第92話 論破すること、孔明の如し

「武田の殿様! ご馳走様でした!」


「おう! 気をつけて帰れよ!」


 武田の陣に押し寄せた高梨たかなし隊は、さらなる有刺鉄線エリアを見て退却していった。

 そして、有刺鉄線に絡まった高梨隊の兵士が残った。


 俺たちは、高梨隊の兵士を有刺鉄線から助け出し、昨日と同じように昼食をご馳走した。

 今日は、おでんだ。

 大根にダシが染みいていて、高梨隊の捕虜たちも満足していた。


 隊に帰ったら、『武田の殿様に美味いものをご馳走になった! 白旗をあげれば、食べに来て良いってよ!』といった具合に噂を広めてくれるだろう。


 捕虜たちが帰って一時間ほどすると、長尾軍に動きがあった。

 十人ほどの少人数の部隊が前進してくる。


 俺は軍師で妹のみなみに話す。


「南、なんだろうな?」


「軍使かもしれません」


「そうだな。数か少ないから軍使かもしれないな。打つな! 命令あるまで待機だ!」


 俺は弓隊に待機命令を出す。

 双眼鏡で見てみると、こちらへ歩いてくる十人はしっかりと防具を身につけた兵士で、その内一人は見たことのある顔をしていた。


 禿頭で小柄。

 目はグリグリしていて、口は左右に大きい。

 怒っているのか、目をつり上げ、歯をむき出しにしている。

 痩せていて、ガイコツっぽい印象だ。


 ガイコツ男たち十人は、顔の見える距離まで近づいてきた。

 どうやら、こちらを攻撃する意図はないらしい。

 俺は手を上げて、武田軍の兵士たちを抑えた。


匹夫ひっぷ! 武田晴信! 出て来い!」


 どこかで見た男は、有刺鉄線と竹矢来たけやらいの向こうで怒鳴りだした。

 甲高いヒステリックな声だ。


(ガイコツクレーマー……)


 俺は内心そんなことを考えていた。


「武田軍は卑怯卑劣ひきょう ひれつにして品性下劣! 正々堂々と勝負せよ! 出て来い!」


 ガイコツクレーマーさんは、ヒステリックに怒鳴り続ける。

 俺はガイコツクレーマーさんが誰だったか思い出せず首をひねる。


「誰だろう……? あの怒ったガイコツみたいな男は……?」


「兄上のお知り合いですか? 品のない男ですね……」


 妹の南が心底嫌そうな顔をした。

 マジで嫌がっている。

 さっさとあのガイコツクレーマー男を追い払おう。


「えーと、呼んだ? 俺が武田晴信だけど?」


 俺は竹矢来のこちら側から、ガイコツクレーマーさんに声を掛けた。

 ガイコツクレーマーさんは、俺の方に向き直りカッと目を見開く。

 元々グリグリっとした目がさらに大きくなって不気味さが増幅される。


 南が隣で『ウッ!』とうめいた。

 絶対、女性ウケしない顔だよな。


「いたな! 匹夫晴信! 久しいな! 陣から出て来て正々堂々勝負をしろ!」


「やだよ!」


 源平の時代じゃあるまいし、戦国時代に正々堂々とか何を勘違いしているんだ。

 それに陣を敷いて待ち受ける防御戦術は、卑怯でも、卑劣でもない。

 歴とした戦い方で何ら恥じるところはない。


 しかし、あのガイコツクレーマーさんは、どこかで見た顔だよな……。

 久しいなということは、どこかで俺と会っているんだろう。


「あの……ところで、あなたはどちら様?」


「山本だ!」


 山本……心当たりがない。

 俺は首をひねる。


「山本? どちらの山本さん?」


甲斐甲府かい こうふで会っておろうが!」


 甲府で!?

 じゃあ、躑躅ヶ崎館つつじがさきのやかたで会ったのかな?

 あ、そういえば……。


「えっ!? 甲府で会った山本さん!? 山本……寛斎!」


山本勘助やまもと かんすけじゃぁぁぁぁぁ!」


「あ~惜しい! 一字違いか!」


 思い出した!

 人材募集をしていた頃に応募してきた軍師気取り山本勘助!

