第69話 風魔小太郎が戦うこと、伝承の如し

 俺は躑躅ヶ崎館の自室で悩んでいた。


 富士氏の当主富士信盛との会談では、成果があった。


 富士信盛の嫡男富士信忠が、今川家に滞在している。

 表向きの理由は、『今川義輝の馬廻り衆に取り立てられた』だが、実質は人質だ。


 俺たちが、富士氏嫡男の富士信忠を今川家から救出すれば、富士信盛は武田家に臣従すると約束した。


 何としても成功させたい。


 これは極秘作戦だ……。

 密かに今川家の手から脱出させる。


 もしも、実行前に今川家が脱出作戦を知れば、富士信忠は人目につかない場所に監禁されるか、悪くすれば始末されてしまうだろう。


 俺は富士信忠脱出作戦を知る人間を絞った。

 富士氏当主の富士信盛との会談の現場にいたのは、俺、香、板垣さんの三人だ。


 この三人は作戦参加が確定。


「ねえ、ハル君。虎ちゃんにも参加して貰おうよ」


「秘密は守ります!」


「……」


 香の推薦で飯富虎昌の参加が決まった。

 秘密を守れるのか若干不安だが、まあ、飯富虎昌もバカではない。


 飯富虎昌は、どうせ香の側から離れないのだ。

 ならば、巻き込んでしまった方が良い。


 そして情報収集担当の富田郷左衛門――忍び三ツ者頭領に参加してもらうことにした。


 富田郷左衛門によれば、富士信忠は駿府城外の屋敷に住んでいるそうだ。

 屋敷の外には見張りがいるので、逃げればすぐにバレてしまう。


 富士信忠の身の回りの世話をする小者も含めると、五人を逃がさなくてはならない。

 陸路は無理だ。

 見張りもいるので、武田領に逃げ込む前に捕捉されてしまうだろう。


 そこで俺は、富士信忠を海から脱出をさせることにした。


 武田家も海を得たのだ。

 ネット通販風林火山で中古の船を買えば、海からの脱出作戦は実行可能だろう。


 だが、問題が一つ。


 ――駿府で誰が富士信忠たち五人を手引きするか?


 富田郷左衛門たち『三ツ者』は、情報収集が得意な忍びだ。

 荒事は得意じゃない。


 脱出作戦ともなれば、強行突破しなければならない場面もあり得る。


 かといって、飯富虎昌を投入するのは不味い。

 武田家と今川家は、休戦しているのだ。


 飯富虎昌が駿府で暴れでもしたら、休戦破りになってしまう。


 俺が脱出作戦を考えながら、ウンウン唸っていると、富田郷左衛門がやってきた。


「御屋形様に面会希望の者が来ております……」


 富田郷左衛門は困惑顔だ。

 そんなに悩む面会希望者なのだろうか?


「面会希望? 誰?」


「はっ……それが……風魔小太郎と名乗っております……」


「風魔小太郎!? 北条家の!? 忍者の頭目!? 本物!?」


「はい……恐らくは本人で間違いないかと……」


 風魔小太郎は、北条家に仕える相州乱波だ。

 風魔忍者と言った方が、わかりやすいだろう。


 この時代、忍者は影の存在、完全に裏方なのだ。

 その忍者の頭目が、俺に会いに来た?


 忍者の頭目が北条家を代表して外交交渉するわけがない。

 何の用だろう?


「用件は……?」


「武田家に仕えたいと……。仕官希望と聞いております……」


「ええー!?」


 あり得ない話に、俺は驚き富田郷左衛門の顔を二度見した。

 どうやら冗談ではなさそうだ。


「とりあえず会おう……。香と板垣さんを呼んできてくれ。富田郷左衛門も同席せよ! 他は人払いだ!」


「はっ!」


 やっかいなことになった。

 北条家に仕える忍者が、武田家に仕官希望なんてメチャクチャな話だ。


 スパイとして武田家に潜入する為の口実だろうか?


 いや、それならもっとそれらしい口実を作るはずだ。

 例えば、浪人として仕官してくるとか……。

 他に上手い口実をでっち上げるだろう。


 そんなことを考えながら、大広間に出向いた。


 同席するのは、奥さんの香、板垣さん、三ツ者頭領の富田郷左衛門、そして呼んでないのに香にひっついてきた飯富虎昌の四人だ。


 もし、本当に仕官希望の場合は、北条家に知られると面倒な事になる。

 だから、同席するメンバーを絞ったのだが……。


 飯富虎昌は退席するように言っても聞かない。


「護衛は必要でしょう? 香様の安全のために!」


 飯富虎昌!

