恋する気絶

 学校へ行って家に帰ってきては、調べ物をする日が数週間すぎた。城と勘違いするような、豪華な自室。パソコンやら小説やら本やらを、あちこちに広げて見ていたが、光命は答えをとうとう探し出した。

「……恋?」

 あの感情を表す言葉は、どうやらこれらしい。十二歳の少年に芽生えた心情。情報が何もない出来事に出会ってしまって、光命は言動を決める手立てがなかった。

 両肘を机の上について、一人きりの部屋で視線を落ち着きなくあちこちに向けながらボソボソと言う。

「夕霧も僕と同じだろうか? 聞いてみたらわかるかもしれない」


    *


 服装自由な中等部の教室。人間以外の生徒が笑い声を上げて話している中を、光命の靴は進んでゆき、窓から外を眺めている夕霧命に問いかけた。

「僕のそばに来ると、ドキドキしたり、嬉しいと思うかい?」

「急に何の話だ?」

 はしばみ色の瞳から青空は消えて、従兄弟の冷静な水色の目がふたつ映った。疑問形に疑問形で返してきた夕霧命に、光命は理論をぶつける。

「僕の質問に君は答えていない。ルール違反だ」

「嬉しいとは思うが、ドキドキはしない」

 正反対の性格である夕霧命は真っ直ぐ素直に答えた。光命はいつもと違って少し返事が鈍かったが、

「そうか。ありがとう」すぐに立ち去ってゆく。

「何だ? 最近、光の様子がおかしい」

 どんな時も一緒にいたから、ちょっとした変化に気づいてしまうもので、紺の長い髪が揺れて、廊下へ出て消え去ったのを、夕霧命は見送ったままだった。

 従兄弟のふたりが仲がいいことなど、他の生徒はよく知っていて、変化が起きていると誰も気づかなかった。

 夕霧命の前に今立ったが、やはり同じように感情が揺れてしまったのを、デジタルに脳に記録しながら、光命は足早に廊下を歩いてゆく

(ドキドキはしない。夕霧は恋をしていないのか? 僕だけなのだろうか?)

 十二歳の少年に、自分と従兄弟の違いが、どこからどうやって生まれてくるのか知る由もなく、ドキドキしない理由がわからなかった。


    *


 全ての生徒の成長をと願う学校で調整されたクラスである以上、光命と夕霧命が別のクラスになることはなかった。朝のホームルームが始まる前に、いつもリムジンで登校する夕霧命は、狼のクラスメイトが従兄弟に話しかけたのを廊下を歩きながら見ていた。

「光くん?」

「やあ」

 CDを手渡しながら、ふたりで楽しそうに話している。

「この間のこれ、ありがとう。とても興味深かったよ」

「そうか。そう思ってくれたら、貸した甲斐もある」

 光命は柔らかく微笑むと、担任教師の龍が教室へ入ってきた。光命は瞬発力を発して、一番最初に頭を下げる。

「先生、おはようございます」

「おはよう。今日もいい挨拶をするな。早秋津はやあきつは」

「ありがとうございます」

「学級委員長を初等部からしているだけあるな」

 優等生はいつもクールで、優雅で貴族的。小さい頃から基本的なところは変わらないが、大きくなるたびに失敗することが減ってゆく。

 いつもいつも、はしばみ色をした無感情、無動の瞳には、青の王子という名を持ち始めた光命が映っていた。

 先生が教卓に立つと、朝のホームルームが始まった。夕霧命は窓から朝のさわやかな空気を吸い込む。

(気づくといつも光を目で追っている。そうか、俺は光が好きだ――)

 教室にいる生徒たちと先生の誰にも、夕霧命の恋心は気づかれなかった。廊下の端の席に座って、後毛を神経質な指先で耳にかけている従兄弟。

(光もおそらく俺に対してそうだ。様子がおかしかったのは、このせいだったのか)

 ふたりの違いは、恋という名の大嵐での立ち位置と一緒だ。光命は荒れ狂う海。夕霧命は揺るぎない防波堤。正反対の性格だからこそ、同じ物事に出会っても、対処が変わってしまったのだった。


