第75話 女医に叱られること、親戚のおじさんの如し

 ――一月十日。


 小笠原長棟殿の一行が、甲斐府中の躑躅ヶ崎館に到着した。

 早速、俺は書院で面会だ。


 武田家から、俺と筆頭家老の板垣さん。

 小笠原家から、当主の長棟殿、長男の長時殿、次男の信定殿だ。


「小笠原長棟でございます。この度は、まことにありがとうございます」


「武田晴信です。ご無事でようございました!」


 小笠原長棟殿は、どことなく品のあるナイスミドルだった。


 身につけた着物は絹だ。

 名家の小笠原家当主にふさわしい装い。

 光沢から察するに、高価な明の絹だろう。

 細かな織り柄の入った明るいグレーが似合っている。


 だが、表情はゲッソリとして疲れ切っていた。


(鑑定!)


 俺は早めにこの面会を終らせてあげようと、早速一芸の鑑定を行う。


【弓馬礼法:弓兵と騎馬兵を巧みに指導する。所作で人々を魅了する】


 弓と騎馬の攻撃力アップ+チャームみたいなスキルか。

 さすが名門小笠原家!


 現代日本でも礼儀作法や流鏑馬で有名な小笠原流は、目の前に座っている小笠原長棟殿が継承している。

 さらに、小笠原長棟殿の子孫は皇室に嫁ぎ、ずっと子孫をたどると今上天皇陛下にたどり着く。


 天皇陛下のご先祖様の一人なのだ。


 そりゃ助けるよ。

 助けなきゃ、寝覚めが悪い。


 俺は、小笠原長棟殿に脱出の様子、弟の小笠原長利が裏切ったことを聞いた。


 村上義清の時といい、今回といい、都合良く裏切り者が現れる訳がない。

 長尾軍は、随分前から仕込んでいたのだろう。


 しかし、小笠原長棟殿の顔色が悪い。

 汗もかいている。


「小笠原殿。お加減が優れないようですが、もう、お休みになっては?」


 俺の後ろに控える板垣さんも、気が気でないのかソワソワしだした。

 小笠原長棟殿は、目をつぶり、顔をしかめジッと何かに耐えている。

 やがて、胸を押さえだした。


「痛むのですか?」


「……」


 言葉が出ないのか?

 ヤバイだろう!


「そのまま横になって! 誰かある! 香を呼んでこい! 急病人だ! 恵林寺に人をやれ! 医術の心得がある坊主を連れてこい! 急げ!」


「ハッ!」


 廊下に控えていた小姓が、返事をすると同時に飛び出して行った。


「父上!」

「お気を確かに!」


 息子の小笠原長時と信定が、長棟殿を揺すろうとしている。

 そんなことをしたらダメだ!


「ご両者ともしばらく! しばらく! とにかく横に! 楽な姿勢に! 板垣さん手伝って!」


 俺と板垣さんで、小笠原長棟殿を横にする。

 二人の息子は気が動転しているのか、使い物にならない。


「小笠原殿。失礼いたす」


 俺は小笠原長棟殿に一言断りを入れてから、着物を緩めた。


「板垣さん! 帯を緩めて! 腹を楽にして、楽に呼吸できるようにしましょう」


「そうですな! ご免!」


 着物を緩めたことで、呼吸が少し楽になったのだろう。

 小笠原長棟殿の呼吸が少し落ち着いた。


 廊下から早足の音が聞こえる。

 香だ!


「ハル君! 急病人だって!?」


 香が来た!

 二人引き連れていて、手に色々と医療器具を持たせている。


「患者は小笠原長棟殿。急に胸を押さえて苦しがった。寝かせて、服を緩めた」


「オッケー! とにかく水! たらい、手ぬぐいを取ってきて! 長棟さーん! 脈を測りますよ! ゆっくり息をして下さいね!」


 香が矢継ぎ早に連れてきた女性に指示を出す。

 確か香の研究室で一緒に研究している子だ。


 俺と板垣さんは、香が来たことで気持ちが落ち着いたが、小笠原兄弟はいら立ちを隠せないでいる。


「何をしておる! その女は何だ!」


「私の正室です。香です」


「父上から離れろ!」


「父上! 父上!」


 二人ともうるさく叫ぶだけだ。


「患者の診察に差し障りがあります。お静かに!」


「貴様! 無礼だぞ!」

「そうだ! 父上から離れろ!」


 俺が静かにさせようとするが、二人とも言うことを聞かない。

 板垣さんが、俺と二人に間に入る。


「御屋形様と奥方様は、医術の心得がございます。戦場で何人も兵士の治療をいたしました。ここは二人にお任せした方が、ようございます」


「そうのなのか?」


「父上を助けねば、許さんぞ!」


 誰に物を言ってやがる……。

 イラッとしたが、怒っても仕方がない。

 今、大事なのは、患者の小笠原長棟殿だ。


「香?」


「脈が速いなあ……。症状からして、心臓病かも……」


「戦国武将はストレスが多いから……」


「ハル君。心臓病の薬はない? 探してきて?」


「わかった」


 俺は人のいない部屋へ移動して、ネット通販風林火山を起動する。


 心臓病の薬なんて売っているのだろうか?

 ネット通販風林火山には、市販の薬しかないのだか……あった!


 テレビCMで見たことのある漢方薬だ。

 一回二錠、一日三回服用。

 五日分で二千二百円。


 すぐに購入して、香たちのいる書院に戻る。


 書院へ戻ると小笠原長棟殿は目を開けていた。

 香が血圧計で、血圧を計っている。


「うーん、血圧が高いですね。塩分を取りすぎですね。しょっぱい食べ物がお好きですか?」


「香の物が好物でして……」


「あー、お漬物ね。食べ過ぎると体に悪いですよ。控えないとダメです」


「好物なのですが――」


「ダメです!」


「はい……」


 若い女医さんに説教されるおじさん患者だ。

 小笠原長棟殿も香にかかっては、イチコロだな。


「香、この薬でどう?」


「漢方ね。良いと思う。長棟さん。今、二粒飲んじゃいましょう!」


 小笠原長棟殿は、香に言われるまま大人しく薬を飲んだ。


「貴重な薬をありがとうございます。どうも、前々から調子が悪かったのですが……」


「お気になさらず。後ほど医術の心得がある僧侶にも見てもらいましょう。とにかく、お休みになって下さい」


「かたじけない」


 離れに向かって歩く小笠原長棟殿に、香が大声で呼びかけた。


「長棟さーん! 食事の内容はこちらで決めますからねー! 給仕する者の指示に従って下さいねー! しょっぱい食べ物はダメですよ~!」


「わかり申した!」


 振り返って返事をする小笠原長棟殿は微笑んでいて、少し元気になっていた。

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