第73話 酒を飲み干すこと、涙の如し
――翌日。
俺は、
村上義清殿は、甲冑のまま血まみれで、後ろに従う家臣たちも似たようなありさまだった。
激しい戦を経て撤退してきたのが、一目見てわかった。
俺は同じ戦国に生きる者として、村上義清殿たちに同情せずにはいられなかった。
明日は、我が身なのだ。
俺は精一杯のやさしさを込めた笑顔で、村上義清殿たちを出迎えた。
「さぞ、お疲れでございましょう。皆様の身柄は、甲斐守護武田家がお預かりいたします。食事と寝床を用意いたしました。どうぞ館に上がって下さい。ご自分の家だと思って、くつろいで下さい」
村上義清一行から、ドッと安心する声が上がった。
「かたじけない……」
村上義清殿は、声を絞り出した。
疲れと敗北の屈辱が、一気に込み上げてきたのだろう。
俺は村上義清殿を気遣う。
「お話は、お休みをとってからにいたしましょう」
「いえ! このまますぐ!」
村上義清殿は、早く俺と話したいらしい。
「わかり申した……。では、
村上義清殿を会所へ案内する。
一名の村上家家臣が同席を申し出た。
武田家側は、俺と筆頭家老の板垣さんだ。
湯漬けを出すと、二人ともガツガツとかき込んだ。
二人の腹が落ち着いたタイミングを見計らって、声をかける。
「では、改めてご挨拶をいたします。私が甲斐武田家の頭領、武田晴信です。こちらは筆頭家老の板垣です」
「板垣信方でございます」
「村上義清です……。後ろにいるのは、
俺と板垣さんは、村上義清殿と初めて顔を合わせる。
村上義清殿は、三十代半ば。
でっぷりと肉がついたアンコ型の体系だ。
顔はブルドッグのようにイカツイが、どことなく愛嬌がある。
だが、油断してはいけない。
ひょっとすると村上義清殿こそが、戦国最強の武将かもしれないのだ。
何せ戦国最強といわれる俺、つまり武田信玄は、村上義清に二度も負けている。
織田信長が恐れ、徳川家康が
村上家との戦いで討たれた武田家の主な武将は、板垣信方、
あまり有名じゃない武将にいたっては、数えきれない。
俺は信濃を攻めずに、和平を望んで良かったと心底思っている。
村上義清殿と争っていたら、武田家は死屍累々だったろう。
(鑑定!)
俺は【鑑定】を発動して村上義清殿の一芸を見に行く。
【猛牛突撃:騎乗において非常に高い破壊力を発揮し、攻勢を得意とし兵を率いる】
猛牛突撃!
村上義清殿にピッタリの一芸だ。
飯富虎昌の一芸【一騎当千】は、これだ。
【一騎当千:騎乗において非常に高い能力を発揮し、攻勢を得意とし兵を指揮する】
比較すると、飯富虎昌が直線的な鋭い攻撃で、村上義清殿はぶちかます攻撃かな……。
「ブレーキの壊れたダンプカー……。ハンセンかよ……」
「は?」
「いや、なんでもありません」
俺は思わず、現代日本で活躍していたプロレスラーのあだ名と名前をつぶやいた。
板垣さんには、聞こえてしまったらしい。
流して下さい。
「ゴホン! それで……、村上殿。長尾家との戦は、どのような具合だったのでしょうか? 野戦ですか? 籠城戦ですか?」
俺が話をふると、村上義清殿は、額に血管を浮かせ殺気をみなぎらせた。
廊下に控えていた小姓が思わず腰を浮かし、刀に手をかけるのが見えた。
俺は目で小姓を制する。
村上義清殿は、唇を強く噛み、拳を握りしめた。
よほどくやしかったのだろう。
何があった?
とてもしゃべりそうもないので、俺は小姓に命じて酒を持ってこさせた。
「どうぞ」
「……」
村上義清殿は、ジッと杯に注がれた酒に目を落とした。
そして、一気に
俺は再び話を向けた。
「それで、戦は……?」
「
「そうですか。騙し討ちですか……」
村上義清殿は、手ずから杯に酒を満たすと、また一気に飲み干す。
二杯、三杯と続けて酒をあおると、ようやく話し出した。
村上義清殿によると――。
長尾家から和平の提案があったそうだ。
秋の初めのことで、それから長尾家の使者がちょくちょく村上家にやってきて、酒を置いていったそうだ。
「酒は、ご機嫌伺いの贈り物ですね」
「ええ。それで、我らもすっかり気を許してしまって……」
そして年末に、また使者が訪れた。
村上義清殿は、『いつものこと』と屋敷の門を開いて、使者を迎え入れた。
しかし、酒樽の中には武装した兵士が隠れていて、あっというまに屋敷の門を制圧し、隠れていた長尾軍を迎え入れたそうだ。
平時だったので、村上家の屋敷にも、城にも最低限の兵士しかおらずロクな抵抗も出来なかったらしい。
「すぐに鎧を身につけましたが、逃げるのに精一杯で……」
村上義清殿は、くやしそうに言葉を発すると、また酒をあおった。
「いや、その状況では仕方ないでしょう。村上殿とご家族が、脱出出来ただけでも大したものです」
何度も和平の使者を送って、相手が油断したところをガブリ!
たぶん、ウチでも引っかかってしまう。
しかし、腑に落ちない点もある。
「村上殿。長尾軍の動きは、わからなかったのでしょうか?」
どの家も国境に見張りを置いている。
長尾軍が村上家に向かって動いたのだから、国境に来る前に長尾軍の動きを察知することが出来たはずだ。
「おそらく見張りを抱き込んだのでしょう」
「買収か……」
「さらに未確認ですが、重臣の
用意周到だな。
これは小笠原家も危ないかもしれない。
「よくわかりました。村上殿は、客将としてお力をお貸し下さい。村上家ご一党の面倒は、当家で見ます。今は、ゆっくりとお休み下さい」
「かたじけない……」
村上義清殿は、背中を丸めて部屋を出て行った。
早く元気になって欲しい。
何せ、【一芸:猛牛突撃】だ。
村上殿か武田陣営にいると思うだけで頼もしい。
(しかし、長尾家の当主は
長尾為景は、下剋上の人で『奸雄』と呼ばれているが、あまり策を巡らすタイプではない。
思い切りの良い軍の運用をする将軍タイプの人だ。
今回の策は、軍師……というよりも謀将の影がチラつく。
俺は違和感を覚えながらも、村上家受け入れに忙殺されるのだった。
◆―― 作者より ――◆
近況ノートに地図をアップしました。
↓
地図画像:武田信玄Reローデット長尾家信濃侵攻
https://kakuyomu.jp/users/musashino-jyunpei/news/16817139557061434950
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