    *


 光命は誰にも気づかれないように細心の注意を払い、恋の情報を集め続けて、今日で二年の月日が流れた。

 十四歳、やり直しが終わるまであと、四年。

 将来はピアニストとして曲を作ろうと決めていて、今からも書きためておこうとしているが、どうやっても、光命の神経質な指先は止まってしまうのだった。

「あちこち調べた。他の人の話も可能性を導き出す材料として聞いてきた」

 地上ではなく、神世であるがために、光命は大きな壁にぶつかってしまい、鍵盤から手を力なく離した。

「でも、どこにも男性が男性を好きになったなんて話はなかった。地球という場所ではあるらしいけど……。それは肉体の不具合が原因だって」

 たった0.01のズレが許せない性格。彼の若さが自分の心を鎖で拘束してゆく。

「ルールはルールだ。だから、僕が夕霧を好きなのは何かの間違いだ」

 思春期の少年は一番してはいけない、自身を否定し始めた。

 授業もあまり身が入らず、記録はするが可能性を導き出すまでにはほとんどいかない。あごに手を当てて両腕を組み、どんな時でも考え込むようになった光命は、部活動で活気のある校庭のすぐ近くを歩いていた。

「それとも、僕は自分勝手になって、神のご意志にそむいているのだろうか?」

 説教ではそんな話もあった。自分を律した先に、他人を優先させて、自身が幸せを感じられることがあるのだと。

「とにかく僕はルール違反をしている。だから、彼への想いは忘れるべきだ」

 様々な動物たちが二足歩行で、サッカーをしているグラウンドの隣を、光命は一人ボソボソ言いながら通り抜けてゆく。

「忘れることができる可能性の高いものを探さないといけない」

 愛に出会えば、それが真実であり、永遠に続いてゆく世界。片思いの相談はたくさん載っているが、最後のオチは必ず、相手も好きだったという両思いの話ばかり。

 はっきり言ってバカップルだらけの神界。別れというものはない。終わらせ方もない。

「人を好きになったことを取り消すなんて情報はどこにもない。片思いが両思いになったや、付き合っていたが結婚したしか事例がない。僕の今までの情報から可能性を導き出すしかない」

