青の王子と不機嫌王子

 数年前――

 春休みに入った子供たちと、蓮は家族そろっての朝食をしていた。

 生まれていきなり十八歳になってしまった彼には、当然子供の頃の記憶がない。大人としてスタートを切るのは、いくら神様だって無理がある。ということで、幼い頃からのやり直しを通常の百倍の速さで時が流れる場所でして、あれからかれこれ五年が過ぎた。実際には、蓮は十八歳でも五歳分しかまともに生きていないのだった。

 それでも、子供が四人も生まれ、父親らしくなった。相変わらず超不機嫌顔で、俺様全開で口数が少ないところは変わらなかったが。

 怒ってどこかの部屋へフラッと行ってしまい、ヴァイオリンを弾いてばかりだったが、彼がとうとう大人として大きく一歩踏み出そうとしていた


 おかずのタコさんウィンナーを子供たちに取り分けていた倫礼りんれいは、夫の意見を聞いてふと手を止め、感心したように何度も大きくうなずいた。

「いいんじゃないかしら? ヴァイオリンの才能あると思うし」

「明日、恩富隊に行って所属の契約を結んでくる」

 事務所が断る通りはない。神代は永遠の世界。才能さえあればアーティストの努力次第で、いつかは花開いてどこまでも伸びていく一方だ。入りたいと望めば、所属だけはできるシステムだった。

 世に出る足ががりを一方踏み出した、明智の婿養子――蓮だったが、小学校に上がって数年経つ子供たちは、朝食やテレビに夢中で特に反応は見せなかった。

 倫礼はトーストにバターを塗りながら、おまけの倫礼の記憶を使って、広い世界の中を彼女なりにリサーチした。

「この世界ならクラシックも需要が十分あるし、いい仕事になるわよ」

 プリトマトを手でつかもうとしていた息子――百叡びゃくえいが真っ先に反応し、蓮の銀の長い前髪を見上げた。

「パパ、音楽やるの?」

「そうだ」

「パパのヴァイオリン、すてき〜♪」

 まだ小学校に上がっていない、我論うぃろーが椅子の上で足を嬉しそうにパタパタさせた。

 神様の世界には、人間と同じように様々な動物――種族が暮らしている。彼らも当然音楽を好きで、アーティストになっている人もたくさんいる。一流のアーティストに神世でなるためには、人間の価値観を超えてゆくことが必要不可欠だった。

 浮ついた気持ちのない蓮は、冷たいミネラルウォーターを一口飲んで、日の目を見ない日々が何千年続こうと、地道に努力し続ける覚悟はもうできていた。

「アーティストとして売れるかどうかは別問題だが、才能を生かしてみる」

 様々な人がいるから需要もあるが、競争率は激しい。何百億年も生きている人――神と肩を並べて挑戦してゆくしかない。奇抜さが求められる芸能関係は特に厳しい世界だった。


 倫礼は子供の汚れてしまった手を拭きながら、地上で生きていた時のことを思い浮かべた。

「大丈夫よ。人間界よりも、自分の向いてる仕事につけるから、努力次第でCDを出して、ツアーもするかもね」

 蓮とは違って、やる気という感情が燃料の倫礼の隣で、百叡は嬉しそうにフォークを持つ手をかかげた。

「パパのコンサート!」

「行く」

 隆醒りゅうせいは食べかけのトーストから口を離して、珍しく微笑んだ。娘の美咲みさきは相変わらずで、テレビの占いに夢中だったが、ママに似て抜け目なく聞いているのだった。

「パパ、魔法使って、花びらとか降らせるとウケるかもね」

 本当にやるとしたら大変なことだ。花を買ってきて、一枚ずつ花びらを取る。上から降らせる装置を考えて、タイミングまで測る。その点、魔法なら後片付けもいらない。自分一人で何もなくてもできるのだ。

