第68話 富士信盛との会談
――十日後。
俺は奥さんの香を連れて、富士山本宮浅間大社に詣でた。
後ろに控えていた板垣さんが、声をかけてくる。
「御屋形様、香様。次は、富士信盛殿との面談です。富士氏の館に参りましょう」
「板垣さん。ありがとう」
富士氏の館は、富士山本宮浅間大社のすぐ近くにあるそうだ。
俺たちは、護衛を従えてゆっくりと歩いた。
「ねえ、ハル君。富士さんを説得する材料は見つかったの?」
香は、現代風に『さん付け』で富士氏を呼んだ。何だか富士山を説得するみたいで、俺はクスリと笑った。
「いろいろ調べて、たぶんコレっていうのを見つけたよ。妹の南にも相談したから、いけると思う」
「なら安心ね! 私は、富士さんの言葉が、ウソか本当か見分ければ良いだけね」
「うん。よろしくね」
香の一芸は、【真実の目】だ。
【真実の目 全てを見通し、真実とウソを見分ける】
富士信盛が、なぜ我々武田家に臣従しないのか?
明確な原因はわからない。
俺が歴史本で調べた結果をぶつけ、香の一芸で正誤を見抜いてもらうしかない。
もし、ダメなら厄介なことになる。
富士氏は、武田家の本拠地である甲斐国と新領地の駿河国を分断出来る位置に勢力圏を持つ。
しかし、富士氏を攻め滅ぼすことは出来ない。
富士氏は、富士山本宮浅間大社の大宮司を代々勤める神職の家だ。
権威ある神社の大宮司を攻め滅ぼすなど、愚の骨頂だ。
寺社勢力を敵に回し、地元民から嫌われ、近隣の大名に攻め込む口実を与えてしまう。
「これは失敗出来ないぞ……」
俺のつぶやきに、香と板垣さんが真剣な顔でうなずいた。
富士山本宮浅間大社の裏に富士氏の館はあった。
富士氏の館は、古いが大きく立派な屋敷だ。
俺たちは、会所に案内され上座に座らされた。
すぐに富士信盛がやって来て下座に着く。
隣に座る香が、そっと俺に耳打ちをする。
「ねえ、ハル君。私たちが座っているのは上座?」
「そうだよ」
「じゃあ、富士さんに敵意はないのかな?」
「どうだろう……」
現代日本と違って、『お客様は上座』というわけではない。
例えば、武田家に北条家の使者がやって来た場合。
俺は武田家当主として広間の上座に座り、使者は下座だ。
だが、当主同士の場合はどうか?
そこは戦国武将同士だから、お互いの力関係が物を言う。
この場合は、富士氏当主の富士信盛は、武田家の力を認めた。
だから、武田家当主の俺に上座を譲ったと解釈出来る。
「お初にお目にかかります。富士信盛でございます」
富士信盛は、人の良さそうな笑顔を見せながら、品の良い所作で頭を下げた。
「丁寧なご挨拶痛み入る。武田家当主、武田晴信です」
俺はすかさず一芸【鑑定】で、富士信盛を鑑定した。
しかし、富士信盛は一芸を持っていない。
どうやら見た目通り平凡なおじさんのようだ。
ゲームでいうなら、【武力50/政治力50】みたいなキャラか?
富士信盛が、笑顔を絶やさずに話を続ける。
「この度は、富士山本宮浅間大社に多額のご寄進をいただき、まことにありがとうございます!」
俺は山盛りの甲州金を富士山本宮浅間大社に寄進したのだ。
半分は売名行為……武田晴信は、神仏を敬う人物だと内外に印象づけるため。
この世界の人々は、信仰が篤いし、寺社勢力は力を持っている。
寺社勢力に気を遣って、損はないのだ。
そして、もう半分は、経済力を見せつける威嚇!
経済力があれば、大軍を組織して近隣諸国に攻め込める。
富士氏が武田家に臣従しないのなら……『あとは分かるな?』というメッセージだ。
俺は鷹揚にうなずき、武田家の経済力を誇示する。
「最近、武田家では、金山開発に力を入れています。寄進させていただいたのは、開発した金山から産出した金です」
「ほう! 噂に聞く甲州金ですな!」
「左様です。今後も鉱山事故など起きないように、神仏のご加護を賜りたく」
「なるほど! 武田様は篤信の将でありますな!」
良い雰囲気だ。
俺は軽くジャブを放ってみることにした。
「つきましては……、富士山本宮浅間大社の大宮司たる富士信盛殿に祈祷をお願いしたいのですが……、いかが?」
「それは……、甲斐へ来いとのご命令でございましょうか?」
富士信盛の顔色が面白いように変わった。
武田家と富士氏の力関係は理解出来ているようだ。
人質、謀殺……。
富士信盛は、色々と想像していることだろう。
あまり意地悪をするのはやめよう。
「いえいえ。我ら武田家は、富士山本宮浅間大社を大事に思っております。当然、大宮司を勤める信盛殿にも相応の敬意を払います」
「それは、ありがたいことです」
富士信盛が、ほっと息をついた。
完全にこっちのペースになっている。
俺は間髪入れずに、本題を切り出す。
「板垣から何度か打診している臣従の件はいかがですか? 今、申しましたとおり、武田家は富士山本宮浅間大社とあなたたち富士一族を尊重します。無理な従軍は強制しません」
「……」
「富士山本宮浅間大社を守り、つづかなく運営して下されば良いのです。領地も今のままで構いません」
「いや……その……」
「もちろん、富士山本宮浅間大社への寄進は、毎年させていただきます。甲州金でガツンと!」
「それは……困りましたな……」
富士信盛は、しどろもどろだ。
領地安堵と大宮司の立場を安堵することにプラスして、甲州金での寄進を約束する好条件を提示しているのだが、なぜ困るのか?