 俺の安全はどうした!?

 キリッとした顔をしているけれど、言っていることはひどいぞ!


 躑躅ヶ崎館の大広間で、風魔小太郎と対面する。


 ひれ伏しているが、あまり体が大きくない。

 ゲームなんかだと、ニメートル超えのゴリマッチョ武闘派キャラに描かれたりするが、この世界の風魔小太郎は違うらしい。


 俺と香が上座に座り、左に板垣さんと富田郷左衛門、右に飯富虎昌が陣取る。


 そして、かなり離れた位置に風魔小太郎がひれ伏している。

 大広間の一番後ろだ。

 身分の低い忍者だから遠慮しているのかな?


 俺は警戒しながら、風魔小太郎に声をかける。


「面を上げよ!」


「ははっ!」


 風魔小太郎が、ゆっくりと体を起こした。

 若いな!

 それに、イケメンだ!


 風魔小太郎は、プロレスラーみたいなゴツイ親父だと思っていたので、俺は肩透かしを食らった気持ちになった。


「そこでは話しをするのに遠い! もっと近う! もっとだ! 遠慮せず! 近う!」


 風魔小太郎は、かなりためらっていた。

 たぶん、北条家での忍者の扱いと武田家での忍者の扱いが違うので、戸惑っているのだろう。


 武田家では忍び三ツ者頭領でも他の家臣と同列に扱うから、同席している板垣さんや飯富虎昌は平然としている。


「武田晴信だ」


「風魔小太郎と申します。相州乱波の頭目をやっております」


 俺は短く自己紹介し、風魔小太郎も手短に答えた。

 チラリと隣に座る香を見ると、軽くうなずいてくれた。


 香の一芸『真実の目』で嘘をつけば、すぐバレる。


 どうやら俺の前に座っているのは、自己紹介通り本物の風魔小太郎らしい。


 俺は一芸『鑑定』を発動させて、風魔小太郎の能力をのぞき見る。


(鑑定!)



【風魔小太郎 一芸:風魔秘伝】


【風魔秘伝:風魔秘伝の技で、潜入工作や格闘・暗殺において、非常に高い能力を発揮する】



 暗殺……!

 一芸の物騒な文言を見て、背中に嫌な汗が流れる。


 飯富虎昌に目配せをすると、静かに刀を自分の左側に置き直した。

 刀を左――つまり、いつでも斬りかかれる体勢だ。


 もし、風魔小太郎が俺を暗殺しようとしても、飯富虎昌が黙っていない。


 気配を察したのか、風魔小太郎が涼やかな声で弁解を始めた。


「ご安心下さい。武田様をどうこうしようとは思っておりません」


「さてな……。名にし負う風魔忍者の頭目だ。こちらも用心させてもらう」


「それはまた随分高く評価していただいているのですね?」


「荒事にかけては、右に出る者がいないと聞く」


「そちらの腕には、少々自信がございます」


 風魔小太郎は、笑みを絶やさない。

 裏付けのある自信の現れと見た。


 もう少し踏み込んだ話をしてみよう。


「富田郷左衛門からは、当家に仕官希望と聞いたが?」


「左様でございます! ぜひ、お取り立て下さい!」


 風魔小太郎は、そう言って頭を下げた。


 俺は香を見る。

 香が軽くうなずいた。

 ふむ……仕官希望は本当なのか……。


 しかし、風魔衆は、北条家のお抱え忍者軍団として名が通っている。

 それが武田家に鞍替え?