 神世でも魔法使いはそうそういない。それは人と違うという、立派な個性となるであろう。家族の愛にも包まれて、いい門出を迎えられそうで、蓮は少しだけ珍しく微笑んだ。

「あ、あの……」

 百叡が足元へ寄ってきて、何が言いたげな顔をしていた。

「何だ?」

 愛想など不要と言わんばかりに超不機嫌で言うものだから、百叡はしどろもどろになって、バターとジャムをたっぷりと塗ったトーストを頬張っている母に助けを呼んだ。

「ママ?」

 倫礼は口の中のものを飲み込んで、

「百叡、自分のことなんだから、自分できちんと言いなさい」

 息子は呼吸を整えて、もう一度父を見上げ、勇気を振り絞った。

「パパ、ピアノ習いたいの」

 ヴァイオリニストであって、ピアノは弾かない。蓮はそう思って、話を降ってきた倫礼へ素早く鋭利なスミレ色の瞳をやった。

「なぜ、俺に聞く?」

「私は音楽があまり得意じゃないけど、あの子(おまけ)のお陰で少しは音楽をかじったから、わかるのよ。百叡、ピアノの才能があるみたい。だから、子供相手の街の教室じゃなくて、蓮の事務所にいるピアニストの人にお願いしたほうがいいんじゃないかしら?」

 蓮は返事もせずに、ミネラルウォーターを一気に飲み干し、軽く嘆息する。時々、妻は先走りの性格が出る。

「事務所へ行くのは今日が初めてだ」

「きっとすぐ見つかるわよ」

「なぜ、そう思う」

「何となく?」

 蓮はあきれた顔をして、窓から入り込む朝日をじっと見つめていた。妻はいつもそうだ。俺と違って、直感があるものだから、脈略のない話をしてきて……だが、振り返るとそのとおりだったりするのだ。

 


 最上階にあるガラス張りのオフィス――。落ち着きのある淡いグレーのスーツを着た女が立派なソファーに座っていた。

 応接セットのローテーブルで、散らばっていた何枚かの紙が寄せ集められ、トントンと端を綺麗にそろえられる。

 この部屋のあるじ――弁財天べんざいてんはソファーから立ち上がって、向かいの席に座っていた蓮に握手を求めた。

「これで契約の書類は終了よ。ようこそ、恩富隊へ。あなたのことを歓迎するわ」

「ありがとうございます」

 所属の手続きは終了した。秘書が書類を持って部屋から出てゆく。握手も終わり、ソファーへ再びつくと、社長がさっそく話を切り出した。

「どんなジャンルをやりたいの?」

「クラシックです」

「そう。需要は十分あるけど、以前からしているアーティスが多数いるから、新しく切り込むのはちょっと難しいかもしれないわね」

 弁財天はため息まじりにうなずいて、懸念を正直に口にした。

 ヴァイオリンを昔から弾いていたのではなく、その楽器を創造した人もいる世界。向上心のない人物はどこにもいない。音楽の神として、人間を守護してきた経験のある人は大勢いる。普通に勝負していては、追い越すどころか、追いつくことさえ叶わない。

 蓮というアーティストを求めている人たちが世の中にいるかもしれない。それに今は原石だったとしても、本人の努力次第で輝く宝石へと豹変することもある。だから、本人の気持ちも十分に汲みたいと、弁財天は願った。

 ならばなおさら、売り方をしっかり練っていかなければいけない。この世界で一番大きな音楽事務所の社長は戦略にけていた。他の誰もが持っていない何かが、この目の前にいる男にはあるのではないかと、じっと見つめる。

