第3話 転校生からはじまる異世界入門 3

 翔太が生まれ育った桜井市は、奈良盆地の東南、三輪山のふもとに位置する人口五万三千人ほどの地方都市である。

 三輪山伝説とともに纏向まきむく古墳群などの史跡も有名で、ヤマト王権の中心地だったとも言われている。

 山岳部には過疎地も多いが、桜井駅周辺や国道一六五号線を中心として市街地が広がっており、現在三人が通っている佐倉井高校も、その一帯にあった。

 翔太たちは溜まり場とも言うべき駅裏手のファミレスに着くと、いつものようにドリンクバーを注文し、それぞれ好みの飲み物を入れてから席に座り直した。

 奥のソファ席に中島と長谷川、向かいの椅子に翔太というのが最近の定位置だ。

 走歩大会への不平不満がひと段落したところで長谷川が切りだしたのは、現在放送中のTVアニメ『邪馬台国論争に俺が決着をつけることになってしまったんだが』の話題だった。

 このアニメはもともとネット小説で、翔太が自作小説を投稿している『カクヨム』に連載されていた作品である。

 書籍化されたのはもうずいぶんまえのことだが、アニメ化が決まったのは去年で、先月から放送がはじまった。言わば『カクヨム』作家たちのあこがれであり目標的な作品である。

 内容は王道異世界ファンタジーだが、作中で描かれる世界が弥生時代をモチーフにしているところが他の作品と一線を画す点である。

 まるで見てきたかのような緻密な世界観と緊迫感のある政治描写、危機迫るアクションがウリだ。

 この話題に身を乗り出してきたのは、それまで聞き役に徹していた中島だった。学校のなかや、興味のない話題に関しては無口だが、ひとたびスイッチが入ると饒舌になる。原作者の橘かのんが奈良県出身だというのも最近中島から聞いた話だった。

 長谷川が明るいオタクだとすると、中島はネクラなオタクといったところだろう。翔太は仮面オタク。実はオタクだが、外面は陽キャを気取っている。現に翔太のオタク趣味を知っているのは、この長谷川と中島だけだった。

 話は多岐におよんだ。アニメ化にともなってよりパワーアップされたアクション、はまり役の声優のおかげで倍増したヒロインのかわいさ、作品の世界観にかかわりなく、オープニングやエンディングでキャラクターたちにダンスさせることへの是非―――。

 中島の弁舌は止まらなかった。

「いつも思っててんけど、舞台が日本ってあんまりないやろ、そこがいいよな。ハイファンタジーって言ったら、中世ヨーロッパになるやん。それはそれで嫌いなわけじゃないけど……」

「それはおまえが日本史好きやからちゃう。おれはヨーロッパがいい。なんつっても、金髪碧眼のエルフと銀髪猫耳の獣人やろ」

「確かにそれは一理ある」

 翔太は長谷川の発言に力強く同意した。

 議論がひと段落したところを見計らって翔太がコップを手に席を立つと、おれもおれもと、ふたりがつづいた。

 トイレに行ってから席にもどると、長谷川と中島はスマホをいじっていた。しばらく無言がつづいたが、この面子で沈黙が気になることはもうない。

 翔太は追加したフライドポテトをつまみながら、だれかが口を開くのをぼんやりと待った。

 こんもりと盛られたポテトの山が半分ほどになったとき、「そう言えば」と中島が切りだした。

「最新話、読んだで」

 そろそろくると踏んでいた。待ってましたとばかりに、スマホの画面から顔を上げる。 

 長谷川と中島は翔太が小説を書いていることを知っている世界でたったふたりの人間だ。

「おれも読んだ。面白かった~」と、言い添える長谷川にひと言礼を言って、翔太は中島に視線を戻した。「で?」と、話のつづきを促す。この男の話がそれで終わるはずはない。

「まえも似たようなこと言ったと思うけど、章のはじめに長々と設定の説明するのはやめた方がいいな。読む気が失せる」

 中島は歯に衣着せぬもの言いで淡々と言った。

「ああ、やっぱそれひっかかるかあ。言われてみれば、どっかの書籍化作家さんもSNSでおんなじようなこと言ってたしなあ……わかってはいるねんけど、実際書くとなると、どこで何をどこまで説明したらいいかわからんねん」