板垣さんが言う通り、何らか理由があるのだ。
武田家に臣従出来ない理由か、あるいは――。
「信盛殿。今川家を裏切れない理由があるのですか?」
富士信盛は、武田家に対して悪感情は持っていない。
これまでの会話で、そう判断出来る。
そして、好条件を示しても武田家に臣従しない。
ならば、問題は武田家にあるのではなく、富士氏が臣従している今川家にあるのではないか?
俺の予想は当たっていたようで、富士信盛は視線をさまよわせ始めた。
香の一芸を使うまでもない。
「い、いえ……。そういう訳では……」
「ダウト!」
富士信盛が誤魔化そうとすると、間髪入れずに香が【真実の目】で真実とウソを見分ける。
香の『ダウト』の声に、富士信盛がキョトンとした。
「富士さん、ウソはダメですよ。私は一芸でウソが分かるの!」
「それは……」
香が笑顔で富士信盛を殺しに行っている。
逃げ場をなくした富士信盛に、俺は調査結果を突きつけることにした。
「ご嫡男の富士信忠殿は、今川義輝の馬廻り衆に取り立てられていますね?」
「えっ!? なぜ、それを!?」
「やはり、そうでしたか……」
ネタ元はネット通販風林火山で買った本『戦国時代の静岡県』だ。
富士氏は、かなりマイナーな戦国武将で、普通の歴史本には書いていない。
地元ローカルの歴史本で、やっと見つけたのだ。
俺の横で控えていた板垣さんが、ポンと膝を打った。
「なるほど! そうでしたか! 馬周り衆といえば、聞こえは良いですが……」
「人質だね」
「何それ! ひどい!」
香はプンスカ怒っているが、戦国時代に人質を取るのは当たり前のことなのだ。
理由は、裏切り防止。
富士氏の領地は、今川家、武田家、北条家がにらみ合う中間地点にある。
今川家としては、絶対に裏切れないように嫡男を人質にとったのだろう。
俺が香に状況を説明して、香の怒りをなだめていると、富士信盛が深いため息とともに語り出した。
「ご推察の通りです。私も倅も、領地や立身出世に興味はなく、ただ、富士山本宮浅間大社を守り、もり立てられればと考えていたのですが――」
「乱世に巻き込まれましたか?」
「はい……。今川様には、そっとしておいて欲しいとお伝えしたのですがお許しをいただけずに、倅を馬周り衆にと無理矢理お取り立てになられて……」
「それで、武田家に臣従出来ないのですね?」
「左様でございます。私としては、信仰の篤いお家にお守りいただきたいのですが……」
「あなたたちの置かれた状況は理解出来ます」
馬周り衆というのは、戦場で大将の側に控えるエリート部隊だ。
各部隊への伝令を行い、いざという時は大将の盾になる。
今川家は、そんな花形の仕事をチラつかせて、この人の良さそうなおじさんに断れなくしたのだろう。
『オマエの倅をエリートコースに乗せてやるんだぞ? 当然、この話を受けるよな? 断るなんてあり得ないよな?』
なんて、具合に……。
戦国の世は、世知辛いな。
香をチラリと見ると、うなずいている。
富士信盛の言葉にウソはない。
ならばと俺は用意していた腹案を提示した。
「それでは武田家で、ご嫡男の富士信忠殿を救出したら、武田家に臣従してくれますか?」
「えっ!?」
富士信盛は、驚き前のめりになった。
顔には喜色が浮かんでいる。
「今、何とおっしゃいましたか?」
「ご嫡男富士信忠殿を救出するから、武田家に臣従してくれと言ったのです」
「それは……。そうなったら、もちろん臣従いたしますが、そんなことが可能なのでございましょうか?」
富士信盛の顔には、信じられないと書いてある。
そりゃそうだ。
嫡男の富士信忠がいるのは、今川家の領地。
それも本拠地にいるのだ。
敵対している武田家が、どうやって救出するというのか。
だが……。
「我ら武田家にとっては、造作もないことですよ! それから、このことは他言無用に願います。誰にも話してはなりませんよ!」
「ははー!」
富士信盛に『極秘』と念を押し、俺たちは富士氏の館を後にした。
さて、救出作戦を練るとしよう!
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