第97話 居酒屋で語ること、友の如し

 俺は喉を鳴らしてビールを流し込む。

 旨い! 全身に染みる!


「あぁ……」


 何だかんだ神経を使ってストレスを感じていたんだな。

 目をつぶってビールが体に染み込むのを味わう。


 目を開くと長尾為景ながお ためかげ高梨政頼たかなし まさよりが目を丸くしていた。


「武田の。お前、子供なのに旨そうに飲むな!」


「お見事な飲みっぷり!」


「このビールという酒は、喉越しを味わうんだ。グッとやってくれ」


 俺が口元をグッと腕で拭いながらビールの飲み方を解説すると、ようやく二人もジョッキを掲げた。


「いざ!」


「頂戴いたす!」


 二人もグイッと行った。

 二人の喉が『ゴク……、ゴク……、ゴク……』っと鳴る。


「おおおおおお! これは……!」


「ぶあああああ! 五臓六腑にしみまする……」


 二人もビールを存分に味わってくれたようだ。

 続けてツマミの肉ジャガをすすめる。


「料理も旨いぞ。これはジャガイモといって南蛮のイモだ。牛の肉の旨味と砂糖が少し入ってる」


「砂糖だと!」


「牛にござるか!」


 長尾為景が料理に砂糖が使われていることに驚き、高梨政頼は牛肉を食すことに驚いていた。

 この時代、砂糖は高級な輸入品だ。

 そして、牛は宗教上の理由から食べない。

 抵抗があるだろうな。


 俺は小皿に取り分けて二人に差し出したが、二人ともジッと見ていて箸をつけない。


「ああ、美味しい!」


 俺の横でみなみがバクバクと遠慮なく食べ始めた。

 長尾為景が南の様子を見て、口をOの字にした。


「甲斐では獣肉を食べるのか?」


「ああ、山間では猪を食べる。色々食べるようになったのは、俺の代からだな。まあ、仏の教えには反するかもしれないが……。肉を食べると力が出るからな」


 タンパク質は筋肉を作る。

 ウソじゃないぞ。


「そういうものか?」


「そういうものだ。ちなみに、この料理は『肉ジャガ』というが、牛肉を使う場合と豚肉を使う場合がある」


「豚肉とはなんだ?」


「豚とは猪を家畜にした生き物だな。この辺りだと琉球で飼われている」


「待て! 琉球は、『この辺り』ではないだろう?」


「誤差だよ。琉球とは海でつながっている。越後も海があるからわかるだろう?」


「まあな」


 色々話したら少しは肩の力が抜けたのか、料理に箸をつけだした。

 肉ジャガも口に合うらしい。

 二人とも『旨い! 旨い!』と言っている。


 料理をちょい!

 ビールをグビ!

 良い感じだ。


 ビールジョッキや料理の入った器にも驚いている。

 この時代、ガラス自体がないからな。

 器は陶器だけれど、現代物だからデザインや色が洒落ている。

 二人とも料理と会話を楽しんでいる。


 俺は二人と話しながら、別のことを考える。


 さて、この二人にどう対応するか?

 おそらく二人の目的は、情報収集と俺との会談だろう。


 長尾軍は苦しいはずだ。


 いや、正確にいうと……。

 兵士と武将の間で気持ちにギャップがあるはずだ。


 長尾軍の兵士は、寒さが厳しいので家に帰りたがっている。

 食事をしに来た兵士たちが愚痴っているそうだ。

 そして、武田軍の兵士とは顔見知りになってしまったので戦いたくない。


 長尾軍の武将たちは、武田軍を打ち破り諏訪すわ地方を征服したい。

 だが、兵士たちにやる気ないので困っている。


 そんなところだろうな……長尾軍の現状は……。


 そして、長尾為景は、佐久さく方面の最新状況を知らないのではないか?


 佐久から諏訪まで山があるから、伝令はぐるっと遠回りをしなくてはならない。

 佐久方面の長尾軍が敗れたことを、二人は知らないのでは……?


 いや……。

 ギリギリ知っていてもおかしくはないか?


 知っている場合は、間違いなく停戦や和平を切り出してくるハズだ。

 長尾軍が不利な条件でも停戦に応じるだろう。


 知らない場合は、どうか?

 停戦や和平を切り出してくるかどうかは微妙だ。

 となれば、俺の方から『佐久で長尾軍が敗れ、長尾晴景ながお はるかげを捕虜にした』と教えた方が良い……。


 いやいや!