「では、北条家と袂を分かつと申すか?」


「左様でございます」


「理由を聞こう」


 風魔小太郎が、武田家に仕官した理由を語り出した。


 先の武田家と今川家の戦いで、風魔小太郎は武田方の本栖城に潜入していたそうだ。

 俺たちと一緒に今川家と戦い、戦のどさくさに紛れて、鉄砲を一丁盗み出した。


「あれは……オマエの仕業か!?」


「左様でございます!」


 風魔小太郎は、得意げに胸を反らした。

 ドヤ顔が腹立つなあ~。


 風魔小太郎は盗み出した鉄砲を北条家に提出し、戦で何が起こったか報告をした。

 だが、北条家の首脳陣は、風魔小太郎の報告が理解出来なかったらしく、わずかな報酬しかもらえなかったそうだ。


 まあ、北条家の連中は火薬も鉄砲もしらないのだから、あの戦で起きたことを又聞きしても理解出来ないよな。


「つまり、骨折り損のくたびれもうけ。それに、お主は不満を感じたと?」


「それだけではございません! そこな三ツ者頭領の富田郷左衛門殿は、好待遇を受けていると聞きます。武田家では能力があれば出自は問わないのですよね? それに、あの戦いふり! 女子供も戦に加わり、あの『ドーン!』と腹に響く音……」


 火薬の爆発のことだな。

 現場にいたなら度肝を抜かれただろう。


「なるほど、当家に将来性を感じて仕官するのか?」


「左様でございます! 武田家は今後伸びると確信しております!」


 そう言われると、俺も悪い気はしない。


 風魔小太郎の一芸は強力だ。

 情報収集に優れた忍び『三ツ者』と荒事が得意な『風魔忍者』か……!

 得意分野が違うので、すみ分けが出来る。


 それに今度の脱出作戦に即戦力として投入出来るのも大きい。


 俺が風魔小太郎を採用する方向で考えていると、隣に座る香が眉間にしわを寄せて話し出した。


「ねえ……ハル君……変だよ……」


「変? どうした?」


 香がおかしなことを口走りだした。

 一体どうしたのか?


 香は風魔小太郎をジッと見つめる。


「風魔……小太郎さん……だよね?」


「はい。左様でございます。奥方様。風魔小太郎にございます」


「あれ? 小太郎さん? 小太郎さんは、ここにいるけれど、あっちにもいるよ?」


 香はさらに変なことを言いだし、東南の方角を指さした。

 明らかに様子がおかしい。


「えっ!? 香……大丈夫か? 何を言ってるの!?」


「どうして!? 小太郎さんが二人!? こんなことはじめて!」


「二人!? 風魔小太郎が二人いるのか!?」


「そう!」


 どういうことだろうか?

 風魔小太郎の様子を見ると、先ほどまでの笑顔は消えて平静を装っている。


 俺は強めの口調で、風魔小太郎に問うた。


「風魔小太郎! どういうことだ?」


「さて……何のことやら……。私は間違いなく風魔小太郎にございます」


「それは信用するが……」


 香の一芸『真実の目』、そして俺の一芸『鑑定』、両方がこの男が風魔小太郎だと言っている。

 この男が風魔小太郎なのは間違いない。


 だが、香の一芸『真実の目』は、もう一人風魔小太郎がいると言っている。


 これは一体……。


(分身の術?)


 俺は突拍子もないことを思いついたが、すぐに否定した。


 一芸は、それなりにこの世界の現実に即したスキルだ。

 さすがに分身の術はないだろう。


 そうすると……考えられるのは……。


「双子?」


 俺のひらめきに、香が手を叩いて喜ぶ。

 スッキリしたのか、笑顔だ。


「あっ! ハル君! きっとそうだよ! 風魔小太郎さんは、双子だよ! 一人がこっちにいて、もう一人があっちにいる!」


「そうか……もう一人は東南……。とすると……小田原城か?」


 香が風魔小太郎の顔をジッと見る。

 たぶん、一芸『真実の目』を発動させているのだろう。


「小太郎さん? どう? あたり?」


「奥方様……お戯れを……。一体全体、何のことやら――」


「ダウト! そうかあ~、小太郎さんは、双子だったのかあ~。だから、他の人と違う感じがしたんだ――」


 空気が変わった。

 風魔小太郎が恐ろしい殺気を放ち、香をにらみつけた。


 秘密を香に見破られたからだろう。

 これほどの殺気は、初めて感じる。


 大広間の空気が、ズブリと重ったるくなった。


 次の瞬間、飯富虎昌が刀を抜いていた。

 膝立ちの体勢で風魔小太郎に斬り付ける。


 飯富虎昌が振るう刀の切っ先が、音を立て俺の目の前を通過していった。


 金属を叩き合わせる鈍い音が響く。

 同時に風魔小太郎が大広間の入り口まで吹っ飛んだ。


「香様に殺気を放つなど、万死に値する!」


 飯富虎昌が虎のように吠えた。

 大広間の端で横たわる風魔小太郎に、刀を向け警戒は解かない。


 あれで生きているのか?

