ここもいま、春にちがいない。

 来たことも見たこともない場所だった。しかし景色のいちばん奥にそびえる山の稜線には見覚えがあった。

「三輪山……?」

 人工物がなにもないので、距離感はつかみづらいが、もともと居た神社から見たのとおなじような気がする。

「さすが、よくわかるね」

「ここはいったい……?」

 翔太はイヨに視線を向けた。景色だけに集中していたら、そのあまりの広大さに当てられ、目が回ってしまいそうだった。

「わたしがまえに居た場所だよ」

 イヨは山のほうを仰いで言った。

「まえに居たところって……つまり異世界?」

「まあ、そんなようなもんかな」

 翔太の頭に二カ月ほどまえの記憶がよみがえっていた。はじめて会った日、イヨはたしかに異世界から来たと言った。

「それで……なんでわざわざここ来たん?」翔太はふたたび視線を遠くへ向けた。訊きたいことは山ほどあったが、頭がうまく回らず、そんな質問しか出てこない。「べつにチャンバラごっこやったらあの神社でもできたやん」

「気づかない?」

「気づくって……?」

 翔太は自分に向けられた視線の意味を探った。

 開いた両手をまじまじと見つめ、さらにその両手で腹や胸を触ってみた。しかし、変わったところはなにもなかった。

「ちょっとジャンプしてみて」

 翔太はうなずいてから軽く膝を曲げると、腕を振って垂直に跳び上がってみた。―――と、そのとたん、想定外の衝撃にパニックになった。まるでトランポリンのうえでジャンプしたかのように、足に込めた力を越えて体が勢いよく上昇したのだ。軽く一メートルは飛んだ気がする。感じたことのない滞空時間に恐怖さえ覚えたほどだ。

 バランスをとろうと、空中で懸命に両腕をバタつかせたが、努力の甲斐むなしく着地は失敗した。

 だが、翔太はうまく重心をうしろにずらして尻餅をつき、怪我をすることを免れた。

「イタタタ……」翔太は尻をさすりながら尋ねた。「どうなってんの、これ?」

「むこうにくらべてここの重力はうんと軽いんだよ」イヨは地面にころがる翔太を可笑しそうに見下ろした。「でもさすがだねえ。一二〇センチは跳んだんじゃない?」

「まじか、凄いな」

 垂直飛び一二〇センチといえば、一七〇センチの自分が余裕でダンクを決められる跳躍である。

「ああッ、ここにリングあったらなあ!」

 翔太が地団駄を踏む。

「まあ、バスケットボールもいいけどさ」イヨは黄金の刀を構えると、こうつづけた。「ここでチャンバラごっこやったら、めっちゃ楽しいと思わない?」

 ニヤリ、とふたりは同時に口角を上げた。

 翔太はメイ・メ・マイオスを持って立ちあがり、イヨはまばゆいほどに輝く刀を中段に構えた。

 風にのって一匹の蝶がどこからともなくあらわれ、消えた。

 その刹那、翔太は一歩を踏みこんだ。体が羽のように軽く、足は氷の上をすべるように進んだ。

 二歩目で刀を振り上げ、三歩目で拝み打ちに振り下ろす。

 力いっぱいの攻撃はイヨに剣先で軽く躱され、その返す刀が翔太の鼻先三センチを通り過ぎた。

 さらに第二、第三の太刀が次々に繰り出されたあとは、あっという間に防戦一方となった。

 しかし、どれだけ打ち込まれてもイヨの攻撃が体に届くことはなかった。そのあまりの見事さに、翔太はただただ感嘆した。

 しなやかな体のこなしや風を切る鋭い太刀筋、優雅に立ちまわるすがたはまるで剣舞だ。

 体力の限界がきたのはおよそ半時間後だった。

 翔太は息を切らしながら草のうえに倒れこんだ。空はほんのりと色づきはじめ、火照った体に当たる風は夜の気配をふくんでいた。

「どう? やってけそう?」

「まあ、たぶん……」

 息を切らしながら答えると、イヨは苦笑を浮かべた。

「たぶんかあ……」

「でも、めっちゃ楽しかったわ」

 草のうえに体を放り出し、異世界の空気を胸いっぱいに吸いこんだ。

 心地のよい疲労感に身をゆだねているうち、翔太はいつの間にか眠りに落ちていた。そして目が覚めたときには自室のベッドのうえだった。


「なあなあ、おれのジャンプどうやった?」

 自分の順番を終えて戻ってくるなり、長谷川は翔太に尋ねた。

 金曜の四時間目、体育の授業内容は走り高跳びである。

 クラスは変われど二組合同のこの授業だけはいまも長谷川、中島と一緒だ。内心ではよろこんでいたわけだが、翔太がそれを口にすることはない。

 体育を受け持つ森田はやる気のない教師で、いまもそれぞれが自分のレベルに応じた高さのバーをくり返し跳んでいるだけの授業だった。

 本人は離れた場所からときおり思い出したかのように、やれ「恐がるな」だの、やれ「もっと早く走れ」だのと声をかけるだけで、具体的な指導をするつもりはさらさらないようだった。

