第93話 悩むこと、ロダンの如し
「むう……これが
ここは
長尾軍は破竹の勢いで
原因は援軍に来た武田軍である。
特に有刺鉄線は威力を発揮し、長尾軍の突破を阻んだ。
長尾為景が手にしているのは、
高梨政頼は、忌々しげに長尾為景に報告を続けた。
「兵士たちは
「うむ。高梨隊の戦闘の様子は見ていた。今日は
「幾分かはマシでございましたが……。棘は筵を突き抜けるので、兵士たちは嫌がっております」
有刺鉄線に筵をかぶせる策は、長尾家きっての知恵者である
宇佐美隊は
故郷を守る諏訪軍の士気は高く、諏訪人の気質は粘り強い。
さらに、諏訪法性旗を掲げた諏訪姫が参戦したことで、諏訪軍は勇気づけられていた。
「それよりも、陣が何重にもなっていたことが問題でござる」
「それも見た。武田の奴らがアッサリ退いたと思ったら、次の陣が出てきおった!」
「あれには萎えましたな。ようやく竹矢来までたどり着き『さあ!』と思ったところで、一からやり直しですからな。たまらんです」
「いや、お主たち高梨隊は、ようやった! 問題は武田の奇策よ。棘縄……、何重にも続く陣……」
「甲斐の臥竜と名乗っておりましたな……」
長尾為景は、長尾軍の軍師山本勘助と武田軍の軍師が繰り広げた舌戦を思い出した。
「山本はどうした?」
「泡を吹いて気を失のうております」
「まったく! 頼りにならんな!」
「まことにその通りでございますな」
陣幕を押し開いて、宇佐美定満が入ってきた。
長尾為景の近習がすぐに
長尾為景は、宇佐美定満に今日の舌戦の評価を聞いた。
「宇佐美。どう見た?」
「武田軍の軍師の勝ちにござる」
「天地人であったか……」
「孟子ですな」
長尾為景は腕を組んで唸る。
武田軍の軍師武田
事実、長尾家家中では、冬期に軍を動かすことに反対意見が出ていた。
だが、『冬期であればこそ、敵の意表を突ける。短期決戦であれば、問題ない』と山本勘助が論陣を張ったのだ。
(今にして思えば、山本勘助の甘言にのせられてしまったか……)
長尾為景は、越後で開いた軍議を思い返していた。
山本勘助の野心的なプランに心を動かされたが、冷静に考えるとリスクが高かった。
武田軍が出てきたことで、リスクが顕在化するのではないかと考えた。
「兵の様子はどうだ?」
宇佐美定満と高梨政頼は顔を見合わせ、『そちらからどうぞ』とお互い譲り合った。
年上の宇佐美定満がシブシブ話し出した。
「まだ兵糧は足りております。しかし、寒さが……。今年の冬は暖かいとはいえ、このまま対陣が続くのは不味いですな」
「戦が長引けば、兵の士気が落ちましょう」
「武田も諏訪も陣に引きこもって出て来ぬからのう……」
長尾軍は有利な丘の上に陣取り、武田・諏訪連合軍に攻めさせる作戦だった。
有利な地形を生かすことで、数の不利を補おうとしたのだ。
だが、武田軍は初日こそ攻めてきたが、翌日から自陣の守りを固める防御戦術に切り替えてしまった。
長尾軍は確保した有利な地形を生かせない。
丘から下りて敵陣を攻めるハメになった。
「武田の狙いは長期戦であろうか? 兵糧が切れるのを狙っておるのか?」
戦国時代に補給という概念はない。
兵士各自が携帯食料を持ち。
携帯食料が切れれば、
小荷駄は小規模の物資輸送で、
本国から物資をピストン輸送する現代的な補給はないのだ。
この世界では『一芸』の『蔵』が存在するが、あいにく長尾軍に蔵持ちはいなかった。
小荷駄の食料が切れたらそれっきり。
小荷駄の食料がなくなる前に撤退するか、現地で略奪を行うかだ。
長尾軍は短期の作戦行動を予定していたので、長期戦に持ち込まれると辛くなる。
一方、諏訪・武田連合軍は地元である。
蓄えている食料がある。
長尾為景は、諏訪・武田連合軍が長期戦に持ち込むのが狙いだろうと考えた。
しかし、前線を指揮した宇佐美定満と高梨政頼が疑問を呈する。
「それがどうも違うようですぞ……」
「捕虜になった兵たちは、食事を振る舞われたそうです。それに白旗をあげてくれば、他の者にも食事を振る舞うと……」
「なんだ! それは! 敵にメシを食わせるバカがどこにいる!」
目の前にいる。
武田晴信である。
諏訪・武田連合軍の狙いがわからず、長尾為景はイラ立つ。
「そういえば、言葉合戦の様子を聞きましたぞ。武田軍は、越後のことをよく調べておるようですな」
宇佐美定満が長尾為景の様子を見て話題を変えた。
「うむ……。相当優秀な耳を持っているようだ」
長尾為景は、武田晴信と山本勘助のやり取りを兵士から聞いていた。
なぜ、あれほど
越後と甲斐の間には信濃があり、直接国境を接していない。
にも関わらず、武田晴信は長尾家の内部事情をよく知っていた。
「我らは、あれほど甲斐のことを知らぬ」
長尾為景は、武田晴信に底知れぬ不気味さを感じていた。
なぜ、知っている?
宇佐美定満は、有刺鉄線を手に取った。
「この棘縄……これは鉄ですかな? 鉄をこのように細く加工し、棘を巻き付けるとは……。よほど腕の立つ職人を抱えているのでしょう」
高梨政頼が嘆く。
「こんな物は見たことがない! 鉄だから切れぬ。おまけに深く地面に杭を打ち込んでいるので、引っこ抜くことも出来ぬ」
「これはどのようにして手に入れなされた?」
「武田のヤツらが、頭の上から投げ落としてきたのだ。体に巻き付けたまま逃げ帰ってきた兵士がおって……」
「それはお手柄!」
「棘が食い込んで、全身血だらけであったぞ!」
長尾為景は、ウンザリとした気持ちになっていた。
いっそ近隣を略奪して、さっさと越後に引き上げようかとも考えた。
しかし、目の前に諏訪・武田連合軍がいる。
下手に撤退すれば、追撃を受ける。
(退くもならず、進むもならずか……)
長尾為景は行動を決めかねていた。
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