 俺の言うことを信じるとは限らない。

 やはり野戦で一度撃破しないとダメか?


 俺は対応に迷った。

 まず、こちらから武田軍の様子やいこいの場の情報を教えて、あちらの出方を見ることにした。


「そろそろ熱燗あつかんにしよう」


「熱燗?」


「酒を人肌に温めたのを熱燗という。越後えちごの兵たちにも評判が良いぞ」


「そう、その件だ! 武田の! お主は何を考えている! 敵の兵にメシを食わせ、酒を飲ませるヤツがあるか!」


 長尾為景がズイッと身を乗り出して来る。

 俺は店員のお姉さんから徳利とっくりとおちょこを受け取り、素知らぬ顔でおちょこに酒を注ぐ。


「まあ、飲め」


 ズイッとおちょこを差し出す。

 長尾為景は無言でおちょこを受けグッと一息に飲み干した。

 目がカッと見開かれた後、ぐぐっと体を曲げる。


 温かい酒が喉から食道へ、そして胃袋に達する。

 口の中に残った酒の香りは、鼻へと抜け、味と香りと温かさを全身で味わう。


 ――そう、それが熱燗。


「こおおおぉぉぉぉぉ!」


 絞り出したな、長尾為景。

 もう、お前は熱燗なしでは生きていけない。


 長尾為景が無言でおちょこを差し出したので、徳利を持ち注いでやる。

 今度はジッとおちょこの中の酒を見ている。


「これは甲斐かいの酒か?」


「清酒という。普通の酒は、濁り酒と呼んで区別している」


「ふーむ……」


「儲けさせてもらっているよ」


「む!」


 どうやら軍資金がタップリあることが伝わったらしい。

 長尾為景はクッと、またも一息で飲み干した。

 そういえば、現代では越後は新潟、酒どころだ。

 越後の人は酒が強いのかな?


 俺は長尾為景のおちょこに注ぎ、高梨政頼にもおちょこを差し出す。


「おい! 武田の。じゃあ、越後の兵にメシを食わせるのは、金持ちの施しか?」


「いや、ついでだ」


「ついでだと?」


 俺は武田軍の状況を長尾為景に聞かせる。

 武田軍は人数が増えている。

 というのも、甲斐かい信濃しなの武蔵むさし相模さがみ駿河するがから傭兵を雇い入れたからだ。

 そして、ローテーションを組んで休ませている。


「まあ、それで食事の支度を大量にしなくちゃならん。そのついでに越後の兵にもメシをお裾分けしているというわけだ。諏訪で略奪をやられちゃたまらんからな。略奪よりもメシをおごった方が、お互い気分が良いだろう?」


 俺の話を聞いた長尾為景と高梨政頼が眉根を寄せた。


「傭兵を雇っただと? 数にモノをいわせる気か?」


「いや、正直に言うが、俺はいくさが得意じゃない」


「そうなのか?」


 長尾為景が面白そうな顔をし、高梨政頼は口をとんがらせて露骨に侮蔑ぶべつの表情をした。

 俺は気にせず熱燗をチビリといただき話を続ける。


「甲斐には武闘派の武将がそろっている。飯富虎昌おぶ とらまさ甘利虎泰あまり とらやす小山田虎満おやまだ とらみつ馬場信春ばば のぶはる横田高松よこた たかとし、俺の守役だった板垣信方いたがき のぶかたも相当強い。正室のかおるや姉のめぐみも強い」


「ふむ。確かに聞き覚えのある者ばかりだ」


「越後も武闘派が多いよな。そこの高梨政頼殿も豪傑であるし、柿崎景家かきざき かげいえ殿も猛将として名を馳せている。宇佐美定満うさみ さだみつ殿は歴戦の猛者だし……。長尾殿、アンタだって政戦両方で名を響かせている」


