第8話 幼馴染の法則 4

 翔太が春人の家にやって来たのは、すすんで春人たちの練習に参加しようという心変わりのためではなく、中島と長谷川に「とにかく成瀬には誠心誠意謝っとけ」と言われたからだった。

 「なんでおれが謝らなあかんねん!」と、抵抗してみたものの、「おまえが不機嫌なときにふたりっきりになったってだけで謝る理由としては十分や!」と言われてしまえば、すごすごと引きさがるよりほかなかった。

 とはいえ、学校のなかではハードルが高すぎるし、改まってメールで連絡をとるというのも抵抗がある。考えた末に翔太が出した譲歩案は、この練習に参加してタイミングを見て自然に謝る、というものだった。

 自転車から下りると、ボールの音が風にのってやってきた。

 裏庭に行くと、ふたりは同時に翔太をふり返った。意識していたせいか、最初に目があったのは成瀬だった。

 成瀬は目が合うと、その視線をフイと逸らした。どうやら昨日のことをまだ根に持っているらしい。

 いつもどおりいつもどおり、と自分に言い聞かせながら、翔太はふたりの会話に割りこんだが、練習がはじまると、すぐにいつもの雰囲気になった。

 前回とおなじく、ハードだがおだやかな練習がしばらくつづいた。

 中盤になって空気が一変したのは、成瀬のひと言が原因だった。

「わたしちょっと休憩するから、ふたりで1ON1でもしといて」

 そう言い残して、成瀬がコートを去ると、春人の顔色があからさまに変わった。

 ミニバス時代、はじめて練習試合に出場したときの緊張ぶりもただごとではなかったが、そのときの雰囲気にも負けず劣らずといった様子である。

 翔太には、春人の考えていることが分かっていた。すでに現役を引退している自分に負けるわけにはいかないというプレッシャーがのしかかっているのだ。

 一方の翔太にもプレッシャーはあった。ミニバスと中学の部活で副キャプテンを務め、常に春人の先をいっていた自分としては、ここで負けるわけにはいかないという意地がある。

 勝っても負けても気まずい思いを残して終わるのは明白だった。

 とはいっても、やるからには、負けるつもりは微塵もなかった。

「おまえからオフェンスな」そう言うと、しぶしぶ春人が顔をあげた。いまだ煮え切らぬ態度に、翔太はさらに念を押した。「手加減する気ないから」

「……わかった」

 春人が翔太にパスを出し、そのボールをふたたび春人に戻したらゲーム開始である。

 翔太は腰を落としてディフェンスの体勢をとった。

 シュートか、それとも抜きに抜くるか―――。

 逆の立場なら、元PGの自分にドリブル勝負を挑んだりはしない。

 なぜならドリブルこそがPGの得意分野であり、反面、背の高い選手が往々にしてそうであるように、春人はあまりドリブルが得意ではないのだ。

 春人が右手から左手にドリブルを移動させた。

 翔太の重心が左から右に移動したとみるや、すかさずボールを右手に戻し、インサイドへと切り込んだ。

 フロント・チェンジからのレイアップにちがいない―――。

 春人の攻撃を読みきると、翔太は素早くそのまえへと回りこんだ。密着するほど体を近づけ、プレッシャーを与える。春人が思わずドリブルをとめたのは思うつぼだった。

 ボールを持ったプレーヤーは一度ドリブルをとめると二度とドリブルはできない。のこされた選択肢はシュートかパスのみ。この場合味方はいないのだから、つづくプレイは必然的に無理な体勢からのシュートとなる。

 必死でボールをキープする春人にプレッシャーをかけながら、翔太は言った。

「おい、春人、ナメてんのか! そんなドリブルで抜けると思ったんか!」

「くッ」

 春人は肘を張って翔太のディフェンスを退け、シュート体勢に入った。

「打たせるか!」

 翔太がすかさずブロックにいく。―――が、春人がここでフェイントを入れたのには感心した。思いのほか平常心を保っていたらしい。翔太はまんまと春人のフェイクにひっかかってジャンプしてしまっていた。

 気づいたときにはあとの祭り、春人がシュート打点に達したのと翔太が地面に着地したのは同時だった。

 放たれたボールはバックボードに当たったあと、リングをくぐって地面に落ちたのだった。

 翔太はボールをひろい上げて言った。

「けっこうやるやん」

「あ、うん。まあ……」

 勝ったにも関わらず、春人はまだ浮かない顔をしていた。

 カチンときて、翔太は口を尖らせた。

「おまえ、人がめずらしく褒めてんのに素直に喜べよ」

「ごめん、ありがとう。……じゃあ、おれらも休憩する?」

「はあ⁉ おれのオフェンスまだやろ、勝ち逃げする気か!」

「そんなつもりじゃないけど……」

 春人はあわてて顏のまえで手を振った。

「じゃあ、いくで……」

 春人がパスを出そうとしたときだった。その視線がほんの一瞬、不自然に自分を離れたことに翔太は気がついた。

 この状況でディフェンスから目を逸らしてまで見るべきものとはいったい何なのか。

 翔太は好奇心に駆られて春人の視線を追った。そして、その先に成瀬のすがたを見つけ、愕然とした。

 春人は成瀬の視線を気にしている……?

