第66話 大物と交渉すること、ドキドキの如し

 ――翌日。


 三条麻呂彦が京都へ帰っていった。

 今回、帝に献上する銀を大量に運でもらう。そこで、飯富虎昌おぶ とらまさを護衛につけることにしたのだが……。


「香様のご両親に、ご挨拶をしないと!」


「それは、オマエの仕事じゃないぞ!」


 飯富虎昌は、見当違いな方向に張り切っている。

 麻呂彦と銀を無事京都に送り届けるのが飯富虎昌の仕事なのだ。

 香のご両親に挨拶するのは、婿である俺の仕事だぞ!


 飯富虎昌を三条家に訪問させるのは、非常に不安だが、現在幹部連中は各地に出払っている。


 俺の守役だった板垣さんは、新たに支配した旧今川領の豪族に対して交渉・調略中。


 妖怪じじいの小山田虎満は、蒲原城の城代を頼んでいて、駿河で今川家とにらみ合いを続けている。


 甘利虎泰は、裏切った穴山家、郡内の小山田家の旧家臣団の取りまとめ。


 馬場信春は、甲斐から相模、駿河を結ぶ道路建設。



 俺の手元には、内政家の駒井高白斎、忍びを取りまとめる富田郷左衛門、乱戦が得意な横田高松よこた たかとし、そして武闘派の飯富虎昌しかいない。


 まさか、恵姉上を護衛につけるわけにはいかないので、やむなし、脳筋の飯富虎昌に護衛を任せることになった。


 旅程は、戦争中の今川家の領地を横断するコースになる。俺は心配したのだが、三条家のお供、それも帝への献金を輸送するとなれば、大丈夫だと麻呂彦が請け負った。


「では、行って参ります!」


 飯富虎昌は、張り切って出かけていった。

 問題を起こすなよ……。



 ――三条麻呂彦と飯富虎昌が旅立ってから二日後。


 北条家から使者がやってきた。

 やって来たのは、なんと北条幻庵!


 北条幻庵は、北条家の重鎮で、後北条初代である北条早雲の四男、当代北条氏綱の弟だ。

 北条家は、大物を送り込んできたな……。


 俺は、大広間で北条幻庵と対面した。


「北条幻庵にございます」


 北条幻庵は、知的な雰囲気をまとった僧だった。確か、幼い頃に出家したのだ。

 挨拶を交すと、早速本題を切り出してきた。


「こたびの今川家との戦ですが、和議を結ぶわけには参りませんか?」


 来たな……。

 北条家が和議を提案してくる――これは、妹の南の予想通りだ。


 北条家と今川家は同盟を結んでいる。そして、最近になってだが、北条家と武田家は一年間の停戦を取り決めている。さらに、俺が北条家に気を遣って、金平糖など高価な贈り物をしている。


 北条家は、今川、武田、両家と友好的な関係なのだ。和議を取り持つことが出来る立場だ。


 俺としても今川家とは、和議を結びたい。今川家から切り取った新領地の仕置きを行い、ひとまず内政面を安定させたいのだ。


 だが、南の読みでは、俺がストレートに『良いですね! 今川家と停戦しましょう!』と言えば、足下を見られてしまう。

 南の読みでは、『今川家と和議を結ぶから、今川家から切り取った領地を返す』と、武田家に不利な条件を和議につけられてしまう。

 だから、俺は強気な芝居をしなくてはならないのだ。


 俺は腹に力を入れて、低い声で北条幻庵に返答した。


「和議ですと? これはおかしなことをおっしゃる。武田家は勝っています」


 北条幻庵は、俺を値踏みするように、ジッと見ている。

 俺は、『この戦、安くないぞ!』と気持ちを込めて、北条幻庵を静かに見つめ返す。


 やがて、北条幻庵が口を開いた。


「確かに、武田家は勝っていますな。それでは、どこまで戦を続けますか?」


「別に今川家を丸呑みしても構いませんが?」


 俺は『それがどうした』と強気な態度を崩さない。

 また、北条幻庵が黙った。


 こうやって、間を取って揺さぶるのが、北条幻庵の交渉法なのだろう。

 だが、その手にはのらない。


 最悪、和議が結べなくても、駿河の入り口である蒲原の町は抑えた。そして、蒲原城に妖怪じじい小山田虎満をつめさせてある。

 今川家が領地奪還に動いても、武田家は跳ね返す事が可能だ。


 しばらくして、北条幻庵が再び口を開いた。


「北条家といたしましては、和議を結んでいただきたい」


「なぜです?」


「同盟関係にある武田家と今川家が争うのを見るのは、非常に心が痛みます」


 物凄くウソ臭い。

 俺は涼しい顔で、言い返した。


「私の心は痛みませんが?」


「……」


 北条幻庵は、面食らった。まさか、言い返されると思わなかったのだろう。


 ここだな……!


 俺は勝負所と判断し、ズバッと踏み込んだ。


「北条幻庵。本当は関東が気になるのだろう?」


「!」


「関東では、反北条の動きが活発だ。そうだな?」


「……」


 北条幻庵が目をつぶった。気持ちを悟られまいとしているのだろうが……無駄だ!