 歴史上実在したのか、しなかったのかよくわからない山本勘助!

 武田家の疫病神山本勘助!


 武田家に来た時は、諏訪すわ家を攻め取り諏訪姫をモノにしろと言っていたな……。

 今回の長尾軍侵攻でも同じことを、長尾家は諏訪家に対して要求している。


 俺は山本勘助に批判的な目を向けた。


「お前だろ! 長尾為景ながお ためかげ信濃しなの攻略をすすめたのは? 諏訪家に姫様を差し出せと要求しただろう?」


如何いかにも! 大軍師たるそれがし山本勘助の献策である!」


 ガイコツクレーマーこと山本勘助は、傲然と胸を反らす。

 いや、褒めてないからね!

 俺は呆れ返りながらも反論をする。


「お前はバカか? 長尾家は越後えちごの国をまとめきれてない。今すべきは、越後の平定と嫡男長尾晴景ながお はるかげ殿への円満な家督相続だろう?」


 越後の長尾家は、元々『守護代』というやや身分が低い家なのだ。

 だが、長尾為景は下剋上を起し『越後守護』の上杉家を傀儡にして、越後の実権を握ったのだ。


 現代の会社でいうと課長代理が課内を掌握して正規の課長を窓際に追いやってしまった……みたいな感じが近い。


 長尾為景は正式な守護ではないので、越後の国人衆たちの中には面従腹背の者もいて反乱も起きる。


 オマケに跡継ぎの長尾晴景はピリッとしない人物で、史実では長尾為景の跡を継いだが、弟の長尾景虎ながお かげとらにクーデーターを起こされてしまう。

 長尾景虎は、後の上杉謙信うえすぎ けんしんであり、数日前の戦いで凍結した諏訪湖の上を渡って本陣突撃をして来た長尾虎千代ながお とらちよ君だ。


 そんな長尾家を『信濃を攻略すれば、ワンチャンありそうですよ!』なんて、そそのかして外征をさせるとは大馬鹿野郎だ。

 まず、長尾家家中をしっかりまとめ、次に越後国内をまとめろよ!

 外征なんて、それからだろう!


 俺は歴史本で得た知識を元に、山本勘助に論破を試みた。

 武田軍と武田軍の陣前にやってきた長尾軍の十人が俺の言葉に耳を傾けていた。

 妹で軍師の南は、ウンウンとしきりにうなずいている。

 俺なりに説得力のある話が出来たようだ。


 だが、山本勘助はニヤニヤと笑って俺の言葉を真剣に受け止めなかった。


豎子じゅし! 晴信! うちがまとまらないのであれば、外に敵を作れば良い! 信濃攻略によって、越後は一つになり、晴景殿はご実績を積まれ、国人衆たちの支持を得るのだ!」


「危険が大きすぎるだろう! なぜ、わからん!」


 どうも山本勘助は、『自分の優秀さを他人に認めさせたい』、自己承認欲求が強いのではないだろうか?

 俺が何か言うと待ってましたと反論してくる。

 甲斐守護である俺、武田晴信をやり込めようとしている。


「兄上、代わりましょう」


「南?」


「腹が立ってきました。私にも何か言わせて下さい」


 南が山本勘助と論戦か……。

 しかし、南はいかにも女の子といった感じで、押し出しが弱い。

 こういった言葉合戦では、見た目の立派さも重要だ。


 そうだ!


 俺は一計を案じた。

 陣幕の裏でネット通販風林火山を起動して、コスプレ衣装を探す。


 あった!

 諸葛孔明しょかつ こうめいセット!