 どこでどうやって、恋に出会ってしまったのかと、光命は全てを記憶する頭脳を正常に稼働させようとしたが、白と黒の大きなボールが勢いよく向かってきて、

「夕霧がそばにいることで、ドキドキするようになったのは、五年前の――っ!」

 光命の頭に、サッカーボールが直撃して、ぶつかるという危険を予測できなかった、優等生はそのまま地面に仰向けに倒れた。

 サッカー部の生徒たちが慌てて走り寄ってきた。

「大丈夫か?」

「ごめん、ボール間違って飛んでいっちゃって」

 目を閉じたまま、動かない光命。死がない怪我がない病気がない世界で、生徒たちは線の細い体を揺すぶってみた。

「光くん?」

「眠った?」

「どうした?」

 光命をあの日からずっと目で追いかけてきた夕霧命が走ってやってきた。危機感がない生徒たちは、無感情、無動の瞳を見上げて首を傾げる。

「あぁ、夕霧くん。光くん、目を閉じたまま動かないんだけど、どうしたのかな?」

「光? 光? 俺が運ぶ」

 従兄弟の様子がおかしい。学校で倒れて、目を開けないなんて、そんな生徒は今までいなかった。夕霧命は光命をお姫様抱っこして、保健室へと向かった。


    *


 利用者が滅多にいない保健室に、明かりがついていた。学校から連絡を受けた両親はびっくりして、リムジンでくることもせず、瞬間移動でやってきた。

 光命はすぐに目を覚ましたが、ベットに腰掛けて、夕霧命と見守っていた。先生の話がさっきからリピートし続けていることを。

 カンガルーの保険医が両親に、あきらめずにもう何度したのかわからない説明をする。

「気絶というものです」

「どういうものですか?」

「我々、魂で存在するものには起こることは滅多にないんですが、肉体というものにはよく起こります。意識がなくなるんです」

「それは眠っているのではないんですか?」

「そうではなく、自分の意思に関係なく、意識がなくなるんです」

 急に眠くなることだってある。両親は何度聞いてもやはりわからず、ため息まじりにうなずくしかもう方法がなかった。

「はぁ……」

 ガラス細工のようなはかなさを持つ光命を、カンガルーが見つめると、紺の長い髪がサラサラと窓からの風に揺れた。

「物が当たったぐらいではならないのですが、息子さんは繊細な性格なのかもしれませんね。また倒れるようなことがあれば、病院を訪れるといいですよ」

「はい、ありがとうございました」

 この事件は氷山の一角だと、まだ誰も気づいていなかった。


    *


 十五歳――高校二年生。腰の重い従兄弟に転機が訪れた。学校の中庭にあるベンチで、深緑の短髪の背後から、光命が顔をのぞかせた。

「何を見てるんだい?」

「武術を習いに行くことにしたんだが、道場の候補を絞ろうと、動画を見ていた」

 大会の応援にこれで行けるという可能性が出てきて、光命は嬉しそうに夕霧命の横へ座った。

「淡々と物事をこなす君にはいい習い事かもしれない。動画を見せてくれるかい?」

「構わない」

 渡された携帯電話の画面には、袴姿の男ともう一人映っていたが、光命は以外というように言った。

「猫……?」

「そのまま見ていろ」

 触れてもいないのに、相手が倒れるという武術だったが、ちょっとした隙に、真っ白な毛皮に覆われていた猫は、小さなおじいさんに変わってしまった。

「……いや、人間に変わった。魔法という可能性もあるけど……」

 夕霧命は珍しく目を細めながら、首を横に振った。

「魔法ではない、武術の技だ。道場は数あれど、姿形を変えて教える人間はこの人だけだ」

 原理が知りたい。理論的に物事を捉えたい。あごに手を当て考え始めた光命。

「どうやって変えているんだろうな? やはり姿形は魂が強く関係するから、心を変えるという可能性が高いだろうか?」

「お前が考えてできるくらいなら、世に中、達人だらけになっている」

 もっともな意見を真っ直ぐぶつけられた光命は、デジタルに記憶を持ってきた。

「これは剣を使っていないから、去年話してくれた無住心剣流むじゅうしんけんりゅうとは違うってことかい?」

「そうだ。これは合気あいきだ」

 争い事のない神世。武道は完全に芸術の域へと達していた。同じ芸術家――音楽家を目指している光命は興味をそそられる。

「どういう武術なんだい?」

柔術じゅうじゅつの内でもテコの原理と気の流れを使ってかけるものだ」

「最小限の力で最大限の効果を発するという、物理の授業でやった。柔術とは?」

「柔道という武器を使わず戦う武道がある。その元となったものだ」

「気の流れとは何だい?」

「その人間や物の性質を形作っている、目に見えないエネルギーの流れだ。俺とお前はまったく違う」

「どこがどう違うんだい?」

 そうして、お互いに恋心を抱いているのに、ドキドキしたりしないかの違いが生まれている理由が武道を通して、高校生ふたりに共有された。

「光には頭の冷静さと感情をつかさどる気の流れがある」

「俺にはそれはなく、お前が持っていない落ち着きのある気の流れが腹にある」

「君には感情がないってことかい?」

「そうだ、お前のようにはない」

「人の性格にまで関係するんだな、気の流れとは」

「俺とお前が持っていない重要なものがある。それは正中線せいちゅうせんだ。これが武術を極めるためには絶対条件になる」

「じゃあ、君はそれを体得することが当面の目標だな」

「そうだ。この気の流れを使えば、相手や物の重さの体感を軽くすることもできる。そうすれば、通常よりも簡単に投げ飛ばすことができる」

 理論がある武術。音楽にも理論はあり、似ているのにまったく違うのだった。光命は純粋に、今までの自分たちのルールが守られていて嬉しくなった。

「僕ができないことを君はする。夕霧らしいいい選択だと僕は思う」

「お前のピアノの指遣いにも通じそうな気の流れと、体の使い方を見つけた。きちんとできるようになったら、お前のために教える」

 従兄弟の優しさが胸をキュンとさせる。しかし、それを懸命に打ち消して、光命は優雅に微笑んだ。

「ありがとう。でも、君がまずは楽しんでほしい」

「お前はいつでも、相手のことが優先だ」

 光命は晴れ渡る空を見上げて、自分に言い聞かせるように言葉を口にする。

「僕はそれが幸せなんだ。誰かが幸せになるために、何かをしたいって思うのが普通だろう?」

「確かにそうだ」

 いつもと変わらない従兄弟の隣で、夕霧命は目を細めて微笑んだ。

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