 視線を気にするというのはどういうことだろう? やはり成瀬を女として意識しているということだろうか。

 まさか。と、翔太は自分の仮説をいったんは否定した。だが、春人が成瀬のまえで負けたくなかったのだとすれば、先ほどの緊張ぶりも納得がいく。

 とすれば、こういうことだろうか。にわかには信じられないことだが、つまり春人は成瀬のことが好……。

「なあ、翔太ってば!」

 翔太は肩をゆすられてやっとわれに返った。どうやらさっきから何度も呼ばれていたらしい。

 春人は怪訝な表情をその顔に浮かべていた。

「どうしたん、おれの顏になんかついてる?」 

「いや、大丈夫、顔にはなんにもついてない」翔太は自分が的外れなことを言っていることに気づいてなかった。「それに、たとえ何かついてたとしてもおまえがイケメンなんは変わりないしな」

「はあ? なにわけわからんこと言ってんの?」

「だから」翔太は得意げに胸に手を当てて言った。「おまえは気ィ弱いし、優柔不断やし、バスケもあんまり上手くないし、運動音痴やし、ふつうにカラオケもヘタクソやけど、おまえが本気になれば、たいがいの女と付き合えるはずや。おれが保証する」

 ぽかんと口を開く春人の肩に、翔太はぽんと手を置いた。

 春人は呆れかえったようにため息を吐くとこう言った。

「悦に入ってるとこ水差すようで悪いねんけど、なんか勘違いしてない?」

「大丈夫やって、成瀬には黙っとくから」

「あっそ」春人はもうなにを言っても無駄だとあきらめたらしく、無言で翔太にパスを促した。「もういいからさっさとコレ終わらせよう」

「おう!」

 翔太はボールをキャッチすると、左手でドリブルをはじめた。視線を合わせ、互いに呼吸を読み合う。

 一、二、三、四……一定のリズムを刻むドリブルの音が乱れたのは、七つ目だった。

 フロントチェンジをひとつ入れ、いっきにディフェンスを抜きにかかる。

 フェイントに釣られる素振りを見せたものの、春人はぎりぎりで食らいついてきた。

 上等だ―――! 

 翔太はいったん足をとめ、体勢を立て直そうとした。―――が、その瞬間、わずかに春人の腰が上がった。刹那、ドリブルはふたたび加速した。

 一歩で春人の横に並び、二歩目でそれを抜き去る。

 あぶなげなくレイアップを決めてふりかえると、呆然とこちらを見つめる春人と目があった。

「は、はやい……」

 その口から出たあまりに率直な感想に、翔太は思わず吹き出した。

「なに寝ぼけてんねん、元PGやねんから、こんくらいできて当りまえや。おまえのへなちょこドリブルと一緒にすんな!」

「いや、でも当たりまえってことはないで。うちのバスケ部でもこんなドライブできるのって、ひとりかふたりしかおらんわ……。やっぱ翔太って凄いな!」

 自分の言葉に興奮するかのように、春人の顔は話しながら上気していった。

「シュート決められてなに喜んでんねん」

 ぶっきらぼうに応じたが、悪い気はしていなかった。1ON1が決まったときの暗澹たる気持ちはすでに消えさり、清々しささえ感じるほどだ。

 気を良くし、翔太は言った。

「もういっかいやる?」

「うん」

 ふたりはそのあと、いく度となく攻守を入れ替えて仕切り直した。結果、勝負は翔太が大きく勝ち越して終了した。

 せめて春人のオフェンスにシュートかドリブか、という選択肢があればもっと均衡した勝負になったかもしれない。

 だが、そのスリーポイントシュートはまだ武器とよべるほどの成功率ではなく、春人はへなちょこドリブルで翔太を抜きにかかるしかなかったのだ。現にスリーポイントを打てるチャンスを、春人はなんども見送った。

「そろそろ終わろうか」

 成瀬がスポーツドリンクを持ってふたりをとめにきたときには、すでにあたりは薄闇につつまれはじめていた。

「いま何時?」

 Tシャツの袖で額の汗を拭いながら、翔太が尋ねた。

「六時過ぎてる」

「わっ」と、声を上げたのは春人だった。息を切らし、肩を揺らしながらもその声は軽快である。「一時間以上も1ON1やってたって、おれらヤバくない?」

「たしかに。現役のときでもやったことないわ」

 ひとしきり笑いあって、練習はお開きとなった。

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