「世辞を言っても何も出ないぞ」


 長尾為景と高梨政頼は、満更でもなさそうだ。

 二人の顔に氷の刃で斬り付けるように、俺は言葉を付け足す。


「そこで俺は考えた。どうやったら戦場で強者に勝てるかを……」


「なに?」


「結論がこれだ。固く陣を守り、傭兵を集め、後方に憩いの場をつくり、兵を休ませる」


 長尾為景がおちょこを差し出した。

 俺は無言で酒を注ぐ。

 長尾為景は、一息に飲み干すとタンとおちょこを置いた。


「負けぬ戦をするということか?」


「近いな」


「近い? では、違うのか?」


「うむ。一言で言うと『超持久戦』だな」


「……」


 長尾為景と高梨政頼は、俺の言っていることがわからないようだ。

 この時代に持久戦の概念はない。

 持っている食料が尽きれば、そこで戦は終わりなのだ。


「武田家では俺の代になってから食糧増産に努めている。米だけでなく、蕎麦そばあわひえ、芋などだ。そして金山開発によって大量の金を得た。これが甲斐の碁石ごいし金だ」


 俺は懐から碁石金をつかんでテーブルの上にジャラジャラと載せた。

 長尾為景は口をゆがめ、高梨政頼が目を見張っている。


「甲斐に食料はタンとある。足りなければ商人からいくらでも買える。甲斐から諏訪は近い。兵を養う食料は、いくらでも甲斐から運び込めるのだ」


「長く戦が出来るということか……」


 長尾為景が、俺の言わんとすることを理解したようだ。

 黙って深く考えている。


 高梨政頼が反論する。


「だが、いつまでも陣を張るわけにはいくまい。兵たちには畑仕事がある」


 俺はクイッとおちょこの酒を飲み、ふうっと息をはく。

 そしてニッコリと高梨政頼に微笑む。


「何年でも陣を張れるぞ」


「何だとう!?」


「俺たち武田軍は傭兵を雇い入れている。今も傭兵を募集している。伊勢いせ桑名くわなでも募集するように指示を出した」


「伊勢の桑名だと!?」


「ああ、畿内きないは傭兵が多いと聞いたからな。船を使って海路で駿河から甲斐へ、そして諏訪に来てもらうことが可能だ」


「……」


 高梨政頼が黙り込んだ。

 俺は果敢に言葉を続ける。


「俺たちは暖かくなっても陣を張り続けることが可能だ。農民兵と傭兵を交代させることが出来るからな。そして、兵たちが疲れないように、こうして憩いの場で休ませることが出来る」


 長尾為景は腕を組んでムッツリと黙り込み、高梨政頼はこめかみをぴくつかせた。

 俺は酒が入っていることもあって、二人をやり込めたくなった。

 佐久方面の情報を明かす。


「ちなみにな。佐久の方で、あんたらは負けたぞ。ご嫡男の長尾晴景殿を捕らえた」


 二人とも愕然として目を見開く。

 高梨政頼が立ち上がりテーブルを両手で叩く。


「小僧! かたるな!」


「ウチの飯富虎昌とあんたらの柿崎景家殿が一騎討ちをしたそうだ。そうして、飯富虎昌が柿崎景家殿を抑えている間に、正室の香と姉の恵が騎馬隊を率いて突撃した。長尾軍はズタズタに切り裂かれ、甘利虎泰が率いる足軽隊が襲いかかった」


「我らは聞いておらん……」


「そうだろうな。佐久から諏訪は山で遮られている。伝令はグルッと遠回りしなくてはならん。時間がかかるだろう」


 高梨政頼は動揺している。

 そこへ一人の越後兵が長尾為景を尋ねてきた。

 越後兵は長尾為景のそばに膝をつく。


「申し上げます! ただいま早馬が到着しました。佐久にて我が軍は敗退! 弥六郎様は捕らえられ、柿崎景家様が殿しんがりを務め撤退中とのことです!」


「「なっ――!?」」


 弥六郎とは、長尾晴景のことだ。

 長尾為景と高梨政頼が言葉を失う。

 部屋がシンとなった。


 俺はトドメを刺しにいく。


「俺の膂力りょりょくは、高梨殿に遥かに劣る。俺の作戦能力は、宇佐美定満殿に及ばない。長尾為景殿には、言わずもがなだ。正面切ってあんたらと戦ったら負けるだろう。だが、戦場で目の前の敵を圧倒するばかりが戦じゃない」


 俺はおちょこに入った酒を飲み干す。


「これが俺流の勝ち方だ!」


 俺は二人にニヤリと笑って見せ、テーブルに置かれたおちょこに酒を注いでやった。

 だが、二人はおちょこを手にしない。


 高梨政頼は顔を真っ赤にして、立ったままブルブルと震えている。


「小僧が!」


 高梨政頼が腰に差していた短刀を抜いた。

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