第2話 転校生からはじまる異世界入門 2
ふたりと別れ、翔太は自分の教室に入った。
仲の良い級友たちがまだ戻っていないのを確認しつつ、窓際うしろから二番目の自分の席に着いた。
座るなり、学生鞄からスマホを取りだして電源を入れる。まっさきに開くのは『カクヨム』。登録さえすればだれでも自作小説をネットに公開できる小説サイトのアプリである。
翔太が小説を書きはじめたのは半年ほどまえ。周二で更新をつづけ、すでに十万字ちかくをそのサイトに公開していた。
《エアルさんがコメントしました》という旨の通知が目に入った。
『カクヨム』には、公開している小説の各章ごとに読者から応援コメントが付けられるシステムになっているが、その最新話に読者からのコメントが寄せられていたのだ。
《最新話拝読しました。今回も面白かったです。主人公がこれからどう成長していくのか楽しみです》。
エアルという読者が度々コメントを残してくれるようになったのは去年の夏休みの終わり頃、レビューやコメントはおろか、閲覧数も伸びず、モチベーションを失くしかけたときだった。
《いつもはあまり小説を読まないのですが面白かったです。これからも頑張ってください》。
たったそれだけのコメントを何十回読み返したかわからない。
そのあと、閲覧数は少しずつ伸びていったし、ときにはコメントをもらえるようにもなったが、エアルほど熱心に応援しつづけてくれている読者はほかにいない。いままで曲がりなりにも更新をつづけてこられたのは、エアルのコメントのおかげと言っても過言ではなかった。
ニヤける口元を必死にこらえながらスマホ画面を眺めていると、級友の長谷川が前の席に腰を下ろした。
いつの間にかもうひとりの友人の中島も戻っていて、斜めまえの席からいつもの無表情をこちらに向けている。
「なあなあ、秋山、放課後のことやけど―――」
長谷川がきりだそうとしたとき、ちょうどチャイムが鳴った。慌てて立ち上がると、「あとでな」と言い残して廊下側の自分の席に戻っていった。
ホームルームの終了を告げるチャイムが鳴ると、教室は開放感に包まれた。今日の授業はこれで終了。明日あさっては土日で学校は休みだ。
これから遊びに行くと言いだす級友たちの気持ちはわからないわけではないが、月曜の放課後には春人のシュート練習につき合わなければならないこともあって、はやく帰りたい気持ちが強かった。
長谷川たちに捕まれば、直帰できなくなるのは目に見えいている。翔太は、ふたりに見つからないよう、どさくさに紛れて騒がしい教室をそっと出た。
体育館裏手の駐輪場にはいつもどおり二十台ほどの自転車がとまっていた。一番手前で燦然と光り輝いているのがわが愛車だ。濃いブルーのフレームに黒のサドル、シルバーのカゴがついている。
翔太は駐輪場から抜け出して校門へと向かった。
ほとんど自転車通学の生徒しか利用しない西側の通用門の外は住宅街になっていて、大多数の生徒が通学に使う県道に出るには、狭い道をまっすぐ数軒ぶん行って左に曲がらなければならない。
いつもどおり門を出て、自転車にまたがろうとしたときだった。ふいにあらわれただれかの影が自転車のまえで立ち止まった。
サドルに落とした視界に女物と思しき靴が見えた瞬間、ハッと息を呑みこんだ。
嫌な予感が脳裏をよぎる。このまま気づかぬふりで立ち去りたいが、うつむいたままではそれもできない。翔太はおそるおそる顔を上げた。
果たして予感は的中した。目のまえにいたのは、まちがいなく崇神天皇離宮跡で出会った少女だった。
なんで学校がばれているのだろう? 翔太は自問自答した。佐倉井高校の三輪山マラソン大会は地元では有名だ。状況からここの生徒だと感づいたか。
だが、それならそれで正門で待ち受けるのが筋だろう。こんなひと気のない通用門で待ち伏せするというのは考えにくい。―――いや、ちがう。そんなことは重要ではない。なんでおれに付きまとう? そもそもの理由がわからない。
発熱するほど脳はフル回転していたが、次の瞬間、女が口にした言葉に思考は一時停止した。
「秋山君!」と、少女はたしかに言った。「ちょっとだけ話聞いてくれないかな」
学校のみならず名前バレまでしていることに、人生ではじめて戦慄するという感覚を知った。
あたりを見渡し、必死で知り合いを探したが、人影ひとつ見当たらなかった。
翔太はあきらめて、切り出した。
「あの……おれ、ちょっと急いでるんで……」
相手を刺激しないようやんわり言うと、素早く自転車にまたがった。緊張と疲労で膝が笑い出している。それでもなんとかペダルに足を掛け、踏み込もうとした。が、そのとき少女が自転車のカゴをつかみ、言った。