 オマエのことは、一芸賈クを持つ南が読み切っている。


「北条家の本音は、背後の安全保障だ。長年同盟を組んでいた今川家が背後を守ってくれていれば、関東の敵に集中出来る。だが、『武田家では、イマイチ背後が不安だ』、そんなところじゃないのか?」


 冬であるにも関わらず、北条幻庵の額から汗が一筋流れ落ちた。


「北条幻庵。武田家は北条家と戦うつもりはない。だが……、今川家から切り取った領地を今川家に返すつもりはないぞ!」


 北条幻庵は、ジトッとした目で俺を見た。


「なりませんか?」


「ならんな。こたびの戦は、今川家が仕掛けて来たのだ。武田家は返り討ちにしただけ……。それに、今川義元殿のご遺体は、今川家に送った。当家に落ち度はなく、誠意のある対応をしていると思うが?」


 俺が一気に詰めると、北条幻庵は軽く息を吐いて俺の言い分を認めた。


「そうですな」


 だが、北条幻庵の口から、『わかりました。現状で和議を結びましょう』の一言が出て来ない。


 俺は厳しい表情を崩さないが、内心で不安になり始めていた。


(あれ? 南に言われた通りに交渉したのだけれど……失敗したかな?)


 南は一芸賈ク持ちだ。謀略や交渉の類いで、後れを取ることはないはずだ。

 だが、北条幻庵は、まだ手札を持っている雰囲気を醸し出している。


(何が来る?)


 俺は心の中で身構えた。


「ところで……、武田家のみなさまにご覧いただきたい物があるのですが、披露してもよろしいですかな?」


 北条幻庵が急に話題を変えた。和議の件はあきらめたのだろうか?

 俺が許可を与えると、北条幻庵の後ろに控える供の者二人が、大きめの木箱を廊下から運び入れた。

 二人は、俺と北条幻庵の間に大きめの木箱を置き、蓋を開けた。


「「あっ!」」


 俺と横田高松は、思わず声をあげてしまった。

 木箱の中には、先の戦で紛失した鉄砲が一丁入っていたのだ。


 俺と横田高松の動揺をよそに、北条幻庵は涼しい顔で交渉に戻った。


「いかがですかな?」


 ――しまった! もう、とぼけられない。


 紛失した鉄砲は、北条家に渡っていたのか……。


 俺は対応に困り、とりあえず、とぼけることにした。


「いかがとは?」


「いやはや芝居がお上手ですな! これは武田家の物ですよね?」


「仮にそうだとして……、それが、どうして北条家の手にある?」


「これは流民が持ち込んだ物です。武田領で拾ったと申しておりました」


「拾ったですか……」


 絶対ウソだ!

 忍びに盗ませたとか、そんなところだろう。


 だが、拾ったか、盗んだかと議論しても、水掛け論になる。

 北条家は、盗んだとは認めまい。


 それに、この会談の目的は『武田家に有利な条件で、今川家との和議を結ぶ』だ。


 俺は気持ちを落ち着けて、北条幻庵に言葉を投げた。


「それで、これがどうかしたのか?」


 俺が水を向けると、北条幻庵は得意げに話し始めた。


「これは、武田家にとって大事な物でしょう? もし、今川家から切り取った領地を、今川家にお返しいただき和議を結んでいただけるのでしたら、これは武田家にお返しいたします」


「……」


「それから、これのことは他言いたしません。当家でも知っている者は限られていますので、武田家の秘密をお守りいたしましょう」


 なるほど、そう来たか。

 俺は北条幻庵が話し終わると、秒で返事をした。


「断る」


「えっ……」


「それは確かに当家の物だ。先の戦で紛失した物だろう。だが、まあ、別に返さなくてもいいぞ」


「ええっ!?」


 北条幻庵は、目を大きく開いて驚いている。


 残念だったな北条幻庵。

 それは、鉄砲というのだよ。


 北条幻庵は、先ほどから『これ』と言っている。この物体が『鉄砲』だとわかっていないのだ。

 それもそのはず、今は鉄砲伝来前だ。


 武田家が鉄砲を持っているのは、俺が一芸『ネット通販風林火山』で火縄銃のレプリカを買って、実際に撃てるように改造したからだ。


 北条家は、鉄砲が何かわかっていない。当然、武器としての使い方がわからない。さらに、弾や火薬がなければ、鉄砲はただの棒でしかない。


 北条家が、その鉄砲を持っていても構わないし、他家に言いふらしても構わない。


『なんだかわからない物を、武田家は戦で使っている』


 と思われるだけだろう。


 北条幻庵は、鉄砲がよほど大事で、高価な物だと思ったのだろう。大事は大事だけれど、今川家から切り取った領地を返すほどではない。


 また、買えば良いし。


 北条幻庵の交渉カードは潰した。


 俺は、再度交渉を行い『武田家に有利な条件』で、和議を結ぶ方向で話を終らせた。

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