 生まれて間もない蓮は何が人々の興味を引いて、好まれるのか、世の中の動向をよくつかめないでいた。

「…………」

 黙ったまま不機嫌な顔をしていた蓮だったが、弁財天はすぐに気づいた。

「あなた、陛下に似てるわね?」

「分身の一人です」

 突破口が見つかったと、弁財天は思ったが、

「それを売りにするっていうのはどう?」

 皇子おうじの一人はこの事務所に所属して、ヘビーメタルで成功を収めているという話は有名だった。しかし、蓮は銀の長い前髪を横へ揺らした。

「俺と陛下はもう関係ありません」

 あの時、人払いされた執務室でそう言われた。それが約束だ。自分で道を開けと、陛下は仰っているのだと、それが自身のためになるのだと、蓮は硬く信じていた。

 弁財天は窓の外で斜めに空を駆けてゆく龍を見上げる。

「そうすると、何か他のことを足さないといけなくなるわね」

「他のことを足す……」

 あの龍の価値観にも対応できるジャンルを、蓮は考え始めた。すぐに答えが見つかるものでもなく、社長は慣れた感じで話をまとめようとした。

「それをまず考えるところからスタートかしら?」

 蓮の脳裏に浮かび上がった。おまけの倫礼がバカみたいに繰り返し聞いていた曲のことが。

「……R&Bとクラシックを足す」

 社長は窓から視線をはずし、蓮を真っ直ぐ見つめた。

「うん、そうね。いいんじゃない? それをしているアーティストまだいないから曲は書けるの?」

「はい、鍵盤楽器ででもできます」

 やり直しの中で、義理の父と母にさせてもらったことのひとつが、ヴァイオリンを習うことだった。幼い頃の日々の中で、先生から言われて作ってきた経験はあった。

 おまけが若い頃目指していた職業はシンガーソングライター。その過去はあの大きな本棚の中にまだひっそりと生きていた。ピアノの指遣いやコードネーム、スケール(音階)の本など。アーティストを目指す蓮にとっては宝庫だった。

「そう。じゃあ、曲ができ上がったら、デモでいいから聞かせてちょうだい?」

「わかりました」

 蓮は礼儀正しく頭を下げた。どこにも所属せず、アマチュアとして過ごしてきたアーティストに、社長から注意が入った。

「これからは、何か活動する時は必ず事務所を通してからにして」

「はい、よろしくお願いします」

「えぇ、こちらこそ」

 弁財天がそう言うと、蓮は朝に息子に頼まれたことを切り出し、

「それから、ピアニストの方を紹介していただけませんか?」

「なぜ?」

 聞き返した弁財天に、蓮はもうひとつの要件を告げた。

「うちの息子がピアノを習いたいと言うものですから」

「そう。一人募集しているアーティストがちょうどいるわ」

「名前をうかがえますか?」

早秋津はやあきつ 光命よ」

 雷にでも打たれたような衝撃が、蓮の全身を貫いた。瞳の焦点は急に合わなくなり、口の中でつぶやく。

「光命……」

「どうかした?」

 弁財天に顔をのぞき込まれても、おまけが内緒にしていることを教えるわけにもいかず、蓮は気を取り直して首を横へ振った。

「いえ、何でもありません」

「私から彼に話しておいたほうがいいかしら?」

「はい、お願いします」

 蓮は椅子からさっと立ち上がり、すらっとした体躯を青のスーツがジャープに見せながら、ドアへと歩いてゆく。

「失礼いたします」

 銀の前髪がサラサラと揺れると同時に、ドアは開けず、瞬間移動で消え去った。弁財天は残りのお茶を飲み干して、書斎机へ向かった。


 格好よく廊下へ出たのはよかったが、方向音痴の蓮はさっそく迷った。

「広い。出口はどっちだ?」

 ガラス張りのオフィスで、社長室の近くともなると、歩いているスタッフの数も限られていて、蓮は方向もさだめずにとにかく廊下を歩き出した。

 網目のようになっているフロアを進んでいると、少し離れたところで男の声が聞こえた。

光命ひかりのみことさん!」

 蓮は思わず足を止めて、

「光命――!?!?」

 あちこち視線を向け始めた。

「どこだ? どこにいる?」


 妻が夢中になった男がすぐそばにいる――。


 直接会ったこともない、話したこともない、おまけの倫礼の健在意識にも残っていない男。まばらな人影を見つけては判断しようとするが、誰がそうなのかわからなかった。

 青の王子――光命がモデルになったテレビゲーム作品は数が多く、おまけの記憶と一緒に彼のイメージは蓮にもわかっていた。すべてのキャラクターのイラストを見たが、ひとつの作品を省いては、必ずメガネをかけていたのだった。