「とりあえず物語進めながら、必要になったときに必要な情報だけをそのつど出していくべきやな」 

 中島の理論的なかつ明快な指摘は、五歳上の姉との長年におよぶ漫画談義のなかで培われたものらしい。

 翔太は中島の講評に全幅の信頼を置き、それを指標として連載をつづけている。中学生のころから漫画家をこころざし、現在同人誌などでBL作品などを描いているという中島姉の貴重なアドバイスを頂けるのもこの男のおかげだ。

「ところで―――」恒例となった中島の講評タイムが終わったと見てとるや、長谷川が口をはさんだ。意味ありげな視線に翔太の視線が絡めとられる。

「エアルちゃんからコメントついてたやん」

 作品に付けられた読者のコメントは、第三者の閲覧も可能だった。

「《楽しみにしています》やって」長谷川の顔はいかにも嬉しそうだ。「エアルちゃん、最近毎回コメント付けてくれてるんちゃう?」

「ああ、うん」

 翔太はつとめて平然と答えた。ニヤけそうになるのをこらえたつもりだったが、「なにが、『ああ、うん』やねん! 顏ニヤけてもうてるやん! 完全に恋してもうてるやん!」 

 興奮した様子で身を乗り出す長谷川を見るかぎり、まったくこらえきれてなかったらしい。

「あほか、会ったこともないのにそんなわけないやろ。それにネット小説読んでる女子なんか、ぜったい地味な女やで」

 翔太は顏を隠すようにストローを勢いよく吸った。空になったグラスの底がズズッと豪快に音をたてる。

「ネット小説書いてるヤツに言われたないやろ。しかもおまえって派手なタイプの女嫌いやん」

「まあ、そうやけど……」

 翔太が口ごもると、それまで無関心をよそおっていた中島が追い打ちをかけてきた。

「そう言えばこの前、SNSで盛り上がってたな」

 ペンネームのアキエダ・コウ名義で運用している短文形式のSNSのアカウントをエアルがフォローしてくれたのは、はじめてコメントをくれた数日後だった。

 フォローバックしたとき、翔太はDMで、《フォローありがとうございます。応援コメントにいつも励まされています。これからもよろしくお願いします》と送った。

 返ってきたDMは、《フォロバありがとうございます。応援してます》という簡潔なものだった。ここまではSNSをやっていればよくあることで、それより深い関係になることはあまりない。

 仲良くなったのはさらに二ヵ月後である。エアルがSNSでプロバスケットボールチーム『バンビーノ奈良』の話題に触れたことがきっかけだった。

 バスケットボールの、しかもB2リーグのチームをわざわざ好きこのんで応援する理由が、県内のバスケ経験者という理由のほかに考えられるだろうか(いや、考えられない!)。

 翔太はすぐにDMを送った。《さっきの話ちょっと驚きました。エアルさんはもしかして奈良県民ですか? じつはぼくは奈良県在住のバンビーノファンです》。

 それからときおりSNSを通じてやりとりするようになった。お互い高校生だということが関係が続いている最大の理由だろう。

 とはいえ、話題はバンビーノの試合内容や、テストの結果についてなど、差しさわりのないものばかりで、この半年でエアルについて知ったことといえば、奈良県在住の高校生で、バスケ経験者だということ。理数系が苦手で英語が得意だということ。暇なときはネットで動画を見たり、音楽を聴いたり、最近ではネット小説を読んだりしているということだけだ。プライバシーにかかわるようなことを訊かないのはSNSの鉄則である。