「お願いです! 人助けだと思ってちょっと聞いてください!」
「いや、まじで急いでるんで!」
こうなったら強行突破だ。翔太は決意し、ゆっくりとペダルを踏みこんだ。
―――が、不思議なことに自転車はピクリとも前進しなかった。
少女はかなり小柄である。背丈はおそらく一五〇センチ程度。見た目に似合わず足腰の鍛え方は一流アスリートのそれらしい。
翔太は加減していた力を開放し、思いっきりペダルを踏みこんだ。
しかし、またもや自転車は微動だにしなかった。タイヤがアスファルトのうえを空回りして唸り、ゴムが摩擦する嫌な匂いが漂ってきただけだ。まるでエクササイズ用のエアロバイクをこでいるような錯覚に陥ってしまった。
恐怖は徐々に苛立ちにかわっていった。全力でペダルをこいだにもかかわらず、小柄な少女に完全に敗北を喫したのだからそれも無理からぬことだった。いくら疲弊しているとはいってもプライドはズタズタだ。もともと気の長いほうでもない。
もはや最後の手段に出るしかなかった。
あきらめてペダルから足を下ろすと、翔太は覚悟を決めて顔を上げた。はじめて正面から少女の顔を見据える。乱れた息を整え、そして厳かにこう言った。
「これ以上つきまとったら通報するから」
「ええ!」少女は両目を見開き、頓狂な声を上げた。「つ、通報⁉」
予想外の反応だった。通報がここまで効くということは思ったより常識人なのかもしれない。
と、そう思った矢先だった。早口でしゃべりだした少女の、その口から出たのは想像のはるか斜め上をいく言葉だった。
「いままで言いそびれちゃってたけど、わたし異世界から来たの!」
翔太は口をぽっかり開けたまま途方に暮れてしまった。恐怖はすっかり消え去り……いや、ここまでガチの中二病っておるんや、というあらたな恐怖が芽生えはしたが、どう反応したらいいのかわからなくなった。
呆気にとられる翔太をよそに、少女はしゃべりつづけた。
「異世界に来たらまずやることあるでしょ? 秋山君ならわかるよね⁉」女は身を乗り出して尋ねた。黙ったままの翔太に、「そう!」と、自ら相槌を入れ、その問いに自分で答えた。「人助けだよ、人助け! 右も左もわからない世界で人脈をつくっておくことはどんなチートスキルを得ることより重要なんだよ!」
「いや、おれやったら知ってるってどういう意味やねん! 知らんわ、そんな異世界あるある!」つい口調が突っ込みふうになってしまった。いかんいかん。翔太は反省しつつ、咳ばらいをひとつ入れ、こうつづけた。「とにかく、いますぐそこどいてくれへんかったら、まじで通報する」
翔太は自転車のスタンドをたてると、時間をかけて鞄を手に取った。わざとそうした。落ちつきはらった態度とは裏腹に、頼むから退いてくれ、と内心では祈っている。通報なんて本当はしたくないのだ。いまのこの状況を警察にどう説明したらいい? そもそも自分は被害らしい被害を受けていない。場所が場所だけに学校にも知られることになるだろう。
少女がいまにも泣きだしそうな顔でカゴから手をはなしたのは、スマホの電源を入れたときだった。
ほっと胸を撫で下ろしてサドルにまたがろうとしたとき、背後から名前を呼ばれた。
ふたたび心臓が跳ねあがったが、すぐに長谷川の声だと気づいた。
ふり向くと、連れだって歩くふたりの級友のすがたが見えた。結局捕まってしまったが、いまは安堵の気持ちのほうが強かった。
「逃げられると思ったんか!」
長谷川は、ニヤニヤしながら翔太に追いつくと、愛車のカゴに自分の鞄を投げこんだ。ついて来い、とばかりにすたすたと歩いていく。長谷川に倣って鞄を置きつつ、中島が言った。
「こんなとこでつっ立ってたら通行人の邪魔やで」
言われて初めて自分が校門の真んまえで立ちつくしていることに気がついた。「そうや、この女がな―――」あわててふり返ってみたが、すでに少女のすがたはない。
「女?」
ふたりが同時に怪訝な表情を向けてきた。
「いや……」聞いてほしいという気持ちはあるが、うまく説明できる自信がなかった。深いため息とともに気持ちを切り替えると、翔太は尋ねた。「まじで行くん?」
「当たり前や、な、中島ァ」
長谷川の声はつきぬけたように能天気だ。中島の背中をバシンと叩いて同意を求めると、中島は衝撃によろめきながらも賛同の意を示した。
翔太はふたたびため息を吐くと、ふたりを追って歩きだした。
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