 しかし、視力の低下など起きない神界ではかけている人などいない。本物はきっと雰囲気が違うのだろう。だからこそ、蓮はこの目で確かめたかった。おまけの倫礼が夢中になるほどの男の姿がどんなものなのかと。

 見逃してしまうかもしれないと思った時、遊線ゆうせん螺旋らせんを描く優雅で芯のある男の声が並行して走る廊下の向こう側で浮き立った。

「えぇ、どうかされたのですか?」

「っ!」

 慌ててそっちを見ると、すらっとした逆三角形のシルエットを持つ男がたたずんでいた。

「あれが、光命?」

 上品な白いカットソーに、黒い細身のズボン。茶色のロングブーツがおしゃれ感を際立たせる。軽くクロスされるように、細身を強調するようなポーズだった。

 春らしい薄手のカーディガンは抜群のセンスであり、高貴を意味する紫色で腰元で細い紐が緩やかに結ばれていた。

 紺の長い髪は縛られることなく、肩より長いままハリツヤを十分に含んで、冷静な水色の瞳が冷たい印象を与えるのに、優雅な笑みがそれを緩めていた。

 ほとんど背丈の変わらない蓮に、何もかもが強く印象づけるように時の流れはスローモーションになって、光命に釘づけになった。


「綺麗だ――」


 それが彼の第一印象だった。美的センスに革命を起こすようでいて、安定感がある。まるで鍵と錠前――。自分の欠けているところを、全て持っているようだった。

 そのまま廊下で、スタッフと軽い打ち合わせを始めた光命を、蓮は鋭利なスミレ色の瞳をじっと見つめる――いやガン見しつつ、おまけの倫礼のことを考え始めた。

「見た目が綺麗だったから、おまけは好きになったのか?」

 かれる気持ちはよくわかった。まわりを歩いているスタッフも時々 見惚みとれているようで、立ち止まっている人々が多い。人間の女など瞬殺で惹きつけられるだろう。

 しかし、蓮はすぐに否定の一途をたどった。

「いや、あれは見えていなかったはずだ。では、なぜ好きになった?」

 おまけの霊感は劣っていて、幽霊は見えないし聞こえない。神の声は聞こえても、姿は見えないと穴だらけのものだった。唯一、神の五歳の子供だけが見えるという、何とも幅の狭い霊感であった。


 光命が話を終えて歩き出しても、蓮は鋭利なスミレ色の瞳でどこまでもどこまでも追いかけて、何とか何とか答えが出るまで見ていた。いや、蓮にはそれしかできなかった。

 呼び止めて、何と言えばいいのだろうか。いつかは消滅する妻が、あなたのことを生まれた時から好きだったと説明するのか。

 おまけの記憶と足算をすれば、光命は地球という存在だけは知っているのだろう。しかし、興味もなければ、死という恐怖も知らない神界育ちだ。

 戸惑うだけならまだしも、迷惑だろう。光命がパートナーと出会ったのは、もう十年以上も前の話だ。結婚もして子供もいるだろうし、今さらそんな話をしたところで、何になるのだろう。

 蓮は決め手にかけて、鋭利なスミレ色の瞳でただ見ていることしかできなかった。その言動は、相手の光命からすればこう映っていた。


「なぜ、あの方は私を見ていらっしゃるのでしょう? おかしいみたいです」


 冷静な水色の瞳はガラス窓を一枚通して、斜め後ろに立っている銀髪の男を鏡のようにして映してうかがっていた。

 こうして、この世界に決してくることができない、おまけの倫礼を間に挟んで、男ふたりはお互いを意識するようになってしまったのだった。

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