 中島がいま話題に出したのは、このあいだ行われたバンビーノの試合結果に対する翔太の書き込みに、エアルが返信したことからはじまったやりとりのことだった。

「公衆の面前でいちゃつくなや、恥ずかしい」

 中島が眉間にしわを寄せて言った。特定の女子と仲良くしていることを羨ましがっているというよりは、ほんとうに嫌悪している感じが長谷川とはちがう点だ。

 しかし翔太はそんな中島の苦言など気にもとめない。

「あのとき一時間くらいやり取りした」

「え、そんな続いてたんや」

 呆れたように小首を振ると、中島は興味を失ったようにスマホに視線を落とした。

 選手交代とばかりに長谷川が切りだす。

「会いたいって言ってみれば?」

「来るわけないやん。てか、さすがにそれはおれも恐いわ」

 エアルのことは単純に好きだ。ありがたい読者だし、DMのやりとりも楽しい。理想のタイプの女子として妄想したことがないと言えば嘘になる。

 だが、ネットのなかのことはネットのなかのこと、それを現実の世界に引っぱり出す気は毛頭なかった。

「まあ、そうやんな。めっちゃブスとかやったらガッカリやしな」

「アイコンがアニメのキャラっていう時点でその可能性大やろ」

 長谷川の暴言に中島が同意の意を示すと、ふたりは顏を見合わせて笑った。

 美人なら顔写真を使用するはずだという根拠のない偏見だ。本人たちもわかって言っているのだろうが、翔太は少々ムッとした。

「おまえらなあ!」

 ひと目を憚らずに声を上げると、長谷川が周りを気にしながら、まあまあ、とあわてて翔太を手で制した。

 気がつけば、店内は本格的に客が入りだしていた。子供たちの甲高い声が響きわたり、従業員が忙しそうにフロアを歩きまわっている。

 壁の時計はいつの間にか七時を過ぎていた。ドリンクバーとフライドポテトだけで空腹を誤魔化すのも限界だ。

「帰るか……」

 ずっと空席だったとなりの席に親子連れが腰かけると、入れ替わるようにして三人は席を立った。

 ファミレスを出たところで電車通学のふたりと別れ、翔太は自転車に乗った。

 道中、あのおさげ女の襲撃にビクついて―――猫が横切ってはハッとし、人感センサーの照明にドキッとしたりしたが、なにごともなく家までたどりついた。

 夕食と風呂をさっさと済ませ、八時過ぎには自室に引っこんだ。

 とてつもなくハードで、恐ろしく変な一日だった。崩れるようにしてベッドに倒れこんだが、妙な興奮で寝つけそうにない。

 翔太はのそのそとベッドから這い出ると、ローテーブルの上のノートパソコンに向かった。

 電源を入れてブラウザを立ち上げ、ツールバーの『カクヨム』をクリックする。

 嫌なことを忘れたいときや、心を落ち着けたいときに逃げこむのはいつも空想の世界だ。

 小学四年でミニバチームに入ってからバスケ一筋だった翔太が、フィクションの世界にはまったのは中三のときだった。

 バスケの公式試合で嫌な負け方をして眠れず、たまたまやっていた深夜アニメを見たことがきっかけだった。

 そのときのアニメがネット小説から出たラノベを原作にした作品だと知り、すぐにほかの作品を読み漁った。

 アクション、ミステリー、ラブコメ、ホラー。とくに夢中になって読んだのはいわゆる『異世界もの』。主人公に自分を重ねて現実からの逃避をはかった。

 自ら小説を書きはじめたのは高校に入ってからである。

 特別な理由がない限りバイトは禁止、バスケ部に入るつもりもなく、時間を持て余してのことだった。長谷川たちと知り合ったのもちょうど同じ頃、笑われることを覚悟で作品を読んでもらうと意外に好評で、中島に勧められるまま件のサイトに投稿しはじめた。

 翔太はお気に入りの、中世ヨーロッパを舞台にした異世界戦記を画面に呼び出した。

 自分が作品を投稿するようになってからというもの、ひとの作品を読む時間がぐんと減った。この作品にしても最後に読んだ章からすでに二十話ちかいエピソードが更新されている。 

 話の筋を思い出しつつ、翔太は作品世界へと徐々に入りこんでいった。眠りに落ちたのは三十分後、五話目を読みはじめてすぐだった。

 翌朝、昼前に目覚めると、母が買っておいてくれた菓子パンを食べつつ、あれやこれやとネットをさまよった。最終的に『カクヨム』にたどり着くと、小説管理ページに行ってPVを確認した。

 次いでエアルの最新のコメントを読み返してやる気を奮い立たせ、それから執筆にとりかかった。いつもの土曜日のはじまりである。

 中島に指摘された部分を書き直したり、SNSをチェックしたり、新しい章を書きはじめたり、調べものをしているうちにいつの間にかまったく関係のない動画を鑑賞してしまっていたりと、そんなことをしているうちにあっという間に連休は過ぎ去っていった。 

 いつもどおりの週末を過ごし、いつもどおりの月曜日を迎えるはずだった。―――が、いつもの月曜日はやってこなかった。あのおさげ女が三たび目の前にあらわれ、それによって、少々地味だが楽しく平穏な翔太の高校生活は一変したのである。

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