第96話 メシを食いに来ること、おごらレイヤーの如し

 俺とみなみは、武田軍の陣の最前線まで迎えに出た。


 長尾ながお軍からやって来たのは、長尾為景ながお ためかげ高梨政頼たかなし まさよりだった。

 二人は陣の外で待っている。


「二人だけです」


 俺の護衛としてついてきた風魔小太郎ふうま こたろうが、ボソリと小声で教えてくれた。

 護衛はなし、単身で乗り込んできたか。


 二人は鎧兜姿で、最低限身を守れるが、それにしても二人だけとは……。

 下剋上を成し遂げた人物だけあって、さすがに度胸が良い。


 俺が手を上げて合図をすると、竹矢来たけやらいと有刺鉄線の一部が取り外され陣の外から中へ道が出来た。


 俺はニコリと笑って、長尾為景に話しかけた。


「俺は武田晴信です。食事ですか?」


「ああ。馳走になれると聞いてきた。長尾為景である!」


 長尾為景は、口を大きく左右に引き延ばして獰猛な笑顔で答えた。

 俺と長尾為景の視線が交差し、しばしにらみ合う。


 辺りの空気が重くなった。

 武田家の兵士たちが、不敵な顔をして長尾為景をにらむ。


「兄上。ご案内をいたしましょう。私もお腹が好きました」


「南?」


 さらりと南が俺と長尾為景の間に入る。

 空気が弛み、俺と長尾為景がフッと笑った。


「ほう。甲斐かいの臥竜殿のご案内か……。ふふ……、痛み入る」


「では、参りましょう」


 ニコリと笑顔の南が先頭に立って歩き出し、俺、長尾為景、高梨政頼が続く。

 振り向いてみると、長尾為景は傲然と胸を反らし、高梨政頼は周囲の武田軍兵士にメンチを切りまくっていた。

 いかにも武闘派の長尾家らしい。


 しばらく歩き武田軍の陣を抜け、上原城の方へ向かう。


「おい! 武田の! どこまで行くんだ?」


 長尾為景が不審がった。


「もう、ちょっと先に兵士たちの憩いの場がある」


いこいの場?」


「ほら! 祭り囃子ばやしが聞こえるだろう?」


「なに……!?」


 楽しげな祭り囃子が聞こえてきた。

 楽しそうな人の声も聞こえる。


 見えてきた。


 竹矢来で区切った憩いの場だ。


 憩いの場に入ると、長尾為景と高梨政頼は、狐につままれたようにぽかーんとした。

 憩いの場は、ちょっとした町になっていて、飲食店が出ている。

 食べ物と酒の美味しそうな匂いがして、芸人たちが鳴り物を響かせている。


 俺たちが憩いの場に入ると、商人の駿河屋喜兵衛するがや きへいが飛んできた。

 この憩いの場は、駿河屋喜兵衛に仕切りをお願いしているのだ。


「これは武田の御屋形様!」


「食事をしたい。空きはあるかな?」


「居酒屋『甲斐路カイジ』が開いております」


「案内してくれ。それから喜兵衛。こちらは越後えちごの長尾為景殿だ。挨拶をしておけ」


「ええ!? 戦のお相手の!?」


 駿河屋喜兵衛は驚いていたが、そこはやり手の商人だ。

 長尾為景にしっかり挨拶をして、越後に行った際はよろしくと自分を売り込んでいた。


 居酒屋に長尾為景たちと入る。

 ここは急ごしらえの掘っ立て小屋だが、それでも雨風をしのげるし、暖かく美味しい食事と酒が飲めるので兵士たちに好評なのだ。


 テーブルや椅子は、俺がネット通販風林火山で中古を安く仕入れた。

 イスは一脚千円、テーブルは二千円。


 四人でテーブルにつく。

 長尾為景、高梨政頼を店の奥側の上座に案内し、俺、南が出口側の下座に座る。


 護衛の風魔小太郎は、さりげなく隣のテーブルに座った。

 長尾為景の後ろの席にも、目つきの鋭い男が二人座る。

 あの二人は風魔だな。


(いつでもやれるということか……)


 俺はチラリと風魔小太郎を見るが、手酌で飲み始めていた。

 相変わらず飄々として、ヤル気があるのかない。


「こんな店を戦場にこさえたのか……」


 高梨政頼がうなる。

 居酒屋はテーブル席が十、ここからは見えないが奥の方は座敷になっていて、男たちの楽しそうな声が聞こえる。

 非番の兵士が昼から飲んでいるのだろう。


 長尾為景は腕を組んで身じろぎもしない。

 マンガなら、『コォォォォォォ……』とか効果音が入りそうだ。


 俺も『ゴゴゴゴゴ……』と効果音が入る勢いの目つきをして、長尾為景に尋ねた。


「酒はどうする?」


「もらおう」


「それがしも飲む!」


「私も飲みましょう」


「南はダメだぞ……」


 どさくさに紛れて南も酒を飲もうとしたので止めた。

 諸葛孔明の格好をしてても、中身はまだ子供なのだ。


 若い娘の店員がおっかなびっくり俺の席にオーダーを取りに来た。


「あの……ご注文は?」


「生中三つと炭酸ジュース。つまみは適当に頼む」


「は、はい!」


 俺のゴゴゴと長尾為景のコォォを感じて、店員さんは逃げるように厨房へ入った。

 長尾為景が口を開く。


「ナマチュウとは何だ?」


「南蛮の酒だ。乾杯の時に飲む」


「旨いのか?」


「苦みのある酒だな。のどごしを味わうのだ」


「ほう。武田の。お前、まだ子供くせに酒の味がわかるのか?」


「ふ……」


 長尾為景の挑発に俺は余裕の笑みを返す。

 まあ、俺が年若いのは事実だが、もう大人なのだよ。

 イロイロとな!


「お待たせしました!」


 テーブルの上に生中、炭酸ジュース、すぐ出る料理が並ぶ。

 肉じゃが、大根とこんにゃくの煮物、もろきゅう。

 肉じゃがは、牛肉だ。


 この店は完全に俺の趣味で現代の日本居酒屋に準拠したメニューになっている。

 現地調達可能な野菜は諏訪の物を使っているが、足りない食材は全て俺がネット通販風林火山で用意した。


 高梨政頼は目を大きく開いて、料理やジョッキに入ったビールを見ている。

 長尾為景は表情を変えていないが、目元がピクピクしているから驚いているのだろう。


「料理は、もっと来るがとりあえずはじめよう。乾杯!」


 俺はジョッキを持ち上げた。


 こうして俺と長尾為景の会談は、緊張感があるのか、ないのか、わからない雰囲気で始まった。

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