 ド派手に吹っ飛んだぞ!


 いつの間にか立ち上がっていた香が、飯富虎昌と話し出した。


「でも、いい腕ねえ~。結構本気だったのに」


「ええ。腕は認めましょう。しかし、香様への無礼は許しません!」


「ありがとう! 虎ちゃん! ねえ~、小太郎さ~ん、怪我はないでしょう~? 下手な芝居はやめてよ~」


 香の呼びかけを受けた風魔小太郎がむくりと起き上がった。

 右手にはクナイ、左手には懐剣を握っている。


「いや~、イイですねえ~、武田家! お二人ともお強い! これは是非とも召し抱えていただかなくては!」


「楽しそうだな、オマエ……。ウキウキしやがって……」


 状況から推測すると……。


 飯富虎昌が放った横殴りの一撃を、風魔小太郎がクナイでブロック!

 だが、衝撃で後方に吹っ飛ばされる。


 そこへ香が懐剣を風魔小太郎に向かって投擲!

 風魔小太郎は懐剣をキャッチした。


「――ってこと? 正直、早すぎて見えなかったよ」


 俺が解説を求めると飯富虎昌が答えた。


「概ねその通りです。付け加えると、あやつは後方に飛んで衝撃を逃がしました」


「本当に!?」


「刀に伝わった手応えが軽かったですから」


 風魔小太郎を見るとニヤリと笑い、懐剣をそばにいた富田郷左衛門へ渡した。


「そうだ! あの懐剣は、香が投げたのか?」


「うん。結構本気で投げたんだけどね~。いや~決まらなかったかあ~」


 風魔小太郎は居住まいを正して答える。


「紙一重でした。懐剣が飛んできた時には、死を覚悟いたしました。さすがは奥方様!」


「いやいや、小太郎さんこそ! さすが有名な忍者だよね!」


「香様の素晴らしさがわかるとは……お主は見所があるぞ!」


 三人は、武闘派同士でしかわからないヘンテコなエールの交換を始めた。


 それにしても、香と飯富虎昌の同時攻撃を受けて無傷とは……。

 一芸『風魔秘伝』恐るべしだな。


 場が落ち着いた所で、俺は仕官話に戻した。


「風魔小太郎。すると、風魔は二つに割れるのか? 一方がこれまで通り北条家に仕え、もう一方が武田家に仕えるのか?」


「左様でございます。双子の兄が北条家に。弟の私が武田家に」


「ふむ……」


 リスクはある。

 武田家の情報が北条家に流れたり、北条家から風魔小太郎を通じて北条家にとって都合の良い情報が武田家に流されたり……。


 いや、逆も考えられるのか。

 こちらが北条家の情報を得られ、北条家に情報を流せるともいえる。


 さらにツッコんで事情を聞くと、双子の兄は北条家の本拠地である小田原城に詰めていて、現場は双子の弟――俺の目の前に座っている方の風魔小太郎――に任せることが多いそうだ。


 兄貴ばかり楽をしているのが、面白くない。

 さらに現場で失敗でもすれば、現場を仕切る弟の責任になるのも面白くない。


 そこで弟の風魔小太郎は、兄の風魔小太郎とは別の道を歩むことにしたそうだ。


 裏は取れていないが、香が一芸『真実の目』でチェックしている。この話は信じても良さそうだ。


「荒事に強い連中を引っ張れるか?」


「荒事は風魔の最も得意とするところです! 五十人ほどが、私と行動を共にいたします」


 欲しい!

 五十人の風魔忍者!

 五十人にいれば、戦場で後方に回り込ませるなど戦術に幅が広がる。


 ちらりと香を見る。


「ハル君。大丈夫。小太郎さんの武田家に仕えたい気持ちは本物だから!」


 香の一芸が、そう告げるのだろう。

 なら、リスクを取ろう!


 板垣さん、富田郷左衛門も、無言でうなずいている。

 風魔小太郎を召し抱えるのに異論はないようだ。


「風魔小太郎! その方を武田家で召し抱える! 俺の直臣だ! すぐに手下と甲斐に移ってこい!」


「はは! ありがたき幸せ!」


 俺は風魔小太郎を得た。

 これで富士信忠脱出作戦は、成功の可能性が大いに高まった!


 作戦の詳細を煮詰めて準備に入ろう。

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