 教師がそんな調子なので生徒たちの意識は自然と下がり、順番を待つあいだ、仲良しグループのふざけ合う声があちらこちらから聞こえてくる始末である。

 長谷川がとなりに腰を下ろすのを待ってから、翔太は質問に答えた。

「何回も言っているけどな」苦笑を漏らしつつ、「バーのまえでいったん止まるクセ直さんかったらいつまでたっても跳べるようにならんで……」

「いや、それは絶対無理」

 長谷川が力強く断言すると、横から中島が口をはさんだ。

「踏切が悪いから高く跳ばれへんねん。地面の反発を利用して上に跳ばな……」

「それ、どこから目線で言うてんねん。おまえだってぜんぜん跳べてへんやんけ!」

「できへんけど理屈はわかってる」

 中島の言葉は本人のちょっとしたイケボも相まって、偉人の名言のごとく心地よく耳に届いた。が、ネットからの引用に説得力があるはずない。

 長谷川は、となりに座る翔太の頭越しに手をのばすと、さらにとなりの中島の頭を乱暴にかき乱した。

 ふたりのあいだにはさまれた者にとっては面倒くさいことこのうえない。翔太は舌打ちし、おっくうそうに仲裁した。

「やめろや、一応授業中やぞ」

 そう言って横目で森田のすがたをとらえたが、当の本人が気にする様子は皆無だった。翔太がため息を吐いた瞬間、長谷川の手をふり払った中島の手が翔太の顏を直撃した。

「ええかげんにせえよ、おまえらッ!」

 つい怒鳴り声を上げてしまった。思わず両手で口をふさいだときにはすでに遅く、「うるさいぞ、秋山!」との森田の一喝が飛んできた。

 ふたりが息を殺しながら腹を抱えて笑いころげたのは言うまでもないだろう。

 ふいに名前を呼ばれたのは、ちょうどそんなやりとりをしているときだった。どうやら順番がまわってきたらしい。

 その場をいったん離れると、翔太はそつなく一六〇センチを成功させた。授業内の最高記録に、にわかに拍手が沸き起こる。

 機嫌を良くした翔太は、意気揚々とふたりのもとへと戻った。

「おまえら見たか、おれのベリーロール」

 準備していた台詞を口にする。

「おお、さすが」

「凄い、凄い」

 ひとしきり盛りあがったあとは、ふたたび雑談に花を咲かせた。

 「そう言えば」と、切り出したのは中島だった。「おれ最近まで知らんかってんけど、橘かのんってけっこうまえに死んでたらしいな」

 『橘かのん』というのは件のアニメ、『邪馬台国論争に俺が決着をつけることになってしまったんだが』の原作小説の作者である。

 応じたのは長谷川だった。

「え、そうなん、病気? まだそんな年いってないよな?」

「事故らしい。まあ、ネットの情報やけどな」

「じゃあアニメが成功したとしても続編なしか。けっこう好きやのにがっかりやな……」珍しく神妙な顔を浮かべたあと、長谷川は口調を変えてこうつづけた。「そして橘かのんは異世界に転生し、勇者として俺TUEEEを満喫しているのであった……」

「それな」

 うまいオチをつけられたことに満足すると、長谷川と中島は顔を見合わせて笑った。

 だが、翔太はふたりのノリについていけなかった。

 自分にとっては数多あるお気に入り小説のひとつにすぎない作品の原作者。つまりは赤の他人が死んだという、取るに足らない話題のはずだ。

 いつもならふたりといっしょに笑って済ませたろう。しかし、このときばかりは笑えなかった。

 ひとの死をネタにすることが不謹慎だとかいった問題ではない。重大ななにかを見落としているのではないかという予感が頭をもたげたのだ。

 もしもこれがミステリーなら、主人公はまちがいなくいまの会話で謎の確信に近づいただろうが、翔太に名探偵の素質はまったく無いらしかった。


 授業が終わり、三人はそろって体育館を出た。

 いったん教室に戻って着替えを済ませると、翔太は弁当を持ってふたりのもとへ向かった。仲よくなりつつあるクラスメイトはいるが、昼休みはいまだに長谷川たちといっしょに過ごすことが多かった。

 ひさしぶりに春人が声をかけてきたのは、ちょうど三人が弁当を食べ終えたころだった。

「やっぱりここに居た」

 声に顔を上げると、春人と目があった。

「……久しぶり」

 思わず他人行儀な返事になってしまったのはひとりよがりなわだかまりのせいだろう。

 勝手にバスケの練習に参加しようとして春人の家に行き、勝手に不貞腐れて帰ってきたときの記憶が脳裏によみがえっていた。

「ああ、うん。……久しぶり」

 そのとき、頬を掻きながら答える春人の笑顔に違和感を覚えた。いつもの突き抜けるような無邪気さが鳴りをひそめ、どことなく元気がないような気がする。 

「なに? なんか用?」

「うん、話したいことあんねんけど、ちょっといいかな……」

 春人は言いながら、遠慮がちな視線を長谷川たちのほうへ向けた。

 意図に気づいた長谷川は、はっとしたように愛想笑いを浮かべると、「どうぞ、どうぞ」と恐縮して見せた。

 一方の中島はすでにスマホに視線を落としている。いつもながらの塩対応だった。

「行ってら~」

 ひらひらと手を振る長谷川に見送られつつ、翔太は席を立った。

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