第76話 推しの真田を誘うこと、CDの大量買いの如し

 ――一月十五日。


 小笠原長棟殿が、躑躅ヶ崎館に到着してから五日経った。

 長棟殿は、香管理のもと、塩分を控え目の食事療法と軽い運動をしている。


「長棟さんは、お仕事を減らしましょう。仕事のストレス……疲れは、体に毒ですよ」


 小笠原長棟殿は、香からのアドバイスを受け入れて仕事を減らした。

 長男の長時  殿を名代としたのだ。

 ストレスが大分減ったようだ。


 漢方薬も続けて飲んでいるので、到着した日よりも随分顔色が良い。

 香のファンが一人増えたな。


 問題は俺の方だ。

 仕事のストレスを感じている。


「誰か僕に癒やしを下さい……」


「はい?」


「ああ、板垣さん。気にしないで、聞き流して下さい」


 板垣さんが、俺の愚痴に律儀に反応してくれた。


 躑躅ヶ崎館の廊下を歩いて、会所へ向かう。


「次で最後ですね?」


「はい。お疲れかもしれませんが、もうお一人お会いいただきませんと……」


「大丈夫です!」


 今、武田家は千客万来なのだ。


 長尾家が信濃侵攻を開始したことで、逃げてきた国人領主一行や援軍を依頼する使者で、躑躅ヶ崎館はごった返している。


 武田家を頼りにしてくれるのは嬉しいが……。

 逃げてきた人たちに、メシを食わせるので金がかかる。


 逃げてきた人たちは、国人領主やその家族、家臣なので、それなりに身なりを整えさせなくてはならない。

 着物を扱う商人が、ホクホク顔で躑躅ヶ崎館に日参しているのだ。


 そして、支払いは全て当家である。

 勘定奉行を任せている駒井高白斎が倒れそうだ。


 板垣さん曰く。


「甲斐守護武田家の名を高めるチャンスですぞ! 頼られたら面倒を見るべきです!」


 香曰く。


「太っ腹なところを見せておけば、みんなハル君の言うことを聞くようになると思うよ! 面倒見てあげなよ!」


 飯富虎昌曰く。


「香様のおっしゃる通りです! 御屋形様、ドーンと面倒を見ましょう!」


 俺曰く。


「金を払うのは、俺だぞ!」


 まあ、お金はネット通販風林火山で何か買って、転売すれば良いから何とかなるが、問題は俺の体だ。


 俺には面会予約が殺到し、広間と会所を往復する日々が続いている。

 正直、忙しくてキツイ……。


 家臣に任せたいが、相手が国人領主だから、そういう訳にもいかない。


『当主の武田晴信殿が、会って話を聞いてくれた!』


『家臣をあてがわれて、軽く扱われた!』


 そりゃ前者の方が良いに決まっている。

 後々の影響を考えると、粗略に扱うことは出来ないのだ。


 ミッチリ詰まった面会スケジュールに青息吐息だ。


 だが、次の面会で今日は最後だ。

 それに、俺は次の面会を楽しみにしている。


 会所に入ると、落ち着いた印象の男が座っていた。

 俺と板垣さんが座ると、丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれた。


「真田幸隆と申します」


 そう! この人が! あの真田家の元祖! 攻め弾正と呼ばれた真田幸隆だ!

 ミーハー気分で、俺の気持ちはかなりアガっている。


「武田晴信です。後ろにいるのは、当家筆頭家老の板垣です」


「板垣信方でございます」


 早速、真田幸隆のスキルを拝見……。


(鑑定!)


【知略縦横:智謀に非常に長け、政治、謀略、戦で、非常に高い能力を発揮する】


【攻め弾正:戦略・戦術面において攻勢を非常に得意とする】


【築城術:築城に力を発揮し、よく人を使う】


 すげえ……!

 一芸を三つ持っている!


 俺はテンションマックスになりながらも、どうにか自制して真田幸隆との会話をこなした。


「なるほど。長尾軍は二手に分かれ、その一方が真田殿の領地に襲いかかったと?」


「はい。柿崎景家が率いる別働隊が来ました。長尾為景が率いる本隊は――」


「深志の小笠原家に来ました。小笠原家は既に敗れ、当主の小笠原長棟殿は当家に身を寄せています」


「噂に聞いていましたが、事実でしたか……」


 詳しく事情を聞くと、真田幸隆も主筋の海野家も長尾軍別働隊に急襲され敗れてしまった。


 海野家当主海野長棟は、上野の山内上杉家を頼って落ち延びていったそうだ。


「真田殿は、なぜ当家に? 真田殿は、海野家の与力であったと記憶しておりますが?」


 俺はストレートに聞いてみた。

 真田幸隆をスカウトする為に、主と行動を共にしなかった理由が知りたかったのだ。


「理由は三つです。一つ目は、分散して逃げた方が、生き残る確率が高くなるから。二つ目は、山内上杉家、武田家、双方に援軍を請うた方が長尾軍を撃退する確率が上がるから。三つ目は……」