 いわゆるパリピ風だな。


 漢服、帽子、羽根扇子、靴の四点セットで、二万五千円。

 即買いして南に着替えさせる。


「兄上? これは?」


しょく丞相じょうしょう諸葛孔明しょかつ こうめい風の服だ」


「諸葛孔明……」


「諸葛亮、字は孔明。劉備を助けて蜀を打ち立てた大賢人だよ」


「素敵です! ヤル気がますます出てきました!」


 孔明風の服を着た南が、武田軍の陣頭に立つ。

 武田軍から『おおっ!』とうなり声が上がる。


 山本勘助が眉間にシワを寄せて、甲高い声を上げた。


「何者じゃ!」


 南は羽根扇子をひらりとひるがえして、山本勘助に答える。


「甲斐の臥龍武田南! 今孔明いまこうめいとは私のことだ!」


「何を洒落臭しゃらくさい! 武田には小童こわっぱしかおらんのか!」


 まずは山本勘助が軽いジャブ。

 だが、南はスルーして本筋から攻め始める。


「山本勘助! その方は長尾家に仕えているにも関わらず、なぜ、長尾家を滅ぼそうとするのか!」


「なんじゃと!」


「こたびの信濃侵攻は、戦を起こすにあたわず。理にかなっておらぬ!」


 南の凜とした声が響いた。

 長尾軍からドヨドヨと人がやって来る。

 南と山本勘助の舌戦を聞きたいのだろう。

 立派な鎧を身につけている者もいる。長尾軍の上位者だろう。


 南! がんばれ!


 南は、『長尾軍の信濃攻略は理にかなわない』と問題提起をした。

 山本勘助は、鼻で笑い飛ばす。


「フン! 先ほどの豎子晴信との話を聞いておらなんだか? 内に乱れがあるならば、外に活路を求めればよい!」


「信濃攻略に戦機なし! 孟子もうし曰く! 『天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず』いかに?」


「ぬっ!」


 おお! 南が難しいことを言い出した。

 山本勘助が言葉に詰まっている。

 南は羽根扇子をスッと前に動かしながら言葉を続ける。


「すなわち! 天の時! 地の利! 人の和! 天地人がそろってこそ戦機が生まれる。しかしながら、長尾軍には、天、地、人、全てが欠如している!」


「何を言うか! 長尾家当主長尾為景殿は、下剋上をなし越後にて上昇の機運あり! これぞ天の時! 国人割拠する信濃! これが地の利! そして……、ええい! 人の和は欠けているが、越後の兵は精強じゃ!」


 山本勘助は、南に反論したが人の和でつかえた。

 南は羽根扇子を上から下に振り下ろし、ピタリと山本勘助の喉元へ羽根扇子を向けた。


あらず! 寒さ厳しい冬に戦を起こし、天の時を損なう! 山岳多く、道険しい信濃に踏み込み、地の利を失う! そして、心定かでない越後の国人衆を率いることで人の和を失す! 天地人を得ぬ長尾軍に勝利はない!」


 なるほど!

 確かにそうだ!


 南が一気呵成に言葉を放ち、山本勘助は反論出来ない。

 武田軍から、『おお~!』と感心する声が上がる。


 南が羽根扇子をフッと真横に動かした。


「山本勘助! 豎子とは、その方のことだ! 軍略というものは、いたずらに雄弁を誇り、局地的な勝敗をとって功を論じるものではない! 社稷しゃしょく百年の計なく、ただいたずらに兵を損ね、お家の名誉を貶める軽佻浮薄けいちょうふはくやからは去るがよい!」


 意訳すると『最大の敵は、無能な味方』ということだな。


 山本勘助は、南にやり込められてよほど悔しかったのだろう。

 顔が真っ赤になり、ギリギリとここまで音が聞こえてきそうなほど歯を食いしばっている。


 山本勘助の体がグラリと揺れた。


「うう~ん……」


「ああ!」

「山本殿!」

「お気を確かに!」


 山本勘助はバタリと倒れた。

 頭に血が上りすぎたか……。

 周囲にいた長尾軍の兵士が、山本勘助を担ぎ上げて長尾軍の陣へ戻って行った。


 俺はすかさず勝ち鬨かちどきをあげさせる。


「言葉合戦に勝ったぞ! 正義は我らにあり! エイエイオー!」


「エイエイオー!」

「エイエイオー!」

「エイエイオー!」


 武田軍は拳を突き上げて勝ち鬨をあげた。

 南の偉業を称えているのだ。

 南は誇らしげな顔で、勝ち鬨のシャワーを浴びた。


 妹よ! よくやったぞ!



 ◆―― 補足 ――◆

 匹夫ひっぷは、いやしい奴!

 豎子じゅしは、未熟者の小僧!

 という意味です。

 吉川英治の三国志で、よく出てくる罵り言葉です。

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