 なるほど、わかる話だ。

 だが、三つ目の理由を真田幸隆は、言いよどんだ。

 俺は先を促す。


「三つ目は?」


「実は海野家とあまり上手くいっておりませんで……」


「そうなのですか?」


「はい。事情をお話ししますと――」


 真田家がある辺りは、海野、禰津、望月の三家が仕切っているらしい。

 この三家は、元は同族で、海野家が本家筋で……まあ、平たく言うと威張っていて真田幸隆としては、面白くないそうだ。


「真田家は、独立独歩の国人領主です。決して海野家の家臣ではありません」


 真田幸隆は、力強く言い切った。

 つまり海野家とは、この機会に袂を分かつ。

 それなら……。


「それなら武田家に来ませんか?」


「えっ?」


「私は前々から真田殿に注目していました。お若いのに見所があると、高く買っているのです!」


「そ……、それはどうも……」


「武田家に臣従していただければ、領地は必ず取り戻します! それに、妹の南を嫁に差し上げましょう! 妹の南と結婚すれば、真田殿は武田家の親族です!」


「ええっ!?」


「ちょっと!? 御屋形様!?」


 板垣さんが動揺しているが、気にしてはいけない。

 ここは一気に口説く。


 真田が武田の物になるんだぞ!

 妹との婚姻で、真田が買えるなら安い買い物だ。


 それに一芸【カク】の南と真田幸隆の子供が生まれたら、どんなにスゴイ子供だろうか……。

 ワクワクしてしまう!


「どうでしょう? 武田家に来ませんか? 高給優遇! 働きやすく、やりがいがありますよ!」


 真田幸隆は、しばらくポカンとしていたが、やがて頭をかきながら照れ笑いした。


「いや……、その……、私……、既に妻がおりまして……」


「あっ! もう、結婚していたのか!」


「はい……」


「あ~、それはご無礼を! 申し訳ない!」


「いえいえ。これほど熱心にお誘いいただけるとは、感激しました!」


 そうか……残念!

 でも、これで良いのかもしれない。

 歴史通り真田昌幸や真田幸村が生まれてくるのだから。


 ちょっと空回りしてしまったが、俺から熱烈に誘われて真田幸隆も悪い気はしなかったようだ。


 ヘッドハンティングの話はウヤムヤになってしまったが、和やかな雰囲気で話が続いた。

 話は自然と戦況分析に移る。


 真田幸隆としては、長尾軍を押し戻し領地の回復をしたい。

 しかし、長尾軍の勢いを考えると難しそうだ。


「恐らくは諏訪、そして佐久で食い止めるのが精一杯でしょう」


「佐久の国人衆から援軍要請が来ています。笠原清繁殿が、当家と山内上杉家に援軍を頼みました」


「山内上杉家は、すぐには動きますまい……。武田家は、どうなさるのですか?」


「援軍を出します。佐久を長尾家に取られては、ここ甲府が危うくなる。山内上杉家も援軍を出してくれればありがたいですが、武田家単独でもやります」


 佐久は、甲斐の北西にある地域だ。

 佐久から峠を越えれば、躑躅ヶ崎館のある甲府盆地に攻め入ることが出来る。


 かなり距離があるし、峠や高原を抜ける細い道しかないので、大軍は難しいが、それでも甲府が危険地帯になってしまう。


「長尾軍との戦いには、私も、ぜひ参加させて下さい!」


「もちろんです! 真田殿がお力を貸してくれるなら、心強い!」


 真田殿とガッチリ握手をしようと思ったが、水を差された。

 廊下から大きな言い争う声が聞こえるのだ。


「お待ち下さいませ! 御屋形様は、面会中でございます! お待ちを!」


「どかぬか小僧! 武田晴信に用があるのだ!」


 誰だ? 小姓が止めているようだが……。


 やがて足音が聞こえ会所の戸が無遠慮に開けられた。

 小笠原家の長男、小笠原長時だ。

 長時の後ろには、次男の小笠原信定がいる。


「おう! 武田の! ここにいたか!」

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